~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

精神療法面接のコツ

2020-12-27 16:35:05 | 
先程参拝してまいりました城山八幡宮。



「こうよう」は、通常「紅葉」の字を当てますが、



どちらかと言えば「黄葉」の趣でありました。


               

精神科医・神田橋條治先生は、
「精神療法面接のコツ」第四章【学習と文化】の中で、
人間は、
“ ヒト ”という動物種を生きる生体としての存在と、
“ 人 ”というコトバ文化を生きる者としての存在と、
二つの在り方を内在させている、と説かれています。

一人の人間の内的世界は、
“ ヒト ”である以上「~したい」という生体からの欲求と、
“ 人 ”であるならば「~すべき」というコトバ文化からの制約、
これら二つによる矛盾や葛藤を孕んだ世界ということであります。

この“ ヒト ”と“ 人 ”という二つの在り方が、
時に和し、時に争い、混淆交雑の状態にあるという感覚は、
日常生活の中で常に実感することでもあろうかと思います。

「学校や職場に行きたくない」というのは、
「心身を休めたい」という生体からの欲求であるものの、
「学校や職場には行くべき」というコトバ文化からの求めに従い、
生体からの欲求を押し殺し、疲労した心身を引きずりながら、
学校や職場に通い続けた場合、当然のことながら、
生体を生きる“ ヒト ”と、コトバ文化を生きる“ 人 ”との間に、
乖離が生じます。乖離とは、つまり「無理」のこと。

神田橋先生は、この「無理」の蓄積が諸病の原因である、とされ、
精神疾患は、発症した当人の内界で“ ヒト ”と“ 人 ”とが、
一種の柵によって分断されていることに起因し、

『精神療法とは、
 文化の中で生きていくために生じた生体内の柵、
 を少しばかり緩め、
 二つの領域の間に水の行き来が可能なようにすることだ』
(神田橋條治「精神療法面接のコツ」岩崎学術出版社 /
 以下『』内は、全て同書より引用)

として、
“ ヒト ”と“ 人 ”という二つの領域に限らず、
一人の人間が、過去に学習して身につけたこと、
新しく学習して身につけること等々、全ての領域の間を、
水が自由自在に行き来するような状態が、

『健康の理想形であるから、その姿は、
 混沌に酷似しているはずである。
 精神療法の治癒像の理想形は、混沌である。』

と示されます。

私は門外漢ではありますが、
人間の精神・心理・意識の在りよう、及び、それらの構造・作用は、
音楽及び音楽の構造・作用と同義・同体と、個人的に心得ます。

それゆえに私は、神田橋先生の御著書の数々を、
音楽理論書、或いは作曲技法書として読むのですが、
すると、

音楽は、分断あるところに交流をもたらすもの、
音楽は、音による自分自身との対話、他者との対話、
音楽は、秩序でありながら混沌を旨とする・・・等々、

敷衍・曲解も甚だしい、とのお叱りを受けるかも知れませんが、
つい忘れかける“ 音楽への初心 ”とでも言うようなものを、
読む度に想い起こすものであります。

『治癒像の理想形は、混沌である』


               

今年、長い期間に亘って濁りに覆われていた〈気ノ池〉も、

いつしか水質が改善され、周囲の樹林を映すまでになりました。


コロナ禍に翻弄された令和2年でありましたが、
時が巡り、いつしか不安の濁り、恐れの暗雲も消え去り、

現況を懐かしい想いで振り返る日が訪れることを信じます。

この一年、当ブログへ御訪問頂きましたこと、
心より感謝を申し上げます。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!


     それでも世界は希望の糸を紡ぐ






“ 気 ”は“ 木 ”に宿る?

2020-12-20 15:43:07 | 雑感
昨日の城山八幡宮参拝時、さすがに紅葉も終わりと思いきや、
寒風の中に聴こえてまいりましたのは、

境内に命を営む楓が唄う、緋色の絶唱でありました。

               

師走も半ばを迎え、各所に設置されたクリスマスツリー。

コロナ禍・第3波の中に迎えるクリスマスに在っては、
飾り付けが華やかであればあるほど、その華やかさが、
どこか“ つくり笑い ”のような“ から元気 ”のような、
何かに耐えながらの明るさであるかのような印象を受けます。

否、もしかしたらこれは、そういう印象を受けているのではなく、
私自身の内界に生まれる“ つくり笑い ”や“ から元気 ”が、
コロナ禍に立つツリーに投影しているだけなのかも知れません。

いずれにせよ、
人は明るく輝く物を見れば、ひと時なりとも気持ちが高揚します。

この“ 気持ち ”の高揚が、個人及び社会に生じる“ 景観の気 ”
いわゆる“ 景気 ”を上げることに繋がるのだとしたら、

商業イベント・経済活動としてのクリスマスにとって、ツリーは、

“ 気持ち ”の高揚を促し財布の紐を緩めさせるツールとして、
欠くことの出来ないものなのでありましょう。

               

それにしても、この“ 景気 ”なるものは不思議なもので、
姿・影・形など一切無いにも拘らず、人の心や世の中を、
いつしか支配し、また左右したりしています。
“ 景気 ”に限らず、先程から駄文に連ねておりますところの、
“ 気持ち ”“ から元気 ”なるものの、どれもが不可思議。
全ては“ 気 ”を源とし“ 気 ”から発生していることは、
その語句・語態から明らかではあるものの、ならば、

“ 気 ”とは何ぞや?

となりますと、途端に分からなくなります。
無学ゆえの哀しさか、少なくとも私には分からないのであります。

今を去ること約2600~2200年前、古代中国・春秋戦国時代、
老子・荘子を始めとする道家(どうか)の思想家たちによって、
「道が万物を生み、万物は“ 気 ”によって成り立つ」
と説かれて以来、
二千数百年の長きに亘り“ 気 ”について語られ記され、
今なお、科学・似非(えせ)科学・宗教・文化史・身体運動等々、
様々な側面からのアプローチによる数えきれないほどの、
“ 気 ”に関する知見が生まれています。

それでも真相解明には程遠いのが“ 気 ”であるとすると、
発表されたり著述されたりする“ 気 ”についての知見は、
どれもが正しく、どれもが誤りであり、また、
どれもが本当で、どれもが虚偽である・・・とも言え、
この辺りをポジティブに捉える方々は、
だから“ 気 ”は不思議であり奥深くて面白い、と語り、
ネガティブに捉える方々は、
だから“ 気 ”は胡散臭くて怪しい、と眉を顰めます。

               

“ 気 ”の世界は広大かつ深遠に過ぎますので、
本日のところは、クリスマスツリーの“ tree ”に事寄せ、
“ 気 ”を、その発音“ Ki ”に照らして“ 木 ”と重ね、
“ 気 ”は“ 木 ”に宿る、と観想してみます。
すると、本来的な意義でのクリスマスツリーを始めとする、
いわゆる“ 聖なる木 ”は“ 聖なる気 ”を宿す、となります。

伊勢神宮等々を参拝しますと、樹齢数百年から千年に及ぼうか、
という大樹に紙垂(しで)が巡らされていて、それらが御神木、
つまりは“ 聖なる木 ”であることが示されています。
たとえ注連縄や紙垂で示されていなくても、
浄域に星霜を経た樹々は、皆々“ 聖なる木 ”に違いありません。

私は感動し、立ち止まり、仰ぎ、手を合わせ、そして頭を下げます。
しかしこれは“ 聖なる木 ”に手を合わせ、頭を下げているようで、
実のところは“ 聖なる木 ”に宿っている“ 聖なる気 ”に対し、
手を合わせ、頭を下げている・・・という風にも考えられます。
尤も、これは後付けの考えであって、参拝中にそのようなことなど、
思いもしなければ、意識さえもしません。
私に限らず、“ 聖なる木 ”を前にした人は“ 何か ”に打たれ、
無意識のうちに、そのように振る舞うのであります。

“ 何か ”とは何でありましょうか?

               

源氏と平氏の争い、
いわゆる〈源平の争乱〉によって焼失した東大寺を再興すべく、
60歳(現代人の年齢に換算して80歳くらい)を超えてから、
卓越したアイデアと、多くは一般庶民からの寄付金だけを頼りに、
幾多の歳月と艱難辛苦を乗り越えて東大寺再建を果たしたのは、
俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん / 1121~1206)。

その活動・生きざま・したたかな人物像を描いた、
伊藤ていじ氏(1922~2010)の御労作「重源(ちょうげん)」に、
以下の一節がありました。

『悠久の昔からもろもろの木の中には精霊が宿っている。
 それゆえに聖なる木は、風をうけて葉を鳴らす。
 それは人に語りかけているのである。
 もちろん木は、仏のように教えを説くわけではない。
 神のように祝(ことほ)ぎの言葉を発するわけではない。
 ただ木は人よりも長く生き、人よりも長く考え、人よりも賢い。』
           (引用元:伊藤ていじ「重源」/新潮社)

『悠久の昔からもろもろの木の中には精霊が宿っている』

この感覚は、日本人には馴染みの深い感覚であり、のみならず、
人類が太古より共有する〈始原の感性〉であろうかと思います。
お許しを願って、“ 精霊 ”という箇所に“ 気 ”を代入し、
「木の中には“ 気 ”が宿っている」という風に読んだとしても、
これもまた極めて自然な感覚として感受されるものであります。





              









フレデリック・ファンファーレ

2020-12-13 14:53:55 | 音楽
去る11月23日(月)、千葉市生涯学習センター・ホールにて、
ザ・ミューズウィンドオーケストラ(以下 TMWO)・
第8回定期演奏会が開催されました。

トロンボーン奏者でTMWO創立メンバーの笠川由之さんから、
その演奏会の模様を収めた映像を送って頂きました。
笠川さんは、演奏技術はもちろんのこと、人格に優れ、また、
企画・計画を実現させる実行力と継続力に秀でた人物で、
誠に「心・技・体」の三拍子が揃った演奏家であります。

今公演は、コロナ禍に在っての開催の為、
検温・マスク着用・アルコール消毒・3密を避ける等々、
感染予防対策が図られると同時に、公演中の定期的な換気、
手渡しでの接触を回避するため印刷物の配布中止、
演奏プログラムは〈QRコード〉からのダウンロードなど、
様々な工夫が施された上での演奏会であったと聞き及びます。

               

TMWO定期演奏会では、いつもオープニング・ピースとして、
拙曲“ フレデリック・ファンファーレ ”を演奏して頂いており、
心から感謝を申し上げるものであります。

2010年に開催された〈ラ・フォル・ジュルネ音楽祭〉は、その年が、
フレデリック・ショパン(1810~1849)の生誕200年という、
いわゆる「ショパン・イヤー」に当たった為、
音楽祭ではショパン先生の楽曲が特集されました。
“ フレデリック・ファンファーレ ”は、
その時の公式イメージ・ファンファーレとして、
ショパン先生の名曲から幾つかを編み込んで作曲致しました。

今回の演奏は、須藤卓眞先生の指揮によるものですが、
その音楽作りの明瞭さ、豊かさ、奥深さといったものが、
映像の視聴からだけでも、充分に伝わってきました。
“ フレデリック・ファンファーレ ”は、
1分30秒という短い尺の中、目まぐるしくも7回ほど転調します。
私は“ 意図 ”を持ってそのように作曲したわけですが、
須藤先生は、この“ 意図 ”を、
私が“ 意図 ”した以上に汲み上げ、TMWOの方々と共に、
音楽化して下さっています。



このファンファーレは、フィナーレに入る直前辺りで、
テューバ・ユーフォニアム・コントラバスという低音楽器により、
♪ファ~ド・ドー♪という4度下降音型が奏されます。
音名アルファベットで“ F ”→“ C ”という流れで、
これは“ Frédéric Chopin ”の頭文字。

ショパンという音楽史上の巨星に対する、
早川なりの敬意を楽譜の中に潜ませていることを、
多少なりとも面白く感じて頂けましたら幸いに存じます。




              









“ ユ ”の世界

2020-12-06 15:47:21 | 仏教
つい先日のこと、誠に思いがけなくも、
高野山に参拝した方から奥之院・授与品を賜りました。

透かし彫りの《弘法大師・御影(みえい)》であります。
御厚情、心より感謝申し上げます。


桐箱の蓋には、弘法大師(774~835)を表す梵字が書かれていて、

その読み方は“ ユ ”。

弘法大師・空海上人を表す梵字が、なぜ“ ユ ”なのか?
それは梵字“ ユ ”が、本来は弥勒菩薩を表す梵字であり、
弘法大師は、弥勒菩薩の化身とされているからであります。

では、なぜ弘法大師が弥勒菩薩の化身なのか?
それは大師が弟子たちに語り、後の時代になってから、
「御遺告(ごゆいごう)」として伝えられるものの中に、

『吾閉眼の後には必ず方に兜率他天に往生して
 弥勒慈尊の御前に侍すべし
 五十六億余年の後には必ず慈尊と共に下生し・・・』

とあることに由来します。『兜率他天』は、
サンスクリット語の“ トシュッタ ”が漢字圏で音写されたもので、
通常「兜率天(とそつてん)」と呼ばれる天界の一つ。
この兜率天には内院・外院の二院が在るとされ、内院において、
瞑想と説法に励んでおられるのが弥勒菩薩とされています。

「私は兜率天に往生して弥勒菩薩と共に瞑想し、
 弥勒菩薩の説くところを聴き、五十六億七千万年後には、
 必ずや弥勒菩薩と共に再臨します。」

そのように言い遺された大師であるがゆえに、後世において、
“ 大師は弥勒の化身 ”と信じられ、弥勒尊の梵字“ ユ ”が、
弘法大師の梵字として採用されたということであります。

               

そもそも、なぜ弥勒菩薩を表す梵字が“ ユ ”なのか?
御承知置きの通り、弘法大師が開いた密教には、
尊格それぞれに対応した祈りの言葉というものがあり、それらは、
真言(しんごん)・陀羅尼(ダラニ)・咒(しゅ)等と呼ばれます。
これらは古代インドで使われたブラーフミ―文字(梵字)で書かれ、
サンスクリット語で唱えられていたものが、先の「兜率天」と同様、
漢字圏で音写されて伝わったものですので、当然のことながら、
ネイティヴの発音とはかなり異なっています。

弥勒菩薩に対する祈りの言葉には幾つかありますが、
それらの中に根本陀羅尼と呼ばれるものが伝えられていて、
これを、割とネイティヴに近い発音で読みますと、その中に、

“ マハー・ユギャ・ユーギニ・ユゲイシュヴァリ・・・ ”

と出てきます。
“ ユギャ ”とは「結び合う・融け合う」というほどの意味で、
仏教が伝来してゆく過程の中で“ 瑜伽(ゆが)”と音写され、
現在謂うところの“ ヨーガ・ヨガ ”のことを指します。
つまり上記文言の主旨は、弥勒菩薩をして、
「偉大なる瑜伽(=ヨガ)行者」と讃えているものと考えられます。
もっとも、
古代インドの“ 瑜伽 ”と現在の“ ヨガ ”とは同根異体であり、
けっして弥勒菩薩が兜率天の内院にヨガマットか何かを敷き、
様々なポーズに明け暮れているということではありません。

弥勒菩薩は、事象の根源と意識の根源との融合をもたらす、
本来の“ ユギャ・瑜伽 ”の行(ぎょう)に入っているとして、
“ ユギャ・瑜伽 ”の“ ユ ”を以って表されるわけであります。

               

こちらは京都・東寺の念珠。
「大師の御寺(みてら)」と呼ばれる東寺なればこそ、

念珠の母珠(もしゅ)に刻印されているのは、梵字の“ ユ ”。

               

弥勒菩薩と弘法大師、二つの“ ユ ”が下生するまでの期間が、
諸説あるものの、通説として五十六億七千万年と壮大に謳われ、
また弥勒菩薩の源流が古代インドを超えて、
メソポタミア文明とその神話にまで遡ることが出来ると聞けば、
大師が、その著作「般若心経秘鍵」の中で、
梵字を始めとした経典・経文を構成する文字の一つ一つは、

『一字に千理を含む』

と説いておられたことが脳裏に浮かび、
たった一字の“ ユ ”の中にも、広大な時空と無数の想いとが、
秘蔵されているかのように感じられます。

真言密教の世界では、弘法大師は高野山・奥之院において、
今も生きておられる、と信じられています。
それゆえに「没後」という概念そのものが無く、
御年齢は令和2年現在“ 千二百四十六歳 ”と数えられていて、
4年後には「御生誕」と銘打ちつつ、その内実としては、

「御生存 千二百五十年」

が祝われます。


南無大師遍照金剛