みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

3129 御野立所の訂正と補足

2013-03-05 15:00:00 | 羅須地人協会の終焉
 前回、花巻日居城野の「御野立記念塔」が建ったのは1940年(昭和15年、皇紀2600年)の際のようだ、としたがこれは間違いだったので訂正させて下さい。
 実際に建ったのは正しくは大演習が行われた昭和3年のその2年後、昭和5年でありました。たしかに、その塔に向かって右手の石柱には〝皇紀二千六百年記念〟と彫ってあったが、それは純粋にこの石柱がその記念に建てられただけのことのようである。
 なお、下の写真がそのときの
【花巻野立所における昭和天皇の統裁】

              <『岩手の戦争遺跡をあるく』(加藤昭雄著、熊谷印刷出版部)47pより>
の光景である。
 そして、『岩手の戦争遺跡をあるく』によれば、陸軍特別大演習花巻野立所跡とは
 これは一九二八(昭和三)年十月六日~八日、岩手県下で大規模に行われた陸軍特別大演習の際に、天皇(昭和天皇)がこの地を訪れ、じきじきに統裁した野立(のだて)所(休息所)の跡である。
とある。
 なお、前掲書によれば、下の写真はその時の
【大元帥陛下御野立所聖跡記念碑】

           <共に『岩手の戦争遺跡をあるく』(加藤昭雄著、熊谷印刷出版部)より>
であり、こちらは盛岡の月ヶ丘二丁目に建っていて、同時期に観武(みたけ)ヶ原練兵所を中心に繰り広げられた大演習を記念したものだという。

 たしかに、このときの陸軍特別大演習は岩手全体にわたって大々的に繰り広げられたということになるようだ。

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