一昨日(2023 , 9/29)は、
長月の十五夜、いわゆる「中秋の名月」でした。
仏教、とりわけ密教は、
宇宙に存在する星々、星々の運動・運行、
星々が私たちにもたらす心身への作用や影響等々を、
“ 仏尊 ” という形へと昇華した上で、
星々という、
天空から呼びかけ、作用するものに対して、
地上から応え、働きかけるという、
相互作用のシステムを成立させました。
とりわけ “ 月 ” という天体は、
地球環境を始め、地上の生物・生命体、
私たちの心身活動を含む生活全般に、
大小の影響を及ぼす為、
“ 月光菩薩(がっこうぼさつ)”
として尊格化され、
両部の曼荼羅には月光菩薩が描かれています。
胎蔵部の曼荼羅では、
“ 文殊院 ” 内に童子の姿として描かれ、
金剛界の曼荼羅では、
供養会(くようえ)を始めとする幾つかの区画に、
こちらは童子というよりは大人びた尊容で、
月輪や半月を持つ姿で描かれています。
「曼荼羅図典」には、
『闇を照らす煌々と輝く月の光のように、
無知の黒闇を破る尊で、
月そのものよりも、
月の光を尊格化したものである。』
(引用元:描画/染川英輔、解説/小峰弥彦他
「曼荼羅図典」大法輪閣刊)
と記されています。
『月そのものよりも、
月の光を尊格化したもの・・・』
なるほど、即物的な早川は、
目に見える “ 月 ” をありがたがるのですが、
暗夜をゆく私たちの道を照らすのは、
目には見えない “ 月の光 ” でありました。
“ 音楽 ” と “ 音楽から放たれる光 ” とは、
同じようで異なるもの。
心して感受すべきは “ 音楽から放たれる光 ” と、
そんな風にも感じられます。
想い続ける月光菩薩像があります。
ひとつは、
奈良・東大寺・法華堂に安置されていた尊像
(現在は東大寺ミュージアムに移管)。
ひとつは、
京都・東寺・金堂に在って、
本尊 薬師如来の右脇に立つ尊像。
月光菩薩は、
『月そのものよりも、
月の光を尊格化したもの・・・』
このことが、
如実に察せられる名品と申せましょう。
“ Dragon in the moon ”(作画途中)
皆様、良き日々でありますように!
長月の十五夜、いわゆる「中秋の名月」でした。
仏教、とりわけ密教は、
宇宙に存在する星々、星々の運動・運行、
星々が私たちにもたらす心身への作用や影響等々を、
“ 仏尊 ” という形へと昇華した上で、
星々という、
天空から呼びかけ、作用するものに対して、
地上から応え、働きかけるという、
相互作用のシステムを成立させました。
とりわけ “ 月 ” という天体は、
地球環境を始め、地上の生物・生命体、
私たちの心身活動を含む生活全般に、
大小の影響を及ぼす為、
“ 月光菩薩(がっこうぼさつ)”
として尊格化され、
両部の曼荼羅には月光菩薩が描かれています。
胎蔵部の曼荼羅では、
“ 文殊院 ” 内に童子の姿として描かれ、
金剛界の曼荼羅では、
供養会(くようえ)を始めとする幾つかの区画に、
こちらは童子というよりは大人びた尊容で、
月輪や半月を持つ姿で描かれています。
「曼荼羅図典」には、
『闇を照らす煌々と輝く月の光のように、
無知の黒闇を破る尊で、
月そのものよりも、
月の光を尊格化したものである。』
(引用元:描画/染川英輔、解説/小峰弥彦他
「曼荼羅図典」大法輪閣刊)
と記されています。
『月そのものよりも、
月の光を尊格化したもの・・・』
なるほど、即物的な早川は、
目に見える “ 月 ” をありがたがるのですが、
暗夜をゆく私たちの道を照らすのは、
目には見えない “ 月の光 ” でありました。
“ 音楽 ” と “ 音楽から放たれる光 ” とは、
同じようで異なるもの。
心して感受すべきは “ 音楽から放たれる光 ” と、
そんな風にも感じられます。
想い続ける月光菩薩像があります。
ひとつは、
奈良・東大寺・法華堂に安置されていた尊像
(現在は東大寺ミュージアムに移管)。
ひとつは、
京都・東寺・金堂に在って、
本尊 薬師如来の右脇に立つ尊像。
月光菩薩は、
『月そのものよりも、
月の光を尊格化したもの・・・』
このことが、
如実に察せられる名品と申せましょう。
“ Dragon in the moon ”(作画途中)
皆様、良き日々でありますように!