~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

金魚

2018-08-26 14:43:00 | 日常
名古屋・松坂屋美術館で開催中の

アートアクアリウム展に行ってまいりました。


金魚を観賞したい、というよりは

金魚の動きを観察したい・・・という想いで足を運んだものの


金魚の愛らしさに魅了され、また会場の混雑もあり

観察どころではありませんでした。


特に美しいのは金魚の尾ヒレ

尾ヒレ最高です

               

日本のアンデルセン・小川未明(1882~1961)の童話
「金魚売り」は、ごく短い物語ながらも
金魚売りのおじいさんと金魚・
おじいさんから金魚を買った少年と金魚・
おじいさんと少年・おじいさんと少年と金魚・・・等々、
世代や生命種を超えた様々な関係性と、
そうした数々の関係性の間に明滅する光と影が、
深い眼差しと温かな筆致で描き出された作品。

「金魚は、なにもいわなかったけれど、
 おじいさんは、よく、金魚の心持ちがわかるようでした。」
(「金魚売り」/新選 小川未明秀作童話50/蒼丘書林刊 )

金魚売りのおじいさんは、
金魚の桶を担いで行商の旅をするのですが、
長い旅にあっては桶に頭をぶつけて弱る金魚も出てきます。
そんな時おじいさんは、金魚の群れから、
弱った金魚を別の器に分けて世話をします。

「なぜなら、達者で元気のいいのが、ばかにするからです。
 そのことは、
 ちょうど人間の社会におけるのと違いがありません。
 弱いものに対して、憐れむものもあれば、かえって、
 それをあざけり、いじめるようなものもありました。」
                    (引用元:前掲書)

この童話が書かれてからおよそ百年。
現代日本においては、
上位者・権力者・指導者といった立場にある
「達者で元気のいい」方々が行うセクハラ・パワハラ等の、
下劣な蛮行が日々報じらています。

未明先生は、
どのような想いで現況を御覧になっておられるのでしょうか。

               

「金色の魚」と書いて金魚

なんでも、金魚は吉祥をもたらすのだとか。

皆さま、良き日々でありますように!




              













大蔵経~海印三昧

2018-08-19 16:46:00 | 仏教
気ノ池の畔に羽根を休めるシオカラトンボ

複眼の色が青いのでオスかと思われます。


静かに灯る遅咲きの蓮が

災害の打ち続いた夏への送り火に観えました。

サンスクリット語の、
「サ・ダルマ・フンダリーカ・スートラ」は、
「妙(たえ)なる法にして蓮華の経典」と訳され、
「妙法蓮華経」と名付けられました。
経題中の〈フンダリーカ〉は白い蓮を指し、
仏教において象徴的な意味を持つ事は周知の通りであります。

               

前回のブログ記事にて、
三蔵法師の〈三蔵〉とは「経蔵・律蔵・論蔵」の三つ・・と、
簡略に書きましたが簡略に過ぎましたのでもう少し。

経蔵は、仏教開祖・釈迦が説いたもの及び釈迦の入滅後、
    弟子達を始め仏道を歩む人々によって書かれた経典。
律蔵は、僧侶を始め仏道修行に励む人々が守るべき戒律や規則。
論蔵は、経典についての解説論文や注釈及び聖賢の伝記等。

仏教の歴史は2500年に亘りますので、
その長大な時間、広大な空間に堆積し蓄積された三蔵の総量は、
膨大なものとなり、それらは総称して「大蔵経」あるいは
「一切経」と呼ばれ、先のハスの花のお経「妙法蓮華経」も、
日本で親しまれている「般若心経」も、
あとで触れる「華厳経」も全て大蔵経の中に含まれています。

               

こちらは

覚王山日泰寺境内に立つ記念碑。

以前にも書かせて頂きました通り覚王山日泰寺は、
日本国とタイ国との仏縁と友好を以って建立された寺院。
右側の記念碑・碑文によって、タイ国から日泰寺へ
「泰国王室版・大蔵経」が贈られたことが分かります。

ここに「泰国王室版」と特記されているように、
大蔵経には様々な版が存在すると言われています。
この「版」ということについては複雑多岐にわたり、
ブルックナー先生が作曲された交響曲における、
原典版・ハース版・ノヴァーク版等々の「版問題」と同様、
大変に難しい問題を含んでおりますがゆえに、
早川の浅薄な知識と貧しい筆力の及ぶところではありません。

               

「大蔵経」と聴きますと、韓国は慶尚南道・陜川郡にある
海印寺(かいいんじ・ヘインサ)が想われます。

北宋時代(960~1127)蜀の国(現在の四川省)において、
新しく彫られた版木による蜀版・大蔵経のことを『開宝蔵』、
と呼ぶのだそうですが、この開宝蔵が朝鮮半島に伝わり、
時の高麗国王の命によって版木として再び彫られ、
刷り出されたものが『高麗大蔵経 再彫本』。

この『高麗大蔵経 再彫本』を保管し今日まで伝えているのが、
海印寺であります。
経典の文字は、白樺の版木81,258枚に刻まれているがゆえに
「高麗八萬大蔵経」と称され、8万枚を超える版木を収めた建物
〈大蔵経 版殿(はんでん)〉は世界遺産に登録されています。

現代日本において信頼の置かれている大蔵経は、
大正時代に10年の歳月をかけて編纂されたところの
『大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)』
でありますが、これは上述の『高麗八萬大蔵経 』を土台として
作られたと伝わっています。

               

さて海印寺の〈海印〉とは何ぞや・・・?
という事でありますが、諸説あるようで、
海印とは「人々の願いを叶える〈竜王の印璽〉である」
などとする説も見受けられます。

海印寺は、
西暦800年代に遡る創建期には華厳宗の寺院でありました。
日本における華厳宗の総本山は東大寺。
「奈良の大仏」として親しまれている、かの巨大仏尊は、
盧遮那仏(るしゃなぶつ)であり、華厳教学においては、
大方広仏(だいほうこうぶつ)とも称されます。

華厳経に説かれる世界観によれば、
宇宙に広がる〈香水海〉なる海原に蓮の華が開いていて、
盧舎那仏=大方広仏はその蓮華上に座し、
〈海印三昧(かいいんざんまい)〉なる精神集中の境地に入り、
華厳の教えを説き続けているとされます。

であるならば、
海印寺の海印は〈海印三昧〉の〈海印〉と、
ごく自然かつ素直に受け止めるものであります。

               

では〈海印三昧〉とは何か。
中国・華厳宗の第四祖・澄観(738~839)によれば、

「何の動揺もなく静かで、澄み切っている状態であり、
 あらゆる存在物があるがままに映し出される」
   (引用元:徐海基 論文「澄観の海印三昧観について」)

というような深い禅定を意味し、また

「海印三味の本質が、
 やさしい手立てを以って生きとし生けるものに、
 〈生死即涅槃〉〈心身成仏〉の真実を悟らせてゆく、
 利他の実践に他ならない」
      (引用元:木村清孝 論文「『海印三昧論』考」)

凡夫のワタクシめには想像もつかない境地ですが、
先賢の論考から朧気ながら察せられますのは、
〈海印三昧〉とは、精神集中の極北と利他の実践という、
智と行との理想的合一の状態ということであります。

               

ここ一両日は



だいぶ過ごしやすくなりました。


皆さま、良き日々でありますように!



              









中島敦 版「西遊記」

2018-08-12 15:50:00 | 
中島敦(1909~1942)の作品は、
「山月記」「李陵」「名人伝」が有名ですが、これらの他に、
「悟浄出世(ごじょうしゅっせ)」
「悟浄歎異(ごじょうたんい・たんに)」
という短編があります。

悟浄とは、かの「西遊記」に登場する水生の妖怪・沙悟浄。
しかし中島先生の筆から産まれた悟浄は、
古来より描かれてきたような河童ではありません。
ここに登場する悟浄は形而上学的な苦悩の淵に沈んだ挙句、
「俗世間を出る」という本来の意味での「出世」を果たし、
〈賢者〉と目される方々を訪ねては、

「個人の幸福とか、不動心の確立ということではなく、
 自己、および世界の究極の意味について 」
     (中島敦著「悟浄出世」/李陵・山月記/角川文庫)

を問い続けるのであります。

「悟浄出世」で描かれるのは、そこで交わされる問答の様子。
されど賢者と評判の高い方々も実際に教えを乞うてみると、
彼・彼女らの大半は、それなりに魅力的ではあるものの、
自説に固執したクセのある怪しい者たちばかり。
教えを尋ね歩くこと五年、悟浄は何ら得るところがありません。

               

その後、奇縁により三蔵法師・孫悟空・猪八戒と出会った悟浄。
続編「悟浄歎異」では、
悟浄の視点から天竺への道中が語られるのですが、
ここに登場する斉天大聖・孫悟空は荒ぶる詩人、

「悟空の眼にとって平凡陳腐なものは何一つない。
 毎日早朝に起きると彼は日の出を拝み、そして、
 はじめてそれを見る者のような驚嘆をもって
 その美に感じ入っている。
 心の底から、ため息をついて、讃嘆するのである。
 これがほとんど毎朝のことだ。
 松の種子から松の芽が出かかっているのを見て、
 なんたる不思議さよと眼を瞠(みは)るのも、
 この男である。」
    (中島敦著「悟浄歎異」/李陵・山月記/角川文庫)

猪八戒はと言えば、

「その享楽家的な外貌の下に、
 戦々恐々として薄氷を履(ふ)むような思い」を潜ませ、
 (八戒にとって天竺への旅は)
「幻滅と絶望の果てに、最後に縋(すが)り付いた一筋の糸」
                      (上掲書)

三蔵法師・玄奘に至っては、

「不思議なかたである。実に弱い。驚くほど弱い。
 変化(へんげ)の術ももとより知らぬ。
 途(みち)で妖怪に襲われれば、すぐに掴まってしまう。
 弱いというよりも、まるで自己防衛の本能がないのだ。」
                      (上掲書)

                    

〈三蔵法師〉とは、仏教における「経蔵・律蔵・論蔵」の、
「三蔵」を修めたがゆえに冠される誉れ高き尊称であり、
ひとり玄奘に限ったものではなく、
歴史上には数多くの〈三蔵法師〉がおられます。

妖怪というのは、つまるところ人間が抱える煩悩の数々。
玄奘が、経・律・論の三蔵を修めた高僧であるにもかかわらず、
煩悩に翻弄され、他者によって救われ続けるという設定には、
大いに共感を覚えるものであります。

人間は、弱さを克服することも大切ですが、
弱さを持ち続けること、拙さを抱え続けること、
そうしたこともまた大切なことのように感じます。

               

古今に知られた物語の枠組みを使って、
瑞々しいキャラクターを付与された三蔵法師たち一行が、
誰しもの心に巣食う妖怪と向き合い、時に闘い時に和し、
人間の内界に広がる砂漠・荒野・天嶮・河海を越え、
「天竺」という名の希望に到るはずだった中島敦版「西遊記」。

中島先生は、親しい知人には「わが西遊記」と呼んで、
畢生の大作にする夢を語っておられたそうですが、
上述の「悟浄出世」「悟浄歎異」をプロローグとして、
壮大な冒険を始めた矢先、33歳の若さでこの世を去ります。

二度と紡がれることのない「わが西遊記」。
夜中にふと目覚めた悟浄が星々に想いを馳せたあと、
隣で寝息を立てる師父・三蔵法師の胸の内に共鳴し、
こんな独り言をつぶやく場面で唐突に終わります。

「俺は、心の奥に何かがポッと点火されたような
 ほの温かさを感じてきた。」






              











「原爆の残り火 」~ 砂の海峡

2018-08-05 14:01:11 | 音楽
去る2017年10月3日に逝去された佐伯敏子さんは25歳の時、
広島への原爆投下によって両親を始め多くの親類縁者を失い、
御自身も原爆後遺症に苦しみながら、
広島・平和祈念公園内の原爆供養塔を守り続け、
原爆の惨禍を後世に伝える語り部として活動されました。

その佐伯敏子さんの壮絶な体験を中心として、
原爆によってお亡くなりになった方々の遺骨を巡る真実を、
ジャーナリスト堀川惠子氏が詳細に著わした

「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」文藝春秋社刊


上掲書に刻まれた、佐伯敏子さんの述懐のひとつ

「あんなひどい戦争を、いったい誰が起こした。
 学校の先生に怒ってみたり、軍人を恨んでみたり、
 天皇を呪ってみたりもした。
 でも自分はなぜ、あの時、戦争に反対しなかったのだろう。
 竹やりをもって、誰かを殺す練習ばかりして、
 最後は自分の家族を殺された。
 なぜ戦争とは、
 人が人を殺すことだと気づかなかったのだろう。」
   (堀川惠子著「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」)

              =◯◯◯=

明日は、
広島に原爆が投下されてから73回めの8月6日。

私は戦争を知らない世代です。
それゆえにこそ戦禍・戦災に対する自分自身の無知が、
どれほど危険なことかを自覚しながら、
先の大戦および広島・長崎への原爆投下について、
学び続けなければなりません。

原爆の残り火 ~砂の海峡 reprise ~