『わたしはふしぎでたまらない、
黒い雨からふる雨が、
銀にひかっていることが。
わたしはふしぎでたまらない、
青いくわの葉たべている、
かいこが白くなることが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。』
御承知置きの通り、
金子みすゞ(1903~1930)作、『ふしぎ』。
先日、“ 若い命 ” と共に、
『ふしぎ』を音読する機会に恵まれました。
その “ 若い命 ” は、
重いハンディキャップを背負っているため、
車椅子での生活を余儀なくされている上、
他の同学年生徒や通級生徒に比して、
認知、発語を始めとする各方面の機能において、
その発達には遅れが見られます。
しかしそれは、
あくまでも数値上・表面上のこと。
『ふしぎ』を、
全身全霊で音読する “ 若い命 ” は、
『ふしぎ』の作者に共感し、
『ふしぎ』が奏でる音律と共鳴し、
『ふしぎ』の世界と共振していることが伝わってきて、
その優れた共感力・共鳴力・共振力は、
“ 若い命 ” の内側に広がっている世界、
その豊かさを物語るかのように思われました。
宇宙が在ること、地球が在ること、
私たちが在ること、私たちが呼吸すること、
老いること、死ぬこと、再び生まれること、
在りとあらゆること、日常の何もかもが、
『あたりまえ』ではなくて、それらの全ては、
神秘と不思議に満ちている。
そう語ったのは、
レイチェル・カーソン(1907~1964)。
『神秘さや不思議さに目を見はる感性』
『不思議さに驚嘆する感性』
(引用元:R.カーソン「センス・オブ・ワンダー」新潮社刊)
星々や大小の自然現象に目を見張り、
四季の移ろいに耳を澄ます、
そうした感性 “ Sense of wonder ” とその周辺感覚を、
カーソンは、
余命わずかな日々の中に綴っていったわけですが、
そこには、こう書き記されています。
『地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、
生命の終わりの瞬間まで、
生き生きとした精神力を
たもちつづけることができるでしょう。』(引用元:上掲書)
只、この “ Sense of wonder ” なる感性は、
『大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になること』(引用元:上掲書)
等々によって失われかねないとも。
金子みすゞ作『ふしぎ』は、
瑞々しい “ Sense of wonder ” の世界。
“ 若い命 ” と声を合わせて読むことで、
私の内界には、
日頃忘れ果てている “ Sense of wonder ” の火が灯り、
ほんの束の間ではありましたが、
宇宙に対する驚異の念、
自然に対する畏敬の念が明滅しました。
全身全霊で『ふしぎ』を音読し、
自身の存在を以て『ふしぎ』と響き合う “ 若い命 ” の姿から、
大切な何かを教えて貰ったことを想いますと、
“ 若い命 ” は、
もはや “ 生徒 ” ではなく、
むしろ “ 先生 ” なのではないか・・・、
そのようにも思われてくるのでありました。
“ Waterfall Ⅰ” ~ 瀧 壱
皆様、良き日々でありますように!
黒い雨からふる雨が、
銀にひかっていることが。
わたしはふしぎでたまらない、
青いくわの葉たべている、
かいこが白くなることが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
わたしはふしぎでたまらない、
たれにきいてもわらってて、
あたりまえだ、ということが。』
御承知置きの通り、
金子みすゞ(1903~1930)作、『ふしぎ』。
先日、“ 若い命 ” と共に、
『ふしぎ』を音読する機会に恵まれました。
その “ 若い命 ” は、
重いハンディキャップを背負っているため、
車椅子での生活を余儀なくされている上、
他の同学年生徒や通級生徒に比して、
認知、発語を始めとする各方面の機能において、
その発達には遅れが見られます。
しかしそれは、
あくまでも数値上・表面上のこと。
『ふしぎ』を、
全身全霊で音読する “ 若い命 ” は、
『ふしぎ』の作者に共感し、
『ふしぎ』が奏でる音律と共鳴し、
『ふしぎ』の世界と共振していることが伝わってきて、
その優れた共感力・共鳴力・共振力は、
“ 若い命 ” の内側に広がっている世界、
その豊かさを物語るかのように思われました。
宇宙が在ること、地球が在ること、
私たちが在ること、私たちが呼吸すること、
老いること、死ぬこと、再び生まれること、
在りとあらゆること、日常の何もかもが、
『あたりまえ』ではなくて、それらの全ては、
神秘と不思議に満ちている。
そう語ったのは、
レイチェル・カーソン(1907~1964)。
『神秘さや不思議さに目を見はる感性』
『不思議さに驚嘆する感性』
(引用元:R.カーソン「センス・オブ・ワンダー」新潮社刊)
星々や大小の自然現象に目を見張り、
四季の移ろいに耳を澄ます、
そうした感性 “ Sense of wonder ” とその周辺感覚を、
カーソンは、
余命わずかな日々の中に綴っていったわけですが、
そこには、こう書き記されています。
『地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、
生命の終わりの瞬間まで、
生き生きとした精神力を
たもちつづけることができるでしょう。』(引用元:上掲書)
只、この “ Sense of wonder ” なる感性は、
『大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になること』(引用元:上掲書)
等々によって失われかねないとも。
金子みすゞ作『ふしぎ』は、
瑞々しい “ Sense of wonder ” の世界。
“ 若い命 ” と声を合わせて読むことで、
私の内界には、
日頃忘れ果てている “ Sense of wonder ” の火が灯り、
ほんの束の間ではありましたが、
宇宙に対する驚異の念、
自然に対する畏敬の念が明滅しました。
全身全霊で『ふしぎ』を音読し、
自身の存在を以て『ふしぎ』と響き合う “ 若い命 ” の姿から、
大切な何かを教えて貰ったことを想いますと、
“ 若い命 ” は、
もはや “ 生徒 ” ではなく、
むしろ “ 先生 ” なのではないか・・・、
そのようにも思われてくるのでありました。
“ Waterfall Ⅰ” ~ 瀧 壱
皆様、良き日々でありますように!