スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

個人主義と則天去私&予防接種

2023-07-11 19:28:24 | 歌・小説
 『私の個人主義』については,いっておきたいことがあります。
                                   
 「私の個人主義」という表題で講演を行っているのですから,漱石は個人主義者でした。個人主義者が何を意味するのかは簡単には説明することができませんが,この講演の中で漱石は,私は個人主義者だと公言して憚らないといっていて,その個人主義を自己本位という語によって多く説明しています。
 こうした漱石の個人主義あるいは自己本位は,漱石のイギリスへの留学と絡めて説明されることがあります。留学と個人主義との間に本当に関係があるのかは僕には分かりません。ただ,個人主義とか自己本位といった思想は,日本の思想として説明するよりも,ヨーロッパの思想として説明した方が簡潔なので,とりあえずそのように説明されるということでしょう。ただこの説明が間違っていると断定することができるわけではありません。
 1910年に修善寺で生死の境を彷徨った後,漱石は則天去私をいうようになります。これも大患と則天去私という思想の間に何らかの因果関係があったのかは分かりません。ただ事実として,漱石が則天去私をいうようになるのは大患の後なので,このふたつも関連付けて説明されるケースが多く,それが間違っていると断定できるわけではありません。
 これらを綜合して,漱石はイギリスに留学することによって個人主義あるいは自己本位という思想を手に入れたけれども,大病により生死の境を経験することにより,則天去私の境地に至ったといわれることがあります。しかしこれは明らかに誤りです。なぜなら1914年の段階でも,漱石は個人主義者であると自称しているからです。
 留学することによって個人主義に傾き,大病からの生還で則天去私の境地に至ったのは事実かもしれません。しかし仮にそれが事実であっても,漱石の個人主義と則天去私は,漱石のうちで両立していたと解さなければなりません。

 10月22日,土曜日。この日は土曜レクリエーションがありましたから,週末に妹を迎えに行っていません。この日は通所施設の文化祭にあたる日でした。ただ,新型コロナウイルスの影響で,人を集めて行うということはできません。ですから文化祭自体は休止になっていて,その代替としてレクリエーションが行われました。
 午後4時45分に,隣家のSさんが訪問してきました。8日に訪ねてきたときに,26日に引っ越すと伝えていたのですが,予定が早まり,翌日に引っ越すことになったとのことでした。このときに引っ越し先がどこであるかを伝えられました。前もっていっておいたように,根岸駅の近くのマンションです。電話番号は今までと変わらないとのことでした。
 10月24日,月曜日。午前8時50分に,妹のグループホームの担当者であるSさんから電話がありました。これはインフルエンザの予防接種を妹に受けさせるかどうかの意向の確認でした。
 インフルエンザの予防接種は,保護者の意向を確認する書類があって,その書類に署名したものを事務所に提出することによって,利用者の接種が決定されます。この書類は僕の家にも郵送されていました。ところが書類ですから提出の期限というのがあって,その期限までに僕が事務所にそれを提出する機会,要するに妹を通所施設に送ったりあるいは通所施設へ迎えに行ったりすることですが,そうした機会がありませんでした。なので,本当は予防接種を受けさせたかったのですが,予防接種を申し込むための書類は提出していなかったのです。この日に電話がありましたので,ここに記したような事情を話し,もしも受けることができるのであれば受けさせてほしいと伝えました。Sさんはグループホームの職員ですから,すぐにそれが可能であるかどうかは分からなかったのですが,通所移設の方に確認してくれて,妹は接種を受けられるということになりました。
 10月28日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月30日,日曜日。午後4時15分に,グループホームの妹の前担当者であるKさんから電話がありました。週末の予定の聞き取りでした。

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