先日《12月22日》は “ 冬至 ” でした。
“ 陰 ” 極まり “ 陽 ” へと「復(か)へり来る」を以て、
「一陽来復」。
“ イチヨウライフク ”
いい響きですよね。
関東在住時、師走に入ると訪れたのは、
早稲田の地に歴史を刻む穴八幡宮(あなはちまんぐう)。
そこで授けられる「一陽来復」のお守りを、
冬至の夜中、午前零時、
定めれられた場所に定められた方角へ向け、
定められた方法で貼り掲げることを、
年の瀬の行事としていたことを、
懐かしく思い出します。
隣接する放生寺(ほうしょうじ)は、
400年近い歴史を持つ高野山真言宗の名刹。
穴八幡宮の別当寺(神社を管理する寺)として創建され、
本尊は聖観世音菩薩であります。
この放生寺で受ける御守りは、
暦名「一陽来復」の「復」に、
観音経に顕われる一説、
“ 福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)”
の「福」を当てて、
「一陽来 “ 福 ” 」と記されています。
御承知置きの通り、
地球の自転軸(地軸)は、
公転面に対して約23.4度の傾きを持ちます。
その傾斜が影響して、
公転周期365日という流れの中では、
地球の球面上において、
太陽に近くなる場所、遠くなる場所が生まれ、
そこに生じる寒暖の差が春夏秋冬の巡りを生み、
また地軸の傾斜により、
北半球と南半球の季節は真逆になります。
北半球では、太陽から遠ざかり続けた地軸が、
冬至の日を境として今度は太陽に近づくため、
日照時間が伸びてゆきます。
こうした天体の運行に想いを馳せておりますと、
「一陽来復」といい「一陽来福」といい、
そこには、
地軸傾斜角23.4度で公転する地球の動きと、
それに伴う天文事象が秘められていることに気付かされます。
奉職する学び舎では2学期が終了しました。
2学期は体育祭・文化祭・合唱コンクール等々、
行事が多かった為なのか、
学期中は時間の流れが遅くも感じられましたが、
終わってみれば、アッという間の3ヶ月半。
4月に入職して以来、
人生初の業務内容に戸惑いながらの日々でありました。
気持ちだけは若く在ろう・・・そう思っていても、
そこは「寄る年波」で、体調不良の折などは、
周囲に迷惑をかけぬよう振る舞うのが精一杯。
殊に学期末の1週間は発熱こそ抑え得たものの、
風邪の諸症状に責め立てられ、
這うようにして登下校するような具合でありました。
いま年の瀬を迎え、この特異な1年を振り返り、
念頭に浮かぶ言葉は、唯ひとつ、
“ 我が力にて非ず ”
これに尽きます。
かつて関東在住時、住まいする千葉県市川市から、
成田山新勝寺へ向けて敢行した成田街道の徒歩修行。
いや “ 修行 ” と呼ぶほどのことではないのですが、
なにせ短い足ゆえに10時間ほどかかるわけで、
成田山新勝寺の門前町が目に入る度、
必ず思われたのが、
“ わがちからにてあらず ”
この一語でありました。
「我が力」とは「自力」の意。
「自力に非ず」という以上、それは「他からの力」、
いわゆる「他力」。
自分の力で歩けたわけでは無いことを、
毎度、心の底から感じたのでありました。
要は、
「おかげさま」
ということであります。
古来、日本人は、
自身の背後、もしくは世界の背後、
つまりは「陰(かげ)」「影(かげ)」で働いている、
何らかの力や働きに「御」を冠した上、
さらに「様」を付与して、
「御陰様」
と尊び敬ってきました。
「御陰様」とは「他力」のこと。
しかし、この「他力」なるものは、
何も神仏の力だけを意味するものではないはず。
むしろ、
他者から差し伸べられる有形無形の支援、
言葉の支援、まなざしの支援、気遣いの支援等々、
他者から授かる数え切れない支援・恩恵こそが、
「他力」であり「御陰様」と申せましょう。
その意味において、この1年は、
「他力」に支えられ、
「御陰様」に救われた日々であり、
“ 我が力にて非ず ”
を実感する1年でありました。
当ブログ、
「それでも世界は希望の糸を紡ぐ」は、
早川が日々に感じたことを、
ただ何となく綴っているだけのもの。
それでも訪れて下さる方がおられるとしたら、
望外の喜びであり、それも又、
“ 我が力にて非ず ”
と心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
本年の更新は本日までとし、
次回は年明け1月7日(日)とさせて頂きます。
“ Warmth ”
~ 赤龍、宝珠を抱きて来る年を想う ~
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい!
“ 陰 ” 極まり “ 陽 ” へと「復(か)へり来る」を以て、
「一陽来復」。
“ イチヨウライフク ”
いい響きですよね。
関東在住時、師走に入ると訪れたのは、
早稲田の地に歴史を刻む穴八幡宮(あなはちまんぐう)。
そこで授けられる「一陽来復」のお守りを、
冬至の夜中、午前零時、
定めれられた場所に定められた方角へ向け、
定められた方法で貼り掲げることを、
年の瀬の行事としていたことを、
懐かしく思い出します。
隣接する放生寺(ほうしょうじ)は、
400年近い歴史を持つ高野山真言宗の名刹。
穴八幡宮の別当寺(神社を管理する寺)として創建され、
本尊は聖観世音菩薩であります。
この放生寺で受ける御守りは、
暦名「一陽来復」の「復」に、
観音経に顕われる一説、
“ 福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)”
の「福」を当てて、
「一陽来 “ 福 ” 」と記されています。
御承知置きの通り、
地球の自転軸(地軸)は、
公転面に対して約23.4度の傾きを持ちます。
その傾斜が影響して、
公転周期365日という流れの中では、
地球の球面上において、
太陽に近くなる場所、遠くなる場所が生まれ、
そこに生じる寒暖の差が春夏秋冬の巡りを生み、
また地軸の傾斜により、
北半球と南半球の季節は真逆になります。
北半球では、太陽から遠ざかり続けた地軸が、
冬至の日を境として今度は太陽に近づくため、
日照時間が伸びてゆきます。
こうした天体の運行に想いを馳せておりますと、
「一陽来復」といい「一陽来福」といい、
そこには、
地軸傾斜角23.4度で公転する地球の動きと、
それに伴う天文事象が秘められていることに気付かされます。
奉職する学び舎では2学期が終了しました。
2学期は体育祭・文化祭・合唱コンクール等々、
行事が多かった為なのか、
学期中は時間の流れが遅くも感じられましたが、
終わってみれば、アッという間の3ヶ月半。
4月に入職して以来、
人生初の業務内容に戸惑いながらの日々でありました。
気持ちだけは若く在ろう・・・そう思っていても、
そこは「寄る年波」で、体調不良の折などは、
周囲に迷惑をかけぬよう振る舞うのが精一杯。
殊に学期末の1週間は発熱こそ抑え得たものの、
風邪の諸症状に責め立てられ、
這うようにして登下校するような具合でありました。
いま年の瀬を迎え、この特異な1年を振り返り、
念頭に浮かぶ言葉は、唯ひとつ、
“ 我が力にて非ず ”
これに尽きます。
かつて関東在住時、住まいする千葉県市川市から、
成田山新勝寺へ向けて敢行した成田街道の徒歩修行。
いや “ 修行 ” と呼ぶほどのことではないのですが、
なにせ短い足ゆえに10時間ほどかかるわけで、
成田山新勝寺の門前町が目に入る度、
必ず思われたのが、
“ わがちからにてあらず ”
この一語でありました。
「我が力」とは「自力」の意。
「自力に非ず」という以上、それは「他からの力」、
いわゆる「他力」。
自分の力で歩けたわけでは無いことを、
毎度、心の底から感じたのでありました。
要は、
「おかげさま」
ということであります。
古来、日本人は、
自身の背後、もしくは世界の背後、
つまりは「陰(かげ)」「影(かげ)」で働いている、
何らかの力や働きに「御」を冠した上、
さらに「様」を付与して、
「御陰様」
と尊び敬ってきました。
「御陰様」とは「他力」のこと。
しかし、この「他力」なるものは、
何も神仏の力だけを意味するものではないはず。
むしろ、
他者から差し伸べられる有形無形の支援、
言葉の支援、まなざしの支援、気遣いの支援等々、
他者から授かる数え切れない支援・恩恵こそが、
「他力」であり「御陰様」と申せましょう。
その意味において、この1年は、
「他力」に支えられ、
「御陰様」に救われた日々であり、
“ 我が力にて非ず ”
を実感する1年でありました。
当ブログ、
「それでも世界は希望の糸を紡ぐ」は、
早川が日々に感じたことを、
ただ何となく綴っているだけのもの。
それでも訪れて下さる方がおられるとしたら、
望外の喜びであり、それも又、
“ 我が力にて非ず ”
と心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
本年の更新は本日までとし、
次回は年明け1月7日(日)とさせて頂きます。
“ Warmth ”
~ 赤龍、宝珠を抱きて来る年を想う ~
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい!