この1年、小禍小病は数あれど、
まずまず無事に過ごすことが出来たことへの感謝を捧げに、
年の瀬恒例、外宮参拝に行ってまいりました。
外宮参拝に先立ち、まずは父祖の地巡拝ということで、
こちらは早朝の鳥羽駅前。
大きな鳥居は、金刀比羅宮・鳥羽分社の鳥居であります。
言わずもがなのことながら、鳥羽は海の町。
昭和31年(1956)、
漁業を主とした海事・海運従事者人口の多い鳥羽市民から、
海業安全を願い「海の町に海の神を」という強い要望の下、
金刀比羅宮本宮から御分霊が勧請され、
上掲の鳥居から少し離れた “ 樋の山(ひのやま)公園 ” に、
金刀比羅宮・鳥羽分社が建立されました。
したがって、この大鳥居から数キロ先に在る分社への道は、
金刀比羅宮・鳥羽分社の「参道 」なのでであります。
「参道」という特殊な場所は、
文字通り人々が参拝の為に通るがゆえの「参道」であると共に、
参拝による再生や回生を願う形而上的な「産道」でもあり、
帰りには感謝と歓びの念を以て財を散じる「散道」でもあると、
個人的解釈ではありますが、そんな風に感じます。
回り諄いことを書きましたが、何が言いたいのか?と申しますと、
この大鳥居こそは、往時の “ 鳥羽 ” という土地が、
人々の押し寄せる一大観光地であったことの証であり、
ケタ違いの活況ぶりを誇っていたことを今に伝えるモニュメント、
ということであります。
その辺りの事柄については稿を改めることと致しましても、
鳥羽駅に降り立ち大鳥居を仰ぎ見る度、“ 世の移ろい ” と、
当ブログテーマの一つ・・・
「全ての場所には歴史があり、全ての人には物語がある。」
このことを想うものであります。
因みに写真左側に写るのは、
鳥羽湾一帯で獲れた新鮮な海の幸を提供するお店。
開店前なのでシャッターが閉まっていますが、
この中の数件は “ 海女(あま)” の方々が営んでおられます。
鳥羽に所在するこちらの古刹を訪れ、
墓石の水鉢を洗って新しい水を差し上げるつもりが、
カンカンに凍っています。
素手で叩いてみたのですが、痛いばかりで割れる気配もなく、
されど石などを用いては墓石を傷つけそうなのでやめました。
毎年この時期、この時間帯に訪れておりますが、
そこは暖流 “ 黒潮 ” を望む志摩半島であれば、
薄く氷が張ることはあっても、ここまで凍結するのは初めて・・、
などと書いておりましたところ、巡拝から3日後の昨日(24日)、
クリスマス寒波襲来で、名古屋も今年初の雪化粧。
今冬の寒気は例年にも増して厳しいようで、
北国、雪国にお住まいの方々の御不便は如何ばかりかと存じます。
さて、伊勢市駅であります。
前回2013年に執り行われた第62回《式年遷宮》時に、
神宮が「新魂(あらたま)る」と共に、遷宮の余慶を受け、
駅および駅周辺も大きく「改(あらた)まった」感が有ります。
伊勢市駅前に立つ鳥居をくぐって真っ直ぐ進みますと、
程なくして外宮。
伊勢市駅前から外宮境内へと歩みを進める内に、
道はアスファルトから玉砂利へ、景観は市街地から蒼古の森へ、
音響はエンジン音・信号機音などの人工音から、
樹々のさざめき・鳥の囀りといった自然音へと変化してゆき、
その変化に伴い、同じ大気、同じ空間であるはずのものの中に、
いつしか名状しがたい “ 尊さ ” が醸されてくるのを感じます。
“ 尊さ ” と申せば、
元禄二年(1689)、松尾芭蕉(1644~1694)は伊勢を訪れ、
外宮・第46回《式年遷宮》の儀式を拝して、こう詠んでおられます。
『尊さに 皆おしあえぬ 御遷宮』
生あるものは必ず滅ぶのが定めである以上、私たちは「必滅」。
しかしながら、生滅を超えた存在の “ 尊さ ” は「不滅」。
『尊さに 皆おしあえぬ 御遷宮』という句からは、
「必滅」の存在が「不滅」の存在を信じ、敬い、慕い、祈り、
押し合いへし合いしつつ集う、333年前の光景が伝わってきます。
次回、第63回《式年遷宮》は、2033年に執り行われる予定。
現在の御正殿に隣接する、こちらの場所に、
新しい御正殿が建てられます。
境内に立つ神杉
夏の炎暑に灼かれて千年、冬の寒風にさらされて千年、
自らを誇ることなく立ち続けながらも、
否応無く樹皮に現れ出るのは、尊き “ 青 ” 、神さびた “ 蒼 ” 。
カメラ絞りの具合で写真に現れる光条が、
天空から降りて来る無数の光の糸のようにも見えますが、
光の “ 糸 ” を、光の “ 意図 ” と観想してみますと、
“ いと ” は何を結ぼうとし、何をほどこうとするのでしょうか?
想えば私たち人間は、ある意味 “ 操り人形 ” 。
人に操られ、お金に操られ、自らの欲に操られ、情報に操られ、
物に、言葉に、思考に、日々に移り変わる心身の状態に操られ、
主体的に何かを操っているつもりでも、
その操作自体が既に操られているものでもあろうかと思います。
何かに操られて生きざるを得ないのであれば、
人は、何に操られて生きることを旨とすべきなのか・・・、
浄域の気に打たれたせいでしょうか、
ひととき神妙な心持ちに包まれるものでありました。
この1年、当ブログに御訪問いただき心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎え下さい!
それでも世界は希望の糸を紡ぐ
まずまず無事に過ごすことが出来たことへの感謝を捧げに、
年の瀬恒例、外宮参拝に行ってまいりました。
外宮参拝に先立ち、まずは父祖の地巡拝ということで、
こちらは早朝の鳥羽駅前。
大きな鳥居は、金刀比羅宮・鳥羽分社の鳥居であります。
言わずもがなのことながら、鳥羽は海の町。
昭和31年(1956)、
漁業を主とした海事・海運従事者人口の多い鳥羽市民から、
海業安全を願い「海の町に海の神を」という強い要望の下、
金刀比羅宮本宮から御分霊が勧請され、
上掲の鳥居から少し離れた “ 樋の山(ひのやま)公園 ” に、
金刀比羅宮・鳥羽分社が建立されました。
したがって、この大鳥居から数キロ先に在る分社への道は、
金刀比羅宮・鳥羽分社の「参道 」なのでであります。
「参道」という特殊な場所は、
文字通り人々が参拝の為に通るがゆえの「参道」であると共に、
参拝による再生や回生を願う形而上的な「産道」でもあり、
帰りには感謝と歓びの念を以て財を散じる「散道」でもあると、
個人的解釈ではありますが、そんな風に感じます。
回り諄いことを書きましたが、何が言いたいのか?と申しますと、
この大鳥居こそは、往時の “ 鳥羽 ” という土地が、
人々の押し寄せる一大観光地であったことの証であり、
ケタ違いの活況ぶりを誇っていたことを今に伝えるモニュメント、
ということであります。
その辺りの事柄については稿を改めることと致しましても、
鳥羽駅に降り立ち大鳥居を仰ぎ見る度、“ 世の移ろい ” と、
当ブログテーマの一つ・・・
「全ての場所には歴史があり、全ての人には物語がある。」
このことを想うものであります。
因みに写真左側に写るのは、
鳥羽湾一帯で獲れた新鮮な海の幸を提供するお店。
開店前なのでシャッターが閉まっていますが、
この中の数件は “ 海女(あま)” の方々が営んでおられます。
鳥羽に所在するこちらの古刹を訪れ、
墓石の水鉢を洗って新しい水を差し上げるつもりが、
カンカンに凍っています。
素手で叩いてみたのですが、痛いばかりで割れる気配もなく、
されど石などを用いては墓石を傷つけそうなのでやめました。
毎年この時期、この時間帯に訪れておりますが、
そこは暖流 “ 黒潮 ” を望む志摩半島であれば、
薄く氷が張ることはあっても、ここまで凍結するのは初めて・・、
などと書いておりましたところ、巡拝から3日後の昨日(24日)、
クリスマス寒波襲来で、名古屋も今年初の雪化粧。
今冬の寒気は例年にも増して厳しいようで、
北国、雪国にお住まいの方々の御不便は如何ばかりかと存じます。
さて、伊勢市駅であります。
前回2013年に執り行われた第62回《式年遷宮》時に、
神宮が「新魂(あらたま)る」と共に、遷宮の余慶を受け、
駅および駅周辺も大きく「改(あらた)まった」感が有ります。
伊勢市駅前に立つ鳥居をくぐって真っ直ぐ進みますと、
程なくして外宮。
伊勢市駅前から外宮境内へと歩みを進める内に、
道はアスファルトから玉砂利へ、景観は市街地から蒼古の森へ、
音響はエンジン音・信号機音などの人工音から、
樹々のさざめき・鳥の囀りといった自然音へと変化してゆき、
その変化に伴い、同じ大気、同じ空間であるはずのものの中に、
いつしか名状しがたい “ 尊さ ” が醸されてくるのを感じます。
“ 尊さ ” と申せば、
元禄二年(1689)、松尾芭蕉(1644~1694)は伊勢を訪れ、
外宮・第46回《式年遷宮》の儀式を拝して、こう詠んでおられます。
『尊さに 皆おしあえぬ 御遷宮』
生あるものは必ず滅ぶのが定めである以上、私たちは「必滅」。
しかしながら、生滅を超えた存在の “ 尊さ ” は「不滅」。
『尊さに 皆おしあえぬ 御遷宮』という句からは、
「必滅」の存在が「不滅」の存在を信じ、敬い、慕い、祈り、
押し合いへし合いしつつ集う、333年前の光景が伝わってきます。
次回、第63回《式年遷宮》は、2033年に執り行われる予定。
現在の御正殿に隣接する、こちらの場所に、
新しい御正殿が建てられます。
境内に立つ神杉
夏の炎暑に灼かれて千年、冬の寒風にさらされて千年、
自らを誇ることなく立ち続けながらも、
否応無く樹皮に現れ出るのは、尊き “ 青 ” 、神さびた “ 蒼 ” 。
カメラ絞りの具合で写真に現れる光条が、
天空から降りて来る無数の光の糸のようにも見えますが、
光の “ 糸 ” を、光の “ 意図 ” と観想してみますと、
“ いと ” は何を結ぼうとし、何をほどこうとするのでしょうか?
想えば私たち人間は、ある意味 “ 操り人形 ” 。
人に操られ、お金に操られ、自らの欲に操られ、情報に操られ、
物に、言葉に、思考に、日々に移り変わる心身の状態に操られ、
主体的に何かを操っているつもりでも、
その操作自体が既に操られているものでもあろうかと思います。
何かに操られて生きざるを得ないのであれば、
人は、何に操られて生きることを旨とすべきなのか・・・、
浄域の気に打たれたせいでしょうか、
ひととき神妙な心持ちに包まれるものでありました。
この1年、当ブログに御訪問いただき心より感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎え下さい!
それでも世界は希望の糸を紡ぐ