つい先日のこと、誠に思いがけなくも、
高野山に参拝した方から奥之院・授与品を賜りました。

透かし彫りの《弘法大師・御影(みえい)》であります。
御厚情、心より感謝申し上げます。
桐箱の蓋には、弘法大師(774~835)を表す梵字が書かれていて、

その読み方は“ ユ ”。
弘法大師・空海上人を表す梵字が、なぜ“ ユ ”なのか?
それは梵字“ ユ ”が、本来は弥勒菩薩を表す梵字であり、
弘法大師は、弥勒菩薩の化身とされているからであります。
では、なぜ弘法大師が弥勒菩薩の化身なのか?
それは大師が弟子たちに語り、後の時代になってから、
「御遺告(ごゆいごう)」として伝えられるものの中に、
『吾閉眼の後には必ず方に兜率他天に往生して
弥勒慈尊の御前に侍すべし
五十六億余年の後には必ず慈尊と共に下生し・・・』
とあることに由来します。『兜率他天』は、
サンスクリット語の“ トシュッタ ”が漢字圏で音写されたもので、
通常「兜率天(とそつてん)」と呼ばれる天界の一つ。
この兜率天には内院・外院の二院が在るとされ、内院において、
瞑想と説法に励んでおられるのが弥勒菩薩とされています。
「私は兜率天に往生して弥勒菩薩と共に瞑想し、
弥勒菩薩の説くところを聴き、五十六億七千万年後には、
必ずや弥勒菩薩と共に再臨します。」
そのように言い遺された大師であるがゆえに、後世において、
“ 大師は弥勒の化身 ”と信じられ、弥勒尊の梵字“ ユ ”が、
弘法大師の梵字として採用されたということであります。



そもそも、なぜ弥勒菩薩を表す梵字が“ ユ ”なのか?
御承知置きの通り、弘法大師が開いた密教には、
尊格それぞれに対応した祈りの言葉というものがあり、それらは、
真言(しんごん)・陀羅尼(ダラニ)・咒(しゅ)等と呼ばれます。
これらは古代インドで使われたブラーフミ―文字(梵字)で書かれ、
サンスクリット語で唱えられていたものが、先の「兜率天」と同様、
漢字圏で音写されて伝わったものですので、当然のことながら、
ネイティヴの発音とはかなり異なっています。
弥勒菩薩に対する祈りの言葉には幾つかありますが、
それらの中に根本陀羅尼と呼ばれるものが伝えられていて、
これを、割とネイティヴに近い発音で読みますと、その中に、
“ マハー・ユギャ・ユーギニ・ユゲイシュヴァリ・・・ ”
と出てきます。
“ ユギャ ”とは「結び合う・融け合う」というほどの意味で、
仏教が伝来してゆく過程の中で“ 瑜伽(ゆが)”と音写され、
現在謂うところの“ ヨーガ・ヨガ ”のことを指します。
つまり上記文言の主旨は、弥勒菩薩をして、
「偉大なる瑜伽(=ヨガ)行者」と讃えているものと考えられます。
もっとも、
古代インドの“ 瑜伽 ”と現在の“ ヨガ ”とは同根異体であり、
けっして弥勒菩薩が兜率天の内院にヨガマットか何かを敷き、
様々なポーズに明け暮れているということではありません。
弥勒菩薩は、事象の根源と意識の根源との融合をもたらす、
本来の“ ユギャ・瑜伽 ”の行(ぎょう)に入っているとして、
“ ユギャ・瑜伽 ”の“ ユ ”を以って表されるわけであります。



こちらは京都・東寺の念珠。
「大師の御寺(みてら)」と呼ばれる東寺なればこそ、

念珠の母珠(もしゅ)に刻印されているのは、梵字の“ ユ ”。



弥勒菩薩と弘法大師、二つの“ ユ ”が下生するまでの期間が、
諸説あるものの、通説として五十六億七千万年と壮大に謳われ、
また弥勒菩薩の源流が古代インドを超えて、
メソポタミア文明とその神話にまで遡ることが出来ると聞けば、
大師が、その著作「般若心経秘鍵」の中で、
梵字を始めとした経典・経文を構成する文字の一つ一つは、
『一字に千理を含む』
と説いておられたことが脳裏に浮かび、
たった一字の“ ユ ”の中にも、広大な時空と無数の想いとが、
秘蔵されているかのように感じられます。
真言密教の世界では、弘法大師は高野山・奥之院において、
今も生きておられる、と信じられています。
それゆえに「没後」という概念そのものが無く、
御年齢は令和2年現在“ 千二百四十六歳 ”と数えられていて、
4年後には「御生誕」と銘打ちつつ、その内実としては、
「御生存 千二百五十年」
が祝われます。

南無大師遍照金剛




高野山に参拝した方から奥之院・授与品を賜りました。

透かし彫りの《弘法大師・御影(みえい)》であります。
御厚情、心より感謝申し上げます。
桐箱の蓋には、弘法大師(774~835)を表す梵字が書かれていて、

その読み方は“ ユ ”。
弘法大師・空海上人を表す梵字が、なぜ“ ユ ”なのか?
それは梵字“ ユ ”が、本来は弥勒菩薩を表す梵字であり、
弘法大師は、弥勒菩薩の化身とされているからであります。
では、なぜ弘法大師が弥勒菩薩の化身なのか?
それは大師が弟子たちに語り、後の時代になってから、
「御遺告(ごゆいごう)」として伝えられるものの中に、
『吾閉眼の後には必ず方に兜率他天に往生して
弥勒慈尊の御前に侍すべし
五十六億余年の後には必ず慈尊と共に下生し・・・』
とあることに由来します。『兜率他天』は、
サンスクリット語の“ トシュッタ ”が漢字圏で音写されたもので、
通常「兜率天(とそつてん)」と呼ばれる天界の一つ。
この兜率天には内院・外院の二院が在るとされ、内院において、
瞑想と説法に励んでおられるのが弥勒菩薩とされています。
「私は兜率天に往生して弥勒菩薩と共に瞑想し、
弥勒菩薩の説くところを聴き、五十六億七千万年後には、
必ずや弥勒菩薩と共に再臨します。」
そのように言い遺された大師であるがゆえに、後世において、
“ 大師は弥勒の化身 ”と信じられ、弥勒尊の梵字“ ユ ”が、
弘法大師の梵字として採用されたということであります。



そもそも、なぜ弥勒菩薩を表す梵字が“ ユ ”なのか?
御承知置きの通り、弘法大師が開いた密教には、
尊格それぞれに対応した祈りの言葉というものがあり、それらは、
真言(しんごん)・陀羅尼(ダラニ)・咒(しゅ)等と呼ばれます。
これらは古代インドで使われたブラーフミ―文字(梵字)で書かれ、
サンスクリット語で唱えられていたものが、先の「兜率天」と同様、
漢字圏で音写されて伝わったものですので、当然のことながら、
ネイティヴの発音とはかなり異なっています。
弥勒菩薩に対する祈りの言葉には幾つかありますが、
それらの中に根本陀羅尼と呼ばれるものが伝えられていて、
これを、割とネイティヴに近い発音で読みますと、その中に、
“ マハー・ユギャ・ユーギニ・ユゲイシュヴァリ・・・ ”
と出てきます。
“ ユギャ ”とは「結び合う・融け合う」というほどの意味で、
仏教が伝来してゆく過程の中で“ 瑜伽(ゆが)”と音写され、
現在謂うところの“ ヨーガ・ヨガ ”のことを指します。
つまり上記文言の主旨は、弥勒菩薩をして、
「偉大なる瑜伽(=ヨガ)行者」と讃えているものと考えられます。
もっとも、
古代インドの“ 瑜伽 ”と現在の“ ヨガ ”とは同根異体であり、
けっして弥勒菩薩が兜率天の内院にヨガマットか何かを敷き、
様々なポーズに明け暮れているということではありません。
弥勒菩薩は、事象の根源と意識の根源との融合をもたらす、
本来の“ ユギャ・瑜伽 ”の行(ぎょう)に入っているとして、
“ ユギャ・瑜伽 ”の“ ユ ”を以って表されるわけであります。



こちらは京都・東寺の念珠。
「大師の御寺(みてら)」と呼ばれる東寺なればこそ、

念珠の母珠(もしゅ)に刻印されているのは、梵字の“ ユ ”。



弥勒菩薩と弘法大師、二つの“ ユ ”が下生するまでの期間が、
諸説あるものの、通説として五十六億七千万年と壮大に謳われ、
また弥勒菩薩の源流が古代インドを超えて、
メソポタミア文明とその神話にまで遡ることが出来ると聞けば、
大師が、その著作「般若心経秘鍵」の中で、
梵字を始めとした経典・経文を構成する文字の一つ一つは、
『一字に千理を含む』
と説いておられたことが脳裏に浮かび、
たった一字の“ ユ ”の中にも、広大な時空と無数の想いとが、
秘蔵されているかのように感じられます。
真言密教の世界では、弘法大師は高野山・奥之院において、
今も生きておられる、と信じられています。
それゆえに「没後」という概念そのものが無く、
御年齢は令和2年現在“ 千二百四十六歳 ”と数えられていて、
4年後には「御生誕」と銘打ちつつ、その内実としては、
「御生存 千二百五十年」
が祝われます。

南無大師遍照金剛



