~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

金子みすゞ 「ふしぎ」

2023-10-29 15:07:46 | 日常
『わたしはふしぎでたまらない、
 黒い雨からふる雨が、
 銀にひかっていることが。

 わたしはふしぎでたまらない、
 青いくわの葉たべている、
 かいこが白くなることが。

 わたしはふしぎでたまらない、
 たれもいじらぬ夕顔が、
 ひとりでぱらりと開くのが。

 わたしはふしぎでたまらない、
 たれにきいてもわらってて、
 あたりまえだ、ということが。』

御承知置きの通り、
金子みすゞ(1903~1930)作、『ふしぎ』。

先日、“ 若い命 ” と共に、
『ふしぎ』を音読する機会に恵まれました。

その “ 若い命 ” は、
重いハンディキャップを背負っているため、
車椅子での生活を余儀なくされている上、
他の同学年生徒や通級生徒に比して、
認知、発語を始めとする各方面の機能において、
その発達には遅れが見られます。

しかしそれは、
あくまでも数値上・表面上のこと。

『ふしぎ』を、
全身全霊で音読する “ 若い命 ” は、
『ふしぎ』の作者に共感し、
『ふしぎ』が奏でる音律と共鳴し、
『ふしぎ』の世界と共振していることが伝わってきて、
その優れた共感力・共鳴力・共振力は、
“ 若い命 ” の内側に広がっている世界、
その豊かさを物語るかのように思われました。

                 

宇宙が在ること、地球が在ること、
私たちが在ること、私たちが呼吸すること、
老いること、死ぬこと、再び生まれること、
在りとあらゆること、日常の何もかもが、
『あたりまえ』ではなくて、それらの全ては、
神秘と不思議に満ちている。

そう語ったのは、
レイチェル・カーソン(1907~1964)。

『神秘さや不思議さに目を見はる感性』
『不思議さに驚嘆する感性』
(引用元:R.カーソン「センス・オブ・ワンダー」新潮社刊)

星々や大小の自然現象に目を見張り、
四季の移ろいに耳を澄ます、
そうした感性 “ Sense of wonder ” とその周辺感覚を、
カーソンは、
余命わずかな日々の中に綴っていったわけですが、
そこには、こう書き記されています。

『地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、
 生命の終わりの瞬間まで、
 生き生きとした精神力を
 たもちつづけることができるでしょう。』(引用元:上掲書)

只、この “ Sense of wonder ” なる感性は、

『大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
 私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、
 つまらない人工的なものに夢中になること』(引用元:上掲書)

等々によって失われかねないとも。

金子みすゞ作『ふしぎ』は、
瑞々しい “ Sense of wonder ” の世界。

“ 若い命 ” と声を合わせて読むことで、
私の内界には、
日頃忘れ果てている “ Sense of wonder ” の火が灯り、
ほんの束の間ではありましたが、
宇宙に対する驚異の念、
自然に対する畏敬の念が明滅しました。

全身全霊で『ふしぎ』を音読し、
自身の存在を以て『ふしぎ』と響き合う “ 若い命 ” の姿から、
大切な何かを教えて貰ったことを想いますと、
“ 若い命 ” は、
もはや “ 生徒 ” ではなく、
むしろ “ 先生 ” なのではないか・・・、
そのようにも思われてくるのでありました。


“ Waterfall Ⅰ” ~ 瀧 壱

皆様、良き日々でありますように!


               









“ 愛憎 ” 分ちがたし

2023-10-22 14:50:05 | 日常
老若男女、
大勢の方々が集う職場に毎日通っておりますと、
休憩時間中、或いは始業前の準備中、
或いは就業後の帰り支度中・・・といった、
何気ない時間に交わされる何気ない会話の中で、
ふと心情を吐露して頂ける機会に巡り会います。

                 

その方は教壇に立たれること、およそ半世紀。
御年齢は確か70歳半ばで、
早川より15歳くらい年長と承っておりますが、
人間なるもの、
50歳を越えれば年齢差など関係なく、
押しなべて “ 年寄り ” の括りで良かろうと、
そのような考えの早川だからなのかどうなのか、
何かと親しみを込めて声を掛けて下さり、
私も、その方の飄然としたところが好きで、
他愛もない話に花を咲かせるのでありました。

その日の朝、“ 学活 ” が始まる前の時間帯。
いつものように、
「夜中に何回起きた」から始まって、
「朝がツライ」とか「膝が痛い」とか、
「今日の給食は何だろう?」とか、
ある意味 “ どうでもよい ” 会話を交わすことで、
始業に向けての “ 肩ならし ” をしておりました。

ところがこの日は、
何かの話題から、その方の奥様の話になり、

「いやぁ早川さん、
 うちのカミさんは気が強くてねぇ・・・」

と言うなり、
はらはらと涙をこぼされるのでした。

聞けば、昨年の11月に奥様を亡くされたとのこと。
それも所謂「突然死」。
元気に家事をされていたところ、
「ちょっと背中が痛い」とうずくまるや容態急変、
救急車内では既に心肺停止の状態だったそうです。

おかけする言葉も無いまま、
頬を伝い落ちる涙の軌跡に耳を澄ましておりますと、

「カミさんは気が強くて、
 僕はずっと踏みつけられっぱなし。
 あぁ、いっそ、はよ居なくならんかなぁ、
 そうすれば僕もずいぶんと楽になるのになぁ。
 そんな風に思っていたけれど、
 不思議なもので、
 本当に居なくなってみると、
 こんなにもつらいものか。
 悪態をつきあい、罵り合うばかりだったけど、
 もう一度でいいから悪態をつきあいたい。
 もう一度でいいから罵り合ってみたい。」

声を震わせ、そう仰るのでありました。

肺腑から絞り出される御心情には、
何らの言葉も差し挟む余地はありません。

実に人間とは、こうしたもの。
“ 愛 ” と信じていたものが “ 憎 ” だった。
“ 憎 ” と感じていたものが “ 愛 ” だった。
“ 愛憎 ” 分ちがたし。

人生の情景、
その一端を垣間見る思いでありました。


“ OBORO Ⅰ” ~ 朧 壱 ~

皆様、良き日々でありますように!


               









境内地の片隅に

2023-10-15 16:41:32 | 神社仏閣
記録的な猛暑・酷暑が嘘であったかのように、

朝晩は随分と冷えてまいりました。


いつの間にか金木犀が香り、



柿が、実を結んでいます。


                 

日々に高さと深さを増してゆく秋の空。
城山八幡宮では、

“ 七五三 ” の準備が整えられています。


今春には、

新しい職場への通勤手段として使用する、
自転車の “ お祓い ” をお願いし、


交通安全祈願の昇殿参拝に及ぶなど、

足繁く通う城山八幡宮ですが、


その境内地の片隅にひっそりと、
“ 行者堂 ” が建っています。

どのような経緯で建てられたものかは分かりませんが、


行者堂に向かって右脇には、

「大峰登山二十三度・・・」


向かって左脇には、

「大峰山二十六度登拝・・・」と、
記念の石碑が奉納されています。

御承知置きの通り、
奈良県中部に聳える大峰山(おおみねさん)は、
大峰山回峰行(かいほうぎょう)を始めとする、
山岳仏教の一大聖地。

かつて、この城山の地に、
大峰山系を巡る行者がおられたのだろうか・・・?
八幡宮を訪れる度、
少なからず不思議な想いを抱くのであります。

                 

職場には、歴史好き・旅好きの方がおられ、
色々とお話を伺ううち、“ 龍神 ” の話になり、
“ 青龍会 ” について教えて頂きました。

“ 青龍会 ” は年に3回執り行われる、
京都・清水寺および東山一帯を挙げての仏教大祭。

「青龍会 奉行」と称される師僧に導かれ、
観世音菩薩の化身 “ 青龍 ” が、
「龍衆(りゅうしゅう)」の方々に奉げ持たれつつ、
清水寺の境内から門前町を巡行するというもの。

“ 青龍 ” の鱗が特徴的なんですよね。

皆様、良き日々でありますように!


               









肉体は滅ぶとも、魂は不滅

2023-10-08 14:10:52 | 日常
先日、奉職する学び舎では体育祭が開催されました。

絶好のスポーツ日和となった秋空の下、
命いっぱいに躍動するおよそ650人の若者たち。
溌溂として体育祭を仕切る名物先生
それぞれの役割を全力で果たす教職員。
万感の想いで見守る保護者の方々。

そうした人々の姿から、或いは又、
燃え上がる時間の中を流れる何かから、
沸騰する空間の中に響く何かから、
大小の教えを授けて頂きました。

                 

関東在住時、苦楽を共にした人の御父君が、
およそ1ヶ月に亘り病床に臥された後、
旅立たれたとの報を受けました。

その人の住まう地域は、
未だコロナ禍の影響もあり、
面会時間は限られたものだったそうですが、
その限られた時間の中で、その人は、
病床の父親に、

『お父さん、
 私は、あなたの娘で本当に良かった。』

『私に、ヴァイオリンを習わせてくれて、
 本当にありがとうございました。』等々、

心からの感謝を伝えることが出来たそうです。

その人は、
3歳からヴァイオリンを始め、
有数の音楽大学を首席で卒業後、
その卓越した技量と謙虚な人柄とで、
数多くのオファーを受け活躍し、一時期は、
サポートプレイヤーとして、
カーネギーホールでの演奏を果たしたほどの人。

しかしながら、
“ 不惑 ” の若さで脳梗塞を発症し、
左手指の麻痺、高次脳機能障害、
その他の症状によりヴァイオリン演奏を断念。

その後に辿る絶望の日々は、
本人しか知る由もないもの。

資格を取得し、
保育士として働き続ける10有余年の歳月。
小児病棟保育での経験と思索。

そうした流れの全てが、やがて又、
音楽の海へと還流してゆく経緯は、
また別稿に譲るとして、

『お父さん、
 私は、あなたの娘で本当に良かった。』

『私に、ヴァイオリンを習わせてくれて、
 本当にありがとうございました。』

全身全霊で感謝の想いを伝える、
その人と御父君との間に流れた最期の時間は、
たとえ短いものであったとしても、
それは永遠・永劫・久遠に等しい時間。

“ 時間 ” というものは、
「長短ではなく密度」との感を深くします。

本日のブログ、
話が湿りがちになったことは御容赦頂くして、
永遠・永劫・久遠といった、
言わば「魂の時間流」を、
旅立つ父親と共有し得たその人に、
私は敬意を表します。

肉体は滅ぶとも、魂は不滅。
命には限りあれど、道は果てなし。

                 

先週のブログでは作画途中だった、
“ Dragon in the moon ” に塗りを加え、いつも心に浮かぶ、
“ 太陰龍王神社 ” のイメージに近づけてみました。

皆様、良き日々でありますように!


               









月光菩薩(がっこうぼさつ)

2023-10-01 15:21:32 | 仏教関係
一昨日(2023 , 9/29)は、

長月の十五夜、いわゆる「中秋の名月」でした。

仏教、とりわけ密教は、
宇宙に存在する星々、星々の運動・運行、
星々が私たちにもたらす心身への作用や影響等々を、
“ 仏尊 ” という形へと昇華した上で、
星々という、
天空から呼びかけ、作用するものに対して、
地上から応え、働きかけるという、
相互作用のシステムを成立させました。

とりわけ “ 月 ” という天体は、
地球環境を始め、地上の生物・生命体、
私たちの心身活動を含む生活全般に、
大小の影響を及ぼす為、

“ 月光菩薩(がっこうぼさつ)”

として尊格化され、
両部の曼荼羅には月光菩薩が描かれています。

胎蔵部の曼荼羅では、
“ 文殊院 ” 内に童子の姿として描かれ、
金剛界の曼荼羅では、
供養会(くようえ)を始めとする幾つかの区画に、
こちらは童子というよりは大人びた尊容で、
月輪や半月を持つ姿で描かれています。
「曼荼羅図典」には、

『闇を照らす煌々と輝く月の光のように、
 無知の黒闇を破る尊で、
 月そのものよりも、
 月の光を尊格化したものである。』
(引用元:描画/染川英輔、解説/小峰弥彦他
 「曼荼羅図典」大法輪閣刊)

と記されています。

『月そのものよりも、
 月の光を尊格化したもの・・・』

なるほど、即物的な早川は、
目に見える “ 月 ” をありがたがるのですが、
暗夜をゆく私たちの道を照らすのは、
目には見えない “ 月の光 ” でありました。

“ 音楽 ” と “ 音楽から放たれる光 ” とは、
同じようで異なるもの。
心して感受すべきは “ 音楽から放たれる光 ” と、
そんな風にも感じられます。

                 

想い続ける月光菩薩像があります。
ひとつは、
奈良・東大寺・法華堂に安置されていた尊像
(現在は東大寺ミュージアムに移管)。

ひとつは、
京都・東寺・金堂に在って、
本尊 薬師如来の右脇に立つ尊像。
月光菩薩は、

『月そのものよりも、
 月の光を尊格化したもの・・・』

このことが、
如実に察せられる名品と申せましょう。


“ Dragon in the moon ”(作画途中)

皆様、良き日々でありますように!