みちのくの山野草

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2996 飛田三郎の名を発見

2012-11-12 08:00:00 | 賢治渉猟
 立冬も過ぎ、降る雨も「時雨」になってしまって少し侘びしさを感じていたある日の午後吉田が一人でやって来た。
飛田三郎発見
吉田 どうだ新たな資料でも見つかったか。なんか、資料が僕を呼んでいるような気がしたので来てやったぜ。
鈴木 相変わらず恩着せがましいんだから、吉田は。ほんとは、いよいよ時雨の時節がやって来たものだから寂しかったんだろ。
 ところでそのとおりで、このような貴重な資料があったんだ。
と言って、私は寶閑小学校の例の資料を吉田に手渡した。すると
吉田 おお、たしかによさそうな資料じゃないか。一体どこで見つけた?
鈴木 それはちょっと秘密だけど、中にさ、職員名簿があるだろう。そこにちゃんと露の名前も載ってるし、それだけでなく露の妹と思われる人の名前も載っている。
吉田 そういえば、姉妹で寶閑小学校に勤めたことがあると僕も聞いたことがある。どこどこ…ほんとだ。やはりそれは事実だったんだ。これでちょっと安心した。さてと、中には僕の知っている先生も名前もあるんじゃないのかな…。
と言って、吉田は職員の名を指で追っていった。そして、やおら大きな声を上げた。
吉田 なぬっ! 彼も寶閑小学校に勤めていたのか。
鈴木 彼? 誰のことだそれは。
吉田 と び た 三郎さ。吃驚だ。
鈴木 どこどこ、あっほんとだ。


   氏名    着任        転出       職名    出身地   備考 
                    ……
  飛田三郎 昭和39年4月  昭和40年3月   教頭    矢沢   矢沢小・退職
                    …… 
となっている。たしかに。
吉田 もしこの飛田三郎があの飛田三郎であればすげぇことになるぞ。そして、そもそも飛田という姓は花巻では珍しいから、まず99%同一人物に間違いなかろうからこれは極めて面白いことになってきた。
鈴木 たしかに。まるでこの資料は吉田を招き寄せていたと言えるかもしれんな。それにしても、この寶閑小学校の教頭を勤めた飛田三郎が例の〝資料を整理し浄書したあの飛田三郎〟だとしたならば、「昭和六年七月七日の日記」の著者Mと飛田三郎は互いに知り合いであるはずだから、糸が繋がりそうで興味津々だな。
吉田 それじゃ二三日中にまた来るからそれまでに、その飛田三郎とあの飛田三郎が同一人物かどうかをちゃんと調べておけよ。矢沢地区を回り尽くせば何とか見つかると思うから。
鈴木 なんだよ、私一人で探すのかよ。
吉田 そもそも僕が飛田三郎の名前を見つけてやったんだから鈴木は僕に素直に感謝すればいいの。後は鈴木は自分の足で歩き回って苦労しながら取材しなきゃ。さもないとつまらないだろ。
鈴木 たしかに。それじゃ同一人物か否かがわかったらまた連絡するから、その時は荒木を誘って来てくれよ。

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