~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

菩薩 その2

2021-04-25 15:11:53 | 仏教
城山八幡宮のヒトツバタゴが花期を迎えています。


               

〈菩薩(ぼさつ)〉については、以前にも触れました。
〈菩薩〉は、私にとって親しみを覚えつつも謎、近いようで遠く、
憧れでありながら理解が及ばないという存在であり、
それゆえにこそ、音楽・宇宙・自然・生命と同様、
想いを馳せ続けたい“ テーマ ”の一つ。
今回は、この〈菩薩〉について、二週に亘り浅慮を巡らせます。
愚考駄文はもとよりのこと・・・と、お許しを願った上で、
お付き合い頂けましたら幸いに存じます。

               

仏教には、夥しい数の尊格が登場し、それらは御承知置きの通り、
阿弥陀如来・大日如来・薬師如来等の〈如来〉部、
観世音菩薩・弥勒菩薩・地蔵菩薩等の〈菩薩〉部、
不動明王・愛染明王等・孔雀明王等の〈明王〉部、
毘沙門天・弁財天・大黒天等の〈天〉部にカテゴライズされるため、
仏教解説書、或いは法話を講じる僧侶の方々の中には、
上記カテゴライズを人間世界の社会集団や会社組織に重ね、
〈如来〉を社長、〈菩薩〉を部長、〈明王〉を係長、
〈天〉を現場の社員になぞらえて説いておられる場合があります。

それは「分かりやすさ」という観点からは良いのかも知れません。
しかしながら、そもそも仏天・仏尊の世界と人間の世界とは、
別次元の秩序、異なったオーダーで生起しているのであり、
上記のような“ 比喩 ”は、
あたかも仏尊の世界に“ 階級 ”や“ 職階 ”があるかのような、
誤解を生むことに繋がりかねません。

私見ながら、仏尊の世界に、
“ 人間社会のような上下関係 ”や、
“ 人間社会のような地位・職階 ”といったものは存在しません。

確かに経典の中には、
「〈明王〉が〈菩薩〉の命を受けて立ち上がり・・・」とか、
「〈菩薩〉が〈如来〉の許しを得て説法を始め・・・」といった、
さも上下関係や命令系統が有るかのような記述が随所に見られます。

しかしそれらは“ 人間社会のような上下関係 ”ではなく、
あくまでも“ 仏尊世界の上下関係 ”と受け止められるべきもので、
人間世界と仏尊世界とでは、
この“ 上下関係 ”という言葉の定義自体が全く異なり、
人間の生活感覚で推し量ることは出来ない事象であると思います。
平たく申せば、
〈明王〉が〈菩薩〉の意向を忖度したり、
〈菩薩〉が〈如来〉の顔色を伺ったりする・・・、
そういうことは一切無いということであります。

               

仏教は、のちに開祖となるゴータマ・シッダールタが、
コーサラ国に属するシャ―キャ族の王子としての、
「“ 地位 ”を捨てる」ところから始まりました。

にも拘わらず、仏教が開かれた初期段階から、
「“ 修行 ”を積む」ということと、
「“ 地位 ”を得る」ということとが、
少しずつ結びつけられるようになってゆきます。
つまり、
“ 修行 ”を積んで“ 悟り ”を得ることで、
“ 偉いひと ”になるという誤解が生まれます。

仏教の原点から考えるならば、「“ 修行 ”を積む」ことで、
「“ 地位 ”を捨てる」ことが出来る、もしくは、
「“ 地位 ”を得よう」という心を捨てることが出来る、或いは、
「偉いひと」ではなくなることが出来る・・・はずなのですが、
そうはいかないのが、人間の半ば哀しく、半ば面白いところ。

釈迦に付き従った〈十大弟子〉と呼ばれる方々は、
仏道精進において極めて優れた方々なのでありますが、
その優れた方々の中においてでさえ、
力関係・優劣・地位の上下などが自ずと生じています。

どのような理念・理想・共同幻想を謳ったとしても、
およそ集団化し、組織化されてしまえば、
それら理念・理想等を抱く人々自身でさえも、いつしか、
それら理念・理想等から離れてゆかざるを得ないのであり、
卑近なところで考えてみますと、それは例えば、
スローガンとして「真の平等」を掲げた組織が在ったとしても、
その組織で働く従業員の方々には歴然とした職階があり、
給与等々も「真の平等」とはゆかないようなものでありましょう。

               

この辺りの事情には、“ 世界 ”と“ 業界 ”との違い・・・、
といったこともあろうかと思います。
つまり、
ゴータマ・シッダールタが感得したのは“ 仏教世界 ”。
その後の修行者集団や教団組織が生き、
近現代の宗教団体や宗教法人が生きているのは、
“ 仏教世界 ”のように見えて、実は“ 仏教業界 ”。

“ 世界 ”は、独りで探求し、一人で歩むもの。
“ 業界 ”は、集団で維持し、組織で経営するもの。

仏陀(=釈迦=ゴータマ・シッダールタ)が語った、

『犀(サイ)の角のように、ただ独り歩め』

という言葉には、
人間が「“ 世界 ”寄り」から「“ 業界 ”寄り」へと、
変遷しやすい生き物であることへの警句、
そういった要素が含まれているのかも知れません。

仏教に限らず、これを“ 音楽 ”に置き換えた時、
“ 音楽世界 ”は、宇宙開闢から宇宙終焉まで、
もしくは宇宙開闢以前から宇宙終焉以降も存在し続けるため、
個人が、人間生命として感得できる部分だけを感得し、
独りで探り、一人で浸り、ひとりで深め、
ひとりで楽しむことが出来るものと言えます。
引き換えて、
“ 音楽業界 ”は、個人によって感得されたものを金銭に変え、
広め、利益を上げ、特定集団の維持を図らなければなりません。

“ 世界 ”と“ 業界 ”とは似ているようで、
依って立つ原理や秩序が、まるで違うものと思います。

               

さて〈菩薩〉であります。
古来、仏教において〈菩薩〉は仏道修行者であり、
修行を成就した後には〈如来〉になるとされます。
こうした考えが流布したがゆえに、あたかも〈菩薩〉が、
修行の報酬として〈如来〉へ“ 昇進 ”するかような誤解、
もしくは〈菩薩〉が〈如来〉への“ 昇格 ”を目指して、
修行するかのような誤解が生じることは、
すでに冒頭に記させていただきました。

お恥ずかしい話でありますが、
私自身、そうした誤解を持ち続けておりました。

〈菩薩〉は〈如来〉になりたいわけでもなく、
〈菩薩〉は〈如来〉を目指して修行するわけでもなく、
〈如来〉が〈菩薩〉より偉いわけでもなく、
〈菩薩〉が〈如来〉より劣っているわけでもなく、
〈如来〉と〈菩薩〉との間に資格的境界があるわけではない。

では〈菩薩〉とは、いったい何者なのでありましょうか?

その答えの一つが、今を去ること約1600年ほど前、
中国大陸の北西部に実在した“ 北涼(ほくりょう)” 国において、
曇無讖(385~433 / 本名 “ ダルマクシェーマ ” が音訳され、
通常「どんむせん」と呼ばれる、中インド出身の訳僧)によって
漢訳された、大方等大集経(だいほうどう だいじっきょう)・
巻第十六・虚空蔵菩薩品(こくうぞうぼさつ ほん)・第八ノ三に、
以下の如く謳われています。

“ 空相を相となすも、空はまた無相なり、
 この相を体する者、これを菩薩となす。
 
 滞(たい)なく礙(げ)なく、戯(け)なく動(どう)なく、
 始めなく終わり無き、これを菩薩となす。

 衆生を離れず、衆生の数に非(あら)ずして、
 衆生の性(しょう)の如くなる、これを菩薩となす。 ”
      (偈文引用元:下泉全暁「諸尊経典要義」青山社刊)

本日は紙幅の都合を以って、ここまでとさせて頂き、
次回、この感動的な〈菩薩〉の定義に想いを巡らせます。

               

“ 空相を相となすも、空はまた無相なり、
 この相を体する者、これを菩薩となす。
 
 滞なく礙なく、戯なく動なく、
 始めなく終わり無き、これを菩薩となす。

 衆生を離れず、衆生の数に非ずして、
 衆生の性の如くなる、これを菩薩となす。 ”






              






交流

2021-04-18 16:40:06 | 自然
先週は蕾だった城山八幡宮の躑躅も、

今週は、この通り満開に。

               

本日訪れましたのは、

名古屋市内を流れる一級河川・矢田川(やだがわ)であります。


私が立っておりますのは〈宮前橋(みやまえばし)という河川橋。

西の方角を撮っています。
川は西へと流れ、ここから約7km先で、
さらに大きな一級河川・庄内川(しょうないがわ)と合流し、
矢田川の流れを飲み込んだ庄内川、換言するならば、
庄内川へと生まれ変わった矢田川は、そこから約20kmを流れ下り、
名古屋港、すなわち伊勢湾へと注ぎ出ます。

               

古来、人生は川の流れに譬えられますが、
人生における人と人との交わり、その在りようも又、
川の流れと重なり、川の流れに比され得るものであるかと思います。
人と人との交わりを指す「交流」という言葉は、
その辺りを物語るものでもありましょう。

自然界の河川を映して、人と人との「交流」の河川にも、
急流あり、緩流あり、清流あり、濁流あり、或いは又、
水量豊かな時もあれば、水涸れて流れの途絶える時もあります。



同じ相手との「交流」においても、
仲が良いかと思えば悪くなりもし、
相手に振り回されるかと思えば、いつしか相手を振り回す。
沈黙の内にも相手の思いが手に取るように分かりもすれば、
相手が何を考えているのかサッパリ分からない。
断絶していたままの交わりが、ふとした契機から再開する等々、
「交流」という河川の流れと、その両岸を含む景観は、
まことに彩り豊かにして多種多様であります。

それらの全ては、相手の在ることだけに、
自分の意志や思いのままになるようなものではなく、
「交流」の文字通り、“ 流れ ”のままに“ 流れ ”移ろうもの。

そんな「交流」の秘訣とは何なのでありましょうか?

川岸に立つ大きな栗の樹の緑陰に佇んで、
昨日の雨で水量の増した矢田川の川音に耳を澄ます内に、

“ 来るもの拒まず、去るもの追わず ”

不思議な歌が聴こえてくるような気がしました。




             









桜の章 〜 “ 気ノ池 ”の桜 編

2021-04-11 14:43:03 | 音楽
4月も中旬に差し掛かり、当地の桜樹も、

すっかり新緑の装いへと変わっています。

城山八幡宮の藤も、一気に開花し、



鳥居を臨む参道の躑躅(つつじ)は、

自らを神前の燈明とするかのように咲き始めています。

               

3月下旬頃から撮り溜めていた動画を編集してみました。
映っている桜は全て、“ 気ノ池 ”周辺緑地の桜。
ひとときお楽しみ頂けましたら幸いに存じます。


使用楽曲:組曲「うつろい」より“ 桜の章 ”(2016)
ヴィオラ:西村葉子 / フルート:坂元理恵 / 作曲:早川太海

               

関東から転居して4年、うつ向きがちな日々にあって、
桜の頃ばかりは、
花の微笑みに誘われるまま視線は高い位置へと導かれ、
顔は自ずと、空の方向・天の一角へと上がってゆきます。
私だけではなく、背中や腰が丸くなりがちなお年寄りの方々も、
桜花見たさに背筋を伸ばし、腰を立て、顔を上げておられました。
それは、桜樹によって触発された無意識の動作であり、
無理のない、極めて自然な所作のように見受けられました。

人には人の徳があるように、
花には花の徳というものがあろうかと思います。
それを仮に“ 花徳(かとく)”と呼ぶとしたら、
桜は、紛れもなく幾つもの“ 花徳 ”を備えていて、
その内の一つは、観る者の顔をして自然に上へと挙げ、
その心をして空へと、天へと向かわせることでありましょう。


             








山脇東洋の言葉

2021-04-04 12:31:44 | 歴史
『理 或いは顛倒すべくも、
 物 いずくんぞ誣いるべけんや。
 理を先にして物を後にすれば、
 則ち上智も失う無き能わぬ也。
 物を試みて言を其上に載すれば、
 則ち庸人も立つ所ある也 』

1754年(宝暦四年)、日本で初めての人体解剖を行った医師、
山脇東洋(1705~1762)は、それから5年後の1759年(宝暦九年)、
解剖から得た知識を「蔵志(ぞうし)」として出版します。

上掲の言葉は、その「蔵志」の中に記されたもの。
「顛倒(てんどう)」は、間違い、誤りの意。
「誣(し)いる」は、嘘をつく、あざむくの意。

「〈理〉は、時として間違うことがあるけれど、
 〈物〉は、嘘をつかない。
 〈理〉を先にして〈物〉を後にすれば、
 学識に秀でた人物であっても失敗を免れることができない。
 〈物〉を試して、そこから得られた知識を積み重ねれば、
 凡庸な人間であっても世の中の役に立つであろう。」

概ね、このような意味でありましょうか。
東洋先生が人体解剖を行い、実際に人間の内臓がどのような配置で、
どのように繋がっているのかが明らかになるまで、
日本の医学は、中国古来の生命論や身体観に由来する、
「おそらくこうだろう」といった曖昧な仮説に基づいたものでした。

1700年代には、長崎を経由して西洋の解剖学書が入手可能となり、
東洋先生は、自ら行った解剖によって実際に見た人間の内部と、
手に入れた西洋の解剖学書に載せられた人体解剖図とが、
驚くほど一致することに大きな感動を覚えると同時に、
それまで習い信じてきた中国伝来の観念的な人体内部像が、
あまりにも真実とはかけ離れたものであることに愕然とします。

冒頭に引いた「蔵志」の言葉は、
そうした背景から絞り出された言葉であることを想いますと、
〈理〉とは、おおよそ理論・理屈の〈理〉、
つまりは観念的・抽象的な机上の論を指し、
〈物〉とは、おおよそ実物・現物の〈物〉、
つまりは実地体験・実践経験を意味するものと思われます。
すると先の言葉は、

「理論・理屈や机上の論というものには誤りが生じるけれど、
 実際に自分の眼で見、自分の耳で聞いたことに誤りはない。
 理論に縛られ、或いは仮説や学説に捉われて、
 実地・実修・実践・実学をおろそかにすれば、
 優れた人物といえども間違いを犯す恐れがある。
 実際に挑み、行い、自分で実験し、実態を調べたりして、
 そうした試行錯誤の中から得られた実智に基づいてゆけば、
 誰しもが有用・有益なものを築き上げることができる。」

そのようなメッセージとして受け取れようかと思います。

               

精神科医・神田橋條治先生は著書の中で、こう語っておられます。

『わたくしは、
 種々の理論が彫琢精錬されていくのを目にするたびに、
 パーキンソンの法則を連想する。
 組織は完成の瞬間に機能を停止する。
 理論とて同じであるように思える。』

理論は自らの整合性と美しさを求めて完成へと突き進み、
その作用によって、いつしか理論は、

『実用性から遠ざかり、
 ただ論争というコトバ文化の場での力だけが強まる。』
    (神田橋條治著「精神療法面接のコツ」岩崎学術出版社)


音楽療法士・笠嶋道子先生も又、インタヴューに答えて、

『私もいろいろな理論を勉強しましたが、
 実践をしている人が書いたものでないのは、
 実際の現場には当てはまらないことが多かったですね。』

『確かに理論は必要ですが、
 実践の中から生まれた理論でなければ意味がありません。』
  (笠嶋道子著「そのままのあなたでいい」一橋出版株式会社)

神田橋先生の言葉も、笠嶋先生の言葉も、
今を去ることおよそ300年前に東洋先生が「蔵志」に記した、

『理 或いは顛倒すべくも、
 物 いずくんぞ誣いるべけんや。』

と、どこか通底し、響きあうもののように感じます。

               

〈理〉を理念・理想、〈物〉を現場・現実としてみた時、
東洋先生の言葉は医学を超え、
人間存在や社会病理といったものにも当てはまる気がします。

政府機関のパワーハラスメント相談員が、
部下の男性に対してパワハラを繰り返していた。
一流とされる企業のセクシャルハラスメント対策委員が、
部下の女性に対してセクハラを繰り返していた。

こうした事件が連日のように報道されていますが、
こうしたことは今に始まったことではありません。
古来より、
高尚な理念や高潔な理想を声高に唱える個人や組織に限って、
その実情や現場の実態は、およそ嘆かわしいもの。
総じて、
「理を先にして物を後に」しているがゆえに起きる災い、
と言えるかも知れません。

以上の事をあれこれ考え合わせてみますと、
東洋先生が伝えたいこととは、つまるところ、

「論より証拠」

では私自身はどうなのか?
これが哀しいかな、どうも〈理〉や〈論〉が先走り、
〈物〉すなわち〈実〉や〈証拠〉がおろそかになる傾向にあり、
東洋先生の言葉を自戒とするものであります。