<Fig.1 肥料の無料設計事務所を開いた当時の花巻町上町の雪景>
(『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房)より)
W氏は「雨ニモマケズ」の中の
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
の部分に関して、自分の著書で
長雨、水不足は稲作ではとても農作業の中心である。古来の言い伝えに、また現実にヒデリに不作はないという。農作業は作物の生育にあわせてするからヒデリでもナミダをながしている余裕はない。
冷夏にヒデリはなく、その秋に収穫の農作業はなくなる。そこでヒドリの日銭で生活するしかなく、そのヒドリにナミダが流れるという意味なのである。
と主張していて、その論理は
冷夏の秋は収穫作業なし
→副業としてのヒドリ(日用取、日傭労働)に出掛ける
→ヒドリの辛さにナミダが流れる
という時系列で展開されている。つまり、
冷夏が起こって不作になるから糊口を凌ぐために秋に日傭労働に出掛ける
という論理なのであるが、もし賢治がそのように考えていたのならば「雨ニモマケズ」は
サムサノナツハ オロオロアルキ
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
の順番に書かれていたのではなかろうかという疑問が湧く。順番が逆になると思うのである。
したがって、W氏の主張にはこの点でも疑問を抱かざるを得ないのである。
続きの
””デクノボー”の役割”へ移る。
前の
”自分自身に涙を流す?賢治”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
(『宮澤賢治』(佐藤隆房著、冨山房)より)
W氏は「雨ニモマケズ」の中の
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
サムサノナツハ オロオロアルキ
の部分に関して、自分の著書で
長雨、水不足は稲作ではとても農作業の中心である。古来の言い伝えに、また現実にヒデリに不作はないという。農作業は作物の生育にあわせてするからヒデリでもナミダをながしている余裕はない。
冷夏にヒデリはなく、その秋に収穫の農作業はなくなる。そこでヒドリの日銭で生活するしかなく、そのヒドリにナミダが流れるという意味なのである。
と主張していて、その論理は
冷夏の秋は収穫作業なし
→副業としてのヒドリ(日用取、日傭労働)に出掛ける
→ヒドリの辛さにナミダが流れる
という時系列で展開されている。つまり、
冷夏が起こって不作になるから糊口を凌ぐために秋に日傭労働に出掛ける
という論理なのであるが、もし賢治がそのように考えていたのならば「雨ニモマケズ」は
サムサノナツハ オロオロアルキ
ヒドリノトキハ ナミダヲナガシ
の順番に書かれていたのではなかろうかという疑問が湧く。順番が逆になると思うのである。
したがって、W氏の主張にはこの点でも疑問を抱かざるを得ないのである。
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