鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

韓国と静岡県の関わり

2018年02月19日 | 議会活動

平成30年2月19日(月)

 

 韓国平昌オリンピックが熱戦を繰り広げられていますが、後半を迎え次の日曜日には閉会式を迎えます。昨年のリオオリンピックが地球の裏側で開催されて、夜遅くや早朝などの時間帯に競技を観戦していたのに比べ、日本とほぼ同じ時間帯にある韓国は、競技が生中継で見られ、日本で見る観戦者にとって身体に優しい大会でした。

 フィギュアスケートの羽生結弦選手やスピードスケートの小平奈緒選手の金メダルをはじめ、全ての選手の活躍に心が躍らされ、オリンピック独特の高揚感を味わっています。

 

 今回のオリンピックはスポーツの祭典ではなく、北朝鮮問題も絡み政治ショーだという言い方もされていますが、確かにそのような側面は感じています。しかし、日韓関係には様々な懸案事項が横たわる中、選手達の活躍と彼らの口から発せられる国境を越えたスポーツマンシップを感じさせる言動は、誰からも高い評価を受け、特に日本の若い人選手達には競技後も感動させられました。これも国際関係が閉会後に良い方向に向かうきっかけとなれば幸いです。

 

 さて、静岡県は韓国にある忠清南道と自治体交流を締結し、様々な交流が進められています。私も、県議団の一員として忠清南道を訪問した経験がありますが、このところの国レベル、歴史認識などで大きな溝を認識し、ここしばらく距離を置いてきた感があります。昨年後半にも、議員団訪問の機会がありましたが、その気になれず、参加はしませんでした。そんな時期に開催中の平昌オリンピックは、私の気持ちを和らげる機会になったことは間違いありません。

 

 それと、私自身の認識不足で、これまでの静岡県と忠清南道のつながりにしっかりと目を向けてこなかったことに気付きました。それは、本県知事と駐日韓国大使との対談の記事のなかにありました。以下、静岡県総合情報誌の「ふじのくに」から引用します。

 忠清南道との歴史的縁と題して、「忠清南道は百済の故郷です。最後の都は扶余でした。百済は660年、唐と新羅によって滅ぼされました。百済復興のため、日本は援軍を送りました。白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗しましたが、その戦いの直前、本県の庵原(現代漢字表記:現在の静岡市清水区)から、1万人の援軍が送られました。その軍勢の船が百済の人々を日本に逃がしました。百済の渡来人は律令制、都城制、国史の編纂などの国づくりの基礎を日本に伝えました。その中心人物は藤原不比等でした。(途中略)百済は滅びましたが奈良では復興したとも言えます。古代奈良の都づくりの恩人である百済の渡来人は、静岡の船で来日しました。百済の故地・忠清南道と静岡県には歴史的縁があります。」

 

 今の日韓関係には偏った面だけで議論しすぎではないかと思うくらいです。事実は事実として捉え、特に互いの誇りに思える面が事実であれば、それを基盤として付き合っていくことが大切のようにも思えてきました。

 もしかしたら、自身が聞く耳を持たなかったことに気付かせてくれたのは、今回のオリンピック開催と、若い日本の選手達の素直な言動だったかもしれません。

コメント
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