~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

秋葉山 圓通寺

2022-05-29 14:18:18 | 神社仏閣
何年か前に授かった御札を納めるべく、

秋葉山 圓通寺(あきばさん えんつうじ)を参拝しました。


圓通寺は、

熱田神宮・東門から南へすぐの場所。


こちらは圓通寺境内に建つ、

十一面観世音菩薩を祀る御堂。


こちらの御堂には弁財天が祀られています。


                 

久しぶりに圓通寺を訪れましたところ、境内の一角には、

新しく毘沙門天像が祀られていました。
幡(のぼり旗)に記された奉安日から察するに、
昨年(令和3年)末頃に鎮座されたものと思われます。
毘沙門天王は、寅年に所縁のある尊格なので、
もしかしたら本年(令和4年)の干支、
壬寅(みずのえとら)を迎えるにあたっての記念事業として、
発願造立されたものなのかも知れません。

近くに寄りますと、こういった感じ。

『毘沙門天王 功徳経』には、毘沙門天の姿は、
「右手に宝珠棒を執り、左手に宝塔を捧げ持つ」とありますが、
こちらの尊像は、右手に三叉戟(さんさげき)を執るという、
巷間流布するスタイルで造られています。

幡には、毘沙門 “ 尊天 ” と染め抜かれていますが、
“ 尊天 ” と聞きますと、早川にとりましては何を措いても、
洛北・鞍馬山に鎮座する鞍馬寺の “ 尊天 ” であります。
鞍馬寺では、
千手観世音菩薩・毘沙門天・護法魔王尊、の三尊を融合し、

《 三身一体 “ 尊天 ” 》

として祀っておられます。
早川は20代前半から鞍馬寺に詣でるようになって以来幾星霜、
ここ数年は組織勤めに明け暮れ、足も遠のいておりますが、
“ エア参拝 ” とでも申しましょうか、ともすると、
心は鞍馬・貴船の地を彷徨っているような次第であります。

当ブログでは、何度も書かせて頂いております事ながら、
鞍馬寺に纏わる最も有名な伝説と言えば、以下の二説。
一つは、
今を去る “ 650万年前 ” 現在の鞍馬寺・奥之院所在地に、
金星から護法魔王尊が降臨、今なお奥之院の地下世界にて、
人類救済に向け御修行中・・・というもの。
もう一つは、
鞍馬寺に預けられた牛若丸、後の源義経(1159~1189)に、
鞍馬山に棲む “ 天狗 ” が剣法等の武術を教え授けたというもの。
以上二説のうち前説は、ほとんど “ MARVEL ” の世界。
護法魔王尊降臨伝説が醸成された経緯は複雑で、
筆力の乏しい早川が軽々に論じられるものではありませんが、
鞍馬寺に祀られている護法魔王尊の尊像は “ 天狗 ” の姿。
後説は源義経という歴史上の実在人物を巡る伝説ながら、
気になるのは、やはり “ 天狗 ” なる存在でありましょう。
かくの如く現実と夢幻とが壮大なスケールで融け合う “ 場 ” 、
それが鞍馬山であり、人々を再生へと導く霊山の一つと心得ます。

                 

話を元に戻しまして秋葉山 圓通寺。
この寺院の御本尊 “ 秋葉権現 ” なる尊格は、
古来、火伏せ・火難除けに霊験ありとされてきました。
海外の石造り建築と違い、わが邦は長きに亘り、木と紙の家屋。
現実的な防火対策と共に、火防祈願は必須であったことから、
“ 秋葉権現 ” は広く信仰されてきた歴史があり、東京の電気街・
秋葉原の地名も “ 秋葉権現 ” に由来するものと伝わります。
では、この “ 秋葉権現 ” の姿たるや如何に?
既に御承知置きのこととは存じますが、
これが “ 天狗 ” なのであります。

とは言え、世に「権現(ごんげん)」と称される存在は、
その名の通り「権(かり)に現れた」ことを意味します。
つまり “ 秋葉権現 ” イコール “ 天狗 ” ではなく、
何者かが「権(かり)」に “ 天狗 ” の姿として「現」れたのが、
“ 秋葉権現 ” ということであります。
では、その「何者か」とは果たして誰なのであり、
“ 秋葉権現 ” と称されはするものの、
“ 天狗 ” にしか見えない尊格の正体とは一体誰のことなのか?
それが、

“ 不動明王 ” なのであります。

                 

現代においては、

「あいつさぁ、ちょっと売れたからって、
 最近 “ 天狗 ” になってるよね・・・」

という風に、
高慢な人間の代名詞とされる “ 天狗 ” ですが、
それはあくまでも “ 天狗 ” の面相で特徴的な長い鼻と、
得意げな様子を表す「鼻たかだか」という言葉とが、
後世において掛け合わされたまでのこと。
“ 天狗 ” の性格が高慢であるとするのは誤解でありましょう。
むしろ信仰・伝説・民話等々から浮かび上がってくるのは、
「天狗さま」「天狗どの」と慕われ親しまれてきた歴史。

“ 天狗 ” として現れる秋葉権現の姿で、共通する特徴は概ね二つ。
一つは、
右手に剣を執り、左手に羂索(けんさく、けんじゃく)を持つ、
というもので、これはまさしく不動明王の姿に他なりません。
もう一つは、背中に大きな翼を生やす、というもので、
この大きな翼は、どこか西欧の天使の翼を彷彿とさせます。

天使の造形が東へと伝わり、古代インド発祥の不動明王と融合。
“ 天狗 ” 仕様の秋葉権現は、日本の修験道において果たされた、
天使と不動明王との “ ハイブリッド尊格 ” ・・・、

などと申しては叱られもしましょうが、
鞍馬寺の護法魔王尊といい、圓通寺の秋葉権現といい、
“ 天狗 ” という異形の尊格には、
遥か遠い場所、遠い次元の響きを聴く思いがしてなりません。

                 

さて秋葉山 圓通寺を後に致しまして、

こちらも久しぶりの熱田神宮へ。


弘法大師・空海上人(774~835)が植えたとされる大楠。

本日は、この角度から。


ふと気配を感じ、視線を転じてみれば、

いらっしゃいました・・・熱田の霊鳥。



皆様、良き日々でありますように!



               






高牟神社

2022-05-22 15:54:00 | 神社仏閣
早朝の気ノ池・気ノ森

風が吹いていない時は、池面が水鏡となります。


アオサギも、しばらく羽根を休めたら



それっ!



バサッ!



スイーッ・・・と


                 

先日、初めて参拝してまいりましたのは、
名古屋・今池の地に歴史を刻んで千有余年とも伝わる、
こちらの高牟神社。

高牟神社の「高牟」は「たかむ」と読みます。


こちらが本殿



参拝客が引きも切らず訪れておられました。



高牟神社の御祭神は、

◯高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
◯神産霊神(かみむすびのかみ)
◯応神天皇(ほんだわけのみこと)

の三柱で、社伝に由りますと、
第13代:成務天皇の時代(131年頃)に産霊神二柱が鎮座され、
第56代:清和天皇の時代(858年~876年)には産霊神に加えて、
応神天皇が祀られるようになったとのこと。
応神天皇とは、すなわち “ 八幡神 ” のことであります。
なんでも、
応神天皇の神像は香木で彫り上げられた “ 束帯乗船 ” 坐像、
つまり正装して船に乗る姿と伝わり、この言い伝えを以て、
世に “ 出船八幡 ” 、又は一帯の旧地名「古井(ふるい)」に因み、
“ 古井八幡 ” とも呼ばれ尊崇されてきたのだそうです。

御承知置きの通り、
産霊神とは、私たちを含む天地・アメツチの一切を、
“ 産霊(むすび)” の力によって創造生産、育化育成する神として、
古事記や日本書紀に登場します。

                 

高牟神社が鎮座する場所の旧名が「古井」であり、
この神社が “ 古井八幡 ” とも称されてきたことは先に記しました。
「古井」とは文字通り「古い井戸」の意でありますが、
「古い」と言うのは、
あくまでも後の時代の人々から観て「古い」に過ぎず、
井戸をリアルタイムで活用していた人々にとっては、
常に「新しい」井戸であり、
おそらくは清冽な泉が滾々と湧いていたのでありましょう。

その泉の名残りを想わせる手水舎

手水舎は「てみずしゃ」とか「ちょうずや」とか、
様々な呼称がありますが、この辺りが日本語の煩瑣なところで、
「海」などは「うみ・あま・かい・うな・あ・うん・み」と、
文字列や文脈に従って読み分けられることを余儀なくされます。
手水舎については、
早川は個人的に「ちょうずや」と呼んでおります。

手水舎の格子には 、
“ 古井の霊水は信仰の水 ” ゆえ、おろそかにしないよう、

との但し書きが貼り出されています。

日本各地には霊山・霊地・聖所・聖域と呼ばれる場所がありますが、
そこには概ね “ 御神水 ” “ 御霊水 ” とされる水が湧いています。
例えば山形県に所在する湯殿山神社の御神体は、
神像でも神器でもなく、地底から湧き出る “ 湯 ” そのもの。
聖なる “ 湯 ” と、その “ 湯 ” を産出する山塊そのものが、
神々の “ 社殿 ” であるがゆえに “ 湯殿山 ” であります。

「むすび」と謂いますと、
「産霊(むすび)」「 結(むす)び 」「 掬(むす)び」・・・、
などが思い浮かびますが、この土地の旧名「古井」が示す通り、
その由来となったような霊泉が湧いていたのであれば、
産霊(むすび)の神の「むすび」が、
霊泉の水を両手で「すくう」行為を意味するところの、
「掬(むす)び」に通じていると考えるのは自然のこと。

感謝の心で水を「すくう」ことは、
巡り巡って、水に「救われる」ものと心得ます。

                 

高牟神社の境内には、

天満天神も祀られています。


こちらは、

北野天神社に隣接する高牟龍神社。


境内の一角に勧請された稲荷社へと通じる鳥居参道は、

稲荷神の世界へと通じる “ 緋色の回廊 ” 。

                 

「産霊(むすび)」「 結(むす)び 」「 掬(むす)び」と、
想い尽きせぬ「むすび」の世界でありますが、
身近なところでは、握り飯のことを「おむすび」と呼びます。
「おむすび」の由来には諸説ありますが、
古神道の行法に「緒産霊(おむすび)」なる作法があり、
その動作というのが、臍下丹田(せいかたんでん)の辺りで、
左右の両手を握り合わせて震わせるというもので、

この所作が、握り飯を作る時の動きを連想させることから、
握り飯のことを「緒産霊(おむすび)」と言うようになった、
という一説があります(上掲写真、自撮り “ 緒産霊 ” イメージ)。

説の真偽はさて措き、
そもそも人はこの世に産声を上げてから、
呼吸によって地球の大気と「むすばれて」生き、
摂取によって地球の恵みと「むすばれて」活動する存在なれば、
それを意識するしないは別としても、誰しもが、
その生涯を「むすび」の世界に送ることに違いはありません。
最近よく耳にする “ グラウンディング ” とは、
地球と自身との「むすび」に集中する瞑想法と言えるのかも。

この辺りを想いますと、

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神産霊神(かみむすびのかみ)

といった「むすび」の神々に感謝を捧げ、拝を為すというのは、
人間生命を生きる者にとっては特別な意味を持つものと、
そのようにも感じられてまいります。



皆様、良き日々でありますように!


               








“ お礼参り ” 続行中

2022-05-15 18:06:36 | 神社仏閣
組織勤めを無事に終えられたことへの感謝を捧げに、
本日も神社仏閣へと短い足をフル稼働・・・と、その道すがら、
むむっ!遥か上空に未確認飛行物体を発見!



と思いきや、

飛行船でありました。


そういうわけで、早川は “ お礼参り ” 続行中。

本日(5月15日)は、まず名古屋・大須の北野神社へ。


当ブログでは、幾度となく書かせて頂いておりますが、
「大須観音」として名高い、北野山・真福寺・宝生院の山号、
北野山の「北野」とは、

菅原道真公(845〜903)を祀る北野天満宮のこと。


大須観音の北東側は人影もまばらで、

静かに参拝することが出来ます。


天満天神と言えば、この “ 梅花紋 ” でありますが、

大須観音の源流が天神信仰に在ることを物語るかのように、


真福寺・宝生院(大須観音)の寺紋は、

御覧の通り “ 梅花紋 ” であります。


ということで、

北野神社から大須観音へ


本日は日曜日ということもあって、

堂の内外は、大勢の参拝客で賑わっていました。


♫ 遍路は続くよ、どこまでも・・・



さて本日の “ お礼参り ” の締めくくりは、

大須の富士浅間神社であります。


隣接する稲荷社の参道には、

早くも紫陽花が揺れていました。


皆様、良き日々でありますように!


               











シンクロニシティ

2022-05-08 15:23:01 | 雑感
5月上旬、気ノ池の畔には、

黄菖蒲の彩りが添えられます。


楠の若葉をスクリーンにして影絵を映し出しているのは、

地球から約1億5千万 kmの彼方から届く太陽の光。
小さくとも壮大な “ 宇宙影絵 ” と呼びたくもなります。


シダの若芽は渦を巻き、弦楽器のスクロールを想わせます。

奏でられているのは、秘曲 “ 生命譜 ” でありましょうか。

                 

さて、いつものように気ノ森でボーッとしておりますと、

1頭の蝶が飛来しました(蝶の単位は “ 頭 ” と聞き及びますので、
当ブログでは蝶の数え方を「1頭2頭・・」とさせて頂きます)。


漆黒の大きな体と翅根の辺りに灯る赤橙色の明かり。

“ ナガサキアゲハ ” とお見受けしました。

御承知置きの通り、
ナガサキアゲハの “ ナガサキ ” とは、九州の長崎。
なんでも江戸時代後期に日本を訪れたドイツ人医師、
かのシーボルト(1796~1866)が、
この蝶を長崎で発見したことに由来するのだとか。

早川は只今 “ 断捨離 ” を心掛けておりまして、
長年に亘り書棚や引き出し等々に入れっぱなしになっていた、
書類やら何やらを思い切って処分している最中なのですが、
実は、
気ノ森で “ ナガサキ ” アゲハを見る前日、書類処分作業中に、
かつて佐世保市の市制100周年記念を祝して作曲した、
「SASEBOファンファーレ」なる楽曲を演奏して頂く御縁で、
“ 長崎 ” 県を訪れた時の資料や写真の数々が出てまいりました。

懐かしきは長崎県。
佐世保に到着して早々、居酒屋で歓迎の宴にお招き頂き、
宴は2次会3次会と続き、気が付けば明け方の5時。
4時間後にはファンファーレの演奏会場に居なければならず、
「そろそろお開きにした方が・・・」と申し上げると、

『そいばってん、帰しまっしぇん!』

と、そこからさらに、
トビウオで出汁を取った名物ラーメンまで頂戴致しました。

その時出会った方々の人情、人柄、心意気、
記念式典後に訪れた九十九島、ハウステンボス、
佐世保市から足を伸ばしての長崎市内各所、原爆資料館、
“ 如己堂先生 ” こと永井隆博士の足跡、浦上天主堂、
二十六聖人記念館、坂本龍馬の余韻漂う亀山社中址等々、

年来、ついぞ思い出す事の無かった長崎の風光が甦った翌日、
ナガサキアゲハを見たということであります。

これを単に “ ナガサキ ” つながり・・・として、
さほど意にも留めなければ、それまでの話なのでありますが、
スイスの心理学者ユング(1875~1961)は、
「そこに何らかの意味が在るであろう偶然の一致」を、

“ Synchronicity ”

と呼びました。そうだとしますと、
長崎を訪れた思い出の数々を久しぶりに手にした翌日、
ナガサキアゲハを目の当たりにするという現象、
これも一種の “ シンクロニシティ ” なのでは・・・?
などと思ったような次第なのであります。

尤も、そこに在るであろうと思われる「何らかの意味」は、
事象の当事者が自分自身で探索し見出し、或いは、
自分自身で「何らかの意味」を創出してゆく必要があります。
そうでなければ、
それは只の “ Coincidence(偶然の一致)” に過ぎません。

“ Coincidence(偶然の一致)” と、
“ Synchronicity(意味の在る偶然の一致)” は、似て非なるもの。

おそらく “ 偶然の一致 ” という現象は日常茶飯事であり、
これを “ 意味の在る偶然の一致 ” にする、
言わば “ シンクロニシティ化 ” する?しない?は当事者次第と、
そういった側面があるように感じられます。
そこで、
その「何らかの意味」を自らに問うておりましたところ、
そう言えば以前から気になる人物がいて、
いつか調べよう・・・と考えていたことに思い当たりました。
その人物というのが、
シーボルトの娘 “ 楠本イネ ” 女史(1827~1903)。

日本医療史における女性医師の草分け的存在で、
数奇な上にも数奇な運命を辿られた人物、
ということぐらいは存じ上げているのですが、
その先に進まぬまま歳月が打ち過ぎてしまいました。
これから、この方について書かれたものを、
色々と読んでみようかと思います。

かつて訪れた場所の地名と、飛来した蝶の和名。
もしかしたら “ 長崎 ” という響きを通して現れた、
“ シンクロニシティ ” の意味が、そこに在るのかも知れません。

                 

ナガサキアゲハとの邂逅を果たしてから向かった城山八幡宮



参道に群生するヒラドツツジに蜜を求めるのは、

クロアゲハでありますが・・・いや、待てよ?


アゲハが飛来しているヒラドツツジの “ ヒラド ” は、

“ 長崎 ” 県の平戸に由来していたような。

などと、だいぶ怪しげな確証バイアスに傾いてしまいましたが、
“ シンクロニシティ ” にせよ、昨今の “ 量子脳理論 ” にせよ、
人間の意識活動・無意識活動というのは、広大無辺の宇宙同様、
解明され得ぬことが多い世界であることに違いはありません。

弘法大師・空海上人(774~835)が、人間の心のことを、

“ 秘密曼荼羅 ”

と呼んだことに、あらためて思いを馳せるものであります。



皆様、良き日々でありますように!


               









ヤングケアラー

2022-05-01 13:05:44 | 日常
関東から東海へと転居して以来、先月末に至るまでの5年間、
職務上、多くの若者たちと交流を持ちましたことは、
既に以前のブログ記事に書かせて頂きました。

また今後は、彼ら彼女たちとの “ 交流 ” 、
文字通り「流れの交わり」し所に “ かつ消えかつ結ばれた ” 、
心の泡沫(うたかた)を、音の泡沫へと変換できれば・・・、
というような、淡い願いも記したかと思います。
そんな願いはともかく、いま振り返りますと私自身にとって、
彼ら彼女たちとの交流は、何にも代え難い財産であり、
本日は、彼ら彼女たちから学んだことについて、
いささか想いを巡らせてみたいと思います。
個人情報保護の観点から、数名の事例を混在させて、
一人の事例として記しておりますことを御了承下さい。

                 

その女子学生の事を、ここでは仮に「Mさん」とさせて頂きます。
早川は、彼女のおかげで “ ヤングケアラー ” の実態というものを、
初めて知る事ができました。
現時点で “ ヤングケアラー ” に明確な定義は無いものの、
日本ケアラー連盟が示す定義の一例では、

「家族にケアを要する人がいる場合に、
 大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、
 介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子供」

とされています。ただし、
大阪歯科大学医療保健学部 教授:濱島淑惠氏によれば、

『イギリスでは18歳未満をヤングケアラー、
 18歳以上をヤング・アダルトケアラー、
 オーストラリアでは25歳までをヤングケアラーと呼ぶ。』
(濱島淑惠「ヤングケアラー(家族のケアを担う子どもたち)~
 現状とその背景」月刊福祉2021年6月号 / 全国社会福祉協議会)

というように、
対象年齢については国によって違いがあるようです。

                 

Mさんの母親は、Mさんが高校生のときに脳梗塞を発症しました。
御承知置きの通り、
脳梗塞は発症から医療処置までが一刻を争われるもので、
その時間が短ければ短いほど予後良好とされています。
Mさんの母親は、発症から施療開始までが迅速であった為、
順調に回復され、適切なリハビリテーションの効果もあって、
目立った障害や症状は遺らなかったそうです。
しかし、それはあくまでも、

「目立った障害や症状」

が後遺しなかった、というだけのこと。
脳梗塞に限ったことではありませんが、
特に脳血管障害を発症された方は、発症前と発症後では、
身体感覚が一変し、ある意味で世界が激変します。

「目立った障害や症状」は、検査の結果や症状の評価において、
“ 数値 ” として現れますが、
「目立たない障害や症状」つまり患者本人にしか分からない、
痛み・違和感・不快感・異常感覚等々といったものは、
なかなか数値に現れ難い為、医療者に感知されることなく、
施療の対象から外れることになります。

一例として早川自身のことを申し上げますと、
脳血管障害ではありませんが、
早川は1年半ほど前に右眼緑内障の手術を受けました。
目的は、緑内障による視野欠損の進行を食い止める為であり、
確かに手術が功を奏し、
視野欠損の一因となる眼圧の上昇は抑えられています。
しかし術後、ほとんど右眼の視力を失いました。
「見えない」のであります。

ところが実に不思議な事に、
毎度の検診・検査においては、数値上 “ 経過良好 ” で、
医療者からは、

「見えていますね」

と告げられるのであります。
病者本人である私が「見えていないのですが・・・」と、
事分けて説明申し上げても、なかなか理解が得られません。

Mさんの母親も、動作分析や感覚検査から得られる数値上、
「異常が認められない」のですが、そこには、
「数値に表れない異常」が、厳然と存在するのでありました。

発症前、Mさんの母親は家事をテキパキとこなし、
Mさんによれば「気の強い」方だったそうですが、
発症後は、以前のようには家事をなさらなくなり、
また「精神的に不安定で感情の起伏が激しく」なって、
朝、Mさんが登校しようとすると具合や機嫌が悪くなり、
「今日は何時に帰れるのか」と尋ね、
「なるべく早く帰ってほしい」と訴えるようになったそうです。

そういうわけで、
食料品の買い出し、食事の支度、食器洗い、洗濯等の家事を、
主にMさんが行っているのですが、Mさんは言います。

「私は、お母さんのことが大好きなので、
 家事は少しも “ 苦痛 ” ではない。」

けれども、何が “ 苦痛 ” かと言えば・・・それは、

「クラスメートとのオンライン学習に参加できないこと、
 友達から掛かってくる電話に出られないこと、
 送られてくるLINEに返信できないこと」

Mさんは、クラスメート数名で構成されたグループによる、
“ グループ学習 ” という課題を遂行しなければなりません。
下校後も、友人同士 Skype 等でオンライン学習に励み、
また自分が担当する学習範囲で参考となる文献を検索し、
その文献内容をまとめ、資料を作成する必要があります。
そこに加えて小テストやレポート課題も多く、
レポート課題には提出期限が設けられていて猶予はありません。
食事の支度や片付けで忙しく、友人達からの電話に出られないと、
LINEには「どうして出ないの?」「何やってるの?」と、
厳しめの文言が送られてきます。

ほんの些細な行き違い、その積み重なりが、
「クラスメートとの関係を悪化させてツライ・・・」
Mさんは、そう言ってポロポロと涙をこぼすのが常でした。

家事に時間を費やすだけではありません。
家事の合間には、Mさん自身がツライにも拘らず、
母親の不安定なメンタルに寄り添い、精神的なサポートも行います。

彼女の目指す道が医療系ということもあるのでしょうが、
解剖学・生理学・運動学等々、高度な専門知識を習得する為、
明け方まで勉強し、僅かな睡眠の後、登校するという毎日。

最初にMさんを見かけた時から、
だいぶ疲れてるなぁ・・・とは感じていましたが、
色々と話すうちに、家庭の事情を聴かせて貰うようになり、
ようやく彼女から滲む疲労感の理由を知りました。つまり、

挨拶を交わす程度の交流では「何も分からない」のであります。

                 

現在でこそ、“ ヤングケアラー ” と名付けられてはいますが、
“ ヤングケアラー ” なる存在は、何も昨今生まれた存在ではなく、
古来より、又いつの時代にも「家族を看護する子ども」、
「家族の世話をする若年者」は存在しました。

しかし社会全体の価値観とでも申しましょうか、
「家族の世話をするのは当たり前」とされ、
また当事者本人も、それが日常となっていて、
問題が問題視されてこなかったという経緯があります。
その意味では、この “ ヤングケアラー ” 問題への取り組み、
特に日本における取り組みは、未だ端緒についたばかり。

学校法人増田学園 千葉女子専門学校 専任教諭:初谷千鶴子氏は、
「子ども家庭福祉の視点から見るヤングケアラーの抱える課題」
の中で、子どもがケアを担わなくても済むような家族支援を、
福祉制度上にどう位置づけるかということに触れた上で、

『今後、福祉、教育、医療、就労支援、地域関係者などの
 多層的な支援体制をどのようにつくれるかが カギ 』
(引用元:上記論文 / 月刊福祉2021年6月号 / 全社協)

と記されています。

Mさんが “ ヤングケアラー ” であったことから、
早川は “ ヤングケアラー ” の問題を知り、彼女との交流を通して、
多くの学びを授かりました。
尤も、ことは “ ヤングケアラー ” に限ったことではなく、
早川が若者達との交流を通して、日々思いを新たにしたのは、

「人は誰しもが、大小の差こそあれ、
 何らかの “ 事情 ” を抱えながら生きている。」

ということであります。
しかし、このシンプルにして自明の理を、
早川は普段すっかり忘れております・・・なぜか?
それが自明の理だから。

例えば呼吸は、生命維持の基本かつ最重要活動であるにも拘らず、
それが自明の理であるがゆえに、人は呼吸を忘れて生きています。
ただ時として息苦しさを覚えたり、ストレスを抱えたりした際、
息を深く吸ったり吐いたりして初めて、
「あぁ、自分は呼吸をして生きているんだなぁ」
と気付かされます。

「人は誰しもが、大小の差こそあれ、
 何らかの “ 事情 ” を抱えながら生きている。」

時には、この自明の理を思い起こし、

人それぞれが抱える “ 事情 ” の中身は分からなくても、
「きっと何か事情があるんだろうなぁ」と想像してみることは、
ややもすれば停滞しがちな人と人との交流に、再び、
ゆるやかな流れを取り戻す契機となり得るものと思います。
この、

「きっと何か事情があるんだろうなぁ」

と想像してみるというのは、
つまるところ、相手を「思いやる」ことに他なりませんが、
ここが中々難しいところで、
特に社会や組織というものは、集団を運営してゆくため、
「如何なる事情をも考慮しない」ことを基本原則とします。
しかし、
“ 事情 ” なる熟語には “ 情(なさけ)” の一字が含まれています。
“ 事情 ” の原義はどうであれ、この “ 情(なさけ)” の一字は、
極めて深く大きな意味を持つものと心得ます。

幸いな事に、Mさんには、彼女の “ 事情 ” をよく知る親友がいて、
彼女の学校生活をサポートしてくれています。そしてMさんも又、
親友が抱える “ 事情 ” を理解し、親友の心の支えとなっています。
誰に限らず、
人は自分自身の “ 事情 ” を知ってくれている存在なり、
“ 事情 ” を抱えて生きる自分を丸ごと肯定してくれる存在なりが、
ひとり居てくれれば、それだけで生きてゆくことが出来ます。

この辺りの機微、消息といったものも、
若者達の姿から、あらためて授かった学びと申せましょう。

別れに際し、
Mさんと、その親友から頂いたドライフラワーの花束。

若者達の前途に、幸多からんことを祈ります。


皆様、良き日々でありますように!