みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3104 『啄木 賢治 光太郎』より

2013-02-10 08:00:00 | 賢治渉猟
 『啄木 賢治 光太郎』の中に「社会主義者賢治」という論考があり、次のようなことが書かれていた。
 大正十年、突然出奔し、東京の国柱会に入った時は、小さな印刷所で校正の仕事をしながら、その経営者を<利害打算の帝国主義者>と呼び、その知人に書き送った。ここで賢治が先頭に立って賃上げ闘争をした話は、後年、花巻農学校で多くの教え子が聞かされた。賢治はまた、この岩手で最も早い時期に、自覚的に無産運動と闘った石川金治郎の牧民会や盛岡啄木会にも出入りしていた。盛岡中学校を追放された花巻の若者たちは、刑事の見張りつきで社会科学研究会を開いていたが、その若者たちが賢治を訪問することもしばしばあった。家宅捜査を恐れて資料こそほとんど残していないが、当時「戦旗」や「ナップ」を呼んだという羅須地人協会の関係者は多い。
          <『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社盛岡支局)181pより>
 もしこの記述内容が事実であれば、例えば「ここで賢治が先頭に立って賃上げ闘争をした話は、後年、花巻農学校で多くの教え子が聞かされた」というようなことが、どうして巷間伝わってこなかったのだろうか。少なくとも私はこの件について今まで全く知らなかったからである。

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