【↑Fig.1 「雨ニモマケズ手帳」(71~72p)】
「雨ニモマケズ手帳」の71~74pが興味深い。「土偶坊」というメモがそこにある。
【Fig.2 「雨ニモマケズ手帳」(73~74p)】
<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
これらのページに書かれた大きな文字の部分だけを抜き出すと
土偶坊
ワレワレハ(後で削除)カウイフ
モノニナリタイ
第一景
薬トリ(後で削除)
第二景 母
子(後で削除)病ム
第三景 青年ラ ワラフ
土偶坊 石ヲ
投ゲラレテ遁ゲル
第四景 老人死セントス
第五景 青年ラ害シニ(後で削除)
ヒデリ
第六景 ワラシャドハラヘタガー
雑誌記者 写真
第七景 遠国ノ商人(後で削除)
第八景 恋スル女
第九景 青年ラ害
セントス
第十一景 春
第十景 帰依者
帰依ノ女
となっている。
お気づきのようにこのメモの一節
土偶坊
ワレワレカウイフ
モノニナリタイ
は「雨ニモマケズ」の一節
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
に酷似しており、”土偶坊”は”デクノボー(木偶坊)”のイメージを彷彿とさせる。
そして、これらのメモの少し前の51~59pに書かれているのが「雨ニモマケズ」である。したがってこれらの書かれているページの位置関係、及び、これらの2つの内容の酷似性などか判断して、この71~74pのメモ「土偶坊」は「雨ニモマケズ」を演劇化、脚本化しようとしたためのメモなのではなかろうかという推測もできる。
すると俄然注目を引いてくるのが
第五景 青年害シニ(後で削除)
ヒデリ
の部分である。このメモ「土偶坊」の中の「ヒデリ」は、「雨ニモマケズ」の中の「ヒドリ」と対応するとも見ることが出来るからである。
とすれば、「雨ニモマケズ」の「ヒドリ」はやはり「ヒデリ」の間違いではなかろうかということがこのメモからも推測できる(人によっては「ヒドリ」と「ヒデリ」が直ぐ近くに書かれているのだから賢治はこれらの2つを使い分けていたと主張する人があるのかも知れないけれど)のである。
つまり、
メモ「土偶坊」の内容は「ヒドリ=ヒデリの誤記」説の傍証になっている。
と思うのである。
<蛇足>
なお、「デクノボー」に関しては賢治は複雑な思いがあると思う。特に、次の詩はかなり気にかかる。
一〇三五
〔えい木偶のぼう〕
一九二七、四、十一、
えい木偶のぼう
かげらふに足をさらはれ
桑の枝にひっからまられながら
しゃちほこばって
おれの仕事を見てやがる
黒股引の泥人形め
川も青いし
タキスのそらもひかってるんだ
はやくみんなかげらふに持ってかれてしまへ
<『校本 宮沢賢治全集 第六巻』(筑摩書房)より>
先のメモの中の「土偶坊」は石を投げられて遁げるのだが、こちらの泥人形の「木偶のぼう」に対しては”あの”賢治が苦々しく思い、石を投げつけたいような衝動にかられてさえいたような気がしてならない。
続きの
”『ヒデリにケガチなし』とは”へ移る。
前の
”「ヒドリ」は限りなく誤記に近い”に戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
「雨ニモマケズ手帳」の71~74pが興味深い。「土偶坊」というメモがそこにある。
【Fig.2 「雨ニモマケズ手帳」(73~74p)】
<校本宮澤賢治全集 資料第五(復元版雨ニモマケズ手帳)、筑摩書房より>
これらのページに書かれた大きな文字の部分だけを抜き出すと
土偶坊
ワレワレハ(後で削除)カウイフ
モノニナリタイ
第一景
薬トリ(後で削除)
第二景 母
子(後で削除)病ム
第三景 青年ラ ワラフ
土偶坊 石ヲ
投ゲラレテ遁ゲル
第四景 老人死セントス
第五景 青年ラ害シニ(後で削除)
ヒデリ
第六景 ワラシャドハラヘタガー
雑誌記者 写真
第七景 遠国ノ商人(後で削除)
第八景 恋スル女
第九景 青年ラ害
セントス
第十一景 春
第十景 帰依者
帰依ノ女
となっている。
お気づきのようにこのメモの一節
土偶坊
ワレワレカウイフ
モノニナリタイ
は「雨ニモマケズ」の一節
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
に酷似しており、”土偶坊”は”デクノボー(木偶坊)”のイメージを彷彿とさせる。
そして、これらのメモの少し前の51~59pに書かれているのが「雨ニモマケズ」である。したがってこれらの書かれているページの位置関係、及び、これらの2つの内容の酷似性などか判断して、この71~74pのメモ「土偶坊」は「雨ニモマケズ」を演劇化、脚本化しようとしたためのメモなのではなかろうかという推測もできる。
すると俄然注目を引いてくるのが
第五景 青年害シニ(後で削除)
ヒデリ
の部分である。このメモ「土偶坊」の中の「ヒデリ」は、「雨ニモマケズ」の中の「ヒドリ」と対応するとも見ることが出来るからである。
とすれば、「雨ニモマケズ」の「ヒドリ」はやはり「ヒデリ」の間違いではなかろうかということがこのメモからも推測できる(人によっては「ヒドリ」と「ヒデリ」が直ぐ近くに書かれているのだから賢治はこれらの2つを使い分けていたと主張する人があるのかも知れないけれど)のである。
つまり、
メモ「土偶坊」の内容は「ヒドリ=ヒデリの誤記」説の傍証になっている。
と思うのである。
<蛇足>
なお、「デクノボー」に関しては賢治は複雑な思いがあると思う。特に、次の詩はかなり気にかかる。
一〇三五
〔えい木偶のぼう〕
一九二七、四、十一、
えい木偶のぼう
かげらふに足をさらはれ
桑の枝にひっからまられながら
しゃちほこばって
おれの仕事を見てやがる
黒股引の泥人形め
川も青いし
タキスのそらもひかってるんだ
はやくみんなかげらふに持ってかれてしまへ
<『校本 宮沢賢治全集 第六巻』(筑摩書房)より>
先のメモの中の「土偶坊」は石を投げられて遁げるのだが、こちらの泥人形の「木偶のぼう」に対しては”あの”賢治が苦々しく思い、石を投げつけたいような衝動にかられてさえいたような気がしてならない。
続きの
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