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《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』によれば、妹尾は明治44年9月正式に第一高等学校を退学し、月給十三円の東城小学校の代用教員になったという。その勤務振りについて理崎氏は、
尋常科三年を担当、8時出勤で6時退校の毎日となった。
〈教授案やら何やらで、まことに多忙極まる。給料から考えるとばかげた仕事で、不平が出ても当然かもしれないが、健全な国民を作ると考えればこの上ない快感である………大切な精神を健全に仕込まねばならない。真っ直ぐな、快活な、天真爛漫な、進取の子供を育てねばならない〉
〈29p〉〈教授案やら何やらで、まことに多忙極まる。給料から考えるとばかげた仕事で、不平が出ても当然かもしれないが、健全な国民を作ると考えればこの上ない快感である………大切な精神を健全に仕込まねばならない。真っ直ぐな、快活な、天真爛漫な、進取の子供を育てねばならない〉
と述べてる。ところで説明が遅くれてしまったが、同書における
〈教授案やら何やらで…(投稿者略)…進取の子供を育てねばならない〉
というような、括弧書きの〝〈 〉使い方〟についてだが、その〈 〉の中身が、理崎氏が妹尾の日記の文章を少し整理したものであることを示している場合の記号だという。以下の場合も同様である。
さてその〈 〉の中身そのものだが、確かに立派な心掛けである。ただし、これくらいのそれであれば少なからぬ新米教員は持っているだろうし、多くの普通の教員もだ。そして、こう妹尾が認識していたのはもちろん単なる使命感だけからではなくて、理崎氏が、
(妹尾は)気分が悪い時でも、学校で無邪気な子供たちの顔を見ると、たちまち気分が晴れた。
と書いているように、己の心の救いが得られたことにもよっていたのであろう。実際そのことは、
〈いつも児童と接していると、良く懐いてきて、心の交流が容易になる。自分も精神的に愉快になり、健康も回復してきた。子供は無心の良医であった〉
〈30p〉という記述からも覗える。
ただし(残念なことに)、健康が回復した妹尾は大正2年に上海・東亜同文書院の県費派遣留学生試験に合格したので小学校は退職したという。
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なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
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・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
等もその際の資料となり得ると思います。
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