みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3649 吉田コトの証言(#4)

2013-11-24 08:30:00 | 賢治渉猟
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
 こうして、赤坂憲雄氏と吉田コト氏の対談を読んでいると、吉田氏はかなりざっくばらんなことまで答えている人だから、場合によってはその証言に対して正直首を傾げたくなる私ではあるが、まずはそのままに以下に引用する。 
赤坂 花巻での宮沢家はどんなイメージだったんですか。 
吉田 まずはお金持ちね。花巻の有力者はみんな宮沢家の親類一同でしたよ。だけど、肺病があったからね。あのね、赤坂先生は若いからわからないだろうけどね、肺病ってものすごくこわがられて、嫌われて。「肺病とだけは、縁組みするな」なんて言われたのよ。肺病になった嫁は里に帰されるとか。「あそこの家には肺病いるから家の前の道はすーっと速歩で通れ」なんて言われたのよ。今から考えれば、まずちょっと恥ずかしい話だけど、ホントにそんなだったの。今でいえば癌よりこわがれれていたんじゃないかな。肺病がこわくなくなったのは、戦後。アメリカから薬が入ってきたからですよ。当時は肺病が一家に伝染するじゃない。それが遺伝みたいにいわれて、あそこの一族は肺マキ(肺病の血統)だとかって。宮沢家もそうだったんですよ。お金持ちだけど肺マキだからみたいに見られていたんじゃないですか。
赤坂 そんなウワサはコトさんの耳にも入って来ましたか。
吉田 もちろん。だから賢治も結婚できなかったんじゃないのかな。あの、ほら、妹さんとの関係もウワサで聞いたよ。
赤坂 賢治とトシが近親相姦的な関係にあったというウワサですね。当時からそんなウワサがあったんだ。
吉田 うん。あった。年寄りばかりだったけれどね。ウワサしている人に「んなこと言うなー」なんて、怒ったことがありますよ。
             <『月夜の蓄音機』(吉田コト、荒蝦夷)21p~より>
 まずは、岩手のみならずコト氏の古里の山形でも、コト氏がかくの如く語っているように肺結核に対する周りの人々の対応の仕方はやはり同じようなことだったということを知ることができる。
 また、後段の件に関しては金持ちに対するやっかみだと思うし、そんなことは絶対なかったはずだと私は確信しているが、少なくともそのような噂が当時立っていたということもまた確かなことであった、ということになりそうだ。

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『賢治が一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』   



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