~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

合唱団ならぬ “ 合掌団 ”

2022-04-24 15:46:41 | 仏教関係
東海地方は雨模様であります。



毎月24日は、地蔵菩薩の御縁日ということもあり、
そぼ降る雨の中、覚王山・日泰寺へ。

日泰寺門前の千躰地蔵堂では御法楽が厳修されます。


千躰地蔵堂での御法楽では、観音経の世尊偈(せそんげ)を始め、

地蔵和讃や消災吉祥陀羅尼などが唱えられます。

仏教では数多くの尊格が説かれますが、それら尊格の中には、
厳格な作法や儀軌に則った方法で礼拝すべき尊格もおられます。
有り体に申すならば、いささかハードルが高い尊格。
具体的に「ハードルが高い」と申しますのは、例えば、
拝む前には何日にも亘る精進潔斎が必要であったり、
いったん人里離れた場所へ移動する必要があったりということ。

“ 地蔵菩薩 ” なる尊格は、拝むに当たって、
そうした “ 決まり事 ” というものがほとんど無く、
ハードルの位置が極めて低く設定されていて、
そうした意味でも “ 庶民派 ” を代表する尊格と申せましょう。

合唱団に入るには、ある程度の歌唱力が必要かと思われますが、
地蔵菩薩の世界に入るのには、手を合わせるだけ。唯それだけ。
これを “ 合掌団 ” などと呼んでは、叱られるかも知れませんが、

何にせよ、地蔵菩薩は “ 慈悲全開 ” の尊格ということであります。





               








およそ5年ぶりの上京

2022-04-17 15:30:22 | 音楽関係
皆様には、
それぞれ “ 人生の師 ” “ 心の師 ” “ 仕事の師 ” 等々、
所謂 “ 師匠 ” と呼ぶ方々がおられることと思います。
その方々は、同時代を生きる人物の場合もあれば、
歴史上の人物である場合もあり、或いは又、
膝を交えて教導を受けた人物の場合もあれば、
生涯会うことの無い人物という場合もあります。
また自分よりも年齢がずっと若い人を師とする場合もあれば、
人間ではなく、
天地・陰陽・水火・山沢・日月・星辰・神仏・万霊・・・等々、
森羅万象が “ 師 ” と成り得る場合もあろうかと思います。
要は自分自身が、その人物なり事象なりを、

「師と仰ぐか、どうか」

                 

憚りながら早川にも、
“ 音道 ” には “ 音道 ” の師、
“ 仏道 ” には “ 仏道 ” の師、
“ 武道 ” には “ 武道 ” の師というように、
求める “ 道 ” のそれぞれに、師と仰ぐ方々がいます。
このほど組織勤めを退いたことを機に、
先ずは “ 音道 ” の師に御挨拶を申し上げるべく、
およそ5年ぶりに上京してまいりました。

「鋳物の街」として知られる埼玉県川口市。



川口駅に隣接する公園内には、



そこかしこに鋳物彫刻が設置されています。


                 

こちらは、師匠が現在使用中の音楽制作機材。

一見シンプルな構成ですが、考え尽くされています。
師匠がどういった人物で、
どのような音楽作品や映像作品を創造してきたのかは、
とてものこと言葉で説明できるものではありません。
是非とも師匠のYouTube channel を御視聴下さい!

イチから、いや、ゼロから、
いや、マイナスからスタートする早川に、
師匠は親身のアドヴァイスと助言を授けて下さいました。
心から感謝を申し上げます。

                 

さて翌日は、こちらもおよそ5年ぶりの浅草。



先ずは、待乳山聖天・本龍院を参拝します。



本龍院参拝後に訪れた浅草寺境内には、

未だ桜の余韻が色濃く響いていました。


5年前、関東を去るに当たり訪れた時には、
コロナ禍の予兆も気配もなく、本殿の周辺および内部は、
外国人観光客を含む大勢の参詣者で混雑しておりましたが、

現況のコロナ禍に加えて、この日は平日ということもあり、
堂内は静かで、落ち着いて参拝することが出来ました。


全ての社殿・堂宇・境内地に祀られている、
観世音菩薩を始めとした諸仏諸天に手を合わせ、

この5年、小過小病は数有れど、大過大病なく勤務できたことに、
感謝の念を捧げながら巡拝します。


こちらは、仏頂尊勝陀羅尼が刻印された石碑。

「仏頂尊勝陀羅尼」は、
呉音読みでは「ぶっちょうそんしょうだらに」
漢音読みでは「ふせいそんしだらんじ」。
阿弥陀如来根本陀羅尼(呉音:あみだにょらいこんぽんだらに)
一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼(呉音:いっさいにょらいしん
ひみつぜんしんしゃりほうきょういんだらに)と合わせて、
「三陀羅尼」もしくは「三大陀羅尼」と称され尊ばれるもの。

こちらは、宝篋印塔(ほうきょういんとう)。

その名の通り、塔内には先に記しました「三陀羅尼」の一つ、
一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経が納められています。

宝篋印塔には、独特の拝み方や礼拝作法があります。
今ここに記すと長くなりますので稿を改めますが、
宝篋印陀羅尼および宝篋印塔について書かれたものを読みますと、
どれも一様に、宝篋印陀羅尼を唱える者は、その罪障が消滅し、
宝篋印塔を拝む者は、その穢れが祓われると説かれています。

日本では、奈良時代(710~794)の頃から、
かの〈百万塔陀羅尼〉を始め、大小の塔に経巻を納めて設置したり、
それらの塔を土中に埋蔵したりする事が行われてきました。
これは経典そのものに仏威仏力が宿るとする信仰に基づくもの。
上掲の浅草寺・宝篋印塔は、宝暦11年(1761)に建立され、
安政2年(1855)の震災により破損したものが、
明治40年(1907)に修復再建され現在に至るとされています。


浅草寺弁天山弁天堂。

以前は、巳の日(弁財天御縁日)に限り開扉されて、
内部に鎮座する弁財天女尊の御姿を拝むことが出来ましたが、
コロナ禍の現在は、どのように為されているのか分かりません。

                 

隅田川両岸の景色は、時代と共に移り変わり、
一帯に暮らしを営む人々も、死生と共に移り変わり、
こうして隅田川を眺める私自身、いつかは世を去るわけですが、

墨田川の流れ・・・、
この “ 流れ ” という現象自体は不変不滅であります。

両岸に林立する建造物の数々は、一見すると強固かつ堅牢で、
ずっとそこに在り続けるようにも思われますが、
いつしか老朽化し取り壊され、栄枯盛衰を余儀なくされるもの。
人の命も同様に、一見確かに存在するようで、その実、
生老病死を免れることは出来ません。
私たちを含む全ての存在は “ 移ろいゆく ” のであり、
この “ 移ろいゆく ” という性質において、
全ての存在は “ 流れ ” であり、私たちは、
“ 流れ ” という現象を生きていると言えるのかも知れません。

先に「 “ 流れ ” という現象自体は不変不滅」と書きました。
ごく初歩的な三段論法で申し上げるならば、

1、私たちは “ 移ろいゆく ” という性質上 “ 流れ ” である。
2、“ 流れ ” という現象自体は不変不滅である。
3、私たちは不変不滅である。

などと、早川の妄想はお笑い頂くとしても、

想い尽きせぬ隅田川であります。


名古屋に帰る前に、不忍池を訪れました。

あと2ヶ月もすれば、蓮で埋め尽くされるのでありましょう。


こちらは上野恩賜公園内、東叡山・清水観音堂から、

“ 月の松 ” 越しに眺望する弁天堂。

皆様、良き日々でありますように!


               









春の釣り鐘

2022-04-09 14:11:05 | 自然
当ブログ「それでも世界は希望の糸を紡ぐ」は、
基本的に毎週日曜日に更新しておりますが、

今週は都合により日曜日の更新が出来ませんので、
1日前倒しで、本日土曜日に更新させて頂きます。

                 

当地転居以来、5年に亘り勤務した職場を辞したことは、
先週のブログに書かせて頂きました通りですが、
その報告と感謝を捧げに朝日神社を参拝してまいりました。

境内の桜は、既に花期を過ぎて葉桜でしたが、


葉桜には葉桜ならではの風情というものがあります。



こちらは1週間ほど前の覚王山・日泰寺


                 

こちらは1週間ほど前の気ノ池周辺の桜。



「花曇り」とは、よく言ったもの。



桜の頃は、曇天と春雨が続きます。


                 

束の間、紫モクレンとの共演が楽しめるのですが、

それはまさしく「束の間」のこと。


快晴の空色が、美しい桜を更に美しく見せるのは、

春空の青が、桜色の反対色だからなのだそうですが、これを、
自然界が響かせる “ 大対位法 ” と言うのでありましょう。


気ノ森・第2道場の桜


                 

桜の花びらがクモの巣に掛かっていました。

これからの季節、気ノ森はクモの巣だらけであります。


この新芽を萌え出させているのも、私を生かしているのも、

遠く離れた、あの太陽のチカラよなぁ・・・などと、
普段は忘れ果てている “ 太陽系住人 ” としての自分を自覚し、
柄にも無く神妙な想いで巡らせた視線の先、


むむ・・・紫陽花の若葉に “ 春の影絵 ”

皆様は、何に観えますでしょうか?
早川には、猫がオーケストラを指揮している姿、
そんな風にも観えるのですが如何でしょう。

この見えざるオーケストラを、仮に “ 気ノ森管弦楽団 ” とした時、
この季節、“ 気ノ森管弦楽団 ” イチ推しの楽器と言えば、
こちら、

春の釣り鐘(スノーフレーク)


自然界の “ 楽の音 ” は、常に平和と調和を祈り、
「愚かしい戦争はやめよ」と謳っているのですが、

私の聴覚では捉えることが出来ません。






               







またしても裸一貫から・・・

2022-04-03 13:17:11 | 日常
去る3月末日を以て、退職致しました。
思えば下総市川から尾張名古屋へと移ってまいりましたのが、
2017年の春、桜の頃。

荷を解く間もなく、その年の5月から入職して以来、
足掛け5年の勤め人生活でありました。

勤務先は所謂 “ 学び舎 ” でありましたが、
早川は教員として勤めていたわけではありません。
只、配属先が “ 学び舎 ” には必要不可欠な場所であった為、
朝な夕な、学生の方々と触れ合うことが出来ました。

入職の際、当時その組織の顧問を務められておられた方が、

「早川くん、生徒たちの話を、よぉく聴いて下さい」

そう仰った言葉を《金科玉条》とはしたものの、それ以来、
この「よぉく聴く」ということの難しさを身に染みて感じ、
本当に「よぉく聴く」とは、どういうことなのか?・・・と、
迷い、戸惑い、疲れるばかりの日々。
確かに、それまでの人生も「聴く」ことに専念してまいりました。
しかしそれは主として、
旋律を聴く、響きを聴く、リズムを聴く・・・総じて音楽を聴く、
音楽の母体である自然界を聴くといったことに意を注ぐもので、
他者の話、それも世代を隔てた若者の話を「よぉく聴く」のは、
ほとんど初めてのことで、そういった意味においても、
この5年の歳月は、新しい経験と学びの日々でありました。

話は少し逸れますが、
「生徒たちの話を、よぉく聴いて下さい」と仰った顧問の方は、
長年に亘り、生き馬の目を抜く金融業界に在って、
一線を張ってこられた方と聞き及んでおりましたが、
そうした経歴から想像されるような猛々しさが微塵もなく、
いつも物腰柔らかで、春風を身に纏っておられるような人物。
早川の作曲家としての活動も知り置いて下さっていましたが、
どうやら早川が “ スランプ ” に陥って曲が書けなくなり、
それゆえに関東を引き払っての組織勤めと思われていたようで、
“ 学び舎 ” の廊下ですれ違う度、物陰に私を呼んでは、

「早川くん、あきらめてはいかん。
 いつかまた、いい曲が湧いてくるかも知れん。」

と声を潜めつつも語気を強めて励まして下さるのでした。
“ スランプ ” なるものは、才能に恵まれた方々に訪れるもので、
早川は、哀しい哉 “ スランプ ” とは無縁の身。
転居及び組織勤めの理由は、全く別のところにあったのですが、
顧問が折に触れて示して下さる、その温かな心遣いそのものが、
大変に有り難く、嬉しいものでありました。

               

学生さん一人一人を、それぞれ “ 生命の川の流れ ” ・・・、
という風に見立てるような気持ちで交流を続ける内には、
彼ら彼女たちという “ 川の流れ ” 、
その流れの水面に浮かぶ塵芥、流れの底に沈んでいる大小の瓦礫、
或いはその流れを堰き止めている堆積物といったものを、
ふと垣間見る時があります。
いや、正しくは、早川が「垣間見る」のではなく、
学生さんの側が「垣間見せてくれる」のでありますが、
それはつまり諸々の “ 悩み ” を「打ち明け」て下さる時。

この「打ち明け」は、
言わば “ 広義のラポール ” とでも申しましょうか、
ある程度の信頼関係が築かれた時、或いは、
信頼関係を築きたいという時に、自ずと起こりました。

打ち明けられた “ 悩み ” を聴かせて頂いておりますと、
彼ら彼女たちという “ 川の流れ ” が、
外目には清流に見えつつ、そこかしこに濁流を抱えていたり、
表層の流れは穏やかでも、中層や深層の流れは激しかったり、
川幅は広くとも水源に雨少なくして涸れかかっていたり、
流れは滔々としていながら思わぬところで蛇行していたりと、
“ 生命の川の流れ ” は、決して一様ではないこと、
一様ではないのが “ 生命の川の流れ ” であるということを、
つくづく感じさせられるのでありました。

また「打ち明け」て下さる “ 悩み ” の内容も、
流れの水面に浮かぶ塵芥程度の、すぐに消え去るような悩み、
流れの底に沈む大小の瓦礫のように、流れ去るのに時を要する悩み、
流れを堰き止める堆積物のように、容易には解消できない悩み等々、
“ 恋のお悩み ” から、中高生時に受けたイジメに起因するところの
“ 人間関係に関わる悩み ” 、更には、なぜ自分は存在しているのか、
といった “ 死生哲学的な悩み ” まで、実に様々でありました。

ところが “ 悩み ” というものは不思議なもので、
それら大小の “ 悩み ” から解放されようと、もがき苦しむ、
その「もがき苦しむ」行為こそが、本人の背中を押し、
本人を成長させ、いつしか本人を違う場所へと運ぶ事例、
つまり、無くなればいいのにと強く願うその “ 悩み ” こそが、
実は本人にとって “ 導きのたいまつ ” となっている事例を、
少なからず目の当たりにしてまいりました。

巷間流布する多くの書籍やネット情報は、
「すぐに悩みが消える心理学的〇〇法」とか、
「たちまち悩みが無くなる〇〇思考」等々、
“ 悩み ” を、さも良からぬもののように扱いますが、
“ 悩み ” には “ 悩み ” が生じた理由や意味があるわけで、
安易に消し去ろう、すぐに無くしてしまおうとするのは、
せっかく “ 悩み ” という心的事象を通して届けられた、
メッセージや秘密に背を向けることにもなりかねず、
意外と勿体ないことなのかも知れません。

               

知った風なことを、クダクダしく書き連ねてしまいましたが、
何にせよ、この5年という歳月に於いては、
音楽だけやっていたのでは、決して知り得なかった世界と、
作曲だけやっていたのでは、決して出会わなかった方々とに、
巡り合うことが出来ました。

上司で所属長の K 主任を始め、職場の皆様には大変お世話になり、
本当にありがとうございました。
「富士の山、不死の国」を好きだと仰って下さった F 先生、
拙曲をお聴き頂き、心から感謝を申し上げます。
F 先生が教えて下さった、「川モデル」理論について、
及ばずながらも早川なりに考察を深めてまいりたいと思います。

さて、またしても裸一貫からのスタートでありますが、願わくは、
「音楽だけやっていたのでは、決して知り得なかった世界」、
その世界から授かったことの数々を音楽へと変容させてゆく作業、
「作曲だけやっていたのでは、決して出会わなかった方々」、
その方々から学んだことの数々を楽曲へと昇華させてゆく作業、
そうした作業を開始し、真摯に取り組んでゆきたいと思います。


命には限りあれど、道は果てなし