団塊シニアのひとりごと

定年退職して13年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

ステレオタイプの高齢男性像

2020-08-31 05:32:54 | 老後の生き方

女性は主婦業や子育てを通し近所の友達をつくる機会が多いけれ

ど男性の場合、リタイヤ後は職場とも地域とも切り離されたまま

独に陥りがち、そして独居老人や近隣のコミュニティと疎遠な

人をすべて寂しい人、しい人と決めつける風潮が目立ち始めて

いる。

 

確かに孤立、孤独死と孤独にはあまりよくないイメージがつきま

う、しかし多くの人に囲まれてる人が幸せなんだろうか?多く

の人と交流してる人が精神的に満たされているとは限らない。

 

一人暮らしでも日々の生活に喜びを見出し充実して生きている高

も多いはずである、それなりに自分の居場所を確保してるの

にメディアは孤独にたいしては否定的な論調が多い、いわゆるス

テレオタイプの高齢男性像を作り上げてる。

 

実際寂しさを紛らわすために無理して人との関わりを持つことも

ないそれよりも自分の内面に向き合う時間を作るほうが大切、

さらにいえば自分と向き合うための必須条件こそ孤独であること

も確かなことである。


人との出会いは不思議なもの

2020-08-30 05:47:32 | 人間関係

人間は生まれてから死ぬまで多くの人と出会う、血縁関係、近所、

小学校から高校そして大学、知り合う人はどんどん増えていく、

楽しい思い出、つらい思い出、若い時はやたらと友人が増え仲間

が増えていくものである。

 

 

学校を卒業して就職し、どの部署に配属されどんな人と知り合い

になるかは会社側の問題で本人の選択で決まることは少ない、転

勤も自分の意志で決まるわけではない、そこで知り合う仕事仲間、

人と人との偶然のかかわり、これが縁なのだと思うことがある、

もし会社の都合で全く別の部署に配属になってたら、まったく違

サラリーマン人生だったかもしれない。

 

 

そう考えると結婚だってそうだ、この世界に何億という男と女が

いるのになぜ私は妻と知りあったのだろう、妻も同じように思っ

ているだろう、ほかにもっといい相手がいたかもしれない、また

逆に他の相手でなくて幸せだったかもしれない、こればっかりは、

わからない、振り返ってみると人と人との出会いは不思議なもの

で、その出会いを縁として大切にすることが人生なのかもしれな

い。


劣等感は自分のバネになる!?

2020-08-28 05:30:25 | 生き方

劣等感というのは誰でも持つ感情で劣等感を持ってる人のほうが

たない人より、はるかに多いことは確かである、容姿、貧困、

歴、職業など、あるゆる現象が劣等感の暗い穴で私たちを引き

りこもうとしている。

 

本当はこんなものないほうがいい、どちらかというと自分に責任

のないことで苦しめられることが多い、経済的貧困や肉体的条件

がそうだ、ただ劣等感というものは個人差の大きい心の働きの問

題でもある、例えば若い頃は劣等感で悩んでたことが齢を重ねる

にしたがって気にならないということがあるものだ。

 

例えば何かの点で人より劣ってて、自分は駄目だと感じたときは、

まず人と比較するのをやめたほうがいい、要は自分に自信が持て

ないから悩むわけだが、その基準はどこにもない、他人と比べる

のをやめると楽な気持ちになる時がある、劣等感は心の働きの問

題、自分だけに都合のいい人生などあるはずがない、逆に劣等感

をバネとして生きることこそ大切なのかもしれない。


人間生きることが全部である

2020-08-27 05:42:49 | 生き方

「人間は生きることが全部である、死ねばなくなる、生きること

だけが大事である、生きるか死ぬか二つしかない、いつでも死ね

る、そんなつまらんことをやるな、いつでも出来ることなんか

やるもんじゃないよ」

 

これは明治時代の作家、坂口安吾「不良少年とキリスト」の

の一節である、この言葉に強い影響を受けた若い作家がいる、

ずきるりか、中学2年でデビュー、「さよなら田中さん」は10

万部のベストセラーになった、現在16歳高校1年生である、

ラリと光る言葉、そして小説家に必要な想像力と描写力が秀逸

ある、その彼女が坂口安吾の言葉に影響受けたように「さよな

田中さん」で素敵な言葉を投げかけている。

 

「悲しい時、腹が減っていると余計に悲しくなる、つらくなる、

そんなときはメシを食え、もし死にたいくらい悲しいことがあ

ら、とりあえずメシを食え、そして一食食ったらその一食

分だけ生きてみろ、それでまた腹が減ったら、一食食べてその

一食分だけ生きるんだ、そうやってなんとかでもしのいで命を

つないでいくんだよ」


安楽死について思うこと

2020-08-21 05:43:11 | 

難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者に頼まれて殺害し

として医師2人が今月嘱託殺人罪で起訴された、女性は病気に

みSNSに安楽死を望む書き込みをしてたいうが日本では安楽

(積極的安楽死)は認められてない。

 

この事件に関しては「もし安楽死が合法だったら私も書類にサイ

していたかもしれない」「生きて苦しむか、死んで苦しみから

解放されるかの二者択一に陥り思いつめたのではないか、病を抱

えながら充実した生活を送る第三の選択肢、患者同士の交流があ

ば結末は違ったのではないか」という同じ病を抱えてる二人の

体験談が掲載された記事が印象に残ってる。

 

10年前に亡くなった私の父は晩年、気管切開をして人口呼吸器

につながれ、手にはミントがはめられた状態、痰がつまらないよ

う数時間ごとに痰を吸引、最後に対面したときは苦悶の表情の父、

さぞかし苦しかったのではと今でも延命治療を選択したことを後

悔してる、私自身72年も生きてると多くの死を見てきた、安ら

かな旅立ちが理想だけれど、私の経験ではそういう人は極めて少

なかった、賛否両論あるかと思う、しかし最期に苦しみから逃れ

る選択があってもいいのではないかと私自身は思っている。