〝2.「証言」の【Ⅰ】の吟味〟の続きである。
(3) 賢治と結核
荒木 しかし、もし賢治が露を遠ざけたかったのならば何もレプラなどと言わずに、たしか賢治は結核だったんだからそう言えば良かったんじゃないのかな。当時その病気は周りからとても恐れられていたということだったはずだから。
吉田 そうなんだよ、荒木鋭いじゃないか。詐病などという行為は賢治らしからぬ行為だし、そもそもレプラ詐病はハンセン病の方にも失礼な話だ。荒木の言うとおり、賢治が自分は病気だと露に言いたければ正直に「自分は結核だ」と話せば良かったのだ。でもそうじゃなかったんだよな。賢治自身はかなり早い時点から自分は結核に罹っているのではなかろうかと自覚しつつも。
鈴木 そうそう、そうなんだ。「新校本年譜」の大正七年、賢治22歳の年譜の中にこのような記載がある。
と私は言って、次の部分を示した。
吉田 ここでは賢治は〝肋膜〟と言っているものの、河本には「私のいのちもあと十五年はあるまいと」と喋っていることになる訳だから、相当早い時点から賢治は自分が結核に罹っているという認識があったということになる。それゆえ、自分の命はそれほど長くはないことと、それが世間に知られることとを懼れたのだろう。そして、『宮澤の家系は肺病の家系である』と後ろ指を指されることを。
荒木 そういえば、かつて俺の祖母が言っていたことを思い出した。昔は結核の患者が出た家の前を通るときは息を吸わないようにして通り過ぎたものだと言っていた。そのせいなのだろうか、結核とは極めて恐れられていた病気なのだと俺は思っていた。
吉田 僕と同じ姓の吉田司が著した『宮澤賢治殺人事件』には、
鈴木 この吉田は、あっ「吉田」といっても〝司〟の方の吉田のことだけど、青江舜次郎以上に賢治のことを言いたい放題に言い倒しているけど、吉田司とある宗教学者との対談の中で、その宗教学者は自分の思い込みと想像、あるいは他人の受け売りなどを喋っていたが、吉田司の方はしっかりと下調べをしてから対談に臨んでいることを知った。この新書の書名はまがまがしいタイトルだけれども、そこで吉田が述べていることは結構真実を語っているようだとこの頃は思えるようになってきている。だから、いま吉田が教えてくれたことは当時の結核に対する世間一般の認識であったであろう、という気がする。
吉田 実は、賢治は結核が悪化していると自覚せざるを得ない昭和6年頃でさえも、そうではないと取り繕ってるいる詩があったはず。たしか〔この夜半おどろきさめ〕という詩には
昭和三年の十二月私があの室で急性肺炎になりました…
とかなんとか、と。もちろん結核の家系だと言われることも賢治は懼れていたとは思うが、この詩は『雨ニモマケズ手帳』にしたためられているから賢治はこの詩を公にしようとは思っていなかったはずなので、この頃になると賢治は、自分を急性肺炎であると偽ることによっていくらかでも結核の懼ろしさから逃れたくなっていたのだと、僕は思う。
荒木 そうかそうなんだ。これで賢治と結核に関しても少しは理解が増した。でも、この「レプラ発言」以前に既に妹のトシを結核で失っている賢治にすれば「自分は結核です」とは口が裂けても言いたくなかった、と俺は思う。もしそんなことを言ったならば、トシもそうだったのに賢治もまたそうならばますます『宮澤の家系は肺病の家系である』とささやかれることになる、ということも避けたかったのではなかろうか。
そこで、露とのことで切羽詰まった賢治は冷静さを失い、詐病してでさえも露を遠ざけたくなってしまって、当時結核と同じように世間からは忌み嫌われていたという病名を賢治は苦し紛れに、軽率にも発してしまった。菩薩の如きあの賢治でさえもハンセン病の方に心を用いることなく、とも考えられるのではなかろうか。残念ことだが…。
とはいえ、これで俺にもなんとなく見えてきた。当初俺は『「レプラ発言」は単なる噂の一つじゃないのかなと思った』と喋ったが、この「レプラ発言」は噂ではなくて賢治が実際にしたであろうと。それに、筑摩の
(4) 残りの考察と結論
鈴木 あっ、またついつい虫の眼に陥っていた。そうすると、項目【Ⅰ】については後は次の2つの「証言」
これらはともに森荘已池の「証言」だが、以前にも言及したように森は露とは一度道ばたですれ違っただけで、本人から取材した訳でもないから、これらの内容の多くはあくまでも当時の噂、あるいはそれに基づいた森の創作に過ぎないと判断した方が良いと思う、ということをだ。
吉田 まあ、「「私はレプラです」という虚構の宣言などはまったく子供っぽいことにしか見えなかった」という部分は森の見方だから是認するにしても、それ以外の内容は全て露の心理描写であり、一度も露と話を交わしたことがないはずの森荘已池にそこまで露の心の内を正しく解ろうはずはないのだから、フィクションならば許せるがさもなければ越権行為だ。
荒木 となれば、項目【Ⅰ】の中の「証言」で、仮説
高瀬露は悪女ではない。……♥
の反例になるものは一つもない、ということで検証は完了。
鈴木 うん、一人露だけが誹られるものは何もないと思う。
吉田 ちなみに、「同級生のナヲに告げたことは〝賢治がレプラである云々〟であり」についても、賢治からレプラであると告白された露がそれを心配して花巻女学校時代の同級生で友達のナヲに相談を持ちかけるのは、何ら非難されるべき行為ではない。
また、この関登久也の妻のナヲに相談したことがきっかけで賢治がレプラであるとの噂が広まったとすれば、関登久也(岩田徳弥)の家と賢治の家とは縁戚関係にある訳だから、それこそ所謂〝宮澤マキ〟にとっては一大事となる。とすれば、ナヲや露以上に責められるべきは火元の賢治となってしまう。鈴木の言うとおり、一人露だけが非難される筋合いは全くない。
荒木 ではこれで一件落着ということに。それじゃ、次の項目【Ⅱ】に移ろうよ。
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(3) 賢治と結核
荒木 しかし、もし賢治が露を遠ざけたかったのならば何もレプラなどと言わずに、たしか賢治は結核だったんだからそう言えば良かったんじゃないのかな。当時その病気は周りからとても恐れられていたということだったはずだから。
吉田 そうなんだよ、荒木鋭いじゃないか。詐病などという行為は賢治らしからぬ行為だし、そもそもレプラ詐病はハンセン病の方にも失礼な話だ。荒木の言うとおり、賢治が自分は病気だと露に言いたければ正直に「自分は結核だ」と話せば良かったのだ。でもそうじゃなかったんだよな。賢治自身はかなり早い時点から自分は結核に罹っているのではなかろうかと自覚しつつも。
鈴木 そうそう、そうなんだ。「新校本年譜」の大正七年、賢治22歳の年譜の中にこのような記載がある。
と私は言って、次の部分を示した。
六月三〇日(日) 岩手病院で診察を受ける。このところ胃の近くが痛むので肋膜かと心配したが、やはりそうだった。いまは水がたまっているということでもないが、山歩きはやめよと水薬と散薬を与えられる。後年その生命をうばった結核の始まりである。
とか、七月四日(木) 河本義行より九日付消印のある保阪嘉内あての葉書によると、「今日も今日とて、宮沢氏肋膜にて実家に帰った。私のいのちもあと十五年はあるまいと。淋しい 限りなく淋しいひびきを持つた言葉を残して汽車に乗つた」とある。
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)』(筑摩書房)より>
というのが。吉田 ここでは賢治は〝肋膜〟と言っているものの、河本には「私のいのちもあと十五年はあるまいと」と喋っていることになる訳だから、相当早い時点から賢治は自分が結核に罹っているという認識があったということになる。それゆえ、自分の命はそれほど長くはないことと、それが世間に知られることとを懼れたのだろう。そして、『宮澤の家系は肺病の家系である』と後ろ指を指されることを。
荒木 そういえば、かつて俺の祖母が言っていたことを思い出した。昔は結核の患者が出た家の前を通るときは息を吸わないようにして通り過ぎたものだと言っていた。そのせいなのだろうか、結核とは極めて恐れられていた病気なのだと俺は思っていた。
吉田 僕と同じ姓の吉田司が著した『宮澤賢治殺人事件』には、
そう、多くの論者が、戦後ストレプトマイシンが出回るまで、肺病がどんなに忌み嫌われていた伝染病だったかを忘れている。血がケガレる〝血統の病い〟として、肺患の家とは「通婚禁止」。既婚でも肺病とわかれば「強制離婚」されても文句が言えなかった。人々は〝空気感染〟しないように、肺病の家の前を手で口を押さえて走り抜けたり、肺患の手の触れた物は必ず〝日光消毒〟した。
<『宮澤賢治殺人事件』(吉田司著、太田出版)137pより>
というようなことが書かれている。鈴木 この吉田は、あっ「吉田」といっても〝司〟の方の吉田のことだけど、青江舜次郎以上に賢治のことを言いたい放題に言い倒しているけど、吉田司とある宗教学者との対談の中で、その宗教学者は自分の思い込みと想像、あるいは他人の受け売りなどを喋っていたが、吉田司の方はしっかりと下調べをしてから対談に臨んでいることを知った。この新書の書名はまがまがしいタイトルだけれども、そこで吉田が述べていることは結構真実を語っているようだとこの頃は思えるようになってきている。だから、いま吉田が教えてくれたことは当時の結核に対する世間一般の認識であったであろう、という気がする。
吉田 実は、賢治は結核が悪化していると自覚せざるを得ない昭和6年頃でさえも、そうではないと取り繕ってるいる詩があったはず。たしか〔この夜半おどろきさめ〕という詩には
昭和三年の十二月私があの室で急性肺炎になりました…
とかなんとか、と。もちろん結核の家系だと言われることも賢治は懼れていたとは思うが、この詩は『雨ニモマケズ手帳』にしたためられているから賢治はこの詩を公にしようとは思っていなかったはずなので、この頃になると賢治は、自分を急性肺炎であると偽ることによっていくらかでも結核の懼ろしさから逃れたくなっていたのだと、僕は思う。
荒木 そうかそうなんだ。これで賢治と結核に関しても少しは理解が増した。でも、この「レプラ発言」以前に既に妹のトシを結核で失っている賢治にすれば「自分は結核です」とは口が裂けても言いたくなかった、と俺は思う。もしそんなことを言ったならば、トシもそうだったのに賢治もまたそうならばますます『宮澤の家系は肺病の家系である』とささやかれることになる、ということも避けたかったのではなかろうか。
そこで、露とのことで切羽詰まった賢治は冷静さを失い、詐病してでさえも露を遠ざけたくなってしまって、当時結核と同じように世間からは忌み嫌われていたという病名を賢治は苦し紛れに、軽率にも発してしまった。菩薩の如きあの賢治でさえもハンセン病の方に心を用いることなく、とも考えられるのではなかろうか。残念ことだが…。
とはいえ、これで俺にもなんとなく見えてきた。当初俺は『「レプラ発言」は単なる噂の一つじゃないのかなと思った』と喋ったが、この「レプラ発言」は噂ではなくて賢治が実際にしたであろうと。それに、筑摩の
(4) この時露が関家を訪問して同級生のナヲに告げたことは〝賢治がレプラである云々〟であり、これが噂となって一部に広まった。<校本年譜> S52
という「証言」もあることだから、なおさら。これで俺のもやもやは大分霽れた。だからもう俺としては、そろそろ元に戻ってもらっていいよ。項目【Ⅰ】について考察すべき点がまだ残っているはずだから。(4) 残りの考察と結論
鈴木 あっ、またついつい虫の眼に陥っていた。そうすると、項目【Ⅰ】については後は次の2つの「証言」
(17) ところが逆に、賢治がレプラであることは露を殉教的にし、ますます愛情をかきたて、意思を堅めさせたに過ぎなかった。逆効果であった。露は賢治と結婚しなければと、すぐにでも家庭を営めるように準備をし、真向から全身全霊で押してくるのであった。<森荘已池> S24
(18) 「私はレプラです」という虚構の宣言などはまったく子供っぽいことにしか見えなかった。露はその虚構の告白にかえって歓喜した。やがては賢治を看病することによって賢治の全部を所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。<森荘已池> S24
について検討すればいいと思うので、まず私から少し言っておきたい。(18) 「私はレプラです」という虚構の宣言などはまったく子供っぽいことにしか見えなかった。露はその虚構の告白にかえって歓喜した。やがては賢治を看病することによって賢治の全部を所有することができるのだ。喜びでなくてなんであろう。恐ろしいことを言ったものだ。<森荘已池> S24
これらはともに森荘已池の「証言」だが、以前にも言及したように森は露とは一度道ばたですれ違っただけで、本人から取材した訳でもないから、これらの内容の多くはあくまでも当時の噂、あるいはそれに基づいた森の創作に過ぎないと判断した方が良いと思う、ということをだ。
吉田 まあ、「「私はレプラです」という虚構の宣言などはまったく子供っぽいことにしか見えなかった」という部分は森の見方だから是認するにしても、それ以外の内容は全て露の心理描写であり、一度も露と話を交わしたことがないはずの森荘已池にそこまで露の心の内を正しく解ろうはずはないのだから、フィクションならば許せるがさもなければ越権行為だ。
荒木 となれば、項目【Ⅰ】の中の「証言」で、仮説
高瀬露は悪女ではない。……♥
の反例になるものは一つもない、ということで検証は完了。
鈴木 うん、一人露だけが誹られるものは何もないと思う。
吉田 ちなみに、「同級生のナヲに告げたことは〝賢治がレプラである云々〟であり」についても、賢治からレプラであると告白された露がそれを心配して花巻女学校時代の同級生で友達のナヲに相談を持ちかけるのは、何ら非難されるべき行為ではない。
また、この関登久也の妻のナヲに相談したことがきっかけで賢治がレプラであるとの噂が広まったとすれば、関登久也(岩田徳弥)の家と賢治の家とは縁戚関係にある訳だから、それこそ所謂〝宮澤マキ〟にとっては一大事となる。とすれば、ナヲや露以上に責められるべきは火元の賢治となってしまう。鈴木の言うとおり、一人露だけが非難される筋合いは全くない。
荒木 ではこれで一件落着ということに。それじゃ、次の項目【Ⅱ】に移ろうよ。
続きの
”高瀬露は悪女ではない(考察#20)”へ移る。
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