~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

その扉をあけて ~マックス・プランク編

2015-03-17 12:34:46 | 音楽
量子力学における二重スリット実験に関して
登場する数式があります。

Ψ=ψ(1)+ψ(2)
( 大文字プサイ・イコール・
小文字プサイ1・プラス・小文字プサイ2 )

Ψは、観測されていない時の電子の状態
ψ(1)は、ひとつの電子が1番ゲートを通る状態
ψ(2)は、同じ電子が2番ゲートを通る状態

上記の式は、
この二つの状態が同時に起きている・・
という事を示していて、
「重ね合わせの原理」と呼ばれています。

極微の世界・素粒子の世界では、
いくつもの状態が同時に「重ね合わさって」存在し、
観測行為によって初めて状態が決まる・・逆に言えば
観測されるまでは、考え得る全ての状態で存在している、
ということです。

私たち人間は、1番ゲートを選択したら
同時に2番ゲートをくぐる事は出来ません。
同じく、2番ゲートに入ったのなら
同時に1番ゲートを通過する事は出来ません。

しかし極微の世界は違います。

電子は1個2個・・と数えられる「粒子」性と、
関数でしか表せない「波動」性という二つの性質を
備えているので、
何らかの機器によって測定されれば、
そこに「粒子」として現れますが、
測定から離れた瞬間に「波」として宇宙全体に広がり、
「波」は「重ね合わせの原理」に従うという物理法則により
ありとあらゆる状態をとります。
つまり1個の電子が「波」となって1番2番両方のゲートを
同時に通過することが可能になります。

その事を表す数式が

Ψ=ψ(1)+ψ(2)

などと、
理解出来ていない事を、さかしらに書くところが、
ワタクシめの残念なトコロ
失礼致しました!

ただ分かっておりますのは、
発電・携帯・スマホ・PC・医療・交通手段等々
現代社会は、量子力学によって支えられているという事。

量子力学は、19世紀後半のヨーロッパで産声を上げました。
その誕生時は「量子」という革命的な考え方を編み出した
当の本人でさえ、その革新性に気付かなかった・・・
と言われています。

ドイツの物理学者
マックス・プランク(1858~1947)も、そんな一人。

1900年のクリスマスに発表した論文こそが
後に、量子論の扉を開ける事になりますが、
その時点では御本人にそんな意識はなかったそうです。

プランク先生は、
長男を戦争で、次男をある事件によって亡くされています。
激動の時代にあって毀誉褒貶の激しい生涯だったと伝わっていて

「プランク定数」という、
万物の根源で鳴っている音楽を解き明かす為の数字・・・
その背景に、計り知れない感情が渦を巻いている事は、
想像に難くありません。


その扉をあけて ~マックス・プランク編

テラ・インコグニート 祈りを捧げる人々編

2015-03-10 15:08:51 | 音楽
早春の気、と申しましょうか。

冷たい風の中にも沈丁花が香り、
モノトーンが占めていた視界には色彩が加わり、
草木は姿勢よく伸び上がろうとしています。

宇宙空間にあって
地球の軌道が、ほんの少し太陽に寄るだけの事が、
地上の我々の心と身体に大きな変化と影響をもたらします。

「ここ」と「あそこ」
「向こう」と「こちら」

何のつながりも無さそうな場所と場所
何の接点も無さそうな人と人

それらが意外なくらい密接に関わり合っている事を、
この季節は説いているようにも感じます。

来週になりますと「春のお彼岸」
お墓参りに行かれる方も多いと思います。

仏教では、
「この世」を此岸
「あの世」を彼岸と、
「何か」をはさんだ両岸に例えますが、
この「何か」には諸説ありますようで、

「大きな山である」
「いや、生死海(しょうじかい)という海である」
「いやいや、三途(さんず)の川である」等々

では、もし二つの世界の間に「川」が流れているとするのなら

川上には必ず水源地があるわけで、
そこでは当然「向こう」と「こちら」がリンクしているはず。
川を下れば、やがては海に出るのでしょう。
そこでは「あちら」と「こちら」という両岸が、
海中に溶けて一つになるはず。

いずれにせよ、
生きている我々が明け暮れする世界と
お亡くなりになった方々が巡っておられる世界とは、
どこかで深くつながっている・・・と、
そう想います。

本日、3月10日は東京が大空襲に遭い
10万人を越える方々がお亡くなりになり、
100万人を越える方々が罹災されました。

そこから復興の槌音を響かせて70年。
かつての焼け野原には、いまスカイツリーがそびえ立っています。

土地や場所というものが抱えてきたであろう無数の命。
その一つ一つに想いを馳せてみますと、あのスカイツリーが
復興を遂げた首都の電波塔・・というだけではなく、
何か巨大な慰霊塔のようにも観えてきます。


そして明日は、3月11日
謹んで祈りを捧げます。

テラ・インコグニート 祈りを捧げる人々編



心に沁みる歌声は、家城涼子さん

家城さんは先日、
「桃、柿育英会」を通じて
復興支援に尽力しておられる「栗の会」主催
「東日本大震災・復興支援チャリティーコンサート」
に出演なさいました。

オペラのアリアを中心とした7曲を歌われ、
その祈りに満ちた美しい歌声に導かれて、
会場の皆様も被災地復興への願いを新たにしておられました。

頑張る人を見習って、
私も、しっかり精進しなければなりません。



富士の山 不死の国 〜震災を忘れない〜

2015-03-02 20:31:00 | 音楽
3月が巡って来ました。
東日本大震災発生から、4年が経ちます。

お亡くなりになられました方々に対し
謹んで哀悼の意を表しますと共に、

被災地の復興を願い、
被災された方々が心身ともに健やかな生活を
お送りになられます事を、心からお祈り申し上げます。


才や財の有る無しにかかわらず、まずもって出来ること。
それは「震災を忘れない」ということであり、
あの時、何が起き、何が行われ、何が行われなかったのか?
を学び、考え続けることである、と思います。

東京都江東区の門前仲町には、
成田山東京別院・深川不動堂があります。

震災遺児の支援に力を注いでおられ、
春夏秋冬、毎日5回行われる護摩行の後、
必ず僧侶の方が、復興支援・震災遺児支援への募金を
呼びかけておられます。

その募金箱の横には、遺された子供たちが書いた
文集が置かれていて、そこには、
亡骸となった自分の親と対面した時の様子が綴られ、
読ませていただく度、その深い悲しみに触れ
言葉を失います。


大自然のエネルギーによって生を受け、
大自然のエネルギーによって生かされている以上、
大自然のエネルギーによって被害を受け、
あるいは命を天に返さざるを得ない事は、
生きとし生けるものの宿命であり、さだめでもあります。


それでも人間は、そうした事象のひとつひとつに

「あぁ・・あれは、こういう事のために起きたのか」とか
「こんなにツライのは、きっと何か目的があるはず」

という風に、意味を見いだす事が出来る生命体です。


他者には理解されなくても、
そこに自分だけの意味を発見し創り出してゆくことで、
小さな希望が灯り、その希望の明かりが
翻って本人を照らし、やがて大きく導いてゆく・・と、

そう信じたいです。

3月が巡って来る度に

東日本大震災発生の意味に思いを致し、
「忘れない」という誓いを新たにし、
至心に祈りを捧げたいと思います。



富士の山 不死の国 ~ 震災を忘れない ~



ソプラノは、新藤清子(すみこ)さん

オペラ・ミュージカル・ポップスの全てに精通し、
一つ一つの曲に瑞々しい生命を注ぎ入れる音楽家で、
その人柄と共に展開される「新藤清子の世界」には
ファンも多く、御存知の方も多いと思います。

楽曲に魂を授けて頂きましたことに、
あらためて感謝を申し上げます。