《創られた賢治から愛すべき賢治に》
さて、先に触れた伊藤光弥氏の主張「石鳥谷資料相談所」が開かれたのは昭和2年である。……①
はかなり意表を突くものではあったが、私はなかなか説得力があると思ったし、その可能性は少なからずあると思った。そしてその思いはまたますます強くなった。それは以下のことを調べてみた結果からである。
「石鳥谷肥料相談所」での設計枚数概算
菊池信一の昭和3年3月30日の事に関する回想記「石鳥谷肥料相談所の思ひ出」の中で、信一は次のようなことを述べている。
去る十五日から一週間午前八時から午後四時まで、休む暇もなく續けざまに肥料の設計を行つたが日毎に人の増える許り、それに先生は次の場所も又次の場所も決まつてゐるので、やつとの事で今日、以前にお気の毒だつたひと達の清算に來られる事になつてゐたのであつた。
七時半の列車に迎へると、先生は…(略)…急いで來られた。…(略)…
「石鳥谷の人達はみんな質がいゝ」
先生はといつか云はれた。…(略)…
大馬力で三十枚ほども整理し、お晝飯をしたのは一時すぎだつた。
<『宮澤賢治追悼号』(昭和9年1月発行)11p~より>七時半の列車に迎へると、先生は…(略)…急いで來られた。…(略)…
「石鳥谷の人達はみんな質がいゝ」
先生はといつか云はれた。…(略)…
大馬力で三十枚ほども整理し、お晝飯をしたのは一時すぎだつた。
この回想記からは、
賢治は昭和3年3月30日30枚の肥料設計書を作成した。
ということが言えそうだ。ただし、この時には〝大馬力〟でやったし、昼食を摂ったのが1時過ぎだというから、この時の3月15日から一週間(3/15~3/20間)における一日(8時~16時)の設計書の枚数は大雑把に見積もって40枚程度が妥当な枚数であろう。
とすれば、このときの「石鳥谷肥料相談所」で賢治が作成した肥料設計書の総枚数を概算すると
(40枚×7日)+30枚=310枚
程度であろう。かなりの枚数である。
現存の〔施肥表A〕17枚から言えること
一方、下表は『校本宮澤賢治全集第十二巻(下)』(筑摩書房)に載っている、いわゆる〔施肥表A〕17枚についての一覧である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/c3/6bc9153c8c4cc7f85fefcb64b0b40f2d.png)
もちろん、空白であるものの中にはあるかもしれないが、明らかにそれが石鳥谷の田圃に対しての設計書だとわかるものはこの一覧表の中には一枚もないのである。
もしこの中に一枚でもそれとわかるものがあればそれは伊藤氏の主張〝①〟の反例となって、その主張は崩れるのだがそんなことは起こっていない。したがって、かえって
石鳥谷肥料相談所が昭和3年に開かれたという確たる典拠はない。
ということをさらに裏付けてしまったとさえ言える。延いて、前述したように私にはその思いがますます強くなったのであった。
また併せて、新たな不自然さんにも気付く。聞くところによると賢治の肥料相談所は稗貫内に数ヶ所設けられたということだが、それらがどこでいつ頃開かれたのかということも「石鳥谷肥料相談所」以外についてははっきりしていない。なぜ、この「石鳥谷肥料相談所」だけが、その開催年が昭和2年なのか3年なのかがはっきりしていないのにも関わらず、通説では「昭和3年」であるということになり、しかもそれが労農運動の歴史的ターニングポイントになった日の昭和3年3月15日から始まったとはっきり言われてきたのか。このアンバランスな不自然さが逆にこの信憑性を疑わせている、とも言える。
なおついでにいえば、巷間伝わっているものの中に
昭和2年の6月末までに賢治の肥料設計2,000枚を超えた。……②
というのがあるが、上掲表の中に大正15年度~昭和2年度であると明らかになってるものも一枚もない。したがって、〝②〟については今後検証してみなければやはり事実とは言えなさそうである。逆に「2,000枚」をも超えるほどの枚数の肥料設計をはたしてしたのかという疑問の方が増してきそうであ。
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なお、その一部につきましてはそれぞれ以下のとおりです。
「目次」
「第一章 改竄された『宮澤賢治物語』(6p~11p)」
「おわり」
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