去る3月末日を以て、退職致しました。
思えば下総市川から尾張名古屋へと移ってまいりましたのが、
2017年の春、桜の頃。
荷を解く間もなく、その年の5月から入職して以来、
足掛け5年の勤め人生活でありました。
勤務先は所謂 “ 学び舎 ” でありましたが、
早川は教員として勤めていたわけではありません。
只、配属先が “ 学び舎 ” には必要不可欠な場所であった為、
朝な夕な、学生の方々と触れ合うことが出来ました。
入職の際、当時その組織の顧問を務められておられた方が、
「早川くん、生徒たちの話を、よぉく聴いて下さい」
そう仰った言葉を《金科玉条》とはしたものの、それ以来、
この「よぉく聴く」ということの難しさを身に染みて感じ、
本当に「よぉく聴く」とは、どういうことなのか?・・・と、
迷い、戸惑い、疲れるばかりの日々。
確かに、それまでの人生も「聴く」ことに専念してまいりました。
しかしそれは主として、
旋律を聴く、響きを聴く、リズムを聴く・・・総じて音楽を聴く、
音楽の母体である自然界を聴くといったことに意を注ぐもので、
他者の話、それも世代を隔てた若者の話を「よぉく聴く」のは、
ほとんど初めてのことで、そういった意味においても、
この5年の歳月は、新しい経験と学びの日々でありました。
話は少し逸れますが、
「生徒たちの話を、よぉく聴いて下さい」と仰った顧問の方は、
長年に亘り、生き馬の目を抜く金融業界に在って、
一線を張ってこられた方と聞き及んでおりましたが、
そうした経歴から想像されるような猛々しさが微塵もなく、
いつも物腰柔らかで、春風を身に纏っておられるような人物。
早川の作曲家としての活動も知り置いて下さっていましたが、
どうやら早川が “ スランプ ” に陥って曲が書けなくなり、
それゆえに関東を引き払っての組織勤めと思われていたようで、
“ 学び舎 ” の廊下ですれ違う度、物陰に私を呼んでは、
「早川くん、あきらめてはいかん。
いつかまた、いい曲が湧いてくるかも知れん。」
と声を潜めつつも語気を強めて励まして下さるのでした。
“ スランプ ” なるものは、才能に恵まれた方々に訪れるもので、
早川は、哀しい哉 “ スランプ ” とは無縁の身。
転居及び組織勤めの理由は、全く別のところにあったのですが、
顧問が折に触れて示して下さる、その温かな心遣いそのものが、
大変に有り難く、嬉しいものでありました。
学生さん一人一人を、それぞれ “ 生命の川の流れ ” ・・・、
という風に見立てるような気持ちで交流を続ける内には、
彼ら彼女たちという “ 川の流れ ” 、
その流れの水面に浮かぶ塵芥、流れの底に沈んでいる大小の瓦礫、
或いはその流れを堰き止めている堆積物といったものを、
ふと垣間見る時があります。
いや、正しくは、早川が「垣間見る」のではなく、
学生さんの側が「垣間見せてくれる」のでありますが、
それはつまり諸々の “ 悩み ” を「打ち明け」て下さる時。
この「打ち明け」は、
言わば “ 広義のラポール ” とでも申しましょうか、
ある程度の信頼関係が築かれた時、或いは、
信頼関係を築きたいという時に、自ずと起こりました。
打ち明けられた “ 悩み ” を聴かせて頂いておりますと、
彼ら彼女たちという “ 川の流れ ” が、
外目には清流に見えつつ、そこかしこに濁流を抱えていたり、
表層の流れは穏やかでも、中層や深層の流れは激しかったり、
川幅は広くとも水源に雨少なくして涸れかかっていたり、
流れは滔々としていながら思わぬところで蛇行していたりと、
“ 生命の川の流れ ” は、決して一様ではないこと、
一様ではないのが “ 生命の川の流れ ” であるということを、
つくづく感じさせられるのでありました。
また「打ち明け」て下さる “ 悩み ” の内容も、
流れの水面に浮かぶ塵芥程度の、すぐに消え去るような悩み、
流れの底に沈む大小の瓦礫のように、流れ去るのに時を要する悩み、
流れを堰き止める堆積物のように、容易には解消できない悩み等々、
“ 恋のお悩み ” から、中高生時に受けたイジメに起因するところの
“ 人間関係に関わる悩み ” 、更には、なぜ自分は存在しているのか、
といった “ 死生哲学的な悩み ” まで、実に様々でありました。
ところが “ 悩み ” というものは不思議なもので、
それら大小の “ 悩み ” から解放されようと、もがき苦しむ、
その「もがき苦しむ」行為こそが、本人の背中を押し、
本人を成長させ、いつしか本人を違う場所へと運ぶ事例、
つまり、無くなればいいのにと強く願うその “ 悩み ” こそが、
実は本人にとって “ 導きのたいまつ ” となっている事例を、
少なからず目の当たりにしてまいりました。
巷間流布する多くの書籍やネット情報は、
「すぐに悩みが消える心理学的〇〇法」とか、
「たちまち悩みが無くなる〇〇思考」等々、
“ 悩み ” を、さも良からぬもののように扱いますが、
“ 悩み ” には “ 悩み ” が生じた理由や意味があるわけで、
安易に消し去ろう、すぐに無くしてしまおうとするのは、
せっかく “ 悩み ” という心的事象を通して届けられた、
メッセージや秘密に背を向けることにもなりかねず、
意外と勿体ないことなのかも知れません。
知った風なことを、クダクダしく書き連ねてしまいましたが、
何にせよ、この5年という歳月に於いては、
音楽だけやっていたのでは、決して知り得なかった世界と、
作曲だけやっていたのでは、決して出会わなかった方々とに、
巡り合うことが出来ました。
上司で所属長の K 主任を始め、職場の皆様には大変お世話になり、
本当にありがとうございました。
「富士の山、不死の国」を好きだと仰って下さった F 先生、
拙曲をお聴き頂き、心から感謝を申し上げます。
F 先生が教えて下さった、「川モデル」理論について、
及ばずながらも早川なりに考察を深めてまいりたいと思います。
さて、またしても裸一貫からのスタートでありますが、願わくは、
「音楽だけやっていたのでは、決して知り得なかった世界」、
その世界から授かったことの数々を音楽へと変容させてゆく作業、
「作曲だけやっていたのでは、決して出会わなかった方々」、
その方々から学んだことの数々を楽曲へと昇華させてゆく作業、
そうした作業を開始し、真摯に取り組んでゆきたいと思います。
命には限りあれど、道は果てなし