正常バイアスと蛇に睨まれた蛙 goo.gl/fg6miu
— 石川 則夫 (@noriostone) 2018年7月29日 - 13:35
前回、正常性バイアスというものの紹介をした。私はごく最近になって知った言葉なのだが、妙に気になって記事にした。
「私は大丈夫」とか「今までそういったことを聞かない」など、たかだか数十年の自分に関した「歴史」というよりも、自分の「経験」から導き出したごく狭い「経験則」を根拠に行動することを言うらしい。
人は「富か恐怖で動く」と言われている。
正常性バイアスをその通りに受け取ると、すぐ避難したほうがいい時に避難という行動をとらずに、平常的な行動に終始し、結果死に至る可能性が大きくなるという心理状態を言う。平時を望むあまり、現況を正しく認識することができないのか、残酷な現実からの逃避的行動なのか、という詰めはネットの記事だけではわからない部分がある。
しかし、ネットの記事からは何かを隠す意図が見えているような気がする。
つまり正常性バイアスというのは、単に蛇に睨まれた蛙のことを言っているのではないか、と思ったのだ。残酷な現実の認識をその通り解釈せず、紗をかけたりシュガーコートしたりしてあらわにしていないのではないか、という疑問だ。
以前に書いた記事だが、インドのある民族は一家に女の子が生まれると非常に喜ぶという。
彼らは大道芸人をして生計を立てている。日本の人類学者は、だから女の子が生まれると、将来女芸人となって、生活が楽になるから歓迎されると説明する。
しかし、この民族の女性たちは、売春を生業にしていたというのが「世界の常識」らしいのだ。学術的な研究にも忖度を働かせなければならない日本ってどうなんだろう、と思った。
「人間ドラマ」のような雰囲気は感じられるが、どういうわけか作品に入り込めない。
シナリオに問題があるのではないか。
評価 B
「正常性バイアス」という言葉をネットで知った。初めて聞いた言葉だが、よく読んでいくうちに興味がわいてきた。
「正常性バイアス」とは危険を前にして、「自分は大丈夫」とか「まだ大丈夫」とか思う心理作用のことらしい。
心理学的に人は余分な不安を感じないよう、災害や事故が起きても危険を過小評価する本能があるという。さらに日本人は「他人を見る」習性があるという。周囲の人が動かないと「まだ安全だ」と思ってしまうらしい。
この「横並び」の習性はなかなか興味深い。
田植えの時期になっても、隣の家が植え始めてから自分も植える。早く植えて「失敗したらどうしよう、隣が植えてからでも遅くはない」と、長きにわたる農耕民族の「悲しい性」がそうさせるのだろう。
「正常性バイアス」はもともと「正常化の偏見」と訳されている。
過去に起きたいろいろな災害の際に、「正常性バイアス」の事象が見られている。
3.11の際、津波が来ているのに、人々のゆっくりした避難や、急を告げながらも間延びしたアナウンス。
今回の土砂災害においても、「大丈夫」と言って非難を拒む人たち。
こういう事例を考えると、単なる「バイアス」だけの作用とは思えない。もしかして「蛇に睨まれた蛙」の心境なのではないだろうか。
蛇と遭遇した蛙は、蛇が自分を飲み込むまでには十分な時間があるにもかかわらず、逃げることなく蛇の餌食になってしまう、ということわざ。非常に恐ろしいもの・苦手なものの前では、身がすくんで動けなくなってしまうのではないか。「バイアス」の後ろに見え隠れする「蛇の存在」が気になる。
日本庭園に洋館 goo.gl/KHPycN
— 石川 則夫 (@noriostone) 2018年7月22日 - 11:18
意識改革も必要 goo.gl/n8EMjq
— 石川 則夫 (@noriostone) 2018年7月22日 - 11:25
今回の中国地方の大規模な土砂災害。行政側も、不都合な事案が起きた場合の常とう句である「今後、二度とこのような……」とは言えないし言わない。なぜなら、今までの想定をはるかに超える雨量は、今後も観測される可能性が大きいからだ。
マスコミも「警報が雨のため聞き取れなかった」とか「もう少し早く指示が出てれば」と行政側の不手際を指摘する前に、なぜ住民は「この地を選んだのか」を研究すべきだ。
地質が真砂土と言われるもろい土地であること・山のすぐ下が海であること・平野が少ないこと、などは報道されている。しかし、前回の広島の土砂災害の時と同じように、「ここで大丈夫だったから」という「成功体験」が「ここも大丈夫」と傾斜地の造成へと向かわせたのだろう。
ハザードマップに「危険」と記されている地域を、なぜ県は開発・造成を許可したのか、マスコミは疑問を呈していないようだ。
最近は「シェアハウス」とか「カーシェアリング」とか個人を対象にした「カーリース」など、「自己所有」以外の「利用・使用」の方法が出てきている。車に限ったことではなく住む家も、アパートや共同住宅・賃貸マンションなど、視点を変えることによって、また価値観を変えることによって、解決法は存在するように感じる。
家を自己所有すると、取得税・固定資産税・メンテナンス・解体費用などを負担しなければならない。
しかし、賃貸だとこれらの費用が一切不要なのだ。
今回のような災害に会っても、賃貸であれば家主に「早く建ててください」と言えばいい。
国も個人の被害よりは、家主へ低利の融資を優先させるはずだ。
意識改革させることで、「家は流出・ローンは残る」ことは回避される。
レイプされた美校の学生が相手に復讐するドラマ。
レイプされたのに、自身の体とテクニックを武器に復讐を果たす。そこに「無理」を感じて感情移入はできない。
評価 B
なかなか本筋に入らない「かったるさ」がある。観客の感情移入を拒否しているようで途中下車してしまう。
評価 B
今回の中国地方の土砂災害では「避難勧告」や「避難指示」の言葉が飛び交ったが、肝心の被害にあった人たちの認識に差があったことが問題となっている。
「避難指示」も単なる「指示」としか受け取らなかったきらいもあるようだ。
「勧告」と「指示」がどうちがうのかさえ一般人にはわからない。緊急性の違いはどっちがどうなのか被災者も理解していないようだ。
役所が主導すると、よくこういうわけのわからないことが起こるようだ。
津波襲来を告げるアナウンスもそうだったが、全く「切迫感」は感じられない。「津波が来るぞ、高台へ逃げろ」でいいはずなのだが「緩い」アナウンスに終始した。
「オレオレ詐欺」も「母さん助けて詐欺」から「特殊詐欺」へと変化させた。これもなかなか分かりづらい。
今回の災害も、2014年の土砂災害当時から指摘されていたが、都市開発が山地に近いところまで拡大したために起きた。住宅地が傾斜のある土地に立地することになる。すると、住宅地と山の斜面との距離が近くなり、土石流などの土砂の移動が大きなエネルギーのまま住宅地を襲うことになる。
今年の三月にできたばかりの砂防ダムが、一回の土石流さえも食い止めることができなかったことになる。人間の力なんてこの程度のものなんだろう。
県はなぜこのような地形の土地に、開発の許可を与えたのだろう。家を購入する人は、非日常的な災害にまでは注意を払わない。日常の「利便性」だけしか考えないはずだ。
住民の「安全が第一」ならば、行政が率先して「指導」すべき問題だと考える。