団塊シニアのひとりごと

定年退職して13年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

年の瀬・妻の救急搬送➂

2024-02-10 06:02:25 | 病気

妻が退院して、ほっとしたのも束の間、今度は私が腹痛に襲わ

れた、持病の大腸憩室炎は2年間治まっていたが再発してしま

った、絶食して休み明けの月曜日に車を運転して向かった先は

先月胆嚢摘出手術で妻が入院した総合病院だった、受付で紹介

状がなければ選定療養費として7千7百円とられますと言われ

たが了解済みである。

 

診察が始まった、早朝から並んで待ってたので早かった、担当

医は以前にも診察してもらった医師だった、開口一番「かかり

つけ医から紹介状もらってくれないと困るよ」そのことは周知

してたが、休日だったこと、かかりつけ医は血液検査が外注で

翌日にならないとわからないこと等話したが、高圧的な態度で

ある、むっとしたが患者の立場は弱い、とにかく痛みで力が入

らない。

 

血液検査、尿検査、腹部のレントゲン検査、CT検査、そして再

度診察と2時間以内で終わる迅速な対応、結果は大腸憩室炎だ

ったが入院するほどの炎症ではないと言われ一安心、紹介状が

なかったので会計で1万2千円とられたが仕方がない、それに

しても妻は入院中に誕生日、私は通院中に誕生日とは皮肉なも

のだ、ただ大事に至らなくてよかった。

 


年の瀬・妻の救急搬送➁

2024-02-01 05:29:56 | 病気

年が明けて手術をうけるまでが長かった、妻は関節リュウマチ

の薬の服用を中止したことで全身の痛みが日を追うごとに悪化、

そんな状態で手術前日に入院、これでやっと手術してもらえる

と正直ほっとした。

 

当日は全身麻酔で手術開始、その間私は待合室で待機すること

1時間半、担当医師に呼ばれ無事成功したと説明をうけ、とり

だした胆嚢と胆石を見せられた、その後ストレッチャーに載せ

られた妻と対面「おつかれさま」と声をかけたが、麻酔が切れ

たのか傷の痛みで苦悶の表情だった。

 

それから3週間後、術後の血液検査、MRI検査の結果、医師に

経過も良好といわれ一安心、個室しか空いてなかったので

は25万円だったが回復した喜びの方が大きい、年の瀬の真夜

中に救急車を呼んでから45日、当たり前の日常に戻ることが

でき感謝の一に尽きます。

 


年の瀬・妻の救急搬送①

2024-01-24 06:03:08 | 病気

年末の真夜中のことだった、妻の悲痛な叫び声「お父さん、痛

我慢できない、救急車呼んで!」時計を見たら午前1時半

ただ事ではない、119番に連絡症状を話し来るのをまった、

10分ほどでサイレンを鳴らした救急車がマンション前に到着、

名の救急隊員そして問診をうけ私も乗り込んで総合院に向

かった。

 

医師と看護師が待機しており問診、そして検査(血液・CT)で

胆石の疑いがあると医師からつげられ点滴治療に入り即入

入院の申し込みをして私は午前4時ごろタクシーで帰宅、必要

なものを準備し車で翌日病院に向かった、ただ病室には入れな

い、インフルエンザが流行してたこともありコロナ禍同様厳戒

態勢だった。

 

医師から胃潰瘍の疑いもあるので胃カメラ、血液、心電図、M

RIと検査の結果胆石と判明した、一時的に痛みはやわらぎ入院

は4日間で正月明けに内視鏡で胆嚢をとる手術をすることにな

った。

 

すぐ手術が出来なかったのは妻は5年前から膠原病のひとつで

る関節リュウマチの治療で免疫抑制剤を投与しており、2週

間薬をストップしないと手術はできないということだった、不

安を抱えながら正月を迎えた。


身体の痛みがとれた時の気持ちは

2022-11-24 05:27:40 | 病気

身体が思うように動き、食べ物が美味しく食べられる、これに

勝るものはない、健康でありさえすればこの世のことは、なん

とかやっていけると思うことがある。

 

身体に不具合がでて痛みで通院するたびに早くこの痛みがとれ

ないか、なんでこんなに身体にガタがくるんだろうと自分の身

体に文句をいいたくなるものだ。

 

それでも身体は眠ってる間も病気の時も働いてるのに感謝の気

持ちなど、なかなか湧かないものでそれよりも痛みさえとって

くれればと思うものである、そして痛みがとれると痛みがなか

った健康な状態の時より気分がいい、なぜか不思議なものだ。

 

 


父の延命治療から学んだこと

2022-05-26 05:26:43 | 病気

多くの人が一生懸命に人事を尽くせば必ずよい結果が出るとい

う根拠のない幻想を抱いてるから延命治療に走るのかもしれな

い、実際家で看取ると決めていた家族でさえ容態が急変して患

者が苦しみ始めると慌てて救急車を呼ぶことが多いという現実。

 

1%でも命が助かる可能性があるなら相手が何歳であろうと最

後まで救命努力をするのが正しい、どんな命でも死より尊いと

医師は思っている、実際11年前に亡くなった父は86歳だっ

たが逡巡したすえ私と母は延命治療を選択した、一刻を争う中

正直医師の有無を言わせない説得にノーと言えなかった。

 

ただ命が助かるという言葉は元どうりになる、元気になると同

じ意味に家族は理解している、一命はとりとめたが植物状態に

なったという結果など想定していないものだ、父はそれから半

年間家族と一度も言葉を交わすことなく亡くなった、それから

9年後、母が大腸がんの末期のときは延命治療を選択しなかっ

た、結局何かをすることでマイナスになることもあるというこ

とだ、そのマイナスを生まないためにには何もしないのが一番

ということもあることを延命治療から学んだ。