光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

ただのものは高くつく

2016-08-31 10:52:40 | 私見偏在

 

「ただより高い物はない」と昔からよく言われてきた。しかし戒めに反して、「ただ・無料」という言葉には「目くるめく魅力」がある。なにせその言葉には「支払いの義務」がないからだ。しかし「ただ・無料」に慣れてくると、人間は「もっともっと」と欲求を拡大して、ついには「ただよりもお得」な「ただなのにおつりがくる」のを願うようになる。そうなると事件の匂いが漂い始める。

「ただのほかにおつりがもらえる」ことは、人の心が限りなく「鈍する」こととなり、最低の人間域に入ったことになる。

「あれもこれも」と「人の財布」を当てにした前都知事。いい大学を出て著作物も多数ある素晴らしい経歴も、心根が「鈍する」ことによって、その職を追われた。「公私混同」などと上品な表現をするマスコミもあるが、やったことは「こそ泥」と同じだ。

彼ほど有名ではないが、社会的に中流以上の職に就いている人の中に、その地位を利用して強姦・盗撮・わいせつ・パワハラ・セクハラ行為などを行うことも、「鈍する」人間の仕業と思わざるを得ない。

「鈍する」人間も、生まれた当時から鈍していたわけでもあるまい。何らかの「鈍する」発端があり、その「成功体験」の連続が「鈍のマイルストーン」として、「ゲス人間」を形成していったものと思われる。

有名女優の息子・裁判官・警部補・教職者・住職など、中流以上の社会的地位のある人間が、「ただ」で欲求を満たそうとすると、とんでもなく高くつくことを認識すべきだ。

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8月28日(日)のつぶやき

2016-08-29 00:45:50 | 写真
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殺人と無理心中

2016-08-28 11:19:12 | 私見偏在

 

福岡で3歳から10歳までの我が子4人を殺し、母親自身も手首を切った状態で発見された事案があった。

無理心中事件として報道されたが、殺人・心中・無理心中はどう違うのだろう。

他人を殺害した場合は殺人となるが、被害者の中に肉親がいた場合、とたんに面倒くさくなる。

心中は2人または複数の人間が、「死ぬ」という意思をもって死に至る場合を言い、かつてのカルト教団の集団自殺などもこの範疇に入る。

無理心中の場合は、相手には(複数の場合も)死ぬという意思がない場合があり心中に「強制性」が存在する。手を下した本人が、最終的に死のうが生き残ろうが、その事案は殺人に変わりはない。

少し前までは、心中という言葉は日本だけでしか使われないという記述があったものだ。

日本では親が我が子を殺して、後を追って自殺をした場合、無理心中とくくる。しかし外国ではそもそも心中という言葉がない。だから「子殺し自殺」と表記される、と聞いたことがある。

心中と言うとそこに「ロマン」が漂うが、「子殺し自殺」となれば、残酷な事実を伝えているに過ぎない気がする。

我が子に犠牲を強いる無理心中は、是非とも止めてもらいたい。「親はなくても子は育つ」と言うではないか。

「この子が不憫」という気持ちはわからぬではないが、子に死を選ぶ能力が備わっていない時、二者択一の猶予さえ与えずに、一方的にある「強制力」を行使することは許されない。多くの事例が物語っている通り、親は我が子を殺すことはできても、「その後」自分を「始末」することはできないからだ。

 

 

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ザ・ガンマン 2015年 115分

2016-08-28 11:17:43 | 映画

 

ショーン・ペンに頼りっぱなしの作品。彼の肉体美を見せただけに終始してしまった。

一国の大臣を狙撃した国に「罪滅ぼし」のため、井戸を掘るボランティアに戻るものだろうか。

彼の「唇の薄さ」がアクションを弱めているような気がする。

 

  評価 B

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マキシム・コマンドー 2015年 88分

2016-08-28 11:16:06 | 映画

 

イントロ10分で見る気が失せてしまった。

主役の顔に華がない。意味不明の犠牲者が出る。これでは続かない。

 

  評価 B

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イット・フォローズ 2014年 100分

2016-08-28 11:14:34 | 映画

 

題名に惚れて見たのだが面白くない。

金をかけない作品は、セリフに頼る傾向にあるようだ。大したことのない内容だと、無駄なセリフが増える。

 

  評価 B

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MOZU 2015年 116分

2016-08-28 11:11:56 | 映画

 

意味のないシーンや必要のないセリフ。日本映画でいつも思うのが「編集能力」の低さ。

「せっかく撮ったのだから精一杯使う」という貧乏くささは止めてほしい。

この作品を見ただけでは意味不明。ストーリーが分からない。

香山照之が出るとなんでも大げさになり、役者が本来嫌う「外連味」満載状態となる。

 

  評価 B

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8月26日(金)のつぶやき

2016-08-27 00:45:59 | 写真
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レトロ調を強調してみた

2016-08-26 16:12:09 | 写真

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8月24日(水)のつぶやき

2016-08-25 00:46:19 | 写真
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憲法学者という存在

2016-08-24 10:29:01 | 私見偏在

 

憲法学者という存在が、近年ほど脚光を浴びた例は見られなかった現象だ。そして同時に、やっぱり「学問としての学問」で、「現実離れ」した「机上の空論」でしかないということに気付かされた。

憲法以外の法律は、無駄な争議の防止や争議に発展した場合の「落としどころ」を示している。つまり「実用」を目的としている。

これに対し憲法には「他意」はない。その憲法に縛られる国民の、総花的な理想の規範を示しているに過ぎない。なので、「解釈」によってはいかようにも受け取ることができる。

国会に呼ばれた自民党推薦の憲法学者でさえ「安保法制」を憲法違反だと断定した。

日本の中で憲法を教える学者の殆どが「安保法制」を、憲法違反と言える国って健全な国家と言えるのだろうか。

憲法学者と称する学者が、テレビで発言しているのを見ると、なんと彼らは「視野が狭い」んだろう、と感じる。「憲法9条が日本の平和を守った」とか「憲法9条があるから平和を維持できる」などと臆面もなく発言している。

戦後の文化人やジャーナリスト・教育者などは、左派・リベラルでなければ「恥ずかしい」と思ったのか、自虐史観に取りつかれていた。

学校でちょうど近代史部分に差し掛かると、決まって卒業式の練習とかが重なって、授業で取り上げることはなかったものだ。教科書を「読んでおくように」の一言で片付けられた。

普通、法律は時代の流れに沿って運用されなければならない。しかし憲法学者だけは、70年の年月も世界情勢の変化も一切関係ないらしい。

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8月21日(日)のつぶやき

2016-08-22 00:46:05 | 写真
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視覚障害者がホームから転落

2016-08-21 10:10:38 | 私見偏在

 

東京メトロ銀座線で、盲導犬とともにホームを歩いていた視覚障害者の男性が線路に転落、電車にはねられて死亡した。

駅のホームは、視覚障害者からは「欄干のない橋」と危険視されていた。

東京メトロ側は再発防止のため、社員に積極的な「声掛け」を指示したという。

視覚障害者に限らず、事故防止にはホームドアが有効だが未設置の駅も多く、駅員だけではなく一般乗客の「声掛け」も必要なはずだ。

しかし近年、たとえ子供が泣いていてとしても、不用意に「どうしたの?」などとは聞けない状況にある。

ネットで見たのだが、ある男性が夜に繁華街を歩いていると、小学校高学年らしい女の子が泣きじゃくりながら歩いている。その男性は夜だし・繁華街だし・小学校高学年の女の子が泣きながら歩いているのは「尋常ではない」と思ったが、下手に「どうしたの?」などと聞くと、なんか「とんでもない」状況に誤解されなくもないと思い、警察に電話した。すると警察は「すぐそちらに向かうから、その場所に留めておくよう」勧めたというが、後から「誘拐犯」にでもされたらかなわないと思い、女の子の特徴などを告げて「その場」を離れたという。

全く「嫌な世の中」になったものだ。

しかし、現実の世の中には「いかがわしい」事件も多々起きている。

私は東京メトロの事故をテレビで見て、盲導犬の心境に思いを馳せた。突然、主人を失った盲導犬はどんな感情を持ったのだろう。

テレビで主を失った盲導犬に寄り添っている女性を見てその人の人間性に感動した。

 

 

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アンフェア 2015年 120分

2016-08-21 10:09:06 | 映画

 

私は「強いお姉さん」の出る作品はほとんど見ている。ミロ・ジョボビッチものから「スケバン刑事」・「少女コマンドーIZUMI」まで。

『アンフェア』と対峙しているのは『ストロベリー・ナイト』だろう。

二つともすばらしい作品なのだが、日本映画に特有の「絶叫」と「連呼」それに「長回し」は止めてほしい。それがなければ「A評価」となるのだが。


  評価 B

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エゴイスト 2003年 106分

2016-08-21 10:07:40 | 映画

 

地味でありながら、その実、深い作品だと感じた。売れない作家を支えるけなげな妻の存在に心を打たれた。

なにより、ジェームズ・コバーンに会えたのは幸運だった。

 

  評価 B

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