慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

『戦後神社の衰退』『八百万の神(迦微)』『御天道様に申し訳がない』

2024年07月07日 | 歴史
🌸われわれにとって「カミ」とは何か2

⛳見えないものへの畏敬と畏怖
 ☆神社は、近所の子供たちにとって最高の遊び場であった
 *さまざまな遊びに熱中して、ふと気がつくと
 *境内はすでに夕暮れで薄暗くなっており、友達の数も急に減り
 *とたんに襲いかかる恐怖感に追われ
 *あわてて家に逃げ帰った記憶がいまも鮮明に蘇る
 ☆昼間でも中へ入って行くことなどおもいも寄らぬ霊気を感じさせた
 ☆筆者はここの境内で「自然」とか「宇宙」とか
 *人間の限りある知恵を遥かにこえたものへの畏敬と畏怖の念を
 *無言のうちに教えこまれ育まれた
 ☆有名な神社や、大きな神社以外
 *日本中の小さな神社の多くは、すっかり寂れてしまった
 *「カミ」を畏れることを忘れてしまった
 *現在の日本人の、心の貧しさを象徴している
 ☆敗戦の年GHQが日本国政府に宛てた「神道指令」に端を発する
 *「国家神道」と「皇国史観」の根絶であり
 *政教の完全な分離であった
 ☆「神道指令」で、事実上いちばん打撃を受けたのは
 *全国の地元の数少ない氏子の素朴な信仰心で
 *維持されてきた無数の民幣小社であった

⛳奪われた信仰心
 ☆多くの日本人に「神道」という言葉馴染みなく
 *日本人が信じてきたのは、「カミサマ」であった
 *もとは「迦微」で、言葉の意味さえはっきりしないものだ
 *目に見える天地自然の全てと、その至るところに潜む
 *目には見えない畏るべきものと恐るべきものの総称である
 ☆「八百万の神」
 *土地と人間の歴史とともに古い産土神、氏神、鎮守様でもあって
 *権威と権力を一元化した「大日本帝国憲法」が発布されて
 *一種の国教が成立するまでの久しいあいだ
 ☆日本人の大半は先祖代代、住む土地によって
 *異なる多元的な地着きの「カミサマ」に手を合わせ
 *五穀豊穣、家内安全、商売繁盛を祈願して生きてきたのだ
 *「国家神道」や「皇国史観」とは何の関係もないものであった
 *それを全否定するのは、先祖代代の歴史を根こそぎ抹消するに等しい
 ☆古くから一軒の家のなかに、神棚と仏壇を両方置いて平気なくらい
 *世界にも類のない寛容で融通無碍でこだわらない信仰心を持つ日本人
 *「神道指令」を「宗教弾圧」であるとはまるで考えもしなかった
 *昔はどの家にもあった神棚、しだいに姿を消して行った
 ☆日本人が占領軍の「神道指令」
 *過剰反応と拡大解釈で容易に受け入れたことが
 *他の宗教にたいするキリスト教の優越を信じて疑わない
 ☆アメリカの原理主義者によって引き起こされたイラク戦争
 *いまなお果て知れない惨惜たる悲劇を生み出す重大な一因だ
 ☆「神道指令」は、日本人の草の根の信仰心を根こぎにした
 *日本人は、八百万の神への信仰を捨て去り、忘れ去ってしまった

⛳救国の処方箋
 ☆「太陽はどんな民族にも受けいれられる唯一神であった」のである
 *太陽を御天道様と呼び、神意に背くようなことをしたのでは
 *「御天道様に申し訳がない」と久しく言い習わしてきた
 ☆日本人の根本的な宗教は、筆者の考えるところ3箇条に極まる

  『天地を祭る』『天地に祈る』『天地に感謝する』

 ☆自分たちを生かしてくれる天地自然を崇拝し
 *守ってくれるなにものかに五穀豊穣や家内安全や商売繁盛を祈願し
 *生きる営みのすべてを「カミサマ」の御心に適う「天職」と考え
 ☆食卓に向かうたび「頂きます」と日日の糧を
 *天地の恵みとして、有り難く頂戴し
 *暮しに歌と笑いを重んじて、楽しみながら毎日を元気にすごす
 ☆そんな風に生きて行く人びとがふえれば
 *日本人の最良の資質が、世界に向かって示されるに違いない
 ☆これが『古事記』に学んだ筆者の救国の処方箋である
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
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『木下啓介監督陸軍』『詩歌の本意』『迦微』『心なき人増加』

2024年07月06日 | 歴史
🌸日本人の「カミ」とは何か1

木下恵介の大作『陸軍』
 ☆3代にわたる戦争と軍人の物語
 *木下恵介は、子をおもう母の真情のただ一点に、焦点を絞り切った
 ☆映画を観た安岡章太郎は感想を述べる
 *「目を疑う、こんなことが日本軍で許されるはずはない」
 *この場面が不断の軍の検閲で許されるはずはない
 *田中絹代の『母』は見送人の波に揉みくしゃにされながら
 *熱い視線を息子に送り続ける。
 *母の姿は余りにも感動的で、軍も許さざるを得なかったのであろう
 ☆軍も、木下演出の圧倒的な迫力に気圧されて
 *胸底に強く幡る疑間と不満を残しながら
 *検閲を通してしまった内閣情報局
 ☆映画が、封切られるとたちまち一部に沸き起こった
 *「女女しすぎる」
 *あれは日本の母でなく、米英の母であるとの猛烈な非難の声
 ☆次作『神風特別攻撃隊』の企画
 *木下では、特攻精神を描けないとの情報局の強い反対で中止になった
 *情報局に名指しで院まれたのでは
 *木下監督、今後映画を作れる見込みはない
 ☆木下監督は会社に迷惑をかけたくない、という気持もあり
 *松竹大船撮影所に辞表を出した

女女しさこそ詩歌の本意
 ☆日本の詩歌の真実は女女しさにある
 *いとしいわが子に先立たれたとき
 *父は落ち着いて冷静にしているのに
 *母がひたすら嘆き悲しんで涙に暮れる
 *はかなく女々しいのは、女子供のなすわざだ
 *雄々しい父の姿は、世間体を慮って取り繕った表面であって
 *母が人目も気にせずに泣き崩れるのは
 *まことに女々しくみっともなく見え、これぞ飾らぬ真の情である
 *心の奥で悲しみの深さに変わりのあるはずはないので
 *どちらを賢こいとか愚かであるとか、決めつけられることではない
 ☆詩歌は、塞いだ心からあり余るものを歌い
 *悲しみを晴らすためのわざである
 *かならず女々しくなくてはかなわないものなのだ
 *物はかなく女々しげなる此方の歌ぞ、詩歌の本意である

 ☆物事を、何もかも善悪のいずれかの理屈(漢意)で割り切れない
 *「物のあはれ」を解する心こそ、この国の文芸の本意である
 *時代を超えて不変の真実を告げる常識の人でもあるのだ
 ☆いまのわれわれには理解できない神秘的な説のなかにも
 *存外普遍的な真理が隠されている場合もある

⛳「神」と「漢意」
 ☆『古事記』で、基本的な語彙「天」と「神」
 ☆わが国において「迦微(カミ)」とは
 *天地のもろもろの神をはじめ
 *それを祀る社に坐す御霊、また人はもちろん
 *鳥獣木草のたぐい海山など、そのほか何であっても
 *徳があって、可畏きものの総称なのだ
 ☆迦微を「漢意」で、「アニミズム」「多神教」で概括したくなる
 *そう簡単に一筋縄で括れるものではない
 *とても小さな人智で測り知れるものではないから
 *その尊さを尊み、「可畏きを畏みてぞあるべき」だ
 ☆いまの日本がおかしくなっているのは
 *物のあわれを知らない「心なき人」がふえたのと
 *天地自然の原初的な畏敬と畏怖の念を失ってしまったから
 ☆「心なき人」の増加
 *即ち、天地自然にたいする畏敬と畏怖の念の喪失
 *唯物論が骨絡みになった現代の底部で
 *分ち難く連動しているようにおもわれてならない
 ☆目には見えないものへの畏敬と畏怖の念
 *筆者は幼いころ近所の友達といつも遊び場にしていた
 *神社の境内で育まれたことをおもい出す
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「伊勢神宮の朝」「遷宮制度成立」「阿礼=女性」「いただきます」

2024年07月05日 | 歴史
🌸古代が息づく伊勢神宮2

⛳伊勢神宮の朝
 ☆午前6時ごろ、外宮の忌火屋殿では、釜から噴き出す蒸気の音
 *神神にお供えする神餞を調理するのは、二人の神職
 *ここでは、米の炊き方も古代そのまま
 ☆外宮の豊受大神は、内宮の天照大神の「御餞都神」
 *御食事を調えられる神として、御餞殿で毎日朝夕に行なわれる
 *「日別朝夕大御饉祭」を見そなわされる
 ☆内宮で、稲をはじめとする五穀の豊穣を祈る神事
 *天照大神に、新穀の大御饉を奉る儀式
 ☆伊勢神宮の神事
 *米作りの最初から、収穫を経て、日常の糧とするまで
 *田を耕して生きる古代人の年間の営みを
 *そっくりそのまま季節ごとに祭祀化したもの
 *生きるための日日の営みを、すべて神の召命にこたえ
 *その恵みに感謝すべきものとして、有り難く受け入れている

往還の永久運動
 ☆遷宮制度成立の時期は、正史に明記されていない
 *天武朝の末期に発案され、持統朝の初期に遷宮が行なわれた
 *創始者は天武天皇である
 ☆遷宮において旧宮と新宮の敷地が隣接し
 *20年毎に神儀(御神体)がその間を往復する独創的な発想
 *いかにも天武天皇独特の思考形式にふさわしいとおもわれる
 ☆祭祀の中心とされる場所を、 一箇所に限定せず、二箇所に分けて置き、 
 *それを交替させることによって、新鮮さを保とうとするのが
 *天武天皇のだれにも似ていない思考法の最大の特徴なのだ
 ☆天武天皇が崩御した後、皇后が、正式に即位して持統天皇となった
 *その後天皇、文武天皇も病弱で25歳の若さで崩御した
 *母の阿閉皇女が即位して、元明天皇となった
 ☆『古事記』の撰録は、この元明天皇の詔によって行なわれた
 *これは、稗田阿礼は男性か女性かの問題にもかかわってくる

阿礼はやはり女性
 ☆古事記の成立に重要な役割をもつと目される稗田阿礼
 *男性か女性かについて、いまだに十分な結論を得ない
 ☆稗田阿礼の女性説に立つ筆者の見解
 *持統天皇、元明天皇と、女帝のリリーフ登板が相次ぐうちに
 *女性の立場に味方する後宮の力が
 *朝廷内で強まっていたためとも考えられる
 ☆持統天皇の治世は、10年にわたった
 *朝廷の空気に影響を与えなかったはずがない
 *元明天皇が、稗田阿礼の誦習した勅語の撰録を
 *大安万侶に命じたのは、即位後4年目のこと
 ☆天武天皇が崩御され女帝の即位が相次いだ時期に
 *後宮に恋愛や夫婦愛を重んじて
 *「物のあはれ」を解する感性が醸成されはじめたこと
 *『古事記』にはっきり表われている
                       (敬称略)
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「式年遷宮」「御太刀」「平安時代の職人気質」

2024年07月04日 | 歴史
🌸古代が息づく伊勢神宮1

伊勢神宮、衣食住のタイムカプセル
 ☆伊勢神宮、わが国古代の衣食住の面影が、原型のままで息づく
 ☆式年遷宮の制度によって20年に1度
 *平安初期に定められた『延喜式』の規定をもとに
 *建物も神宝も装束も何もかも、古代と違わぬ形と風合で刷新される
 *伝統と刷新が完全に一致している点において
 *まさに世界に類を見ない奇跡的な制度だ
 ☆美術工芸品は、どのようにして製作されていたのか
 *同時代の『宇津保物語』によって、知ることができる

式年遷宮、全て古代のまま
 ☆『延喜式』巻第四「伊勢大神宮」
 *内宮と外宮の諸殿舎、別宮、年中行事、遷宮、関係官司等
 *詳細かつ厳密に規定している
 ☆式年遷宮には全部で60柄の御太刀が調進される
 *華麗で重厚な装飾をなされている御太刀
 *製作にどれほどの金と時間がかけられたのか、見当もつかない
 *皇大神宮の主祭神・天照大御神がお使いになる御料として献ぜられる
 *平安時代の小内人(神祭に用いられるさまざまな物を作る人びと)
 *「天職」の意識が強く働いていたものと想定される

平安時代の職人の天職は消えず
 ☆平安時代の末期に生まれた職人
 *注文主から渡された材料を加工して報酬を得る職人である
 *その後、材料の供給から製品の販売を受け持つ職人の親方が生まれる
 *公家や社寺の保護をうけて営業権を守る「座」を結成する
 *戦国期に入って、公家と社寺の座が崩壊した
 *大名の統制下に移って城下町に集まる
 (鍛冶町、鉄砲町、弓町、輸師町、大工町、紺屋町の職種別の町に住む)
 ☆身近な同業者との競争と切磋琢磨によって注文に応ずるだけでなく
 *自分でも納得のいく完成度を追い求める職人気質受け継がれた
 ☆その後の職人、古代の作物所の工匠のように、時間と採算を度外視して
 *最高の品質を探求しつづけるということはできなかった
 *わが国の美術工芸品の水準は平安時代において頂点を極めた
 ☆式年遷宮の制度によって
 *絶頂期の水準がいまも維持されているのである
                       (敬称略)
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「天孫族」「遷宮」「建築美」「心御柱」「千木」

2024年07月03日 | 歴史
🌸天照大御神の誕生3

⛳伊勢鎮座の理由
 ☆『古事記』による天照大御神が、旧宮から新宮に遷ります過程
 *天の石屋戸を開きて天照大御紳出でましし時
 *高天の原も葦原中國も、自ら照り明りきと変わる
 *輝く光明の世界となるのに等しい記載
 ☆遷宮の意味
 *天照大御神の岩戸隠れで暗黒の世界になったが
 *それをチェンジする新たな希望と喜びを意味している
 ☆祖神を祀る地を伊勢に定めた天孫族
 *天孫族も、もともとは出雲族とおなじ海の民であったが
 *森の民であったことを物語っている

筆者は伊勢神宮の熱心な崇敬者になった
 ☆伊勢神宮の鳥居をくぐり神域を一回りした
 *筆者は、伊勢神宮の崇敬者になった、最大の理由はその建築美
 *徹底して簡素を極めて、凛然とした気品
 *底知れない神韻を漂わせる端正な建築美
 ☆日本独特の建築美
 *伊勢神宮は、弥生の美、 (日本独特の美のひとつの典型)
 *出雲大社は、縄文の美 (壮大で豪放で、躍動感に浴れた建築美)

「心御柱」の秘密
 ☆伊勢神宮の「心御柱」の謎
 *遷宮後も、それだけはそこに残されている
 *何人も目にすることは許されていない
 *次回の新宮はここを中心に建てられる
 ☆『古事記』の冒頭「国生み」の神話に出てくる
 *「天の御柱」に関係あるのでは
 ☆日本海沿岸につらなる数数の遺跡が物語るように
 *縄文人は自分たちの住む土地に、巨大な高木を立て
 *さらに高層の神殿を構築して、信仰の対象とした
 ☆稲作を至上の原理とする天孫族
 *新しい文明を手に入れるまでは
 *この列島に住む他の部族と同様に、漁携、採集等で暮らしていた
 ☆新たな信仰を確立した天孫族は、その独自性を宣明する
 *それまでだれも見たことのない造型の神殿を創造した

 ☆完全に捨て去るわけにはいかない古い信仰の対象
 *神聖な柱は「心御柱」として
 *新しい神殿の床下に密かに埋められた

⛳宇宙と交感する千木
 ☆神社建築の象徴である「千木」の語源
 *「チ」、恐ろしいもの、強い力を持つものを意味する
 *人間を超える力で人間生活を支配するものであった
 ☆伊勢神宮の低い木箱型の建築群
 *千本をアンテナとし、床下に埋められた心御柱をアースとして
 *森と空、宇宙全体と交感している、霊的なラジオなのでは
 ☆大黒柱とも呼ばれる出雲大社の心御柱
 *重要な意味を秘められた伊勢神宮の心御柱と
 *列島の地下において通底していると考えられる
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「天照大御神の発明」「天照大御神の御魂=銅鏡」「御柱祭」

2024年07月01日 | 歴史
🌸天照大御神の誕生2

⛳天照大御神の発明が、今日までつづく天皇制の起源である
 ☆日神と祖神の思想を実現したものは
 *海の彼方から渡った舶来の銅鏡
 *呪具としてもちいたことが、日神と祖神の同一化した
 ☆原大和朝廷の斎王の女神
 *手にした鏡で太陽を眩しく反射させる太陽と一体化する
 *見る人の網膜と脳裡には、唯一神、至高神である太陽を
 *女性として人格化した「天照大御神」の像が結ばれた
 *稲作を豊かにする太陽への感謝は、天照大御神への崇敬となった
 *信仰は、豊作を祈願するさまざまな儀礼や呪術と結びつき
 *複雑でかつ洗練された内容と様式を持つ宗教となって発展する
 ☆かれらの故郷がだれも知らない秘境であったら
 *話は、神秘性と呪術性を帯びて感じられたに相違ない
 *新しい信仰を核として成立した大和朝廷の発祥の地
 *日向の山峡高千穂であったのではと想定する

⛳鏡は天照大御神の象徴
 ☆記紀神話の天岩戸の劇で、鏡が決定的な役割を果たした
 *天照大神が、天岩戸という石室のなかに開じこもってしまった
 *天錮女命という女神は、伏せた桶の上に立ちあがって
 *肌もあらわな姿になって踊り狂った
 *天錮女命は、シャーマンの巫女
 ☆岩戸を少し開けた天照大神
 *私が天岩戸の中にかくれたのに
 *神々はどうして楽しそうに笑ているのと尋ね
 *どのような神が出現したのかと、さらに戸を開いた
 *顔のまえに、鏡をさしだされ、それにうつった自分の姿を
 *新しい神と思いこんで、天照大神は天岩戸からつれだされる
 ☆天照大御神は、天孫迩迩芸命に葦原中国への降臨を命じたとき
 *八尺瓊勾玉、鏡、草薙剣を賜って、政せよと告げる
 ☆鏡は、天照大御神の御魂であり
 *大御神を拝するがごとくに拝さなければならない
 *すなわち天照大御神の象徴なのである

⛳遷宮と御柱祭との相似
 ☆式年遷宮の準備は、10年前からはじめられる
 ☆内宮の用材は、水中に入った氏子に曳かれ
 *掛け声とともに目的地まで、五十鈴川の流れに乗って行く.
 ☆外宮の用材の陸曳きは、伊勢市各町特製の御木曳車に載せられ
 *掛け声を挙げながら、蛇行したりする氏子の長い列によって奉曳される
 ☆坂の斜面を一気に曳き下ろす場面
 *諏訪の御柱の「木落し」に、まるでそっくりなのだ
 ☆御柱祭が行なわれる諏訪大社の上社本宮の御祭神
 *高天原への「国譲り」に最後まで抵抗して戦った
 *出雲族の荒ぶる神、建御名方神である
 ☆御装束神宝読合、川原大祓が終わって
 *足かけ十年に亘った行事のクライマックスである遷御の夜がやって来る
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「巫女と銅鏡」「天皇は天つ日嗣」「神アメン」「天照大御神」

2024年06月30日 | 歴史
🌸天照大御神の誕生1

巫女の呪力
 ☆『古鏡 その謎と源をさぐる』著者小林行雄博士は述べている
 *二千年以上も前の銅鏡に、凹面鏡と凸面鏡の区別がある
 *銅でつくった一種の鏡で、形は鏡と同じだ
 *物の影がさかさまにうつる点がちがう
 ☆銅鏡を日に向けると火を生じ
 *その火をモグサでうけて使用することができる
 *凹面鏡ならば、太陽光線を焦点にあつめて、火を採ることができる
 ☆弥生時代の遺物として発見される凹面鏡
 *裏面に細線で鋳出された幾何学文様と、紐を通す鉦が二個ある
 *凹面鏡といっても曲率がかなり大きい
 *銅鏡、太陽光線をあつめて火を採ることができたかどうかは疑わしい
 ☆銅鏡は、太陽光線を反射させて、人を驚かすことができた
 *筆者は、弥生時代の日本人、鏡をどのように使用したか想像する
 *紐をとおしてさげると、鏡を榊の枝にとりつけて
 *1人の女性が人々の前に姿をあらわす
 *巫女が榊の枝を静かに動かすと
 *鏡の面に反射された太陽のまばゆい光輝が、人々の眼を射る
 *驚いた人々は、眼をとじて平伏したであろう
 *眼を開いてみても、網膜に焼きつけられた太陽の残像
 *ただ不思議な色彩が見えるばかりであった
 *あたりの光景を、ふつうの状態に見ることができるようになった時
 *巫女の姿は鏡とともに消えている
 ☆人々は、巫女が太陽を自由にするほどの
 *呪力をそなえていることを確信したにちがいない
 *巫女が、この様な力もっていることは、信じたと思う
 ☆鏡が渡来していなければ、天照大御神は誕生していなかった

⛳太陽神は普遍神=至高神
 ☆天皇が神を祭られるのは、人である事のになる
 *呪術や祭祀を行なう地位と任務にたいする人びとの
 *尊敬と感謝が、精神的権威のもとであった
 ☆皇室の祖先を宗教的意義を有する太陽の日神とし
 *天皇をその天つ日嗣とする宗教的、精神的権威から生まれた
 ☆太陽信仰は、地球上に普遍的なもので
 *とりわけ古代エジプトと南米インカ帝国に多かった

⛳古代エジプトにおける「太陽神化」での神学と政治
 ☆古代エジプト、侵略異民族の支配を百年もの長きに亘って受けたり
 *反攻して支配者を駆逐したりするあいだに
 *人種の混合と諸宗教の融合が進み、国際色に富む文化が生まれた
 ☆古代エジプト文明が最も栄えた新王国時代
 *エジプトの神アメンは、太陽神ラーと同化して
 *普遍神となり、至高神となった
 *太陽はどんな民族にも受けいれられる唯一神であった
 *太陽神をとりわけ至高の神とする信仰、宗教的統一への準備となった
 ☆『後漢書倭伝』での倭国大乱
 *混乱と争いを終結させ、さまざまな種族と宗教を統一できる
 *部族が求められていた
 *新しい神と宗教を必要としていたそんな時期日本
 ☆自分たちの祖神を、太陽神と同一化させる驚くべき着想を具体化し
 *現実化した部族がいた
 *祖神と日神を一体化した「天照大御神」
 *新しい神の発明と、その血筋を引く長を崇めて仕え奉る
 *自分たちは一族である主張により
 *長を天皇たらしめ、部族を天孫族たらしめた
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「出雲大社高層神殿」「国譲りの経緯」「出雲族・海人族」「須佐之男命」

2024年06月29日 | 歴史
🌸出雲大社の示すもの2

実在した高層神殿
 ☆平成12年新聞各紙、出雲大社の境内から巨木3本
 *金輪で束ねた直径3mの巨大な柱出土したニュースを報道した
 ☆縄文の巨木遺跡から弥生、古墳の高層建物への流れを伏線とし
 *大和朝廷の支配下で『高さ』の巨大神殿が造られたと思われる
 ☆境内から、巨大神殿を支えていた中心の「心御柱」が発掘された
 *心御柱は、信仰の対象である最も重要な柱
 ☆福山敏男博士の推断は、鮮やかに的の中心を射貫いていた

最も原初的な神たち
 ☆『古事記』が述べる「国譲り」の経緯
 *大国主神は、高天原に葦原中国を譲る条件として
 *使者である建御雷神につぎの要求を出した
 ☆大国主神は、服従の条件として
 *自分に立派な宮殿を建ててくれ、と望んだのではない
 *国は献上するけれども、自分たちの神を祀る神殿だけは
 *ちゃんと立派に守り通させてもらいたい、と望んだのだ
 *その証拠は、いまも出雲大社の御本殿に、はっきり残されている
 ☆御祭神大国主大神の御神座の横に、御客座の五柱が祀られている
 *出雲大社は、天照大御神が出現する遥か以前から
 *最も原初的な神神への侵攻をこの国に伝えている社なのだ
 ☆漁掛で暮らす出雲族
 *出雲族は、稲作を基盤とする高天原のように
 *中央集権的で組織的な体制を持たず 
 *共通の信仰で結ばれた多くの部族の連合体であった
 ☆高天原の使者に望んで、大国主神が建てた御舎
 *おなじ信仰に連なる各部族(百八十神)にとり、メッカであった
 ☆出雲部族は、恐るべき知能と技能の集合体であった
 *それは、完成された大神殿の威容から明らかである
 *極めて高度の信仰と文化を持っていたものと想定される

巨大な宇豆柱(うずはしら)
 ☆島根県立古代出雲歴史博物館の中央ロビーに展示されているのが
 *「出雲大社境内遺跡出上の宇豆柱」
 *一本の直径が1,35mのスギの大丸太を三本一組にした
 *巨大な柱の基部が、3箇所で発見された 
 *古くは、宇豆柱と呼ばれ、鎌倉時代の造営の柱と推定された
 ☆島根県立古代出雲歴史博物館、見学コースの前半の山場
 *現代を代表する五人の建築学者が
 *推定復元した、縮尺50分の1の本殿模型

海人族の信仰の社
 ☆古代の出雲大社本殿、16丈もの高さを必要とした理由
 *出雲族が海人族だったから
 *日本海沿岸のたくさんの部族が、メッカにあたる神殿に詣でるため
 *はるばる舟でやって来ると、遠くの海上からすでに
 *神殿の威容が目に映って、その神威の群を抜く高さのほどが
 *すこぶる直哉に伝わってくるおもいがしたに相違ない
 ☆信仰心の敬虔さと、活力に浴れていた日常の暮しぶりが
 *眼前に思い描ける気がする
 ☆本殿だけにとどまらず、境内に祀られた摂社
 *御向社の正式の名は、大神大后神社
  (御祭神は大国主大神の嫡后須勢理毘売)
 *天前社は、神魂伊能知比売神社
  (御祭神は蟷員比売命、蛤貝比売命)
  (大国主神に薬を塗った二柱の女神)
 *筑紫社は、神魂御子神社
  (御祭神は多紀理比売命)
  (須佐之男命の物実から生まれた三柱の女子の長女)
  (大国主神が娶った多くの妻の1人)
 ☆出雲大社を信奉する海人族、筑紫の宗像神社を信奉する海人族
 *相当の交通や関連や共通性があったことを示めしている

須佐之男命誕生の秘密
 ☆大国主神の先祖とされる須佐之男命
 *本社瑞垣の外、荒垣の内に位置する素鵞社に祀られている
 *豪壮な本殿とはまるで比較にならないくらい
 *陽の当たらない場所に置かれたささやかな社
 ☆須佐之男命、記紀神話の荒ぶる巨神とはつながらない
 *原大和朝廷にたいする多くの反抗者の、数えきれないほどの悪行
 *「須佐」の一語に集約され、巨大な荒ぶる神須佐之男命が形成された
 *前半の悪行が後半の善行に転化されることによって
 *破壊者にして創造者、悪戯者にして文化英雄
 *世界的なトリックスターが誕生するに至った
                        (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『「古事記」の真実』





「出雲大社高層神殿」「国譲りの経緯」「出雲族・海人族」
「須佐之男命」
『「古事記」の真実』記事より画像引用)
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「宣長の再評価」「古事記=神々の世界」「雲太、和二、京三」

2024年06月28日 | 歴史
🌸出雲大社が示すもの1

吉川幸次郎による宣長の再評価
 ☆敗戦後、皇国史観の元凶、思想的パージの対象となった本居宣長
 *宣長に脚光をあてた記紀研究の専門家でない吉川幸次郎
 ☆吉川幸次郎は、宣長の業積が、偉大と述べている
 *哲学者たちは、『心』を求めるのにのみ忙しい
 *『言』が『心』の反映であることを忘れている
 *宣長が偉大な人物であることは、人の争って説くところだ
 *宣長を偉大とするからには、その偉大さを本当に知る必要がある

『古事記』は、宣長にとり神々の世界に住む
 ☆宣長にとって、『古事記』は一冊の本ではなかった
 *当人の学問も、生活も、思想も、感情も、未来までふくめ
 *世界のすべてがそこにあった
 ☆『古事記』は代々の旧辞である
 *遠い語部の声を追いもとめて
 *宣長みずからこれを誦みならったにひとしい
 ☆旧辞の世界は神々の住むところである
 *神々は宣長の目前をかすめた雲畑ではなく、
 *そのいのちの息の中に躍動して
 *その体内に深く宿った『実物』であった
 ☆宣長、神々の世界に入り、そこに深入りした
 *宣長は、神々の信仰を唱えることなく、人間の道徳を説くこともない  
 *それは、当人が神々の世界に深く住みついてしまったから

⛳「雲太、和二、京三」
 ☆筆者が、神話の世界に足を踏み入れる最初のきっかけ
 *『民と神の住まい 大いなる古代日本』である
 *現代の人びとにはとうてい信じられないであろうが
 *古代の出雲大社は、じつに、48,5mの高さを誇っていた
 *この様な建設が、日本古代の民衆の手によって行なわれた
 ☆平安時代に児童の教科書として編まれた『口遊』で大屋
 *「雲太、和二、京三」の一句
 *出雲大社本殿が太郎、大和東大寺の大仏殿が次郎
 *京の御所の大極殿が三郎
 ☆福山博士、図面と記録に基づいて
 *古代出雲大社の本殿を復元する
 *九本の巨大な木柱に支えられた高さ十六丈の本殿から
 *あたかもスキーのシャンツェをおもわせる傾斜と構造
                        (敬称略)
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「須佐之男命の短歌」「トリックスター」「アポロンとヘルメス」

2024年06月25日 | 歴史
🌸須佐之男命とは何者か3

須佐之男命は短歌の元祖
 ☆出雲の語源に学者の諸説があり、いまだに一定していない
 ☆「八雲」の言葉は『古事記』の須佐之男命の歌にも出てくる
 *八俣の大蛇を退治したあと須佐之男命は
 *妻の櫛名田比売と暮らす新宮を作る地を求めた
 *出雲中を探し歩いて須賀に到る
 *「吾此地に末て、我が御心すがすがし」と決めた
 *近くの山の頂に立って歌った国見の歌
 「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」と謳う

 ☆須佐之男命
 *高天原で大暴れした荒ぶる神であるばかりでなく
 *短歌の元祖であって、
 *これほど万感の籠もった秀歌を作る詩人だった

トリックスターの普遍性
 ☆須佐之男命は、さすらいの旅をつづける
 *千切られた自分の体の一部を、人間の食べ物となる
 *馬、鈴薯、蕪、地豆、片栗、米などに変えた
 *人間の村に住んで、たくさん子供を作った
 ☆須佐之男命は、人びとを苦しめているものをみんな殺して食べた
 *大きな滝を平たく圧し潰して人間の住む土地に変えた
 *最後には海に入って、天へ昇って行く
 ☆須佐之男命の遍歴に似ている
 *『ウィネバゴ・インディアンのトリックスター神話』
 *大筋において、須佐之男命の物語と共通している

アポロンとヘルメスの関係
 ☆天照大御神と須佐之男命の間柄に似ている
 *天界と冥界を行き来するヘルメス
 *英雄を冥界に導く案内役ともされており
 *地底の黄泉の国に向かった大穴持神に
 *厳しい試練を課して導いた須佐之男命を想起させる
 ☆プロメテウスは、神の世界から火を盗んで、人間に与えたため
 *怒ったゼウスにより、高山の頂に鎖で縛りつけられる
 *生きながら肝臓を毎日大鷲に啄まれるという罰に処された
 *しかし、人間に火をもたらした文化英雄として名高い
 ☆破壊者であって創造者、善と悪の両義性を持っている点
 *須佐之男命は、トリックスターと呼ばれる普遍性を持った存在なのだ
                       (敬称略)
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「須佐之男命の短歌」「トリックスター」
「アポロンとヘルメスの関係=天照大御神と須佐之男命」
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「須佐神社」「国引き」「縄文時代の海進と海退」

2024年06月24日 | 歴史
🌸須佐之男命とは何者か2

出雲の古詞
 ☆『延喜式』巻七での「践詐大嘗祭」に関して
 *日程、式次第、大嘗殿の建て方、個個の祭儀に参加する官職と人数
 *神饉に用いる稲穂の収穫の仕方、酒の醸し方、御膳の調え方等等
 *記述は詳細と綿密を極め、長い伝統によって生み出された
 *多くの儀式の底知れない深さに圧倒され、茫然たる気持に駆られる
 *皇室に凝縮されたわが国独自の文化の量の厖大さを痛感させられる
 ☆践詐大嘗祭の「践詐」とは「即位」のこと
 *古く新嘗と大嘗とは同義であったが
 *即位後初めての新嘗祭を「大嘗祭」として
 * 一世一代の大祭としたのは、天武天皇にはじまる
 ☆大和朝廷に伝わるはずのない出雲系の神話や歌謡
 *稗田阿礼が取材し蒐集してきたものを聞かなければ
 *天武天皇は知る由もなかった
 ☆稗田阿礼のほうは、天武天皇が崩御された後
 *持統、文武、元明と、三代の天皇の大嘗祭を経験しているから
 *出雲の語部の古詞に接した可能性は、もっと高くなる
 ☆稗田阿礼を、神楽をもって朝廷に仕える猿女君の一員
 *実際に出雲で自分の目で見た光景であったに違いない
 ☆稗田阿礼、太安万侶の撰録に臨んだとき
 *阿礼は端座して物語ったのではなく、朗誦を基本にしつつ
 *高く上げて歌い、ときには所作をまじえて舞いながら
 *神代の物語を全身全霊で演じたのではないか

⛳縄文時代の海進と海退
 ☆須佐之男命は、高天原で天照大御神の弟
 *地上で出雲の祖神となる
 ☆須佐能衰命を祭神の須佐神社、山間の小さな盆地にあった
 *小さくて静かで穏やかなそこの風景
 *荒ぶる神の須佐之男命の実感につながりにくい
 ☆『出雲國風土記』の冒頭に語られる「国引き」の描写の要約
 *出雲という地名の命名者でもある祖神のひとり八束水臣津野命
 *出雲の国は、縫い合わされるまえの細長い布のようだ
 ☆われが作った縫と語り
 *新羅の国の岬に、三本を経り合わせたと語っている
 *太い綱をかけ、「国来、国来」と、掛け声しながら引き寄せて
 *縫い合わせたのが、杵築のあたりの土地である
 *引き寄せる綱をかける杭にしたのが、佐比売山
 *ほかの土地を引くときの杭にしたのが、伯老日の火神岳
 ☆まことに神話らしく雄大で荒唐無稽で現実離れした物語だ
 *縄文時代前期の海進と、後期の海退によって説明できる
 ☆古代人の代が下るにつれ
 *「国引き」の神話となって
 *語り伝えられたとしてもおかしくはない
                        (敬称略)
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「原始時代の劇は葬式」「古事記は喜劇」「大穴持神=大国主命」

2024年06月23日 | 歴史
🌸須佐之男命とは何者か1

土居光知の業績
 ☆古事記の研究で、本居宣長と津田左右吉に土居光知をつけ加えたい
 *土居は『古事記』を全世界的な視野から独自で説得力のある解釈を示した
 *『古事記』に焦点をしばって『文学序説』の見解を紹介する
 *土居は、原始時代の劇は葬式から発生したと考えた
 *土居光知は、死者のまえで数日間、鳥の物真似をしたと推測した
 *笑わせるために滑稽味を帯びていたに違いない
 *その所作の目的は、死者の魂を呼び戻すことにあったと推量する
 *自ずから、演者はおのおの鳥の仮面をかぶっていたのでは
 ☆神楽の起源天宇受売命の天の石屋戸の踊り
 *我々はここに、我国の演劇の起原を見ることができる
 *天宇受売命の性的舞踏と、八百万の神神の哄笑
 *この世を去った天照大御神を呼び戻すための喜歌劇であったのだ

⛳古事記は喜劇である
 ☆土居は、ギリシアでの悲劇と喜劇は双生児と想像している
 *喜劇とは、悲劇の要素を中にこめ
 *それを融かしたユウモアの劇をさす
 ☆狂言は常は能楽の間にはさむ
 *狂言をはさまずして演じつづけることは想像し得ない
 ☆シェイクスピアの悲劇に於いても
 *悲痛や恐怖をそそる場面の後には必ず滑稽の場面がある
 *古代の祭礼や葬式に於いても茶番劇が要求されていた
 ☆陰部をちらつかせる性的舞踏が哄笑を呼んだ「天の石屋戸」の劇
 *夜を徹して行なわれる高千穂の夜神楽においても
 *コメディー・リリーフとエロチックな場面が
 *要所要所にかならず挟まれていた
 ☆以上が演劇の起源に関する土居の考察である
 ☆土居自身がそういう言葉を使っているわけではないが
 *古事記は、コメディー・リリーフと見るのである

天照大御神の弟
 ☆「天の石屋戸」のドラマがあって、天照大御神が蘇り
 *世に明るさが取り戻され、須佐之男命は高天原から追放される
 ☆須佐之男命
 *稲作と機織に妨害行為と、大嘗の儀を冒漬する「天津罪」を犯して
 *高天原から追放されたが、ここでは蚕と稲の発生に関わっている
 *須佐之男命の行動に多くの矛盾が有る
 ☆天照大御神の弟ではなく、ずっと原初の神と見る必要がある
 *須佐之男命の後裔とされる出雲国の祖神大国主命
 *別名大穴牟遅神となっている
 *大穴持神なら、天照大御神よりも古い神である
 ☆火山の神格化、大穴持神⇒大国主神
 *稲作の神であることが明らかな天照大御神より古い神である
 ☆『古事記』の編者(作者)
 *葦原中国=出雲が、高天原に服従する成行きの必然性を物語るものとし
 *大国主神に先立つ出雲の祖神須佐之男命は
 *天照大御神の弟であっとという逆立ちの系譜を編み出し
 *古層に属する出雲神話を、新しい地層の高天原神話に挟みこむ構成で
 *両者の統一を図ったものと考えられる
 *須佐之男命の高天原追放と、八俣の大蛇退治のあいだに挟まれた
 *前後に全く関係のない五穀の起原を語る神話は
 *どこか別のところから持って来て強引に嵌め込んだ痕跡が歴然だ
 ☆天武天皇と稗田阿礼
 *大和朝廷には、伝わるはずのない出雲系の神話や歌謡
 * 一体どうして自分のものにすることができたのだろう
 *答えは『延喜式』の記述によって知ることができる
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                         古代の式場

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「夜神楽」「舞のエロスの今昔」「戸取り」

2024年06月22日 | 歴史
🌸神代を伝える高千穂の原郷3

⛳憤惚の舞踊劇
 ☆筆者の高千穂訪問目的、「竹樋」「荒立神社」「夜神楽」に接すること
 ☆「高千穂の夜神楽」
 *夜神楽、古い農家を神楽宿に衣替えさせることからはじまる
 *神楽を中心とする村祭り、神様の数だけ村祭りがある
 *各地区の伝承の仕方と師匠の相違で舞い方も芸風が全部違う
 *ここにも多神教の面影が現れている
 ☆「高千穂の夜神楽」の開始
 *「彦舞」(猿田彦命が四方拝をする)
 *「大殿」(注連で囲われた高天原に八百万の神を招く)
 *「神降」天孫が降臨する
 ☆「高千穂夜神楽」演劇的要素を持った舞踊劇で仮面劇である
 *各種各様の怪異な仮面と、多彩な趣向を凝らした衣裳の美術性
 *「地方芸能」の水準を格段に上回っており
 *芸術的なクォリティーの高さを如実に感じさせる

エロスの今昔
 ☆今回、二夜にわたって観た観光神楽の演目
 *演じた下田原地区、浅ケ部地区の芸風は明瞭に違う
 ☆伊邪那岐命と伊邪那美命のセックス
 *二人で仲良く酒を飲みながら、飲むほどに酔うほどに
 *男女和合のエロチックな嬌態が演じられる
 *昔はずいぶん露骨な濡れ場もあった
 *最近は上品すぎるほど上品な舞になっている
 ☆高千穂神社神楽殿の観光神楽
 *伊邪那岐命が、舞台から降りて来て
 *女性の観客にちょっかいを出し
 *焼餅で、それを止めようとした伊邪那美命
 *伊邪那美命も自分も観客の男性にしなだれかかったりして
 *満場を大いに沸かせていた

高千穂神社神楽殿の「戸取り」感動した
 ☆手力雄命が、真っ赤な仮面をつけて現われる
 *豪放な迫力の横浴する見事な舞を披露したのち
 *苦心惨憺のすえ、天の岩戸が開けられると
 *中央に円い鏡をご神体として安置した小さな神社が姿を現わす
 *途端に客席から熱烈な拍手が巻き起こった
 ☆天照大御神の象徴である八咫鏡が忽然と出現
 *国の夜明けが告げられたとき、一斉に拍手喝采
 *日本もまだ捨てたものではない
 *腹の底から唸る気持ちで実感した
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「高天原の棚田」「高千穂554神社」「天宇受売命」「荒立神社」

2024年06月21日 | 歴史
🌸高千穂神代を伝える原郷2

神代と現代を繋ぐ懸樋
 ☆高千穂でもいまやそこでしか見ることができない竹樋
 *竹筒の筒先から、清冽な水道の流れを勢いよく道端の溝に流れる
 *『宮崎縣新誌』によれば、時に幾十米の河谷を越える高千穂の懸樋
 *各集落に所属する民家に飲料水をもたらす上水道の役目をしていた
 *ほかに昔は農業用水を運ぶ役割もあった
 ☆稲作と機織にたいする妨害行為
 *須佐之男命は、大嘗の殿を糞尿で穢す冒漬行為を働いた
 *須佐之男命の乱暴狼藉は、朝家にとり尊い大祭
 *台無しにしてやろう、という意図に発していた
 ☆日本人のいわば原父である伊邪那岐命
 *多くの子を生み、最後に三柱の貴き子を得た
 *天照大御神には「高天の原を知らせ」
 *月讀命には「夜の食國を知らせ」
 *須佐之男命には「海原を知らせ」と命じた
 *天照大御神には祭事と呪術を執り行なう斎場
 *月讀命には天文と暦法
 *須佐之男命には海人族を、それぞれ司るよう命じた
 ☆天照大御神の営田の土地が狭かった結果
 *高天原の下に連なっていた、山中の棚田の世界だった

⛳八百万の神が棲む
 ☆神代の高千穂の面影を伝えるという驚くべき古地図が発見された
 *図に記された神社の総数は、なんと五百五十四社
 *五百五十四の神社は、祭神の組合せが全部ばらばら
 *高千穂に現存する主な神社も、祭神が唯一柱という社は少ない
 *組合せがそれぞれに異なっている
 ☆人口約1万5千人の町に、高千穂郷88社の神社がある
 *江戸中期まで湖ればその総数じつに554社
 *ここは「日本の原郷」といっていいのではないか
 
『古事記』の天の石屋戸の場面の、天宇受売命の踊り
 ☆現代のストリンプテイーズと本質的に変わらない
 *天宇受売命は、花形ストリッパー
 *歌舞伎を創始した出雲の阿国の遠祖である
 ☆猿女君の始祖であり、日本の芸能の元祖である
 *荒立神社に是非詣でていただきたい
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「須佐之男命」「天津罪」「国津罪」「古代を宿す高千穂」「竹樋」

2024年06月20日 | 歴史
🌸神代を伝える原郷1

⛳天津罪と国津罪
 ☆須佐之男命は高天原で言語道断の乱暴狼藉を働いた
 *『古事記』に描かれた須佐之男命の荒ぶる悪行も描かれた
 ☆須佐之男命の所行
 *天皇によって宣別られた特別の大罪とされる
 *稲作と機織への妨害行為であり
 *皇室の重大儀礼にたいする冒漬行為であった
 ☆「國津罪」は、傷害、殺人、近親相姦、獣姦等で
 *人間には最も原初的で普遍的な罪である
 ☆「天津罪」のほうが高次の罪とされたのは
 *朝家への反逆行為だったからだ

古代を宿す高千穂
 ☆高千穂での、地図の等高線状に層をなして連なる棚田
 *五ヶ瀬川に臨む両方の山肌も、昔は広い範囲の棚田であった
 ☆イフガオ州の棚田
 *本の樋や竹筒や溝を入念かつ巧妙に利用し
 *原始的ではあっても決して幼稚ではない灌漑方法だった
 ☆高千穂の独特な佇まい
 *農家は多く萱で葺かれてその上には素朴な千本がある
 *古代の建築を思わせる
 (千本とは、神社建築の象徴の社殿の屋上に破風)
 ☆高千穂を調査すると「竹製の懸樋」が残っていた

⛳高千穂で竹樋の発見竹樋
 ☆高千穂の向山秋元上ノ切六六六四という地番の道に面した一角
 *鬱蒼たる林、神秘的な霊気を放ち巨大なカツラの樹が讐え立つ
 ☆カツラの樹の近くに存在する竹樋
 *竹樋は、神代の形態と構造であるのに違いない筆者は思った
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