慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

宇治植物園散策(11/9/24)

2011年09月24日 | Weblog
平成8年に宇治市植物公園はオープンしました。

本公園の総面積は10ha、起伏に富んだ敷地には、
壁泉・水路を軸線としは紅葉や木の実が楽しめる秋のゾーン、花木や季節の花々が楽しめる春のゾーン、
修景池を中心とした夏のゾーンで構成されています

温室には、年間を通じて熱帯・亜熱帯植物の花が咲きほこっています
ウイークデイーであった為か、お客さんも少なく、空気も清々しく散歩するには最高の公園でした

出会うペアーカップルは、開放感の為か、皆楽しそうに手を繋いで散歩していました


宇治植物公園
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平城仏教道散策(11/9/11)

2011年09月11日 | Weblog
以前勤務先の同窓会が奈良・大阪であり
その会に4日間参加し、奈良・大阪観光を楽しみました


   
廬舎那仏金銅像(大仏)

奈良時代
710年平城京に遷都してから、784年に長岡京に都が移る74年間です
国家の安泰を願い、仏教が国教となるよう、政権は仏教の布教に努めた時代でした

仏教の興隆
仏教は、鎮護国家の思想とあいまり国家の保護下で益々発展しました
*政府は平城京内に大寺院をたて、仏教の普及に努めました
*聖武天皇は、全国に、国分僧寺や尼寺を全国に建てました
*東大寺の造営し、743年に廬舎那仏金銅像(大仏)の造立し国家の安泰を願いました
南都七大寺
(大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺、東大寺、西大寺、法隆寺)
僧侶は経典等より、お仏教の教理を研究し仏教を国教としての定着を図りました
南都六宗
三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗の学派が形成されました

奈良時代の仏教布教の特徴
遷都後に建てられた有名な寺院は、総国分尼寺となる法華寺、西大寺、唐招提寺、
 東大寺等です
奈良時代70年位でそれ程多くの寺院が建築されたのか?
*平安京に都が遷都してからも、建築は継続されているのも多かったです
南都六宗の教えはその後?
*現在でも、奈良時代の宗派の寺院もありますが、平安京で成熟した宗派に改宗している
 寺院も多いです
寺院の経営基盤は?
*布教活動は、政府の資金が中心の為、檀家持たないで寺院多いです
 平安京に遷都後、政府からの資金援助減少し維持難しく廃寺に成った寺院多いです
 特に、全国に建立された、国分寺、国分寺尼寺等です
*薬師寺でも、一時期廃寺に成りましたー戦後、高田好胤さんにより完全に蘇っております
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聖徳太子道散策(11/9/9)

2011年09月09日 | Weblog

以前勤務先の同窓会が奈良・大阪であり
その会に4日間参加し、奈良・大阪観光を楽しみました


  
聖徳太子               紙幣に描かれた聖徳太子


聖徳太子、本名厩戸(うまやど・うまやと) 
政治での活動
 *推古天皇のもと、摂政として蘇我馬子と協調して政治を行いました
 *遣隋使を派遣するなど大陸の進んだ文化や制度をとりいれて、冠位十二階
  十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立しました
 *仏教を信仰し興隆につとめ、仏教での人心の安定を図りました
肖像が描かれた紙幣、
 *百円紙幣、千円紙幣、五千円紙幣、一万円紙幣と累計7回使用された


  
聖徳太子祀る夢殿            聖徳太子の像(奈良県は、非常に多いです)


仏教との関係
*仏教の受容を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋とが激しく対立しており
 厩戸皇子は、四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、物部軍と戦い物部氏に勝利しました
*厩戸皇子は物部氏との戦いの際の誓願を守り、摂津国難波に四天王寺を建立しました
*日本各地には聖徳太子が仏教を広めるために建てたとされる寺院が数多くありますが
 実際は「法隆寺と四天王寺」の2寺と言われています
*法隆寺は、推古天皇と聖徳太子が、607年に寺と薬師像を造りました
*斑鳩寺は、法隆寺の別院(支院)であったが、現在は「お太子さん」信仰を集めています
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同窓会道散策(11/9/8)

2011年09月08日 | Weblog
前勤務先の同窓会が奈良で実施されました

参加人数
 新入社員として、47人某社に入社しました
 今回、東京~九州から多くの方が集まりました
 今回、出席率の素晴らしさには吃驚しました 23名です
 概ね半分の出席です
 参加者の多くが、今でも何か社会に貢献しているのには驚きました

会場・内容
 
北京料理奈良百楽
      

印象
  
 「 温故知新 」
  楽しかった、嬉しかった、満足だった

  皆様有難う!   
  幹事さんお世話に成りました
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法隆寺、長谷寺道散策(11/9/8)散策

2011年09月08日 | Weblog
以前勤務先の同窓会が奈良・大阪で有り、
奈良・大阪観光を楽しみました

    
法隆寺金堂                五重塔

  西院伽藍

   玉虫厨子

法隆寺は、聖徳宗の総本山で、別名を斑鳩寺です
概要
*飛鳥時代の姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院です
*創建は、607年で、金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられます
西院回廊、金堂、五重塔
*金堂に安置される銅像薬師如来坐像(国宝)は、用明天皇が自らの病気平癒のため伽藍建立を
 発願しましたが、用明天皇が亡くなり、遺志を継いだ推古天皇と聖徳太子が完成しました
八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、太子をしのんで建立したものです

     
長谷寺金堂                 長谷寺舞台

長谷寺
概要
*真言宗豊山派総本山の寺
*本尊は十一面観音
*日本でも有数の観音霊場として知られる
*初瀬山の中腹に本堂があり、牡丹の名所であり、4月下旬~5月上旬は牡丹で満開です
*長谷寺の創建は、8世紀前半です
*平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めたました
*長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺、平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺でしたが、
 16世紀現在の真言宗豊山派を総本山となりました
*「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ、日本各地に多く240寺程存在します


銅板法華説相図

本堂
*入口の仁王門から本堂までは399段の登廊をのぼります
*本尊を安置する正堂、相の間、礼堂から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく
 懸造(舞台造)になっています
*本尊十一面観音像は1538年に再興(現存・8代目)されました
*銅板法華説相図(国宝)
「千仏多宝仏塔」法華経の見宝塔品で、釈迦が説法時、
地中から宝塔が出現した場面を表現したものです
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薬師寺、唐招提寺散策(11/9/7)

2011年09月07日 | Weblog
前勤務先の同窓会が
奈良・大阪で有り、奈良・大阪観光しました、大変楽しい4日間でした

 
東塔(国宝)西塔                講堂

    
玄奘三蔵院                   金堂

薬師寺
興福寺とともに法相宗の大本山です、本尊は薬師如来、開基は天武天皇です、
創建
*天武天皇が、持統天皇の皇后の病気平癒を祈願して薬師寺を建立しました
現在の建築物は、良くも悪くも「名物管長 高田好胤さん」が再建しました
薬師寺式伽藍配置
*中門、回廊、金堂、塔、講堂、鐘楼の構成です
*10世紀ころまでは存続していたようだが、後に廃寺となりました
*平城京の薬師寺は、973年の火災と1528年の筒井順興の兵火で多くの建物を消失しました
 奈良時代の建物は東塔を残すのみです
薬師寺の再建
*1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤が中心となって写経勧進による再建
*1976年に金堂が再建され、西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが再建されました
玄奘塔東塔
*現在寺に残る建築のうち、奈良時代にさかのぼる唯一建築物です
*仏塔では、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔、4番目の高さ(江戸以前建立で)
他の建物
*南門(重文)1512年の建築
* 中門-1984年の再建 *金堂-1976年の再建 *大講堂-2003年の再建
*玄奘三蔵院-1991年に建てられたー平山郁夫が30年「大唐西域壁画」
薬師三尊像
*薬師三尊像(日光菩薩、薬師如来、月光菩薩)



  
講堂                     鐘楼                               

       
 乾乾漆鑑真和上坐像            漆盧舎那仏坐像

唐招提寺
南都六宗の1つである律宗の総本山である。本尊は廬舎那仏、開基は鑑真です
奈良時代建立の金堂、講堂を初め、多くの文化財が現存しています
鑑真は仏教者に戒律を授ける「導師」「伝戒の師」として日本に招請された
鑑真の渡航計画は、6回目で来日に成功するが、鑑真は当時既に66歳になり辛苦より失明していました
礼堂南大門ー1960年の再建
金堂
*奈良時代建立の寺院金堂としては現存唯一のものです
*講堂 入母屋造、本瓦葺き。正面9間、側面4間、760年建立
*乾漆鑑真和上坐像 - 像高80.1センチメートル
新宝蔵ー1970年に完成した鉄筋コンクリートの収蔵庫下記の仏像等を収納しています
*木造大日如来坐像 - 像高352.7センチメートル
*木造伝・薬師如来立像 - 像高160.2センチメートル。奈良時代。
*木造伝・衆宝王菩薩立像 - 像高173.2センチメートル。奈良時代。
*木造伝・獅子吼菩薩立像 - 像高171.8センチメートル。奈良時代。
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法華寺&光明皇后道散策(11/9/6)

2011年09月06日 | Weblog
以前勤務先の同窓会が奈良で有り、
4日間奈良・大阪観光を楽しみました

  
法華寺(本堂)                   鐘楼(奈良時代は建物の中に有りました)

奈良ロイアルホテルに宿泊すると、半日コースで光明皇后縁の地を無料でガイドしてくれます
大変丁寧な、感じのよいガイドさんでした

法華寺
概況
*仏教寺院で、奈良時代には日本の総国分尼寺になりました
*本尊は十一面観音、開基は光明皇后です
*光明皇后ゆかりの門跡尼寺として知られてます
  (門跡寺院とは、皇族、貴族の子女などが住職となる寺院の称です)
*東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺です
 (聖武天皇は741年、国分寺・国分尼寺建立の詔を発しました)
*法華寺は平安京遷都以後は次第に衰微し、平安時代末期にはかなり荒廃寺でした
本堂(重要文化財)
*寄棟造、本瓦葺き。正面7間、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建されました

十一面観音像(国宝)
*「天竺(インド)の仏師・問答師が光明皇后の姿を模してつくった」といわれている
*像はカヤ材の一木造。保存状態もよく、平安時代彫刻を代表する作品の1つである。


光明皇后自筆の書(蔵 正倉院)

光明皇后 701年~
生涯
*聖武天皇の皇太子時代に結婚し、夫の聖武太上天皇が崩御後には皇太后号にないりました
文化的活躍
*貧しい人に施しをする施設「悲田院」、医療施設「施薬院」を設置して慈善を行いました
*夫の死後、その遺品などを東大寺に寄進し、倉庫として正倉院が創設されました
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