1995年の阪神・淡路大震災発生当時、
「蓄積されたエネルギーが解放されたのだから、
もう阪神地域では向こう百年、大きな地震は起きない」
と、まことしやかに囁かれていたように記憶します。
そこには《もうこのような地震は起きて欲しくない・・・》
という願いが込められていたことと思います。
そうした願いもむなしく大阪北部地震が発生しました。
多くの活断層が複雑に絡み合う場所では、
いつでもどこでもマグニチュード6級の地震が繰り返される、
という専門家の指摘には、只うなだれるしかありません。
被災者の方々および被災地に、
一日も早く平穏な日常が戻ることを心から願うものであります。
=◯◯◯=
本日は6月24日ですが、毎月24日は地蔵菩薩の御縁日。
仏教発祥の地、古代インドにおけるサンスクリット名を
「クシティ(大地)・ガルバ(蔵)」
大地を蔵するもの・・・という原義から、漢字圏においては
「地蔵菩薩」の名を冠せられることになりました。
因みに虚空蔵菩薩のサンスクリット名は
「アカシャ(虚空)・ガルバ(蔵)」
虚空を蔵する〈虚空蔵菩薩〉と大地を蔵する〈地蔵菩薩〉、
この二体の尊格を以って宇宙の一切を蔵するところから、
虚空蔵菩薩と地蔵菩薩は同体であるとも説かれます。
地蔵菩薩について説かれた経典には、
インドで成立した大乗経典「地蔵菩薩本願経」、
密教経典の「地蔵菩薩陀羅尼経」、
日本で生み出された「延命地蔵菩薩経」等々ありますが、
それらのいずれにおいても共通して描かれているのは、
仏の滅後を任され、仏のいない世の中を託された地蔵尊の姿。
「延命地蔵菩薩経」の中、地蔵菩薩が現われる場面では、
『その時 大地は六種に震動す』
と説かれています。
この大地が震動する現象は地蔵菩薩に限った事ではなく、
例えば如意輪観世音菩薩は、
『この如意輪陀羅尼を説き巳(お)わるに
大地は六種に震動す』(如意輪陀羅尼神咒経)
また毘沙門天王は、
『大地 震動して毘沙門天 出で来たり』(毘沙門天功徳経)
というように仏尊が出現する際には大地が震動します。
「六種」の震動については諸説あるものの概ね、
仏尊の〈入胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅〉という
六つの契機に、大地が感応・共鳴する六種類の震え方とされ、
「動・起・湧・震・吼(く)・撃」の六震と呼ばれます。
=◯◯◯=
『その時 大地は六種に震動す』
六つの契機とは言え、経典には「その時」とありますので、
それぞれのタイミングは別々の時期・事象ではなく、
その時その瞬間に六つの世界が並列して現われ、
その時その刹那に六つの震動が同時に起きると解釈できます。
震動は「振動」でありますので、物理学の超弦理論で説かれる、
振動数の異なる〈超対称性ひも状粒子〉が想起されます。
超対称性の弦は、
多次元時空(超弦理論では9次元)において振動し、
本質的には一つの弦が、観測時の振動数の違いによって、
異なる現象として立ち現れます。
「地蔵菩薩本願経・見聞利益品(けんもんりやくぼん)」には、
『夢中において無辺を見て』
とあります。
この「無辺」は宇宙に存在する全てのものという意味であり、
それゆえに〈延命地蔵菩薩経〉において地蔵尊は、
医療従事者・農業従事者・商業従事者・物流関係者・
薬草・医薬品・医薬部外品・馬・牛・山岳・海洋・・・等々、
在りとあらゆる存在に変身すると説かれています。
=◯◯◯=
「さまざまな作物や資源を生み出す大地の徳が象徴された菩薩」
(下泉全暁著「諸尊経典要義」青山社刊)
大地あっての私たちであり、また大地は動かないものとして、
私たちは日常を営み、歩行を始めとする動作を紡いでいますが、
そもそも地球は時速約1700㎞という高速で自転しながら
太陽の周りを公転しているので、大地は常に動いています。
『その時 大地は六種に震動す』
地蔵菩薩が私たちに問うている事の本質に、
想いを馳せるものであります。
「蓄積されたエネルギーが解放されたのだから、
もう阪神地域では向こう百年、大きな地震は起きない」
と、まことしやかに囁かれていたように記憶します。
そこには《もうこのような地震は起きて欲しくない・・・》
という願いが込められていたことと思います。
そうした願いもむなしく大阪北部地震が発生しました。
多くの活断層が複雑に絡み合う場所では、
いつでもどこでもマグニチュード6級の地震が繰り返される、
という専門家の指摘には、只うなだれるしかありません。
被災者の方々および被災地に、
一日も早く平穏な日常が戻ることを心から願うものであります。
=◯◯◯=
本日は6月24日ですが、毎月24日は地蔵菩薩の御縁日。
仏教発祥の地、古代インドにおけるサンスクリット名を
「クシティ(大地)・ガルバ(蔵)」
大地を蔵するもの・・・という原義から、漢字圏においては
「地蔵菩薩」の名を冠せられることになりました。
因みに虚空蔵菩薩のサンスクリット名は
「アカシャ(虚空)・ガルバ(蔵)」
虚空を蔵する〈虚空蔵菩薩〉と大地を蔵する〈地蔵菩薩〉、
この二体の尊格を以って宇宙の一切を蔵するところから、
虚空蔵菩薩と地蔵菩薩は同体であるとも説かれます。
地蔵菩薩について説かれた経典には、
インドで成立した大乗経典「地蔵菩薩本願経」、
密教経典の「地蔵菩薩陀羅尼経」、
日本で生み出された「延命地蔵菩薩経」等々ありますが、
それらのいずれにおいても共通して描かれているのは、
仏の滅後を任され、仏のいない世の中を託された地蔵尊の姿。
「延命地蔵菩薩経」の中、地蔵菩薩が現われる場面では、
『その時 大地は六種に震動す』
と説かれています。
この大地が震動する現象は地蔵菩薩に限った事ではなく、
例えば如意輪観世音菩薩は、
『この如意輪陀羅尼を説き巳(お)わるに
大地は六種に震動す』(如意輪陀羅尼神咒経)
また毘沙門天王は、
『大地 震動して毘沙門天 出で来たり』(毘沙門天功徳経)
というように仏尊が出現する際には大地が震動します。
「六種」の震動については諸説あるものの概ね、
仏尊の〈入胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅〉という
六つの契機に、大地が感応・共鳴する六種類の震え方とされ、
「動・起・湧・震・吼(く)・撃」の六震と呼ばれます。
=◯◯◯=
『その時 大地は六種に震動す』
六つの契機とは言え、経典には「その時」とありますので、
それぞれのタイミングは別々の時期・事象ではなく、
その時その瞬間に六つの世界が並列して現われ、
その時その刹那に六つの震動が同時に起きると解釈できます。
震動は「振動」でありますので、物理学の超弦理論で説かれる、
振動数の異なる〈超対称性ひも状粒子〉が想起されます。
超対称性の弦は、
多次元時空(超弦理論では9次元)において振動し、
本質的には一つの弦が、観測時の振動数の違いによって、
異なる現象として立ち現れます。
「地蔵菩薩本願経・見聞利益品(けんもんりやくぼん)」には、
『夢中において無辺を見て』
とあります。
この「無辺」は宇宙に存在する全てのものという意味であり、
それゆえに〈延命地蔵菩薩経〉において地蔵尊は、
医療従事者・農業従事者・商業従事者・物流関係者・
薬草・医薬品・医薬部外品・馬・牛・山岳・海洋・・・等々、
在りとあらゆる存在に変身すると説かれています。
=◯◯◯=
「さまざまな作物や資源を生み出す大地の徳が象徴された菩薩」
(下泉全暁著「諸尊経典要義」青山社刊)
大地あっての私たちであり、また大地は動かないものとして、
私たちは日常を営み、歩行を始めとする動作を紡いでいますが、
そもそも地球は時速約1700㎞という高速で自転しながら
太陽の周りを公転しているので、大地は常に動いています。
『その時 大地は六種に震動す』
地蔵菩薩が私たちに問うている事の本質に、
想いを馳せるものであります。