元号が変わり、消費税が上がり、超大型台風が襲来し・・・と、
変化・変動の多かった一年が終わろうとしています。
良かったこと悪かったこと、
人を傷つけたこと、人に傷つけられたこと、
叶ったこと、叶わなかったこと等々、悲喜交々を想うにつけ、
自らの未熟さに向き合い、反省しきりの年の瀬であります。
特に、自分の力不足を感じるのは「言葉の選択と使用」。
例えば、
「頑張れ」「頑張って下さい」「頑張りましょう」
というフレーズの選択と使用のタイミングは、
幾歳月に亘り試行錯誤を繰り返すも、正解が分かりません。
巷間よく言われているのは、
“ 頑張っている人に向けて、
「頑張って下さい」と言うのは失礼である ”
とする考え方。
確かにその通りなのかも知れませんが、語彙に乏しい早川は、
「頑張れ」「頑張って下さい」「頑張りましょう」
に代わるフレーズを持ち得ません。
「頑張らなくていいですよ」とか、
「そのままのあなたでいて下さい」などというフレーズも、
それなりのタイミングで多少の効用もあろうかとは思いますが、
知人の中には、
「なぜ頑張れ!と言ってくれないのか?」
と、いささか苛立ちを見せる人もいます。
どういうフレーズを選択するか、という以前に、
その人が置かれている状況の文脈なり流れなりというものを、
的確に把握することが求められます。
脊髄損傷により日常生活動作に大幅な制限のかかる方が、
闘病手記の中で、言われて嬉しかった励ましの言葉として、
「これから、これからですよ」
と書いておられるのを読んで感動し、
浅はかな私は状況の文脈もわきまえず、
「これから、これから」と連呼しておりましたら、
「なにがコレカラだよ・・・」
と、お叱りを受けました。
精神科医・神田橋條治先生は、多くの御著書の中で、
〈生体的発声〉ということを説いておられます。
〈生体的発声〉とは、
たった一言の相槌や、或いは、たとえ同じフレーズであっても、
声をかける相手への集中度、エネルギーの流れ、
発声時の心と身体の状態、声の出どころ、意識の在り方、
発声方法の違い等々によって、言語が伝える中身それ自体が、
大きく変容することの意と、現時点では受け止めています。
日本は古来、
“ 言霊(ことだま)の咲き笑(わ)う国 ”
と称されますが、同じ「頑張れ」の一言においても、
言語としての「頑張れ」、
言霊としての「頑張れ」、
二つの領域・レベルでの「頑張れ」があるように思われ、
当然のこと、相手の心に響くのは、
言霊としての「頑張れ」に違いありません。
今後は〈生体的発声〉〈言霊〉という辺りを念頭に置き、
あれこれ工夫してゆきたいと思います。
一年を振り返って想いを馳せる一喜一憂の全ては、
そもそも自分自身に生命活動が付与され、
人間として日々を生かされているがゆえのこと。
普段はすっかり忘れている、この根源的事実に思いを致し、
一年の感謝を捧げるべく、父祖の地・伊勢~鳥羽を訪れました。
風が強い日でもあり、
JR鳥羽線の車窓に広がる鳥羽湾には白波が。
父方・母方の故地を巡り、
外宮参拝へ。
外宮・御正殿前の拝所は、
令和元年・祈り納めの参詣者で溢れていました。
境内は、
新春を迎える準備が清々しく整えられ、
初詣に訪れる大勢の参拝客を迎えるにあたってか、
浄域の空気の中には、
どこか張り詰めたものがあるようにも感じられました。
参拝を終えた帰路の空には大きな虹がかかり、
写真では御確認頂けませんが、
主虹(しゅにじ)の外側には副虹(ふくにじ)も見えました。
古代中国において、虹は龍と見做され、
主虹は「虹龍(こうりゅう)」、副虹は「蜺龍(げいりゅう)」
と伝わります。
虹という気象現象も、太陽とは相対する方角に現れる、
虹蜺(こうげい)二体の龍と観想すれば、
朝日を浴びて虹蜺は西の天に舞い、
夕照を映して虹蜺は東の空に踊る、とも申せましょう。
及ばずながら、福運・吉祥をもたらす天空の龍にかけて、
来たる年、皆様に善き事がたくさんありますよう、
心より祈念申し上げます。
この一年、
当ブログに御来訪を賜り、誠にありがとうございました。
来年も宜しくお願い申し上げます。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
変化・変動の多かった一年が終わろうとしています。
良かったこと悪かったこと、
人を傷つけたこと、人に傷つけられたこと、
叶ったこと、叶わなかったこと等々、悲喜交々を想うにつけ、
自らの未熟さに向き合い、反省しきりの年の瀬であります。
特に、自分の力不足を感じるのは「言葉の選択と使用」。
例えば、
「頑張れ」「頑張って下さい」「頑張りましょう」
というフレーズの選択と使用のタイミングは、
幾歳月に亘り試行錯誤を繰り返すも、正解が分かりません。
巷間よく言われているのは、
“ 頑張っている人に向けて、
「頑張って下さい」と言うのは失礼である ”
とする考え方。
確かにその通りなのかも知れませんが、語彙に乏しい早川は、
「頑張れ」「頑張って下さい」「頑張りましょう」
に代わるフレーズを持ち得ません。
「頑張らなくていいですよ」とか、
「そのままのあなたでいて下さい」などというフレーズも、
それなりのタイミングで多少の効用もあろうかとは思いますが、
知人の中には、
「なぜ頑張れ!と言ってくれないのか?」
と、いささか苛立ちを見せる人もいます。
どういうフレーズを選択するか、という以前に、
その人が置かれている状況の文脈なり流れなりというものを、
的確に把握することが求められます。
脊髄損傷により日常生活動作に大幅な制限のかかる方が、
闘病手記の中で、言われて嬉しかった励ましの言葉として、
「これから、これからですよ」
と書いておられるのを読んで感動し、
浅はかな私は状況の文脈もわきまえず、
「これから、これから」と連呼しておりましたら、
「なにがコレカラだよ・・・」
と、お叱りを受けました。
精神科医・神田橋條治先生は、多くの御著書の中で、
〈生体的発声〉ということを説いておられます。
〈生体的発声〉とは、
たった一言の相槌や、或いは、たとえ同じフレーズであっても、
声をかける相手への集中度、エネルギーの流れ、
発声時の心と身体の状態、声の出どころ、意識の在り方、
発声方法の違い等々によって、言語が伝える中身それ自体が、
大きく変容することの意と、現時点では受け止めています。
日本は古来、
“ 言霊(ことだま)の咲き笑(わ)う国 ”
と称されますが、同じ「頑張れ」の一言においても、
言語としての「頑張れ」、
言霊としての「頑張れ」、
二つの領域・レベルでの「頑張れ」があるように思われ、
当然のこと、相手の心に響くのは、
言霊としての「頑張れ」に違いありません。
今後は〈生体的発声〉〈言霊〉という辺りを念頭に置き、
あれこれ工夫してゆきたいと思います。
一年を振り返って想いを馳せる一喜一憂の全ては、
そもそも自分自身に生命活動が付与され、
人間として日々を生かされているがゆえのこと。
普段はすっかり忘れている、この根源的事実に思いを致し、
一年の感謝を捧げるべく、父祖の地・伊勢~鳥羽を訪れました。
風が強い日でもあり、
JR鳥羽線の車窓に広がる鳥羽湾には白波が。
父方・母方の故地を巡り、
外宮参拝へ。
外宮・御正殿前の拝所は、
令和元年・祈り納めの参詣者で溢れていました。
境内は、
新春を迎える準備が清々しく整えられ、
初詣に訪れる大勢の参拝客を迎えるにあたってか、
浄域の空気の中には、
どこか張り詰めたものがあるようにも感じられました。
参拝を終えた帰路の空には大きな虹がかかり、
写真では御確認頂けませんが、
主虹(しゅにじ)の外側には副虹(ふくにじ)も見えました。
古代中国において、虹は龍と見做され、
主虹は「虹龍(こうりゅう)」、副虹は「蜺龍(げいりゅう)」
と伝わります。
虹という気象現象も、太陽とは相対する方角に現れる、
虹蜺(こうげい)二体の龍と観想すれば、
朝日を浴びて虹蜺は西の天に舞い、
夕照を映して虹蜺は東の空に踊る、とも申せましょう。
及ばずながら、福運・吉祥をもたらす天空の龍にかけて、
来たる年、皆様に善き事がたくさんありますよう、
心より祈念申し上げます。
この一年、
当ブログに御来訪を賜り、誠にありがとうございました。
来年も宜しくお願い申し上げます。
皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。