物質を構成する基本粒子には幾つかのグループがあり、
中でも原子核を構成する陽子や中性子のような、
強い相互作用によって結ばれた複合粒子を作っているのが、
〈アップ・ダウン/チャーム・ストレンジ/トップ・ボトム〉の、
6種類の素粒子であり「クォーク」の名称で知られています。
この「クォーク」の名付け親、
物理学者マレー・ゲルマン博士(1929~2019)が旅立たれました。
「クォーク」という名称自体は、
ジェイムズ・ジョイス(1882~1941)の小説
「フィネガンズ・ウェイク」の中の一節、
“ Three quarks for Muster Mark ”
から、ゲルマン博士が命名しました。
「フィネガンズ・ウェイク」は、例えば上記の一節であれば、
“ three ”と“ tree ”、“ quark ”と“ ark ”、
“ muster ”と“ master ”等々、
一つの言葉に二つ以上の意味を含ませて書かれている為、
不協和音が連続する〈現代音楽〉の如く難解ではありますが、
粒子でありながら波動であり、波動でありながら粒子である・・
という素粒子の〈二重性〉という観点からすれば、
「クォーク」という名称自体に、
既にして量子力学の命題が込められていて、
ゲルマン博士の天才的洞察を偲びます。
こちらの球体建造物は
名古屋市・科学館のプラネタリウム
その科学館・地下2階で開催中(~6月2日)の
「人体大解明の旅・血液ツアーズ」展へ行ってまいりました。
このフライヤーを御覧になって「なんだ子供だましか・・」と、
お思いの方もあろうかと存じますが、それは違います。
例によってフリッカーの浮いた画像で申し訳ありませんが
会場入り口には精巧な循環器系モデル・・・萌えます!
分かりやすい骨標本
いいですねぇ、ステキですねぇ
数多く展示されていた臓器模型の内
こちらは膵臓とその周辺器官
どうしても見たかったのが、こちらの
心臓・解剖模型
こちらは
内耳・三半規管から蝸牛にかけての部位
感覚器官は概ね、眼は視覚、鼻は嗅覚という具合に、
それぞれの器官が、対応する感覚情報を専一に捉えますが、
内耳はそうした感覚器官と違い、
平衡感覚と聴覚という異なる情報を、ほぼ同じ領域で扱います。
これは大変不思議なことで、もしかしたら、
地球上で重力を感じバランスを取って生きる事と、
音を聴くこととは、
人類にとって同義であることの証しなのではないか?と、
密かに想いを馳せるものであります。
この辺りのことは、
ベルリオーズ先生の手記なども参考にして、
改めて考えたいと思います。
中でも原子核を構成する陽子や中性子のような、
強い相互作用によって結ばれた複合粒子を作っているのが、
〈アップ・ダウン/チャーム・ストレンジ/トップ・ボトム〉の、
6種類の素粒子であり「クォーク」の名称で知られています。
この「クォーク」の名付け親、
物理学者マレー・ゲルマン博士(1929~2019)が旅立たれました。
「クォーク」という名称自体は、
ジェイムズ・ジョイス(1882~1941)の小説
「フィネガンズ・ウェイク」の中の一節、
“ Three quarks for Muster Mark ”
から、ゲルマン博士が命名しました。
「フィネガンズ・ウェイク」は、例えば上記の一節であれば、
“ three ”と“ tree ”、“ quark ”と“ ark ”、
“ muster ”と“ master ”等々、
一つの言葉に二つ以上の意味を含ませて書かれている為、
不協和音が連続する〈現代音楽〉の如く難解ではありますが、
粒子でありながら波動であり、波動でありながら粒子である・・
という素粒子の〈二重性〉という観点からすれば、
「クォーク」という名称自体に、
既にして量子力学の命題が込められていて、
ゲルマン博士の天才的洞察を偲びます。
こちらの球体建造物は
名古屋市・科学館のプラネタリウム
その科学館・地下2階で開催中(~6月2日)の
「人体大解明の旅・血液ツアーズ」展へ行ってまいりました。
このフライヤーを御覧になって「なんだ子供だましか・・」と、
お思いの方もあろうかと存じますが、それは違います。
例によってフリッカーの浮いた画像で申し訳ありませんが
会場入り口には精巧な循環器系モデル・・・萌えます!
分かりやすい骨標本
いいですねぇ、ステキですねぇ
数多く展示されていた臓器模型の内
こちらは膵臓とその周辺器官
どうしても見たかったのが、こちらの
心臓・解剖模型
こちらは
内耳・三半規管から蝸牛にかけての部位
感覚器官は概ね、眼は視覚、鼻は嗅覚という具合に、
それぞれの器官が、対応する感覚情報を専一に捉えますが、
内耳はそうした感覚器官と違い、
平衡感覚と聴覚という異なる情報を、ほぼ同じ領域で扱います。
これは大変不思議なことで、もしかしたら、
地球上で重力を感じバランスを取って生きる事と、
音を聴くこととは、
人類にとって同義であることの証しなのではないか?と、
密かに想いを馳せるものであります。
この辺りのことは、
ベルリオーズ先生の手記なども参考にして、
改めて考えたいと思います。