~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

アマテラス粒子

2023-11-26 14:37:06 | 自然科学
昨日(2023.11/25)の当地は “ 小春日和 ” でありました。
その陽気に誘われ名古屋天神・上野天満宮へ。

手前に写る梅の樹が花期を迎えるまで、
あと2~3ヶ月ほどでしょうか。


これからは受験生の参拝も増え、

境内の空気も、少しずつ張りつめてゆきます。

                 

宇宙空間には “ 陽子 ” を主な成分とする、
高エネルギー放射線が飛び交っていて、

「宇宙線」と呼ばれています。

大阪公立大学を含む 8カ国共同研究チームにより、

「2021年5月27日の明け方、
 一つの粒子で “ 244エクサ電子ボルト ” という、
 極めて高いエネルギーの宇宙線の検出に成功した。」

という実験成果が発表されました。

今は2023年ですので、およそ2年に亘り、
膨大な観測データの分析と検証が為された上で、
今回の発表に至ったのでありましょう。

観測された宇宙線は、

「一つの粒子で “ 244エクサ電子ボルト ” 」

1エクサは100京で、
“ 京 ” は10の16乗 = 1000億の10万倍。

桁が多すぎて理解できませんが、
エネルギーが大きいということは分かります。

なんでも計算上では、
この粒子が集積して1グラムの粒子群となり、
地球を照射した場合、地球は崩壊するのだとか。

観測された高エネルギー粒子は、
観測時刻が明け方であったことや、
宇宙天文学の未来を照らす可能性などから、
日本神話における “ 光の女神 ” に因んで、

「アマテラス粒子」

と名付けられたと伝わります。

通常、宇宙線の発生源を辿ると、
そこには超巨大ブラックホールが存在したり、
超新星爆発の痕跡が在ったりしますが、

「アマテラス粒子」が飛来した方向には、
天体が存在しない “ 空洞 ” があるばかりで、
今のところ発生源は不明なのだそうです。

何も無いように見える領域で、
何かが起こっていて、
ポッカリと穴が空いているようでも、
実は、そこにこそエネルギーが満ちている。

「アマテラス粒子」

神話世界と物理世界、
まるで二つの世界を繋ぐかのような名前を持つ、
その不思議な宇宙線に想いを馳せますと、
内界に曙光が射すような心地にもなります。

ブレーズ・パスカル(1623~1662)は言いました。

『宇宙は、空間で人間を包み、
 人間は、思考で宇宙を包む。』

人生という、もう一つの宇宙。

この先、何も無いように思えても、
意外なくらいエネルギーに満ちた何かが、
私たちを待っているかも知れません。


“ Dance of the Dragon Ⅱ ”
~ 龍神舞踊 其の二 ~

皆様、良き日々でありますように!


               







紙細工

2023-11-19 18:14:35 | 日常
日々に触れ合う “ 若い命 ” たちは、
時々の季節に応じた小物や飾り物の数々を、
自らの手で作ったり、描いたり、
或いは編んだりしています。

及ばずながら、
そうした作業の補助に携わることも、
私の大切な業務のひとつでありますが、
この日は、諸事情により “ 若い命 ” 不在の為、
空いた時間を利用して、
「師」と仰いでいる職場の先輩から、
紙細工の作り方を教えて貰いました。

覚えるのが遅く、
忘れるのが速いという残念な早川は、
帰宅後、復習を兼ねて作業工程を記録しました。

                 

まず、このようなドーム状の図形を書き、



型紙を切り抜きます。



こんな風に線を引き、



“ タコの足 ” 状に切り分けます。



色違いで同じものを、もう一つ。



“ タコの足 ” を互い違いに交差して編み、



はみ出た “ タコの足 ” をカットしますと、



“ ハート ” 紙細工の出来上がり!

時間と空間という二つの事象が織り合う、
宇宙という一つの “ ハート ” 。
粒子と波動という二つの状態が重なり合う、
素粒子という一つの “ ハート ” 。
光と闇という二つの性質が支え合う、
人間存在という一つの “ ハート ” 。

異なる紙材が組み合わさり編み合わさり、
ひとつの “ ハート ” を結ぶ姿は、
異なる音色、異なる旋律、
異なるリズム等々が上行し下降し、
横に流れ合い、縦に響き合い、
一つの楽曲を織り成す姿にも似ています。

“ ハルモニア ”

古代ギリシアの作曲家たちが追求した、
“ 調和 ” といった辺りも、
何となく想われてくるのでありました。


“ Waterfall Ⅳ ” ~ 瀧 其の四

皆様、良き日々でありますように!


               








11月と言えば・・・

2023-11-12 14:14:50 | 歴史
11月も半ばに差し掛かりました。

“ Waterfall Ⅲ ” ~ 瀧 其の参


                 

11月と言えば、
京都河原町通りに所在した醤油商・近江屋において、
坂本龍馬(1836~1867)が、
何者かの手によって暗殺された月。
今を去る156年前、時は幕末、
慶応3年11月15日のことでありました。

龍馬は、新しい国家体制に思いを馳せる中、
長崎から上京する船内で書いた「船中八策」を元にして、
大政奉還後、新たに「新政府綱領八策」を記しています。
この「新政府綱領八策」の末尾には、

“ 慶応丁卯 十一月 ”

と墨書されていて、
暗殺される直前辺りに書かれたことを伝えています。

坂本龍馬が、
幕末のヒーローだったのかどうか?
現代に語り継がれるような活躍をしたのかどうか?
特に近年、
そのような疑問を持たれる向きも多いと聞きます。
確かに歴史検証は大事なこと。

只、「新政府綱領八策」の内容は、
たとえそれが “ 独創 ” ではなかったとしても、
充分に時代を先駆けるものであり、
フィクションを読まずとも、
遺された資料や手紙の数々に当たれば、
その活動ぶり活躍ぶりは一目瞭然。

そもそも、活動も活躍もせず、
何ら特異な光芒を放つことのない人間には、
アンチが生じることもなければ、
暗殺の対象となることもありません。

“ ヒーロー ” かどうかは措くとしても、
幕末史における重要人物であったことには違いないと、
個人的には、そのように思います。

幕末当時、「藩」とは「国家」でありました。
薩摩藩と長州藩という、
敵対する二つの「国家」が手を結ぶなど、
誰も考えさえ出来なかったこと。
それを、
龍馬は「薩長同盟」として成就させました。

今なお世界各地では、
国と国が戦い、民族と民族が争い、
無辜の市民が血を流し命を落としています。

過去の経緯により対立せざるを得ない二者、
決して相容れないはずの二者は、
一体どうすれば歩み寄れるのか?

坂本龍馬と幕末史から学ぶことは尽きないと、
11月が巡る度、
龍馬への想いを新たにするものであります。

よさこい幻想 ~ 龍馬の歌 ~(作曲 早川太海)

皆様、良き日々でありますように!


               









ひたむき

2023-11-05 15:03:01 | 音楽関係
先日、奉職する学び舎では文化祭が開催されました。
文化祭は午前・午後の二部構成で、
午前中は “ 合唱コンクール ” と銘打たれ、
各クラスごとに異なる楽曲を歌う “ クラス合唱 ” 、
学年全体で一つの楽曲を歌う “ 学年合唱 ” が、
次々に演奏されました。

体育祭が終わってから息つく間も無く、
およそ1ヶ月に亘り猛練習を重ねた “ 若い命たち ” 。
特に、本番前の1週間は早朝、昼放課、授業後等々、
学び舎は歌声に染まり、
学び舎に集う人々の鼓膜、網膜、横隔膜、
ありとあらゆる細胞膜はもとよりのこと、
壁という壁、窓という窓、教材から備品までもが、
“ 若い命 ” たちの響きに呼応して、
微細な振動を続けていたのでありました。

                 

“ 若い命 ” たちの演奏は、
それが合唱であっても、吹奏楽であっても、
何が最大の特色かと申し上げるならば、

「ひたむき」

これであります。

「ひたむき」は、
漢字で書くならば「直向き」であり、
「まっ直ぐに向く」
「まっすぐ前へ向かう」、
「心を真っ直ぐに対象へ向ける」等の意。

「うまい / へた」とか、
「成功する / 失敗する」とか、
「勝つ / 負ける」といった対立概念が、
いまだ曖昧にして希薄、もしくは入り込む余地が無い、
それほどに純度の高い「ひたむき」。

まっすぐに「うまい」、
まっすぐに「へた」、それで良し。

まっすぐに「成功する」、
まっすぐに「失敗する」、それで良し。

まっすぐに「勝つ」、
まっすぐに「負ける」、それで良し。

これは、言うほど易しいことではないはず。
“ 若い命 ” の季節にしか発露し得ない、
かけがえのない能力と言えるかも知れません。

確かに大人になろうとも、
「ひたむきさ」は保つことが出来ます。
しかしそれは、往々にして、
「意識されたひたむきさ」、
「心掛けられたひたむきさ」、
「装われたひたむきさ」とでも言うべきもの。

例えば私が、
「ひたむきに頑張ろう」と意識した場合、
その意識された「ひたむきさ」は、
“ 若い命 ” たちの、
意識されない「ひたむきさ」とは、
異質なものでありましょう。

“ 若い命 ” たちは、
唯々「ひたむき」に「ひたむき」を生きているだけで、
自らが「ひたむき」であることを知りません。
私を含めた大人たちが、
そうした “ 若い命 ” たちの姿を見て、
「あぁ、ひたむきだなぁ・・・」と、
そこに「ひたむきさ」を感じるだけのこと。

何事においてもそうであるように、
「意識」のもとに発揮される力は、
「無意識」のもとに発揮される力に、
到底およぶものではありません。

“ 若い命 ” たちの、
ひたむきな姿勢、ひたむきな声、
ひたむきな合唱を浴びるているうち、
その「ひたむきさ」が大気を振るわせ、
大気を媒質として伝わってゆくことが、
肌身を通して実感されました。

地球が大気圏を持つ星であること、
地球に音楽が存在すること、
二つは一つ、一つは二つ・・・。

何を大袈裟なと笑われもしましょうが、
この自明にして大いなる素晴らしさに、
改めて打たれた文化祭でありました。


“ Waterfall Ⅱ ” ~ 瀧 弐

皆様、良き日々でありますように!