朝方は陽が射しておりましたので、
傘も持たずに出かけましたところ、
一天にわかに掻き曇り、
霰(あられ)とも雹(ひょう)ともつかない大小の氷粒が、
ピシピシバラバラと降り注ぎ、加えて雨風共に強まって、
すっかり濡れネズミに。
普段の行いや心掛けが悪いとこうなるのであります。
城山八幡宮に着く頃には、
霰も雹も降り止んで、薄日が射し始めました。
政府主催「人生100年時代構想会議」有識者メンバーの一人で、
1935年生まれの若宮正子さんは、60歳を過ぎてから、
退職金で初めてのパソコンを購入し、独学でPC操作を習得、
81歳の時にゲームアプリ“ hinadan ”を開発・公開し、
世界最高齢プログラマーとして、米アップル社に特別招待され、
また国連会議でもスピーチされました。
84歳となられた現在、
「全てのサービスを、車いすを一歩も降りなくても共有できる」
という理念で運営されるウェブサイト〈メロウ俱楽部〉副会長、
NPO法人ブロードバンドスクール協会理事等を務められ、
シニア世代へのデジタル機器普及活動に尽力されています。
(参考資料:月刊福祉2020年3月号/全国社会福祉協議会刊)
偶々手に取りました上記福祉系月刊誌上において、
若宮さんに対するインタビュー記事を読ませて頂きました。
その発言に溢れる創意、語られる内容の瑞々しさは、
若宮さんの御年齢やプロフィールを存じ上げなかったならば、
新進気鋭IT起業家のものと勘違いするところでした。
(高齢になるとデジタル機器の操作を)
『「誰も教えてくれない」と嘆く人がいますが、
◯◯して「くれない」族になるのではなく、
自分から開拓していこうという気持ちが必要です。』
(引用元:前掲書/以下『』内は同誌)
(いくつになろうと)
『失敗しても経験になりますから、失敗しても構わないのです。』
『生きがいは、もたされるものではなく、
自分でつくるべきものです。』
若宮さんが、老人ホームを訪れた時のこと。
そこでは手芸など様々な講座が開かれてはいたものの、
参加している方々の顔が少しも楽しそうではなかったそうです。
老人ホームの所長から相談を受けた若宮さんは、
入所しているお年寄りの方々が作った作品をバザーで販売し、
その収益を〈子ども食堂〉のイベント等に活用するなど、
社会に役立ててみては?・・・と提案されたそうです。
この提案を読んで思い出しましたのは、
厚生労働省・医政局・統括調整官他を務められる江崎禎英氏が、
JPTA NEWS誌上で語られた体験談。
江崎氏は職務の特性上、介護施設を訪れる機会が多く、
それら施設の内の一つで、職員の方から聞かされたのが、
“施設に入所しているお年寄りの方々は、
何をするにつけても介護・介助者の手を借りなければならず、
食事をするにも「ありがとう」、トイレへ行くにも「ありがとう」、
朝から晩まで誰か彼かに「ありがとう」を繰り返し言い続け、
就寝時には、夜間の介護スタッフに向け、
「生きてて、ごめんね」
と謝りながらベッドに入る。”
(参考資料:JPTA NEWS vol.322/JPTA発行)
という事実・実情。
「ありがとう」「ごめんね」を言い続けることが、
お年寄りにとって、精神的な負担であることに気付かされ、
江崎氏は、どんな小さなことでも良いので、
お年寄りが役割を持つことで、逆に誰かから「ありがとう」と
言って貰える環境作りが大切なのだと痛感したといいます。
人は、「ありがとう」と言うより、
「ありがとう」と言われることに喜びと生きがいを感じます。
そのことを想うとき、若宮さんが先の老人ホームに提案した、
誰かに役立つような活動、誰かから感謝されるような活動は、
お年寄りに「ありがとう」と言わせてしまうのではなく、
お年寄りに向けて若い世代が「ありがとう」と伝えられる、
そうした環境や状況を作り出すことに通じ、その辺りを含んで、
若宮さんはこう語られます。
『老人ホームにはいっていても、
誰かのためになりたいのですよ。
自分も支える側になりたいと思っている方は
少なくないはずです。』
我が身を振り返るに、
他者から「ありがとう」と言われるよう努めることはあっても、
他者に「ありがとう」と伝えること、及び、
「ありがとう」と伝える状況を生み出すことの方は、
随分とおろそかになっていることに思い当たります。
精神科医・神田橋條治先生は御著書の中で、
相手を尊重する方法の一つは、
自分の知らないことを教えて貰う事だ、と書かれていました。
思えば旅立った両親も、その最晩年、
末期がんにより痩せ衰えて横たわっている時でさえ、私が、
「昔は、◯◯はどんな風だった?」とか、
「◯◯は、どうやって調理するんだっけ?」とか尋ねますと、
急に瞳を輝かせ、ひととき病気を忘れたかのように、
滔々と、また生き生きと語り始めたものでした。
当然のこと私も、
「へぇ、そんな風だったんだ、知らなかった、ありがとう」
「あぁ、味醂を加えるんだ、知らなかった、ありがとう」
と自然かつほぼ無意識に感謝の言葉を伝えるわけですが、
その度に父も母も、何となく口辺に笑みが漂うようでした。
おそらくは私が何かを尋ねる都度、
「自分は息子の知らないことを知っている・・・」
「自分が教え伝えなければ・・・」
「自分は必要とされている・・・」
「自分は尊重されている・・・」
そのような感覚を体内に蘇らせていたのかも知れません。
若宮正子さんの言葉で、印象深いものをもう一つ、
『80代はまだこれからで、70代は若手です。』
傘も持たずに出かけましたところ、
一天にわかに掻き曇り、
霰(あられ)とも雹(ひょう)ともつかない大小の氷粒が、
ピシピシバラバラと降り注ぎ、加えて雨風共に強まって、
すっかり濡れネズミに。
普段の行いや心掛けが悪いとこうなるのであります。
城山八幡宮に着く頃には、
霰も雹も降り止んで、薄日が射し始めました。
政府主催「人生100年時代構想会議」有識者メンバーの一人で、
1935年生まれの若宮正子さんは、60歳を過ぎてから、
退職金で初めてのパソコンを購入し、独学でPC操作を習得、
81歳の時にゲームアプリ“ hinadan ”を開発・公開し、
世界最高齢プログラマーとして、米アップル社に特別招待され、
また国連会議でもスピーチされました。
84歳となられた現在、
「全てのサービスを、車いすを一歩も降りなくても共有できる」
という理念で運営されるウェブサイト〈メロウ俱楽部〉副会長、
NPO法人ブロードバンドスクール協会理事等を務められ、
シニア世代へのデジタル機器普及活動に尽力されています。
(参考資料:月刊福祉2020年3月号/全国社会福祉協議会刊)
偶々手に取りました上記福祉系月刊誌上において、
若宮さんに対するインタビュー記事を読ませて頂きました。
その発言に溢れる創意、語られる内容の瑞々しさは、
若宮さんの御年齢やプロフィールを存じ上げなかったならば、
新進気鋭IT起業家のものと勘違いするところでした。
(高齢になるとデジタル機器の操作を)
『「誰も教えてくれない」と嘆く人がいますが、
◯◯して「くれない」族になるのではなく、
自分から開拓していこうという気持ちが必要です。』
(引用元:前掲書/以下『』内は同誌)
(いくつになろうと)
『失敗しても経験になりますから、失敗しても構わないのです。』
『生きがいは、もたされるものではなく、
自分でつくるべきものです。』
若宮さんが、老人ホームを訪れた時のこと。
そこでは手芸など様々な講座が開かれてはいたものの、
参加している方々の顔が少しも楽しそうではなかったそうです。
老人ホームの所長から相談を受けた若宮さんは、
入所しているお年寄りの方々が作った作品をバザーで販売し、
その収益を〈子ども食堂〉のイベント等に活用するなど、
社会に役立ててみては?・・・と提案されたそうです。
この提案を読んで思い出しましたのは、
厚生労働省・医政局・統括調整官他を務められる江崎禎英氏が、
JPTA NEWS誌上で語られた体験談。
江崎氏は職務の特性上、介護施設を訪れる機会が多く、
それら施設の内の一つで、職員の方から聞かされたのが、
“施設に入所しているお年寄りの方々は、
何をするにつけても介護・介助者の手を借りなければならず、
食事をするにも「ありがとう」、トイレへ行くにも「ありがとう」、
朝から晩まで誰か彼かに「ありがとう」を繰り返し言い続け、
就寝時には、夜間の介護スタッフに向け、
「生きてて、ごめんね」
と謝りながらベッドに入る。”
(参考資料:JPTA NEWS vol.322/JPTA発行)
という事実・実情。
「ありがとう」「ごめんね」を言い続けることが、
お年寄りにとって、精神的な負担であることに気付かされ、
江崎氏は、どんな小さなことでも良いので、
お年寄りが役割を持つことで、逆に誰かから「ありがとう」と
言って貰える環境作りが大切なのだと痛感したといいます。
人は、「ありがとう」と言うより、
「ありがとう」と言われることに喜びと生きがいを感じます。
そのことを想うとき、若宮さんが先の老人ホームに提案した、
誰かに役立つような活動、誰かから感謝されるような活動は、
お年寄りに「ありがとう」と言わせてしまうのではなく、
お年寄りに向けて若い世代が「ありがとう」と伝えられる、
そうした環境や状況を作り出すことに通じ、その辺りを含んで、
若宮さんはこう語られます。
『老人ホームにはいっていても、
誰かのためになりたいのですよ。
自分も支える側になりたいと思っている方は
少なくないはずです。』
我が身を振り返るに、
他者から「ありがとう」と言われるよう努めることはあっても、
他者に「ありがとう」と伝えること、及び、
「ありがとう」と伝える状況を生み出すことの方は、
随分とおろそかになっていることに思い当たります。
精神科医・神田橋條治先生は御著書の中で、
相手を尊重する方法の一つは、
自分の知らないことを教えて貰う事だ、と書かれていました。
思えば旅立った両親も、その最晩年、
末期がんにより痩せ衰えて横たわっている時でさえ、私が、
「昔は、◯◯はどんな風だった?」とか、
「◯◯は、どうやって調理するんだっけ?」とか尋ねますと、
急に瞳を輝かせ、ひととき病気を忘れたかのように、
滔々と、また生き生きと語り始めたものでした。
当然のこと私も、
「へぇ、そんな風だったんだ、知らなかった、ありがとう」
「あぁ、味醂を加えるんだ、知らなかった、ありがとう」
と自然かつほぼ無意識に感謝の言葉を伝えるわけですが、
その度に父も母も、何となく口辺に笑みが漂うようでした。
おそらくは私が何かを尋ねる都度、
「自分は息子の知らないことを知っている・・・」
「自分が教え伝えなければ・・・」
「自分は必要とされている・・・」
「自分は尊重されている・・・」
そのような感覚を体内に蘇らせていたのかも知れません。
若宮正子さんの言葉で、印象深いものをもう一つ、
『80代はまだこれからで、70代は若手です。』