~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

蟷螂拳

2018-11-25 14:48:33 | 日常
足元に気配を感じて見てみれば・・・

カマキリでありました。

カマキリと言えば〈蟷螂拳(とうろうけん)〉。
今を去ること、およそ350年ほど前の中国大陸は山東の地、
「王朗」なる武術修行者がカマキリの動きにヒントを得て
創始したと伝わっています。
もっともこれは歳月の中で盛られた伝説であり、
王朗老師が実在したかどうか定かではありません。

「老師」と書きましたが、中国武術の世界において、
入門は「拝師」という儀式なり手続きを経て行われ、
どれほど指導者が年若くとも「老師」と呼ぶのが決まり。
それゆえ50代60代の門下生が、20代30代の先生を、
「老師」と尊称して教えを乞う光景は珍しくありません。

               

一般的に蟷螂拳は北派長拳系にカテゴライズされますが、
この「北派・南派」という分け方は単純に過ぎるもの。

例えば日本各地における〈お月見団子〉でさえ、ひと頃までは、
中部地方を境に東日本と西日本とで団子の形が違うなどと、
まことしやかに語られていましたが、調べてみれば、
幾種類もの団子が各地に点在し、その分布は複雑に入り組み、
東北地方の団子と同じものが九州地方で食される等々の事が
確かめられるようになりました。

また名高き〈出雲そば〉のように、
出雲(現 島根)で蕎麦の食文化が栄えるようになったのは、
江戸期に信州(現 長野)の蕎麦打ち職人たちが、
出雲へ移住したことが起源であることは周知の事。
文化・風習は流動的で、固定化されたものなどあり得ません。

況や中国武術をや・・で、古くから「南拳北腿」と謂われ、
大陸南方の武術は両足を踏ん張って拳技主体、
比して北方のそれは腿(あし)技を得意とする・・などと、
分類されてきましたが、実際には人事交流の歴史を反映して、
脚技主体の南派あり、拳と掌しか用いない北派ありで、
「南拳北腿」等の明確な線引きは出来ません。

               

さて蟷螂拳の特徴は何と申しましても「蟷螂手(とうろうしゅ)」

カマキリの鎌を模したと伝わる上掲の蟷螂手は、
親指・人差し指・中指を合わせたスタンダードなもので、
七星・梅花・秘門といった蟷螂拳各派で用いられるもの。
これ以外にも流派によって様々な蟷螂手があります。

中国武術では「套路(とうろ)」と呼ばれる
いわゆる「型」の反復練習が重視され、
一定の姿勢・呼吸・動作を長年にわたり繰り返すことで、
「功」を生み「功」を養い「功」を育てます。

「功」とは、
幾星霜の中で丁寧に培われる〈修行力・修養力〉の総称で、
「功名・功績」等の言葉から想像されるものとは異なります。

「功」あらば「武」なれど、
「功」なくば「舞」に過ぎません。

蟷螂拳も然りで、
例えばワタクシめの如き「功」の乏しい人間が、
たとえもし速く正確に套路の動作を行い得たとしても、
それは只のカマキリ踊りなのであります。



皆様、良き日々でありますように!



              










エビデンスの光

2018-11-18 15:17:07 | 音楽関係
快晴のもと、本日の城山八幡宮は、

七五三の参拝客で賑わっていました。

               

脳について最新の研究と知見が掲載される月刊誌
「BRAIN and NERVE」に興味深い論文がありました。

ピッツバーグ大学病院・精神医学研究部門の
宮前丈明医師による研究論文
「音楽経験と脳 - 音楽演奏経験がもたらす脳の可塑性」

この中で、米国・ムーア博士らの実験が紹介されています。
(Moore・E他/米「Brain Cogn 」116号:p40-46/2017)
その実験というのは、
〈右利き・非音楽家・18~30歳〉の被験者30名を、

A : 音楽cue(音楽によるキッカケ付け)を用いて
  左手の動作学習課題を一定期間行うグループ
B : 音楽cue を用いないで同課題を行うグループ

の2群に分け、一定期間経過後に差異を評価するというもの。
一定期間というのは、1回20分の課題を週3回 × 4週です。

二つのグループに、どのような差異が生じるかを測定するのに、
MRI(磁気共鳴画像)による拡散テンソル画像が使われます。

脳の神経線維を構成する脂質膜は、
文字通り「脂質」ですので水をはじきます。
そこで神経線維周辺の水(水分子)が、線維の走行に対して
どの方向でどの程度はじかれているか?を「異方性」と捉え、
この異方性に着目して神経線維を描き出した画像が、
拡散テンソル画像なのだそうです。

拡散テンソル画像からは、
「異方性比率」というデータの値が分かり、
この値の上昇は、軸索の高密度化と髄鞘化の促進を意味します。
「髄鞘化」は、様々な学習成果を支える重要な脳の構造的基盤で、
軸索の高密度化と髄鞘化の促進というのは、大まかに言えば、
その部位の情報伝達速度が速くなり学習能力が高まるということ。

さて、先の実験で分けられた二つのグループですが、
Aの〈音楽cueを用いた左手の動作学習〉を行った被験者には、
右弓状束という脳内神経線維において、
異方性比率の値が有意に上昇したことが示されました。
ここでは省きますが、測定された他のデータ値においても、
音楽を用いないグループに比べて、

「右弓状束の髄鞘化が聴覚と関連付けた動作によって
 促進される可能性を示唆した」
(引用元:「音楽経験と脳-音楽演奏経験がもたらす脳の可塑性」
        「BRAIN and NERVE」2018年6月号/医学書院刊)

[弓状束]は、前頭葉から頭頂葉、さらに側頭葉へと至る
最も長い連合線維[上縦束]を構成している神経束。
音楽に合わせて左手の動作を繰り返すことで、
右脳を走る脳神経線維に髄鞘化がもたらされることが、
実験によって明らかにされたわけであります。

「音楽療法」と呼ばれるものには、
人間生活上の「ナラティブ(経験則)」は豊富にあっても、
自然科学上の「エビデンス(根拠)」を欠きます。

隔靴掻痒の感とでも申しましょうか、
音楽の力を信じる人間にとってはもどかしいもの。

しかしながら、時に上記のような研究報告を読みますと、
エビデンスの光に巡り会ったような喜びを感じます。

論文には、こう書かれていました。

「本研究成果は、
 リハビリテーション促進を目的とした音楽療法の
 脳科学的基盤を与える成果として重要である」
                 (引用元:上掲書)

               

魔を防ぐ狛犬と邪気を払う柑橘の樹に見守られ

お父さんと幼い娘さんが鈴を鳴らしておられました。

人間生命に資する様々な知恵は、歴史的経験則と科学的根拠という
二つの要素が止揚される「場」であることが理想であります。

とは言え、
子供の健やかな成長を願う、親の願いや祈りに、
科学的根拠・理由・エビデンスなど必要ありませんね。

皆様、良き日々でありますように!



              










フランシス・レイ

2018-11-11 16:21:07 | 音楽関係
去る11月9日(金)の新聞を始めとするメディアの報道で、
フランシス・レイ氏が旅立たれた事を知りました。
正確な日付などの詳細は明らかになっていません。

子供の頃、
関光男氏が映画音楽を紹介するFMラジオ番組から流れる、
「男と女」「白い恋人たち」「ある愛の詩」等の音楽に、
耳を澄まし聞き入った事を思い出します。

時代の変遷と共に聴衆の好みも変わり、
レイ先生の分かりやすい作風・オーソドックスな作り・
映画音楽として有名に過ぎること等のことから、
ともするとイージーリスニング的な扱いを受けがちですが、
その音楽は決して「イージー」なものではありません。

業績を偲ぶ想いで、久しぶりに「ある愛の詩」を観ました。
この作品で1970年度アカデミー作曲賞を受賞されていますが、
鑑賞し直したところ、音楽の量自体は意外に少ないものでした。

ド音と6度下方ミ音を行き来する「ドミミドドー」という、
あの旋律がアレンジを変えて要所要所に繰り返される手法で、
公開当時、観客の多くが映画館を出る時には、
無意識の内にテーマ曲を口ずさんでいたという伝説も頷けます。

               

ところで「ある愛の詩」の中には、

“Love means never having to say you're sorry”

というセリフが登場し、字幕では、

「愛とは決して後悔しないこと」

と訳され、今も「愛」の定義として引用されたりしますが、
今回、このセリフが発せられる前後のシーンから察するに、
必ずしも「愛とは決して後悔しないこと」・・・とは、
言っていないように感じました。

では何と言っているのか?
お粗末な頭のワタクシめには分かりませんが、
このセリフは映画の中で2度語られているので、
それくらい重要な言葉だということは分かります。

1度めは、主人公オリバーが妻ジェニーに向けて言う
“I'm sorry”に対してジェニーが応じる

“Love means never having to say you're sorry”

2度めは、ジェニーが白血病で若くして世を去った直後、
オリバーの父親が息子に向けて言う
“I'm sorry”に対してオリバーが応じる

“Love means never having to say you're sorry”

同じ言葉であっても、違う状況や異なる文脈の中で語られる時、
それらが同じ意味を持つとはかぎりません。

“Love means never having to say you're sorry”

映画全体を俯瞰して、このセリフから伝わってきたのは、
出会いも別れも、喜びも悲しみも、生きる事も死ぬ事も、
起きる事象の全ては誰のせいでもなく自身が選んでいること。
真実の愛は、偶然と必然とが重なる領域に生起していて、
“sorry”という言葉の必要性そのものが無いということ。

自分で何を書いているのか分からなくなってまいりましたが、
偶然と必然とが重なるということで申せば、不思議なことが。

9日(金)の朝、フランシス・レイ先生の訃報に接し、
映画音楽という星空から又ひとつ恒星が消えたことに、
一抹の寂しさを感じながら迎えた職場での昼休み。
いつものように近くのビル内に置かれた公共のベンチに座り、
日々に持参する簡素な食事に手を伸ばした途端、
天井に設置されながらも普段は使われていないスピーカーから、
美しい音の雨が降り始めました。

フランシス・レイ作曲「白い恋人たち」でありました。



              








古代アンデス文明展

2018-11-04 14:11:08 | 日常
こちら

名古屋市博物館で開催中(~12月2日)の


古代アンデス文明展へ

行ってまいりました。

               

以前には、
「ナスカの地上絵展」「シカンの黄金展」「インカ帝国展」等々、
南米アンデス山脈沿いに興亡を繰り返した文化を、
個別に特集した展覧会はありましたが、
今回は紀元前3000頃に興きた最初期文化からインカ滅亡に至る
4000年を超える壮大なアンデス文明の全軌跡を辿るもの。

それゆえに文明遺品の数と種類は膨大にして多岐に亘る為、
「奥の細道」ならぬ「音の細道」をトボトボと歩む早川は、
古代アンデスの楽器を幾つか掲載させて頂くに留めます。

まずこちらは

線刻装飾のある骨笛のレプリカ(撮影許可有り)
蛍光灯フリッカーの出た見づらい写真で申し訳ありません。
カラル遺跡/先土器時代の後期(紀元前3000年~前1500年)に作製。
向かって左側は長さ:15.5㎝/右側は長さ:16㎝

骨笛が出土したカラル遺跡は、
ペルー北部~中部海岸にあるスーペ渓谷の中ほどに位置し、
先土器時代後期には祭祀センターとして機能していたそうです。

骨笛には、
サル・トリ・ネコ科動物などの紋様が線刻されています。
形状と15~16㎝という長さから察するに、高くて鋭い音のはず。
吹き放たれた音の数々は、線刻された動物たちの
鳴き声の数々に比定された事がまざまざと想像でき、
音楽発祥の根源を観る思いがします。

               

こちらは

ストロンブスの貝殻で作られたトランペット(撮影許可有り)。
アンデス文明の初期・チャビン文化形成期の後半にあたる
紀元前900年~前500年に制作。長さ:21.0㎝/幅:20.0㎝
いわゆる「ほら貝」であります。

向かって左側の部分に、直接口を当てるか、
マウスピースを装着するかして音を出したと思われます。

深川不動堂では護摩修行の際、
式衆(しきしゅう)と呼ばれる僧侶の方々が、
法螺貝を吹き鳴らしながら入堂されます。
その音色は強大かつ荘厳を究めたものですが、
音の力で空間を祓い浄める重要なツールという意味においては、
アンデス文明・チャビン文化の祭祀で吹かれたホラ貝と、
深川不動堂で日々吹き鳴らされる法螺貝とは、
時代や場所を超えて響き合う普遍的な楽器・法器と言えます。

               

こちらは

11本の管を持つ大型の土製パンパイプ(撮影許可有り)
ナスカ文化期(紀元前200年~後600年)長さ:72.2㎝/幅:20.5㎝
「アンタラ」と呼ばれる楽器でありますが、
管の長さから分かるのは、
いちばん低い音から4本目で約1オクターブ昇り、
その4本目から上方へ更に7つの音が吹奏可能なこと。

ナスカの音階・アンデスの楽理が香ります。

               

土器・黄金マスク・建造物の一部・変形頭蓋骨・ミイラ等々、
古代文明の遺品の数々に心を震わせ、
時の彼方に存在していた人々の暮らしぶりに胸を打たれます。
なぜなのでしょうか?

それは、スマホもPCも、
整ったライフラインも無かった時代の人々が、
度重なる天災・戦災・疫病等に見舞われながらも、
それらを乗り越え、そのつど復興を目指して生き延び、
たとえ滅んだとしても、どこかに何かが何かの形で、
必ず受け継がれている事を実感するからなのかも知れません。

例えばナスカ文化は、極度の乾燥地帯に勃興したが為に、
そのほとんどの期間で干ばつに襲われ続け、
人々は飢えと渇きに悩まされ続けましたが、
それでも力の限りに生き、家族や社会の存続に挑みました。

アンデス文明研究の泰斗・南イリノイ大学の島田泉教授は、
解説文の中で、このように書かれています。

「(紀元)後600年頃までにナスカの社会は混乱状態になり、
 人口の大部分が隣接する高地に移住した。
 しかし同時に、ナスカの人々は
 苛酷な環境の中における人間の粘り強さ、創造力、
 立ち直りの力を はっきりと示してみせたのである。」
        (古代アンデス文明展・公式図録より)

『人間の粘り強さ・創造力・立ち直りの力』

碩学の言葉を通して届けられた、
古代人からのメッセージと受け止めます。