いやいや、お暑うございます!
本日のインド・ニューデリーの気温 : 28度
本日のアフリカ・モロッコの気温 : 22度
本日の日本・名古屋の気温 : 36度
日本は、
もはや熱帯・亜熱帯諸国を超える災害級高温多湿警戒国。
にも拘らず、
屋外での仕事なり部活なりが平気で行われてしまう国。
“ Young little Dragon holds the MANI ” ~ 童龍抱珠
龍は活動的で勇ましいものと思われがですが、
龍が好む人というのは、
よく眠る人、よく休む人、よくボーッとする人とも伝わります。
龍の国 “ 琉球(りゅうきゅう)” とは「龍休(りゅうきゅう)」。
「龍休」とは、つまり「龍宮(りゅうきゅう)」であり、
ひいては「龍宮(りゅうぐう)」であるという説もあり、
だいたいボーッとしている早川は、この説を支持します。
古今東西を問わず、
作曲家の経済事情というものは安穏逸楽なものではないようで、
ベートーヴェン(1770~1827)のような音楽史上の英雄でさえ、
ある時は経済不安を抱え、ある時は金策に奔走しています。
交響曲第5番、通称「運命」を作曲して、
パトロン(支援者)の貴族から受け取った金額は、
一説に “ 500フローリン ” とも謂われ、
当時の為替相場を勘案すると、
日本円の130万円程度だったとか(諸説あります)。
これが多いのか少ないのかは一概に判断できませんが、
もしも師匠本人がオーケストラの演奏料を始め、写譜代・
楽譜印刷代・ホール使用料ほか諸々の経費を支払っていたならば、
手元には僅かしか残らなかったのではないでしょうか。
もしかしたら「赤字」だったかも。
ワーグナー(1813~1883)は、
何度も破産寸前まで追い込まれた上で、
バイエルン国王からの経済援助を獲得し、
チャイコフスキー(1840~1893)は、
借金等々の理由で自殺未遂にまで及んだところを、
資産家(フォン・メック夫人)からの年金で救われ、
ドビュッシー(1884~1916)は、
金銭感覚が麻痺していたものの、
2番目の配偶者(エンマ・バルダック)が支えたことに加え、
理解ある音楽出版社が作品を購入し続け・・・と、
各人各様に御苦労されたと伝わります。
尤も、作品が売れに売れ、
30代後半という若さで巨万の富を築いた為か、
後半生を半ば “ 料理研究家 ” として送られた、
ロッシーニ(1792~1868)のような方もおられますが、
果たして御本人の胸中はどうであったのか?
“ 二足のわらじ ” ということでは、
例えばホルスト(1874~1934)は、
教職で生計を立てながら作曲活動を続け、
フィリップ・グラス(1937~現在)は、
一時期タクシー運転手として生計を立てながら、
自らの音楽を深化させています。
ボロディン(1833~1887)は、
化学者・病理学者として名実共に高く、こちらが本業。
この本業と社会活動とに忙しく従事されながら、
多忙の合間を縫って、あれだけの名曲を書かれたわけで、
50代前半での旅立ちは「早逝」とは言えないまでも、
「忙殺」に等しいものだったのかも知れません。
・・・などと、
取り止めも無いことを書き連ねてしまいましたが、
何に致しましても、
音楽と “ お金 ” ・・・色々と大変ですよね。
協奏組曲「宇宙の本懐」より《螺旋》
皆様、良き日々でありますように!
本日のインド・ニューデリーの気温 : 28度
本日のアフリカ・モロッコの気温 : 22度
本日の日本・名古屋の気温 : 36度
日本は、
もはや熱帯・亜熱帯諸国を超える災害級高温多湿警戒国。
にも拘らず、
屋外での仕事なり部活なりが平気で行われてしまう国。
“ Young little Dragon holds the MANI ” ~ 童龍抱珠
龍は活動的で勇ましいものと思われがですが、
龍が好む人というのは、
よく眠る人、よく休む人、よくボーッとする人とも伝わります。
龍の国 “ 琉球(りゅうきゅう)” とは「龍休(りゅうきゅう)」。
「龍休」とは、つまり「龍宮(りゅうきゅう)」であり、
ひいては「龍宮(りゅうぐう)」であるという説もあり、
だいたいボーッとしている早川は、この説を支持します。
古今東西を問わず、
作曲家の経済事情というものは安穏逸楽なものではないようで、
ベートーヴェン(1770~1827)のような音楽史上の英雄でさえ、
ある時は経済不安を抱え、ある時は金策に奔走しています。
交響曲第5番、通称「運命」を作曲して、
パトロン(支援者)の貴族から受け取った金額は、
一説に “ 500フローリン ” とも謂われ、
当時の為替相場を勘案すると、
日本円の130万円程度だったとか(諸説あります)。
これが多いのか少ないのかは一概に判断できませんが、
もしも師匠本人がオーケストラの演奏料を始め、写譜代・
楽譜印刷代・ホール使用料ほか諸々の経費を支払っていたならば、
手元には僅かしか残らなかったのではないでしょうか。
もしかしたら「赤字」だったかも。
ワーグナー(1813~1883)は、
何度も破産寸前まで追い込まれた上で、
バイエルン国王からの経済援助を獲得し、
チャイコフスキー(1840~1893)は、
借金等々の理由で自殺未遂にまで及んだところを、
資産家(フォン・メック夫人)からの年金で救われ、
ドビュッシー(1884~1916)は、
金銭感覚が麻痺していたものの、
2番目の配偶者(エンマ・バルダック)が支えたことに加え、
理解ある音楽出版社が作品を購入し続け・・・と、
各人各様に御苦労されたと伝わります。
尤も、作品が売れに売れ、
30代後半という若さで巨万の富を築いた為か、
後半生を半ば “ 料理研究家 ” として送られた、
ロッシーニ(1792~1868)のような方もおられますが、
果たして御本人の胸中はどうであったのか?
“ 二足のわらじ ” ということでは、
例えばホルスト(1874~1934)は、
教職で生計を立てながら作曲活動を続け、
フィリップ・グラス(1937~現在)は、
一時期タクシー運転手として生計を立てながら、
自らの音楽を深化させています。
ボロディン(1833~1887)は、
化学者・病理学者として名実共に高く、こちらが本業。
この本業と社会活動とに忙しく従事されながら、
多忙の合間を縫って、あれだけの名曲を書かれたわけで、
50代前半での旅立ちは「早逝」とは言えないまでも、
「忙殺」に等しいものだったのかも知れません。
・・・などと、
取り止めも無いことを書き連ねてしまいましたが、
何に致しましても、
音楽と “ お金 ” ・・・色々と大変ですよね。
協奏組曲「宇宙の本懐」より《螺旋》
皆様、良き日々でありますように!