団塊シニアのひとりごと

定年退職して13年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

なぜか思い出す90歳の時の母のこと

2024-02-08 05:59:36 | 

母が亡くなくなる5年前90歳のとき白内障の手術をした、

3年ほど迷ったけど緑内障の治療で毎月通院してた大学病

院の主治医の「90歳で手術してる人はいますよ」が後押

となり決断した、不安だった母に付き添い入院、手術は

無事成してそれまでかけてた眼鏡が不要になった。

 

 

父が亡くなってひとり残される辛さ、寂しさ、身体は思い

どうりに動かない、齢を重ねるにつれ病気との闘い、長く

生きていればそういうなかで生きていくことになることを

実感してた母にとって日常で少しでもよい変化があったこ

とは息子として嬉しかった。

 

前向きな性格の母は「過去に目を向ければ今の自分が年老

いてるけれど、未来に目を向ければ今の自分が一番若い」

晩年よく言ってた言葉である、それから5年後、認知症、

大腸がんに罹患し95年の生涯を終えたけど、なぜか90

歳の時の母のことを思い出す。

 

 


老いを激しく嫌悪した晩年の父

2023-08-28 05:38:07 | 

劇作家で演出家の鴻上尚史氏の著書「ほがらか人生相談」で老

いた父親についてふれている、身体が不自由になり介護用おむ

つから大便が漏れ、それがベッドに広がり、毎回母親がその処

理をしてたという、その時の心情を俳句が趣味の父親がメモに

残していた「糞まみれ、これがおのれか歳暮れる」

 

鴻上氏の父親は40年間小学校の教師を勤め、地域の自治会長

もやり、色んな会合でリーダー的存在だっただけに苦しい胸の

内を俳句にぶつけたのかもしれない、実は私の父も晩年認知症

になり、おむつをして夜中に大便が漏れることが度々あった、

その始末を母がしてて私が実家にいくと、いつも愚痴をこぼし

てたものだ。

 

父が亡くなって当時の心境を殴り書きで書いてた大学ノート

を見つけた「情けない、惨めだ、なんで俺が認知症に」正直

息子として生前もっと寄り添ってればと複雑な気持ちだった、

人間は齢老いて自立することができなくなると老いを激しく

嫌悪するということを痛感した。

 

 

 


認知症の父の心の中は

2023-05-02 05:37:42 | 

12年前に亡くなった父がレビー小体型認知症になったのは亡

くなる1年前、86歳の時だった、大学病院で診察を受け、介

護保険の申請、訪問調査の結果、要介護認定1だった、しかし

幻覚妄想は日に日に激しくなり、持病の肺の病気で入院するま

では母にとって地獄の日々だった。

 

昔は認知症が発症する前に亡くなったものだが今は長生きにな

り亡くなる前に認知症になることが多いのが現実である、そし

て認知症になったら何もわからなくなるから本人は特別苦しく

ないのではと私自身思ってたが実は本人が一番自分の異変に気

いて傷ついたり将来に不安を感じてるということが父の死後

かった。

 

父が亡くなったあと遺品を整理してるなかで日記に殴り書きし

てるメモを見つけた「何で認知症になんかなったんだ、苦しい、

つらい」父は文章を書いて言語化することで自分の思いをぶ

け客観視してたのかもしれない、そして情けない自分と闘って

た父は自分のことで精いっぱいで家族のことなど考える余裕な

どあるはずもなかった。


亡き母からのメッセージと勘違いした7日間

2022-11-09 05:33:57 | 

昨年の9月上旬、夜中になると変な音がした、チリチリ,チリ

チリ、チリチリ、30分ほどすると鳴りやむものの2日目も、

3日目も続いた、なんの音だろう?日中は何もないが夜中なの

で、そのたびに目が覚める。

 

母が亡くなって2年目のお盆はコロナ禍もあり墓参りは控え、

代行業者に墓参りと掃除を依頼した、そのせいで「どうしてこ

ないの?待ってたのに」そんな母の怒りのつぶやきだろうか?

それが夜中に異音となって聞こえてきたのだろうか?

 

そんな日が1週間続いた、そして定期的にやってるエアコンの

掃除を妻と一緒にやってる時、エアコンの中に虫を発見した、

虫もびっくりして動き出した、やっと異音の正体がわかった、

母のメッセージではなく一安心したが不気味な7日間であった。


親子の関係は変化するもの

2022-07-02 05:20:28 | 

若い時は親に支配されているもので、これは子供の宿命である、

成人し経済的に自立しても親は威厳を持っている、そんな親も

やがて年老いていつのまにか立場が逆転するときがくる、どん

な強者も弱者になる。

 

両親が還暦を迎え、私が赴任した近場の温泉でお祝いした翌日

父がぽつりと言った言葉を今でも思いだす「離れて暮らしていて

も長男としての自覚を忘れないでいて欲しい」大正生まれの父

の言葉は重かった、何かあったら面倒見て欲しいという意味だ

った。

 

それから父が80歳のとき実家での出来事だった、なぜか自筆

のノートを取り出し、私が大学生の時仕送り含め、これだけの

お金がかかったという明細を出してきた、今までそんなこと億

尾にもださなかっただけに、もしかしたらボケたのでは?父の

言動の意図がわからず戸惑ったものだ、それから数年後父は認

知症になった、幻覚がひどいレビー小体型認知症と診断された、

親子の関係は変化するもの、どんな強者も弱者になると思って

いる。