《創られた賢治から愛すべき賢治に》
先頃、北畑 光男氏から拙著『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』見てみたいというご連絡をいただいたので、早速同書を謹呈したところ、次のようなことを教えてもらえた。まず、北畑氏は水沢一高(前回も登場した千葉満夫氏、石川純子の勤務校)で一年間勤務なさっていたということである。
そして、
その折、千葉満夫先生や千葉純子先生にもご教示いただきました。その話の中で満夫先生が「親父は賢治と一緒に生活したことがある。一緒に生活するにあたって3つの約束をさせられた。女と遊ばないこと。酒を飲まないこと。嘘を言わないこと(これははっきりと記憶しておりません、小生の記憶ちがいかもしれません)。女と遊ばないこと―賢治はもて余す精力をどう処理していたかというと家の周りを走ってクタクタになるまで走っていた」、この話だけは覚えています。満夫先生がまだ20代か30代初めことであります。
ということも教わった。たしかに千葉恭はこのようなことを「羅須地人協会時代の賢治(二)」で次のように言っている。
弟子入りした当時、賢治から“君がほんとうに農民指導者になろうとするならば、次の三つのことを自分に約束出来るか。その一つは酒を飲まないこと、その二つは煙草を喫わないこと、その三つはカカアをもらわないこと”と言われた。私は考えてみた結果、酒を飲まないことも出来るし、カカアをもらわないことも出来るが、どうしても煙草だけはやめられそうもないので、そう答えた。賢治は“煙草をやめられないようでは、酒のことだって、カカアのことだってアテにならない。この話は一切御破算にしましょう”と、一笑に附されてしまつた。
<『イーハトーヴォ』復刊5(宮沢賢治の会)より>それにしても思ったことは、「水沢一高」で北畑光夫氏、千葉満夫氏、千葉(石川)純子そして佐藤通雅氏等が、延いては千葉恭→賢治と皆が奇しくも繋がっているということに感心した。人の繋がりというものは凄い、と。
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