~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

千躰地蔵堂

2021-03-28 12:28:50 | 神社仏閣
当地、本日は雨模様ですが、

昨日は“ 花曇り ”の中に時折は陽も射して、


〈気の池〉の桜は、ほぼ満開でありました。














               

名古屋市、覚王山・日泰寺


“ 京都への渇き ”とでも申しましょうか、
そんな想いを常日頃抱きながら生きておりますが、
特に“ 渇き ”が昂じる季節は、やはり桜の春と錦繍の秋。

旅に出られぬ私に出来ることと申せば、せいぜいが“ エア京都 ”。
せめて気分だけでも・・・と日泰寺を訪れ、
「いま僕は京都に来ている」などと自らに思い聞かせながら、
桜樹の根元に佇んで五重塔を見上げておりましたが、

どうも“ エア京都 ”には無理があるようで、
かえって“ 渇き ”は増すのでありました。

               

どれほど以前から在る御堂なのか?は存じ上げませんが、
覚王山・日泰寺の門前に建つ〈千躰(せんたい)地蔵堂〉は、
経年劣化のため、相当に古びた印象の建物でありました。
「古びた印象」と申しましても、
それは京都や「小京都」と呼ばれるような古都に歳月を刻む、
所謂「古建築」が醸し出す“ 風情 ”や“ 味わい ”とは異なり、
木材・コンクリート材・トタン材等が入り混じった建物のせいか、
その老朽化した姿には疲労感が滲んでいました。

今年に入って改修工事が施され、先月その工事が完了し、
新しくなった〈千躰地蔵堂〉への参拝が可能になりました。
ガタガタと引き開けていた格子戸は、自動ドアへと変わり、
堂内正面には、

新しくお祀りされた〈地蔵菩薩〉が立っておられます。


以前は雑然としていた内部も清々しく片付けられ、
堂内すべての壁面には〈千躰地蔵堂〉の由来でもある、

数多くの地蔵菩薩・立像(りゅうぞう)が並んでいます。
(仏像は慣習的に「立像」と書いて「りゅうぞう」と読みますので、
私もそれに倣います。)

               

こちらは城山八幡宮の桜。


春は何かが終わり何かが始まります。
来週のブログ更新時には既に新年度。
この時期、自ずと胸中に想われるのは「反訓(はんくん)」。

「卒業」の「卒」の字には、
「終わる」という意味と同時に「始まる」の意が、
「閉鎖」の「閉」の字には、
「閉じる」という意味と同時に「開く」の意が、
「反逆」の「逆」の字には、
「逆らう」という意味と同時に「迎える」の意が、
という具合に、一つの漢字の中に、
その漢字が表わす意味とは正反対の意味が含まれる働き、
それが「反訓」とされ、人類が操る多くの文字文化の中にあって、
極めて稀有な作用とされます。

文字に秘められた陰陽思想・・・と言えば大袈裟に過ぎますが、
それでも季節は、出会いと別れの春。
「別れ」が、次の「出会い」をもたらし、
「出会い」があれば、いつかは「別れ」が訪れることを想えば、
一見したところ真逆の現象・正反対の働きと思えるもの、 
それら二つが一つを為し、一つは二つを包含していることを、
「反訓」は声なき声を以って歌っているようにも感じられます。

なお「反訓」の説くところによれば、
「苦痛」の「苦」という字には、
「愉快」の「快」の意が含まれているのだとか。
そうであるのならば、
現況、コロナ禍の「苦」の奥底には、
きっと新たな「快」が潜み、芽生えているはず。

いや、コロナ禍に限らず、
人が味わう様々な「苦」は、「苦」それ自体の中に、
「快」への鍵、地図、ヒント、道、といったものが宿っているはず。

お粗末な考えと承知しつつも、そう願い、そう信じます。





              










「わからなさ」でつながり合う

2021-03-21 11:34:50 | 雑感
〈気の池〉手前の公園に命を営む桜が開花し始めました。

どの桜樹も、およそ5〜6分咲きで、


引きの画像で御覧頂きますと、このような感じ(昨日3/20)。

一帯の桜は数日で満開かと思いますが、本日の東海地方は強い雨風。
これが“ 花散らし ”とならないことを願います。

               

社会福祉法人・全国社会福祉協議会が発行するところの、
「月刊福祉」に連載されている“ My Voice , My Life ”は、
経済的理由や虐待を始めとした様々な家庭的事情により、
乳児院や児童養護施設等で過ごすことを余儀なくされた方々が、
そこでの体験の数々、良い思い出、悪い思い出等々を、
インタビュアーの質問に答える形で語る企画。

〈社会的養護当事者の語り〉という副題の通り、
“ ナマ ”の声に触れられる企画として、回を重ねること70回。
その70回目に登場されたのは、「すすむさん」という26歳の男性。
母親の家出、父親による養育困難といった事情から、乳児院で生活、
その後、児童養護施設での生活を経て、小学校1年生の夏休みから、
里親家庭で暮らすようになり、現在は、
里親が運営するファミリーホームの補助に当たっておられます。

里親による養育は、世間的には普通のこととされていても、
当事者にとっては決して普通のことではなく、
そこに加えて人間というものは良くも悪くも、
普通か?普通でないか?にカテゴライズしがちであることから、
その辺りを起因とするいじめを、すすむさんは小学校5年生から受け、
いじめは卒業するまで続いたのだそうです。

中学校入学後は、小学校でのいじめ体験が影響し、

『自分はみんなと一緒だというふりをしていました。
 自分の状況がばれた時に、
 またいじめられると常に思っていました。』
      (「月刊福祉」104巻4号、以下の引用は全て同誌)

               

すすむさんには、
血縁家族として実父・実姉・実兄の3人がいるものの、
小学生以来会ってはいないとのこと。

『自分にとっての父と母は、今の家庭の父と母で、
 きょうだいは現在一緒に生活している子どもたちです。
 血のつながりが大事かって言ったらそうではなくて、
 生みの父のことを父とは思いたくないです。
 死んだ時だけ教えてくれればいいと思っています。』

そのように話されるすすむさんでありますが、
大学生の時、里親との養子縁組を決断する際には、

『一緒に生活していなかったとは言え、
 名前は唯一 実の親からもらったもので、
 それを変えることには抵抗がありました。』

として、大変に悩まれたそうです。

“ My Voice , My Life ”は回によりインタビュアーが変わり、
第70回は、日本女子大学・人間社会学部教授:林浩康先生。
林先生は、「インタビューを終えて」という感想後記の中で、
上掲に示された、すすむさんの想いを汲んでこう記されます。

『実のきょうだいや親への思いは希薄に感じられたが、
 自身の名前への深い思いについては語られた。(中略)
 実の家族への思いは希薄である一方で、
 名前への固執は 一見矛盾しているように思われるが、
 すすむさんにとっては、一貫しているのであろう。
 こうした声が存在することを前提に、
 支援者は「わからなさ」でつながり合う必要性を感じる。』

今週の当ブログにおいて、皆様と共に味わいたい言葉が、
上記引用文中の、

『「わからなさ」でつながり合う』

この一文であります。
ここには、二つの意義を見出せるかと思います。
一つは、林先生による里親制度や養子縁組への提言としての意義。

『中途養育であるがゆえの子どもが感じる喪失感や自己否定感、
 子ども自身がそれを言語化する困難、
 養育者として子どもの過去に関する情報・認識不足などから、
 養育者や支援者には さまざまな「わからなさ」や
 対応の困難や迷いが存在する。』

それゆえに、
多種多様な支援者が養育に関与し、思いを共有することで、
それぞれに生じていた「わからなさ」のピース(欠片)が集まり、
対象児が抱える苦悩の全体像が浮かび上がり、それによって、
接し方や養育の在り方に、より良い変化がもたらされる、或いは、
より良い方向性を見出だし得るということであろうかと思います。

               

『「わからなさ」でつながり合う』

もう一つの意義、それは社会福祉制度等々の問題を離れ、
前後の文脈も関係なく、この言葉自体が持つ不思議な強さ。

おおよそ人間は、お互いを「わかる」ことで分かり合うと考え、
相手の「わかる部分」を評価し「わかる部分」に共感したりして、
双方の理解を深めようとします。
これはつまり相手の「わからない部分」を少なくし、
自分が相手に感じる「わからなさ」を取り除こうとするもの。

しかしながら人間関係なるもの、全てが「わかる」とか、
「わかり合える」などということは、まずあり得ません。
どのような交わりを経たところで、「わからなさ」は残るもの。
いや、むしろ「わからなさ」の方が大きいのではないでしょうか。

相手のことを分かろうとする努力は大切なことと思います。しかし、
「わかろう」とする努力は、時として、こんなに努力しているのに、
「なぜ、わからない」もしくは「なぜ、わかってくれない」、
そういった不満やストレスをも生じさせます。

人と人とが、

『「わからなさ」でつながり合う』

そんな少し不思議で、“ ゆるめ ”な〈つながり方〉を、
内界のどこかに遊ばせておくことは、精神を柔らかく保つ上で、
その意義は少なくないように思います。

ありていに申せば、所詮、人は分からぬもの。
他者のみならず、一番身近な“ 自分自身 ”でさえ、
自分にとって大いに“ 謎 ”であります。

               

『「わからなさ」でつながり合う』

という感覚は、
人と人、人と物、人と自然、人と宇宙、人と神仏・・・等々、
敷衍して考えることが出来るようにも思われますが、何にせよ、
「わからなさ」は、けっしてネガティブなだけのものではなく、
「わからなさ」には、思ってもみない価値や希望があるものと、
私自身は、そのように受け止めてみたいと思うものであります。





              









お砂踏み

2021-03-14 14:48:40 | 仏教関係
松坂屋・名古屋店で開催されております(~15日)、

四国八十八箇所霊場“ お砂踏み ”に行ってまいりました。
(ブログ内の写真は全て撮影許可を頂いております。)

御承知置きの通り“ お砂踏み ”は、
四国八十八箇所霊場それぞれの境内地から採取された“ お砂 ”が、
遍路の順に並べて敷かれ、その上を歩くことによって、
実際には四国巡礼に行けずとも、その一端に触れられるもの。

日本各地に、こうした言わば「簡易巡礼・疑似遍路」の場が有り、
関東在住時、足繁く通った深川不動堂の内仏殿2階にも、
各霊場が祀る本尊が描かれた円筒を回しながら、
短い時間で八十八箇所を巡拝できるスペースがありました。
今(令和3年3月現在)は、コロナ禍の影響で閉鎖中と聞きます。

              =◯◯◯=

四国八十八箇所霊場・第19番札所・
立江寺の協力監修の下に整えられた会場には、
八十八箇所霊場寺院の本尊仏を描いた軸絵が掛けられ、
その斜め前方下に延べられた赤い絨毯の下に“ お砂 ”が置かれ、

参拝者はその上に立ち、歩み、
足裏に“ お砂 ”を感じながら手を合わせます。

お参りされる方々の中には、
白衣(はくえ・びゃくえ)に輪袈裟(わげさ)という方も。

折りしも3月。
東日本大震災でお亡くなりになられた方々へ鎮魂の祈りを捧げ、 
またコロナ禍の早期収束を願います。

              =◯◯◯=

四国八十八箇所霊場に祀られる尊格の多くは、
大日如来・阿弥陀如来・薬師如来・観世音菩薩・地蔵菩薩といった、
おおよそ誰しもが知るポピュラーな尊格でありますが、
第55番札所・南光坊(なんこうぼう)の御本尊は、
“ 大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)”という、
あまり御名前を耳にすることのない、ある意味レアな仏尊で、
こちらの軸絵が、南光坊の“ お砂 ”の前に掲げられていました。

御覧頂いてお分かりのように、これは〈金剛界・大日如来〉の尊容。
この絵姿が、実際に南光坊で祀られている、
大通智勝如来を写したものであるとは思われませんが、
大通智勝如来なる尊格は、
仏教美術史上においても造像例や描画例が極めて少ない尊格で、
もしも造られたり描かれたりする場合には、この軸絵の如く、
〈金剛界・大日如来〉の尊容を以って表されます。

とは言え〈金剛界・大日如来〉のままでは見分けがつきませんので、
その作例の中には、〈金剛界・大日如来〉の結ぶ智拳印が、
通常は左手の人差し指を右手で握るのに対して、左右を逆とし、
右手の人差し指を左手で握るといった形姿によって、
それと判別できるようにした造像例や描画例が在ります。

大通智勝如来は、
法華経・化城喩品(けじょうゆほん)第七に登場する仏尊で、
寿命は五兆四千億劫とされています。
〈劫(こう)〉は、古代インド哲学における時間単位で、
具体的な数字として示されるものではありませんが、
「大智度論(だいちどろん)」という約二千年前の経典注釈書には、

“ 1辺が4000里(2000㎞)に及ぶ巨大な岩を、100年に1度、
 薄い布で撫で、それによって岩が擦り減り完全に消滅しても、
 まだ1劫に満たない・・・”

と説かれるほどの長大な時間。
つまり大通智勝如来の寿命とされる“ 五兆四千億劫 ”とは、
無限に近いくらいの気が遠くなるような時間ということであります。

大通智勝如来は、その長大な寿命を用いて仏道修行に励み、
〈阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)〉
を成就します。〈阿耨多羅三藐三菩提〉とは、
サンスクリット語の“ アヌッタラーサムヤックサンボーディ ”が、
漢字圏において音写されたもので「無上正等覚」と訳され、
仏教における、最高にして至上の覚りとされています。
大通智勝如来は、
自らが悟ったその境地へ人々を導くべく活動を始めるのですが、
なにせ〈阿耨多羅三藐三菩提〉に至る道のりは遠く険しく、
不信や疑いを抱く人、或いは修行に疲れて倒れる人が続出します。

その度に如来は、神通力という不思議な力を使って、
人々が休息できる〈心の城〉的な境地を仮に出現させ、
遠い目標に疲れた人々を、一旦「いま・ここ」へと誘導することで、
遥かなる〈阿耨多羅三藐三菩提〉へ至る旅のモチベーションを保ち、
人々から求道の情熱が失われないように図るのでありました。

法華経・化城喩品の「化城喩」とは、
「化(かり)に城を現す喩え」というほどの意でありましょうか。
先に〈心の城〉と書きましたが、〈城〉とは、言わば短期目標。
時代や場所に関わらず、人間誰しもが、
その歩みの途中で遭遇する大小様々なハードルを、
どうやって乗り越え、どうすれば歩みを続け得るのか?
仏教がどうの、悟りがどうのということとは関係なく、
大通智勝如来が現れる化城喩品・第七には、
普遍的かつ意外と身近なテーマが語られているように感じます。

              =◯◯◯=

年来書き溜めたところの写経を納めさせて頂くべく、
すぐにでも四国八十八箇所霊場巡礼の旅に出たいのでありますが、
今は思うに任せられません。

思うに任せられないことは、“ 仏縁 ”にお任せする他はなし。
霊場巡礼が叶わぬのならば叶わぬままに、
いっそ日々の全て、日常の一切を「生活巡礼」と心得て、
いま歩むこの道が遍路道と、そう思い定めるものであります。


♫ 遍路は続くよ、どこまでも ♫



               








東日本大震災から10年

2021-03-07 14:33:59 | 日常
東日本大震災から10年めの3月が巡って来ました。
震災でお亡くなりになられた御霊に対し、
心より哀悼の意を捧げます。



古来「災害は忘れた頃にやって来る」と言われますが、
東日本大震災を忘れることなど決して出来ない、
“ 10年 ”という短い期間を待たずして、
日本と世界はコロナ禍という災害に襲われています。

2021年2月20日付の中日新聞には、
中京大学・成元哲(ソンウォンチョル)教授が代表を務める、
〈福島子ども健康プロジェクト〉に関する記事がありました。

東京電力福島第一原発から 30~90㎞ 圏内に居住し、
2008年度生まれの子供を持つ家庭に対して、
上記プロジェクトは2013年からアンケートを実施していて、
今年は例年の質問に加え、
「コロナ禍の生活と原発事故後の生活が重なるか」
(引用元:2021年2月20日付/中日新聞、以下「」は全て同紙)
を尋ねたところ、

『「重なる」「ある程度重なる」が合わせて86%に上った。』

とのことで、
放射能汚染に対する不安だけでさえ大きな負担となるところへ、
新型コロナウィルス感染への恐れという追い打ちがかかり、
住民の方々が強いストレスに曝されている現状を知りました。

アンケートの回答に綴られた、

「友人、職場、親族と危険度合いに対する考え方の違いと、
 それによる違和感、感情の対立。
 本当に対立しなければならないのは放射能とウィルス」

という卓見には、
つい忘れがちな根本的視座というものを思い出させられます。

想えば、目に見える脅威に対しては、逃げるなり避けるなり、
或いは戦うなり、集団として共通した行動を取り得るものですが、
目に見えない脅威に対しては、
飛び交う不確かな情報も相俟って個人により対処法が異なるため、
脅威と対立しているつもりが、いつの間にか、
対処法が異なる人間同士の対立へと変わってゆきます。
こうした、言わば〈対立構造のすり替わり〉というものは、
余程注意していても自身では気付きにくいもの。

大量に貯留する放射能汚染水を海洋放出するのか、しないのか、
今後もエネルギーを原発に依存するのか、しないのか、
震災遺構を保存するのか、しないのか、等々の大きな問題から、
昨今のマスクを着ける、着けないといった身近な問題に至るまで、
是か非か、賛成か反対か、というところにだけ捉われれば、
知らぬ間に〈対立構造のすり替わり〉という罠にはまり、
自分自身が怒りや憎しみの連鎖に加担することになりかねません。

本当に対立しなければならないこととは何か。
本当に向き合わなければならないものとは何か。

そこのところをよく考え、
東北への祈りを新たにするものであります。