~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

2020-06-28 16:07:26 | 雑感
当地は、午前9時頃まで強い雨。
雨が上がるのを待ちきれずに訪れた気ノ池のほとりには、

アガパンサスが咲いていました。

               

テレビから流れる〈宝塚記念ファンファーレ〉を聴きながら、
この曲を作った頃は髪の毛があったし元気だったなぁ・・などと、
当時を振り返って寂寥の感に身を縮めておりましたところ、
画面に映し出された優駿たちの尻尾が、疾駆するスピードのため、
地面と平行にたなびくさまに連想が触発されたせいでしょうか、
ふと脳裡に浮かびましたのは〈ヴァイオリンの弓〉。

御承知おきの通り、ヴァイオリンの弓は、
主にペルナンブーコ(ペルナンブコ・フェルナンブコ)材の弓身に、
馬のシッポの毛(尻尾毛・馬毛)を張って作られています。

以前、ヴァイオリン演奏家の方にお話を伺ったところでは、
一口に「馬のシッポの毛」と言っても、
馬の種類・性別・年齢などによって毛質は異なり、とりわけ、
モンゴル産・カナダ産・ロシア産・イタリア産・アフリカ産等々、
馬の生息地により毛質が違い、その違いは“ 音 ”に現れるため、
好みが分かれ、何より“ お値段 ”が変わるのだそうです。

ヴァイオリンの本体が大事なのはもちろんのこと、
その本体から音を引き出す〈弓〉がまた重要ということを教わり、
その時、何となくではありますが、
〈弦〉と〈弓〉との摩擦によって音が生まれ出るという、
〈擦弦楽器〉の在り方なり宿命なりとでもいうものが、どこかこう、
人と人とが擦り合わされることで刻々に移りゆく“ 人間関係 ”、
人と人との摩擦熱が原動力となって動いてゆく“ 人間社会 ”、
そうしたものに重なるような気がしました。

親子・兄弟・夫婦・師弟・上司部下等々のあらゆる関係においては、
どちらが弦側で、どちらが弓側かということは措くとしても、
その擦れ合いが美しい音を奏で、心地よい響きを醸す関係もあれば、
その摩擦が耳障りな音を立て、双方が傷つく関係もあります。
人間関係・組織・集団というものも、一つの擦弦楽器と考えた時、
良い音を奏でるための演奏技量・技術の必要性はもとよりのこと、
おろそかにできないのは、常に楽器の状態を把握することと、
細やかなメンテナンスでしょうか。

               

〈弓〉ということで、最近興味深い文献を読みました。
奈良県立医科大学耳鼻咽喉・頭頚部外科特任講師、
和田耳鼻咽喉科医院(大阪府)医院長、
和田佳郎先生がお書きになった、
「脳は自分の周囲の空間をどう捉えるか」という論文。
(月刊“ 臨床神経科学 ”vol.38 no.6 / 中外医学社刊に掲載)
内容は表題にあるように、空間における自己の位置・方向・姿勢・
傾き・動きの認識を意味する〈空間識〉を扱ったもので、
この空間識の概要を、

「視覚から入力した外界情報と前庭(半規管、耳石器)感覚や
 体性感覚から入力した自己情報を前庭神経核、小脳、上丘、海馬、
 頭頂連合野の各レベルで統合・抽出し、
 最終的に大脳の前庭皮質で形成されると考えられている」

とした上で、弓道選手の空間識についての実験報告が為されます。

◎弓道選手の大学生24人
◎野球・テニス・サッカーなどの球技を行っている大学生35人
◎弓道も球技も行っていない大学生34人

上記の3グループに対して、
静的視覚外乱(特殊な眼鏡をかけてもらい視覚誤差を起こす)、
動的視覚外乱(被験者の周りの壁を動かして身体動揺を起こす)、
という2種の外乱を加え、その反応を観察・計測・分析します。

実験手法は複雑で、ここに記すには煩瑣に過ぎるため、
実験結果のみを紹介させて頂きますと、
弓道選手は、他の2グループに比べて、静的・動的双方の、

「外乱に対する復元力が優れている」

ことが明らかになり、

「弓道選手は視覚よりも体性感覚にウエイトを置いた空間識を
 獲得している可能性が強く示された。」

つまり、弓道選手は姿勢制御などにおいて、
外側から揺さぶりをかけられた際の立ち直りが速い、
ということでありますが、私が個人的に惹きつけられたのは、
実験報告の最後に記された、以下の考察。

「弓道の根幹である胴造り(足踏みを基礎として両脚の上に
 上体を正しく安静におき、腰を据え、左右の肩を沈め、
 脊柱および項を真直ぐに伸ばし、総体の重心を腰の中央におき、
 心気を丹田に納める動作)が、その決め手なのかもしれない。」

               

「心気を丹田に納める」

実際のところ「心気」も「丹田」も科学では証明できません。
しかし証明できないから存在しない、というのではなく、
今回の実験結果に対する和田先生の考察に見られるように、
〈エビデンス〉と〈論理性〉に基づく科学的アプローチが、
〈ナラティブ〉と〈情緒性〉を背景とする「心気」や「丹田」、
といった存在を、図らずも暗示する・・・という、
この辺りの消息に、ある種の感動を覚えるものであります。

弓道に限らず、
およそ“ 道 ”なるものの一端を体現する体系的な身体動作は、
「心気を丹田に納める」ことを旨とし、
その為に行われるのが“ 稽古 ”であることは論を俟ちません。

“ 稽古 ”とは「古(いにしえ)を稽(かんがえ)る」の意。
この「稽る」は、「考える」という意味のほかに、
「尊ぶ・留まる・身につける」といった意味があるとされます。
そうであるならば“ 稽古 ”とは、古い時代の文化や思想、
古い時代の技法や智慧、古い時代の創作物等々を尊び、
自己の何割かを、過去数千年のどこかに敢えて留め置き、
普遍的な“ 流れの力 ”というでも言うべきものを学び、
身につける、ということが本義であるのかも知れません。

私自身は、そうした“ 稽古 ”の本義からは程遠いものですが、
それでも何か新しいものを創造したいと願う人間である以上、
歴史を学び、古典・古伝の世界に想いを寄せるぐらいの姿勢は、
保持してゆきたいと思います。

               

冒頭、宝塚記念に触れましたが、
このレースが開催される阪神競馬場の北部近位には、
歳月の風雪に耐えて法灯を今に伝える名刹、
中山寺(なかやまでら)があります。

中山寺には、
本尊の十一面観世音菩薩を始めとした多くの尊格が祀られ、
その中の一尊に〈愛染明王〉が含まれていると聞きます。
古来、愛染明王(あいぜんみょうおう)は、
六本の腕を持つ“ 多臂像(たひぞう)”として表され、
その内の左右一対の手に〈弓と矢〉を執ります。

愛染明王は、その尊名に「愛」を掲げ、手に執る弓矢が、
ヨーロッパ神話“ 愛のキューピッド ”の弓矢を想わせるためか、
愛染明王をして、縁結びの尊格のように捉えがちですが、
これは中世以降の民間信仰によるもの。

では愛染明王が弓矢を手に執ることの真意とは何か?

ワタクシめごときに分かろうはずもありません。
只、愛染明王が登場する唯一の経典が、
「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経
(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)」で、
弘法大師・空海上人が開いた高野山・金剛峯寺(こんごうぶじ)の、
「金剛峯」は、この「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」に因むもの、
ということを想ってみますと、
その真意の大きさ・広さ・深さが伝わってくるように感じられ、
愛染明王の本願が、少なくとも縁結びのようなものでは無い、
ということだけは察することが出来ます。


              








アジサイは〈水の器〉

2020-06-21 15:18:50 | 音楽
東海地方も梅雨入りしてから一週間以上が過ぎました。
大気中に増してゆく水はアジサイの喉を潤し、

アジサイは花の球を揺らして水に応えます。


紫陽花は英語で“ Hydrangea ”。

“ Hydrangea ”の語源は、ギリシャ語の、
“ hydro(水)”と“ angeion(器)”の合成語なのだそうで、
“ Hydrangea ”とは、つまり〈水の器〉。
     

そう知ってみますと“ Hydrangea/水の器 ”という名前からは、

この植物と雨期との関係性や、
この植物と水との親和性が伝わってくるように感じられます。


梅雨の時期、とかく心は湿りを帯び、気持ちも曇りがちですが、
雨期がなければ作物は育たず、
水がなければ生命は存続し得ない事を想えば、

〈水の器〉の意を秘めた紫陽花に心惹かれるのは、
唯その花が美しいから・・・というだけではなく、
もしかしたら紫陽花と触れ合う度、自身では気付かずとも、
“ 水 ”に生かされていることの不思議さや、
“ 水 ”という〈命のふるさと〉への思慕といったようなものが、
意識の奥深いところに、小さく灯るからなのかも知れません。

               

関東在住時に作曲しました組曲「うつろい」から〈紫陽花の章〉。
何年か前、既に動画サイトに上げた楽曲ですが、
楽曲はそのままに、映像は今月の紫陽花を幾つか並べてみました。
御視聴頂けましたら幸いに存じます。

組曲「うつろい」より“ 紫陽花の章 ”


組曲「うつろい」は、今のところ、
桜・紫陽花・キンモクセイ・コスモスの4曲がありますが、
構想としては、あと8曲が加わっての全12曲。
作曲に取り掛かれる日が来るのかどうかさえ分かりませんが、
それもこれも“ うつろい ”のままに。


              








ガブリエルの左手には 2020

2020-06-14 12:57:13 | 日常
東海地方の〈梅雨入り〉を見越して、先週の土曜日(6/6)、

名古屋・千種公園に広がるユリ園に行ってまいりました。

今年は5月末あたりから、
日中の気温が30度を超える真夏日が続いたせいでしょうか、

既にして満開でありました。

意匠化されたユリとしては、フランス語で「ユリの花」を意味する、
“ フルール・ド・リス ”図像がよく知られています。

この図像が、いささか紛らわしく感じられるのは、
図像名こそ“ フルール・ド・リス(ユリの花)”であるものの、
描かれているのが〈アヤメ〉科の花であるというところ。

〈アヤメ〉の意匠が「ユリの花」と呼ばれる理由、もしくは、
「ユリの花」と名付けられた意匠が実は〈アヤメ〉である理由には、
様々な説があるようですが、それはそれとして、
“ フルール・ド・リス ”図像は、種々の権威を象徴しているため、
国旗・団体旗などに少なからず採用されてきました。

そのうちの一つが〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦〉の連邦旗。
この辺りが難しいのですが〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦〉は、
主権国としての〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ〉とは異なり、
〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ〉という主権国家を構成する、
構成体の一つなのだそうです。 なので当然のことながら、
〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ〉には国家としての国旗があります。

「この辺りが難しい」と申し上げた「この辺り」とは、
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの歴史のことで、それは、
ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人(人口構成比順)、
それぞれの民族が持つ歴史・文化・宗教・生活様式の違いから、
バルカン半島の北西地域で繰り返された衝突の歴史であります。

1992年から3年半に亘った〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争〉は、
死者20万人、難民200万人を数え、第二次世界大戦後における、
最悪の紛争とも伝えられますが、中でも〈民族浄化〉思想のもと、
セルビア人勢力によって行われたジェノサイド(大量虐殺)・
通称〈スレブレニツァの虐殺〉では、極めて短時間のうちに、
8000人を超えるボシュニャク人が殺害されたとされ、
世界に衝撃が走りました。

セルビア人勢力が、非戦闘地域への攻撃を行い、
そのため民間人に多数の死傷者が出たことを受けて、
NATO軍がセルビア人勢力の拠点に大規模空爆を開始し、
紛争は和平交渉に向かうこととなったのだそうですが、
そうした経緯はどうであれ、戦争や紛争というものは、
争い合う双方が自らの正当性を主張して事実は歪められる為、
どちらが正しいということは一概に判断出来ません。

先の〈スレブレニツァの虐殺〉を画策主導した内の一人とされ、
紛争終結後、長きに亘り逃亡生活を続けるも逮捕され、
国際司法裁判所によって終身刑を言い渡された人物の本業は、
“ 詩人であり精神科医 ”であったと伝わります。

子供たちに向けた詩作も多く、詩人としても医療従事者としても、
評判は高かったそうで、今もセルビア人の中には、
その人物を「英雄視」している人達も多いのだとか。

本当のところは分かりません。
只、大雑把に過ぎることを承知の上で概観するならば、
詩人という、大自然の息吹を感受するはずの人間、
精神科医という、病める心に光を灯すはずの人間が、
国際司法裁判所によって裁かれるような、そして、
終身刑を言い渡されるような大量虐殺を主導していた・・・、
ということでありますが、
歴史上これに類する事例は、挙げればキリがありません。

こうしたことを見聞するにつけ、人間は一つの磁性体であり、
その内界には常に正反対の極性が存在していて、
平時には“ 愛 ”や“ 慈悲 ”の極性で生きていても、
有事には“ 憎 ”や“ 暴虐 ”の極性へと反転する等々、
状況や環境次第で、真逆の極性にシフトするというような、
実に危ういもの・・・との感を深くします。

いや、なにも磁性体などという、知った風なことを持ち出さずとも、
誰しもが持つ〈ジギル・ハイド性〉で事足りるのかも知れませんし、
地球が昼夜を反復し、気象が静動を繰り返すことの縮図として、
人間も又、一つの個体に二つの相反する性質を宿すのであれば、
それはむしろ自然なこと。
危ういのは、そのことを自覚しないことでありましょうか。

               

ユリの花から“ フルール・ド・リス ”図像に想いを巡らせる内に、
はしなくも〈ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争〉に行き当たり、
取りとめもないことを書き連ねてしまいました。

本当は、ユリの花を左手に携えた大天使ガブリエルについて、
浅薄な私見を弄するつもりでしたが、既に紙幅も尽きましたので、
以下、千種公園のユリを何枚か、駄文の“ お口直し ”までに。
















              








聖地巡礼 Ⅱ ~ 城山八幡宮 ~

2020-06-07 15:33:08 | 音楽
デパートの入り口に座る百獣の王もマスクを着用。


               

室町時代末期、天文十七年(1538)、
織田信長(1534~1582)の父、織田信秀(1511~1552)が、
尾張国・愛知郡・末森(末盛とも)の地に築いたのが末森城。
信秀は末森城を拠点として織田家の勢力を養い、その逝去後は、
信長の弟・信勝(生年不詳~1558)が城主となるものの、
信勝は、兄の信長と尾張の覇権を争った後、討ち取られます。
(信勝には、他に信行・達成・信成等の名前があります。)

現在、城山八幡宮が建つ場所は、その末森城の跡地だそうで、
〈お堀〉など、それと察せられる遺構が歴史を今に伝えています。
八幡宮の前身は、創建を五百年ほど前に遡ることが出来るとされ、
現在の城山八幡宮には、
八幡神(応神天皇・神功皇后・仲哀天皇の御神霊)の他に、
明治時代に合祀された何柱もの神々が鎮座しておられます。
主だった神々としては、
木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)
大山祗神(おおやまつみのかみ)
菊理媛命(くくりひめのみこと)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)

上記のうちの一柱“ 菊理媛命 ”は、
先の信勝が、加賀国(石川県)白山比咩神社から勧請し、
末森城内に祀っていた分霊を引き継いだものと聞き及びます。

実の親子兄弟が命を奪い合う戦乱の時代、
争いたくなくとも争わざるを得ない人間の業、
時の移ろいにかかわりなく営まれる人々の暮らし、
繰り返される平穏と不穏、それでも明日を信じる心、
時と場所を超えて祀られる神々、人々の祈り・・・、

城山八幡宮を参拝する度、

“ 全ての場所には歴史があり、全ての人には物語がある ”

この想いを強くするものであります。

御視聴頂けましたら幸いに存じます。

背景音楽には、2007年に作曲したストック楽曲を使用。

動画中には〈連理木〉が登場します。御承知置きの通り、
〈連理木〉は、概ね一つの根から生え育った樹木の幹なり枝なりが、
一旦は別方向に分かれ伸びるも、再び繋がり融合する樹態の総称で、
その姿が、人智を超えた運命や巡り合わせの不思議さを想わせ、
古来より“ 縁結び ”の願いを託されてきました。

城山八幡宮の〈連理木〉は、霊験あらたかと伝わります。