~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

「医療史回り舞台」

2019-09-29 14:15:24 | 
古来、寺院への参拝月として推奨されてきたのは、
正月・五月・九月の三ツ月で、
「正五九(しょう ご く)参り」と呼び慣わされて来ました。

昨日は、その参拝月の御縁日とあって、

成田山新勝寺・名古屋・栄分院・萬福院には、
大勢の参拝客が訪れていました。
写真は、境内に祀られている〈水掛け不動尊〉。


境内・弘法大師堂前の香閣に線香を供えますが、

風が強いせいで、すぐに燃え上がります。

               

整形外科医にして作家の篠田達明先生により、1992年から、
月刊「整形・災害外科」誌上に連載が開始された、
「医療史回り舞台」が今月号(2019/No.10)で終了しました。

《連載期間27年、連載回数327回》

もう一度、書かせて頂きます。

《連載期間27年、連載回数327回》

平成4年から令和元年に至る長きに亘り、
現役医師の方が医療の歴史を巡るエッセイを紡ぎ続ける事自体が、
まさしく偉業と、敬服申し上げるものであります。

「医療史回り舞台」は、
整形外科医・篠田達明としての鋭い視点の縦糸と、
人間・篠田達明としての温かな眼差しの横糸とが織り合って、
堅苦しい医療書の中に、一服の清涼剤を投じるもので、
その内容は、

時に、平清盛・平重盛父子の死因に迫り、
時に、大岡越前守の慢性消化器症状を語り、
時に、禅僧・良寛の最期を巡り、
時に、モーツァルトに施された医療行為の謎を解き、
そして何より、
民衆と共に生きた名医たちの生涯に光を当てたもの・・・、
のみならず、博物学的多岐にわたり展開されます。

私は、未だ100篇ほどしか読ませて頂いておりませんが、
真の〈仁〉に生きた医療者の生き様の数々を、
篠田先生のエッセイから知ることが出来ました。
加えて、
〈仁〉とは、それを声高に標榜するものではなく、
〈仁〉とは、それを真摯に生きるもの、
ということを行間から学ばせて頂きました。

               

最終回(第327回)は「日本泳法と武士の“ 残心 ”の心得」

篠田先生は、
日本近代水泳の礎を築いた田畑政治(1898~1984)の足跡を辿り、
日本泳法の技術的側面に触れたあと、
“ 残心(ざんしん)”という、心の在り方について、

「武術における“ 残心 ”の心得とは、剣術の場合、
 両者が激突して引いた後も相手の反撃に備えて緊張を保つこと。
 弓術では、一の矢の着点をしっかりと見極めてから、
 呼吸を鎮めて二の矢を放つこと。
 古式泳法では刀や鉄砲を背負い、兜をかぶって長く泳ぐので、
 体力の消耗がはげしく、水中から上がった後の戦いに備えて
 余力を十分に残すこと。」 
   (引用元:「整形・災害外科」2019/No.10/増大号/金原出版)

と書かれ、

『これぞ臨床の場にも当てはまる心構えといえようか』(上掲書)

と結ばれています。

               

辛さを抱えた人、悲しみを背負った人は、その苦悩の重さゆえに、
床に座り、床に這い、床に横たわり、床に伏さざるを得ません。
その「床」・・・広い意味での病床の傍らに「臨」み、
「きっと大丈夫」「必ず良くなる」と寄り添い、
希望の一灯をともし続けるのが「臨床」の原義と聞きます。

されば「臨床」とは先ず以って、心の在り方、精神のたたずまい。
いかなる職種・業界にも通じ、また日常に活用され得るものであり、
“ 残心 ”も又、暮らしの中に工夫・応用し得るものと受け止めます。
      
               

門外にして若輩の私が、
篠田先生の労をねぎらうのは〈長幼の序〉に反すると考え、
そのような言辞は憚ります。
只、その連載から感銘を受けた読者の一人として感謝申し上げ、
末筆ながら篠田先生の御健康を心より祈念申し上げます。



              










初秋の一日

2019-09-22 14:48:33 | 日常
昨日(9月21日)の覚王山・日泰寺は、

弘法大師の御命日に因む〈弘法市〉と秋彼岸とが重なり、
大勢の参拝客で賑わいを極めていました。

               

こちらは過日、爽やかな初秋の晴天と静寂に包まれた、

城山八幡宮境内、本殿へと到る神橋。


こちらも過日、初秋の朝日さす気ノ森の道。

ここは神社仏閣でこそありませんが、
一木一草・一花一風・一陰一陽に「参り拝む」という意味では、
早川にとって得難い「参拝」の場所。


自身の内外に広がる世界、

そこに張り巡らされている御縁の糸の全てを有り難く尊び、


御縁の糸に手を合わせられる人間になりたいと願いはするものの、

修行不足の吾が身には、これが中々難しいのであります。

              

              









アオスジアゲハ

2019-09-15 13:57:03 | 自然
気ノ池。
池の水面から4~5mほど垂直に切り立った崖の端に茂みが広がり、
その辺りをこうヒラヒラとアオスジアゲハが舞っては止まり、
止まっては舞う・・・を繰り返していました。
ザッと目視するだけでも数十頭(蝶の単位は「頭」なのだとか)。

ただ、その茂みに至るまでには、
丈は腰くらいながらも鬱蒼とした藪が広がっていて、
アオスジアゲハに気付かれないよう静かに藪に分け入るも、
老いたる早川は、つる草等に足を取られてコケるのであります。
当然のことアオスジアゲハはワーッと驚いて飛び去り、
早川はそのままの姿勢で、ジッと気配を消して待ちます。

程なくしてアオスジアゲハが戻って来た頃合いを見計らって、
早川はゆっくり身体を起こし、再び歩を進め、又コケて、
アオスジアゲハは驚いて去り、早川は又気配を消して・・・と、
出来の悪いコントのようなことを繰り返しつつ撮りました。
毎度、ヘタな写真で申し訳ありませんが何枚か御覧下さい。















アオムシ~サナギ~成虫と、
その生涯において劇的に様態を変化させることから、
蝶は古今東西を問わず〈復活・再生・新生〉の象徴。

台風15号がもたらした被害により、
未だ10万を越える世帯が停電中と聞きます。

上記台風に限らず、
諸々の自然災害を始め、病気・失敗・不和・困窮・・・、
様々に襲い来る人生上の艱難辛苦の数々が、
復活・再生・新生へ繋がる〈希望のサナギ〉となることを、
心から祈念するものであります。


              










作曲家カルロ・ジェズアルド

2019-09-08 15:07:00 | 音楽関係
今はまだ魚の形状には見えませんが、秋彼岸の頃には

広大な空の海に、イワシの大群を仰ぐものと思われます。


気ノ森の住人、カサの直径は20㎝ほど・・・

けっして触れてはいけません。

               

本日9月8日は、ルネッサンス後期を生きた作曲家、
カルロ・ジェズアルド(1566~1613)の命日。

作曲家カルロ・ジェズアルドと聞き、
音楽史上、最も奇怪な事件を想起される方も多いかと思います。

ジェズアルドは、
イタリア・ヴェノーザ公国君主の家系に生まれ、二十歳の時、
貴族令嬢のマリア・ダヴァロスと結婚しますが、
程なくしてマリアは、貴族ファブリツィオ・カラーファ公と、
道ならぬ関係に。

その事実を知ったジェズアルドは怒り心頭に発し、
妻とカラーファ公との密会現場に押し入って、二人を惨殺します。

この一件の為にジェズアルドは、楽曲によってではなく、
「殺人を犯した作曲家」として後世に名を遺すことに。

肝心の楽曲ですが、ジェズアルドは、
マドリガーレ(イタリア発祥の歌曲形式)や宗教音楽を
数多く作曲していて、特にその宗教音楽は響きが美しく、
個性的な半音階進行を伴ったポリフォニーが特徴的で、
400年の時を超えて現代にまで命脈を保つものであります。

幾つかの楽曲は神々しく、とてものこと、
殺人を犯す人間の手になる音楽とは思えませんが、
音楽作品とはそうしたもの。

現代社会、特に日本においては、
モノづくりに携わる人間が何らかの罪を犯すと、
その人が創造した作品、関わった作品等も断罪されます。
そこには商業的価値や企業イメージと言った、
オトナの事情もあるのでしょうが、創作者と創作物とは、
やはり分けて考える方が自然なのではないか?と、
個人的にはそのように思います。

               

巷間よく知られているように、
バロック期の画家カラヴァッジョ(1571~1610)は、
その人格に精神病理的な問題を抱え、
ついには殺人の罪を犯し、逃亡犯として生涯を終えます。
しかしながら、その手から生まれた宗教絵画の数々は、
普遍的な光を放ちながら今なお人間の魂を下支えしています。

創作者と創作物を同体と見做して、その罪を糾弾する方々は、
殺人犯ジェズアルドの宗教音楽も聴かず、
逃亡犯カラヴァッジョの宗教絵画も観ない方々なのでしょうが、
ずいぶんと勿体ない気がします。

いよいよ来月、カラヴァッジョ展が名古屋に巡回します。
今はただ、その絵画に触れることだけを楽しみとして、
日々を越えてゆくものであります。


今朝、気ノ池の畔に

アオスジアゲハの群生地を見つけました!


              








「絶滅動物研究所」展

2019-09-01 13:53:50 | イベント・展覧会
飛来した地球外生命体の宇宙船・・・

いえ、名古屋市科学館プラネタリウムの底部であります。


名古屋市科学館で開催中(~9月8日)の、

「絶滅動物研究所」展に行ってまいりました。

地球上の動物は、
過去から現在に至るまで多くの生命種が絶滅していますが、
その原因には、人間の存在が大きく関与している場合があり、
今回の「絶滅動物研究所」展では、
そうした「人間によって滅ぼされた」生命種が数多く示され、
地球生命圏における〈人間〉という存在の特殊性・特異性を、
あらためて考えさせられる機会となりました。

会場には、実に多くの絶滅動物が、
化石・骨格標本・剥製・復元像等々として展示され、
又それら展示物のほとんどが撮影OKだったのですが、
話題性の高い展覧会とあって会場内は混雑を極め、
立ち止まって撮影するのは周りの方への迷惑になることを恐れ、
何点かを素早く撮らせて頂くにとどめました。

マンモス(撮影許可あり)
かつて世界各地域で生息していたゾウの類縁種

数千年前、乱獲及び人類関与に由来する伝染病等により絶滅。


ジャイアントモア(撮影許可あり)
かつてニュージーランドに生息していた飛行不能の巨大鳥類

1400年代、乱獲により絶滅。


ステラーカイギュウ(撮影許可あり)
かつてベーリング海に生息していたジュゴン科の海洋哺乳類

1700年代、乱獲により絶滅。


ニホンオオカミ(撮影許可あり)
かつて日本(北海道を除く)に生息していたオオカミの亜種。

20世紀初頭、人為的駆除及び家畜伝染病により絶滅。


二ホンカワウソ(撮影許可あり)
かつて日本全国に生息していたユーラシアカワウソの1亜種

1900年代半ば、乱獲及び人為的環境汚染により絶滅。


日本産トキ(撮影許可あり)
かつて日本全国に生息していたトキ科トキ目の鳥類

2003年、乱獲及び人為的環境破壊により絶滅。
(現在生息中のトキは、全て中国産トキの子孫)

先のステラーカイギュウは、その肉が美味であった上、
皮・ひげ・骨などが生活用品として重宝された為、
狩猟の対象になりました。
ステラーカイギュウは仲間意識が強く、群れの一頭が傷つくと、
他の何頭もが、傷ついた一頭を助けるために集まる習性があり、
人間は、その習性を利用し、一頭を傷つけては、
集まって来る何頭もの仲間を一網打尽に獲り尽くしたのだとか。

動植物の発生と滅亡、生命種の誕生と絶滅といった現象は、
様々な要素・要因が複雑に関わり合って生起しています。
それゆえに、
絶滅動物たちの絶滅原因が、たとえ人間の仕業であったとしても、
それを「正しいか?誤りか?」「善いか?悪いか?」といった、
二項対立の価値観を以って単純軽々に論じることは出来ません。

とは申せ、
会場を巡りながら、かつて生息していた動物たちの生態と、
それら動物たちが絶滅に至った経緯を学ぶうち、
自ずと胸中に湧いて来るのは〈謝罪の念〉。
多くの生命種を絶滅に追いやった人類の一人として、
「申し訳ありませんでした」と、心の中で手を合わせます。

               

古来「足るを知る」ことの大切さは説かれてきましたが、
獲物を前にして、人間は「足るを知る」ことが出来ません。

また獲物は、食料となる動植物に限定されたものではなく、
水・鉱物・油といった地球資源を始め、
様々な経済的利益から地位・名声・打算的人間関係等に至るまで、
自身の欲求を満たす全ての存在物が獲物と成り得るものであり、
それらを前にして人間は、
「このくらいでやめておこう」という具合にはゆかず、
「獲れるうちに獲れるだけ獲っておこう」と考えるもの。

ただし、
自然界は人間の法則や都合で動いているわけではなく、
自然界は自然界自体の法則で動いていることに違いありません。
その法則の一つが、広い意味での「因果応報」。

いずれは、
私たち人間も「絶滅動物」となる日が来るのかも知れませんが、
それが遠い未来なのか、それとも意外と近い将来なのか。