《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
理崎氏は推察する。 先の詩(〔手は熱く足はなゆれど〕のこと:投稿者註)の先駆形は、
貪り厭かぬ梁ゆゑに
一基の塔をうち建てん
正しく愛しきひとゆゑに
さらに一基を加へなん
と続いている。決して諦めず貪欲に目標に向かっていく者、正しく生きて皆に愛される人にも塔が建てられる、つまり仏に成ることができるというのであろう。
〈199p〉貪り厭かぬ梁ゆゑに
一基の塔をうち建てん
正しく愛しきひとゆゑに
さらに一基を加へなん
と続いている。決して諦めず貪欲に目標に向かっていく者、正しく生きて皆に愛される人にも塔が建てられる、つまり仏に成ることができるというのであろう。
と。ということであれば、先に理崎氏はこの詩〔手は熱く足はなゆれど〕に関して、
病気になって体は衰えたが、自分は塔を建ている人間だ。塔が強い光を放って闇を照らす姿は尊いというのである。
と述べていたから、賢治はこのように認識したということになりそうなので、そしてこれと同様に、 決して諦めず貪欲に目標に向かっていく者、正しく生きて皆に愛される人にも塔が建てられる、つまり仏に成ることができる
と賢治は思っていたのだろう、ということになりそうだ。そして理崎氏は次のことも教えてくれる。「この塔は何を意味するのか」と佐渡の阿仏房という老人が日蓮に問うたところ、日蓮は、
「然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、此より外の才覚無益なり」
と賛嘆している。阿仏房よ、あなたこそが宝塔そのものなのだ。それ以外に考える必要などないのだ、というのである。塔とは心の中の仏を指している。
〈200p〉と賛嘆している。阿仏房よ、あなたこそが宝塔そのものなのだ。それ以外に考える必要などないのだ、というのである。塔とは心の中の仏を指している。
そこで私も何となくわかってきた。賢治は自分の心の中に「塔」を建てようとしたのだ、と。だから、「塔建つるもの」だったのだ。
さらに同氏は、賢治について、
様々な後悔はあったが、信仰はやりぬいたとの自負があったのは間違いない。
〈201p〉と斟酌していた。つい今までの私は、この10年間ほどの賢治の検証作業を通じて、賢治は後悔だらけの人生だったのではなかろうかと決めつけつつあったのだが、そうではなかったようだ。宗教面から賢治を眺めて見れば、精神的に極めて満ち足りていた人生だったのだろう。そして賢治自身は、己の心の中に塔を建てることができたと自負していたに違いなと。
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なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
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・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
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