光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

ロシアは日本攻撃を準備していた

2022-11-30 19:41:59 | 私見偏在

 
          ニューズウィーク日本版より
 ウラジーミル・プーチン大統領が率いるロシアは、ウクライナへの大規模侵攻に着手する何カ月も前の2021年夏、日本を攻撃する準備を進めていた。ロシア連邦保安庁(FSB)内部告発者からのメールで明らかになったものだ。
 2021年8月にロシアは、「日本を相手にした局地的な軍事紛争に向けて、かなり真剣に準備をしていた」と書かれている。このFSB内部告発者によれば、ロシアが攻撃相手をウクライナに変えたのは、それから何カ月も後のことだった。「日本とロシアが深刻な対立に突入し、場合によっては戦争に発展する可能性はかなり高かった。最終的にはウクライナが選ばれた(シナリオ自体はそれほど大きく変わっていない)。
 内部告発者は、ロシア政府と日本政府の間にある「主な障害物」は北方領土だと述べている。「日本政府にとっては、北方領土が現在の地政学的関係の土台となっている。日本にとって北方領土の返還は、戦後のステータスの見直し(場合によっては取り消し)を意味することになる」とメールには書かれている。
 日本は残忍な生物化学の実験を行い、残酷で、ナチズムへと向かう性向があると主張することに賭けようとした。日本は、第2次大戦後に非武装化されるべきだったが、そうした『規制』に違反しており、ロシアを危険にさらしている」と、述べられている。
 ロシアは「ナチズム」という呪文を唱えれば、どこの国にでも「特別軍事作戦」という侵略が可能となる。さらに「ロシアを危険にさらしている」という副題で飾ることで「聖戦」に格上げし、同盟国の支持を取り付けるられる。「理屈は後から何とでも付く」を許してはならない。

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NHKの受信契約、想定の4倍ペースで急減

2022-11-23 19:54:43 | 私見偏在

 
     朝日新聞デジタルより
 NHKの受信契約の総数が、4~9月の半年間で約19万8千件減ったことが、今年度の第2四半期業務報告で明らかになった。
 NHKは戸別訪問に頼らない新たな営業方法への移行を模索しており、今年度は年間で10万件の契約減少を見込んでいたが、年換算にすると想定の約4倍のペースで急減している、という。
 NHKとして「想定外」というのは、視聴者にとって「想定内」。ネット社会の成熟の前に多くの国民にとって「半官半民」などと、「どっちつかずの組織はいらない」と思っている。国民の多くは、役所・警察・裁判所・東大・NHKなどのフレーズには抗いきれない「権威」を感じている。それをいいことに「やりたい放題」にはだまってはいられない。またNHKのサイトでは「NHKの予算は、毎年度国会の承認を得ることが放送法に定められています」とある。だったら国営放送にすべき。都合悪くなれば「半官半民」に逃げ、ある時には「権威」をひけらかし、客を敵に回す「訴訟」も辞さない。
 NHKの言う「受信契約」は本来の「契約」の体をなしていない。「テレビを買うとNHKと契約しなければならない」というのは一方通行・強引・問答無用以外の言葉が見つからない。このままの状態を放置していると、「独裁政治の予兆」のような感じに思えてくるのだが……。
 

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クソどうでもいい仕事が多すぎる

2022-11-16 19:46:13 | 私見偏在

 
        池田清彦氏の記事から
 「政府は学習履歴などの個人の教育データについて、2025年頃までにデジタル化して一元化する仕組みを構築することになりました」というニュースを聞いて呆れてしまった、という書き出しから始まる。
 個人の過去の学習履歴をデジタル化しても、本人はまず見ない。そもそも見るメリットがない。
 国民を統制することには熱心だが、自分たちはやりたい放題で、税金の使い道や、怠慢の記録は絶対に公表しないというのは、独裁への道だ、と手厳しい。
 クソどうでもいい仕事(ブルシット・ジョブ)とは2018年出版のデヴィッド・グレーバーの著書の題名で、仕事をしている本人でさえ、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえあると認識しているが、組織の維持、あるいは自身の雇用を守るために、意味があるかのようにふるまわざるを得ない仕事を指す。
 このようなクソどうでもいい仕事をこなしているうちに景気が低迷。     
 経済が停滞した原因は、日本がかつての成功体験を忘れられずに、イノベーションを起こす人材を優遇せずに、安売り競争を続けたためだ。その間、世界はITに代表される新しい技術を開発して、価格が高くとも性能が飛躍的に良い製品開発にまい進していたのである。アメリカは1990年代になってから新興のIT産業が伸びて、あっという間に日本を抜き去ってしまった。
 日本には、アップルやマイクロソフトの創業者であるスティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツのような人材が出なかったのだ。この二人は、同調圧力が強く、変わり者を冷遇する日本の教育システムでは育たなかっただろう。
日本の学校や官庁や会社は、ブルシット・ジョブが多すぎて、新しいアイデアを考える暇がない。イノベーションを起こす可能性のある人材を潰すことに精を出しているとしか思えない、とある。
  池田氏は本人も高校教師だったので、学校現場への記述が多いが、日本社会そのものを憂いている。
 規制緩和や首都移転を長年叫びながら、さっぱり前に進んでいない事実。
 変化を嫌う大和民族の成れの果てとならなければいいが……。

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自軍の兵士を脅す部隊

2022-11-09 19:32:37 | 私見偏在

 ロシアが展開か
      朝日新聞デジタルより
 英国防省は4日に公表した戦況分析で、ロシア軍が「督戦隊(とくせんたい)」と呼ばれる部隊をウクライナ国内に展開し始めたとの見方を明らかにした。逃亡を図る自軍の兵士を「射殺する」と脅し、無理やり戦闘を続行させるのが役割だという。
 ウクライナ侵攻でも、ロシアの将軍たちは兵士に陣地を死守させるため、自軍の逃亡兵を攻撃できるようにすることを希望していたようだという。
 こうした部隊の展開について、英国防省は「逃亡兵を撃つ戦術は、ロシア軍の質や士気の低さ、規律の不十分さを証明するものであろう」と分析している。
 映画「スターリングラード」でもこういう部隊が描かれていた。兵士たちにとっては前も後ろも敵に囲まれているようなもの。士気が上がるわけがない。今も昔もロシアの兵士たちは絶望の中で死を待つことになる。
 軍隊では「指揮能力のない上官に率いられる部隊の戦死者は多い」と言う。日本では80年近く戦争がないから、そういうたとえは会社経営の中だけの常識となっている。
 「我欲」に駆られた指導者を「放置」すると国が持たないし国民は不幸になる。

 

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儲けすぎのNHK

2022-11-02 20:18:12 | 私見偏在

   NEWSポストセブンより
 NHKの受信料については、テレビを持っているだけで月額2170円、年間約2万4000円(衛星契約で口座振替・クレジット払いの場合)の負担となり、“高すぎる”との声が多い。
また、受信料不払い世帯に対しての訴訟やNHK訪問員による集金時のトラブルなどが度々問題視され、国会でも取り上げられてきた。そうしたなかで今回は「過去最大規模の値下げ」と謳っているが、生活者目線からすれば微々たる額で、「そもそもNHKは儲けすぎで、改革は不十分」という批判が噴出している。
NHKの収入増を支えているのが受信料支払い率の上昇です。受信料の未払い訴訟などの影響で契約世帯は年々増え続けてきた。そのため、民放を尻目に収入増が続き、剰余金が膨んでいる、という記事。
 そもそもNHKの「半官半民」という存在がうさん臭い。「半永久」と同じように実体自体が怪しい。例えると、NHKといううどん屋が近所にできて、その辺一帯にうどんを配達する。各家庭が「いらない」とか「食べたくない」と言っても「料金だけはいただく、払わなければ裁判にかける」という世界。
 そんな暴力的行為が許されるのだろうか。国民の「従順」性を悪用する行為は許してはならない。
 即、スクランブルをかけてペイパービュー体制に移行するか、国営放送にすべきだと考える。ネットにも食指が動くなど、このごろ「図に乗りすぎてきた」と思うのは私だけではあるまい。


 

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クレジットカードの差し込みを幼児にやらせる親

2022-10-26 20:17:30 | 私見偏在

   読売新聞の記事について
 レジでの精算時にクレカ払いの客にはカードを端末に差し込むように案内してるが「親子連れの場合は幼い子どもにやらせる親が半数くらいいる」という。
 スムーズに決済を終えていくケースがほとんどだが、中には、子どもが「やりたい、やりたい」と駄々をこねた揚げ句にうまくできなかったり、処理中にカードを抜いてしまってエラーになってしまったり。自分の手からカードをひったくるようにして操作した我が子を「ありがとう」「上手にできたね」などと母親が褒める場面を見かけることもある、という。
 「遊び感覚」の幼児に「法的行為」をさせる必要はあるのだろうか。
 自分の手からカードをひったくるようにして操作した我が子を「ありがとう」「上手にできたね」などと母親が褒める場面を見かけることもある、などは愚の骨頂と言うしかない。
 そもそも、「カードの利用・管理を善良なる管理者の注意をもって行うものする。管理者は、理由の如何を問わず、カードを他人に貸与・譲渡・質入・寄託してはならず、また、カードを他人に利用させ、もしくは占有させてはならない」とある。
 親が法的な「義務」を守らないまま、自分の子をしつけ・教育はないはず。
 過去には、ワンボックスカーが高架橋の下を通過した際に、後部座席のサンルーフから顔を出していた6歳女児が、高架下の標示板に頭を強く打ち、死亡するという事故が発生している。
 愛情・しつけ・自由・奔放・のびのび教育等、どれに重くを置くかはそれぞれ。
 二昔前までは「親ばか」がいたものだが、今は「バカ親」が多いのだろうか。

 

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ゴッホ「ひまわり」にスープ

2022-10-19 19:28:52 | 私見偏在

       JIJI.comより
 ロンドン中心部の美術館「ナショナル・ギャラリー」で14日、環境保護団体の活動家が、展示されていたオランダ人画家ゴッホの代表作「ひまわり」に、缶入りのトマトスープを投げ付けた。英メディアによると、駆け付けた警察官に活動家2人が逮捕された。
 「ひまわり」は1888年の作品。かけられたスープによって額のガラスが汚れ、小さな傷が付いたものの、絵は無事だという。
 騒ぎを起こした団体は、英政府による化石燃料の探査や開発に反対しており、逮捕された活動家の一人は「絵画の保護と地球や人類の保護と、どちらが重要なのか」などと叫んだ、という記事。
 現在「地球温暖化」と言えば最強・無敵のフレーズ。誰も異論を唱える者はいない。
 「地球温暖化」って既成事実ですか?なんて聞こうものなら、のけ者扱いを受ける。民主主義の世界でも「異論は許さない」空気。言論統制が復活したのか。
 なにせ、あんまり学校に行かず「地球温暖化」に傾倒している一人の少女が、国連で並みいる各国の大人をこき下ろす機会を与えられていたり、トランプ大統領にさえにらみを利かせることができる、など異例づくし。
 「地球温暖化」理論は一種のカルト理論なのではないだろうか。前述の少女を動かしている「集団」の影がちらつく。学校にあまり出席していない少女が、物理科学の世界を凌駕するほどの知識があるとは思えない。本人はジャンヌダルク気分なんだろうが、せめて「学校に行って、もっと知識を習得」するよう勧める大人はいないのだろうか。
 今回の事案は「逆張りはかっこいい」と思う跳ね上がり者が出た、ということか。環境を唱えると、何でも許される「環境無罪」は環境に対するテロだ。
 

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政治家の顔

2022-10-12 20:07:42 | 私見偏在

  作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎氏
 岸田首相は今国会冒頭の所信表明演説で「旧統一教会との関係については、国民の皆様の声を正面から受け止め、説明責任を果たしながら、信頼回復のために、各般の取組を進めてまいります」と言い、「国民の皆様からの厳しい声にも、真摯に、謙虚に、丁寧に向き合っていくことをお誓いいたします。『厳しい意見を聞く』姿勢にこそ、政治家岸田文雄の原点があるとの初心を、改めて肝に銘じながら、内閣総理大臣の職責を果たすべく、全力で取り組んでまいります」とも語った。
しかし筆者は、これが実態、「聞く力」は聞き流すだけ、「丁寧な説明」は同じ文言の繰り返し、と酷評している。
 かねてから「話を聞く」と「丁寧な説明」は岸田首相の基本姿勢であり、常套句として繰り返されてきた言葉だ。だが、「話を聞く」のはいいが、そこから先はなにもしない。それでいて、「国葬」がそうであったように「反対」の声は聞けども、無視して強行する、と筆者は憤りとあきらめの記事を揚げている。
この内閣は総理をはじめ閣僚の顔に「覇気」を感じることができない。
 昔「東大までの人・東大からの人」という本があった。ほとんどの人が「東大までの人」で満足するのだろう。国会議員も「国会議員までの人」で「つつがなく」過ごし、息子を後釜に据えれば「盤石の人生」を実感できる。
広告批評の故天野祐吉氏によると「知性の差が顔に出る」という。「知性の差」がありすぎて「覇気」を感じさせないのか、単なるやる気がないのか不思議な政権だ。

 

 

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英文科なのに英語がしゃべれない

2022-10-05 20:14:58 | 私見偏在

     日本電産の永守重信会長の記事から
 日本電産では、これまでに1万2000人ほどの新入社員を迎えてきた。そして、人材の採用や教育を行なっているうち、私は「今の日本の大学教育は間違っているのではないか」と考えるようになった。
 日本の企業の採用戦略は、今なお有名大学や偏差値の高い大学から人材を選ぶのが主流だ。だが、そうした大学を出ても学生が社会に出たときに活躍できる力が身についているかといえば疑問である。
 小さな頃から試験に追われる子どもたちの目標は、たいていは親や塾の勧める偏差値の高い大学、有名な大学に入ることである。高校の進路指導でも、学部や学科選びの指導は二の次で、とにかく有名大学、すなわち偏差値の高い大学を目指すことが良しとされている。本人が何を学びたいか、どんな仕事をしたいかを教師と話すようなことは少なく、大学選びがもっとも重要視され、有名大学に入ることが推奨されるのだ。
 一流大学に合格することだけを目的として試験勉強に勤しんできた人は大学に受かった途端ほっとして遊んでしまうことや燃え尽きてしまうことがある。その結果、一流大学に入っても自分の専門分野をしっかり磨くこともせず、大事な4年間を無駄に過ごす人も多い。一流大学を卒業すれば、そのブランド力で企業から内定をもらえるかもしれない。しかし、自分の専門分野もなく、自分が何をしたいかという目標もない場合、結局は「大企業だから」とか「安定しているから」という理由で企業を選ぶことになる。それでは仕事への情熱は持ちにくい。自分から前向きに取り組むモチベーションも生まれてこないはずだ、と述べている。
 タイトルに戻ると「英文科なのに英語がしゃべれない」は「暗記・詰め込み」偏重教育のせい。これをどうにかしないとG7からはじかれることになろう。
 一流大学を出て一流企業に入っても、「品のいい人」と「下品な人」の区別がつかないばっかりに50億以上の大金をだまし取られた事案があった。人事課が自らの仕事を放棄し学校の成績だけに頼って採用した結果と言えよう。
 少し昔になるが、サッポロビールの採用会場で、受験生にある問題について円卓でディベートさせた。それぞれが自分を売り込もうと議論に参加したのだが、一人だけ発言しない学生がいた。試験官が「君は意見がないのか」と尋ねるとその学生は「男は黙ってサッポロビール」と言った。試験官は「この男は何かをやってくれる」と採用したという。都市伝説かもしれないが、おおらかな時代ではあった。

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「ひきこもり」でなく「こもりびと」

2022-09-28 19:40:37 | 私見偏在

    朝日新聞デジタルの記事
 「ひきこもり」ではなく「こもりびと」――そう独自の呼称をつけ、ひきこもり状態の人を支援している神奈川県大和市が、市民の理解を深め、当事者やその家族が孤立しないよう施策を推進する「こもりびと支援条例」を制定する。市はひきこもりが若年層だけでなく、中高年も含めた幅広い年代にみられるとして、「より温かみのある呼称」を用いた「こもりびと支援窓口」を設置。相談を受けるだけでなく、当事者の集いや講演会を開くなどの取り組みを進めてきた。
 この記事を読んで若干の違和感を感じた。
「行政の常套」というか、いつもの「言葉遊び」を思い出させる。
 「オレオレ詐欺」を「母さん助けて詐欺」と言ったり、「実年」とか「E電・民電」など、もう消えてしまった行政の作った呼称の数々。
 日本語の語彙は70万あるといわれている。世界で一番単語の数が多い言語を我々は使っている。何を今さら新しい呼称にこだわる必要があるのだろうか。それよりも行政は「こもりびと」をどうしたいのだろう。どうにもできないので、せめて「何かをやってる風」のパフォーマンスなのかと思ってしまう。
 この手で行くと若年層の引きこもりを「コモリー」、青年層は「コモラー」、壮年層を「コモリスト」、老人になったら「コモ爺」などと呼ぶ自治体も出てきそうだ。

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日本以外で「晩酌」文化はない

2022-09-21 20:04:54 | 私見偏在

  一橋大学名誉教授の都留康氏の記事から
  「海外ではお酒はパーティなどの『特別な日』に飲むものだが、日本では日常的に家でも飲む。1人で、または配偶者と飲むというのもあまり海外では見かけない」という――。
毎晩1人で酒を飲む」なんてあり得ない…日本の「晩酌文化」が海外から不思議がられている。
自宅で1人または家族とお酒を嗜むことを「晩酌」という。
 日本と海外の飲酒習慣は大きく異なる。「アルコール消費量が多いと言われるロシアでも、お酒はお祝いの日に飲むもので、理由も無くお酒を飲むことはありえない。
 日本人はお酒を飲むのに理由が要らない。1日に飲む量は少なくても、ほぼ毎日のよう
お酒を飲んでいる人も珍しくはありません。休みの日には家で晩酌、ご飯に行ったら“とりあえずビール”。仕事が終わったら仲間と居酒屋で飲んで帰るし、その後コンビニで買って歩き飲みなんて人もいる。日本人の飲み方はとにかく少量を高頻度で、である。
 さらにコロナを避けるため「家飲み」という言葉が頻繁に使われるようになった、とある。
 日本人はお酒を飲むのに理由が要らない、とは言い得て妙。日本人の酒の飲み方を、外国にとやかく言われる筋合いはないのだが、特別な民族のように書かれている。
 「一人酒、手尺酒」などと演歌に出てくるように、日本人は一日の終わりや何らかの理由を掲げては飲んできた。「何か新しい考えが湧き出る」という期待を持って飲むこともありだろう。

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再度、邦画の「外連味」について

2022-09-14 19:51:03 | 私見偏在

 前回、演劇や映画の世界で嫌われているという「外連味」について述べた。しかし、「作られたもの」の多くは「外連味」にあふれている。所詮は「作られたもの」だから「外連味」にあふれている、のは当然なのかもしれない。
 かつて、一時は私も「日本人は欧米人に比べ、顔の作りが扁平なので、演技はおのずとオーバーアクションになりがち」と思っていた。また、日本には歌舞伎の「隈取り」という特殊な化粧法があり、ど派手な「見えを切る」という演技手法もある。その流れが演劇界が嫌ってやまない「外連味」を醸し出しているとしたら事態は複雑だ。それに最近は原作・原案不足のためアニメ・劇画の実写版が幅を利かせている。アニメ・劇画に登場する人物たちは決まって「大げさな振り」を披露する。それに慣れた役者や演出家が「外連味」のある演技を「熱演」として評価している場合がある。なので「好演」だけでとどめることができず「熱演」の域まで行ってしまうのだろう。
 テレビや映画の出演も、舞台出身者を重用する傾向が見られる。今まで述べてきたいろんな要素から、日本人は「臭い芝居」が好きなんだろうと思う。今ネットでたたかれている「わいせつ」役者も映画・コマーシャル・テレビと引っ張りだこ「だった」。私は「臭すぎて」嫌いだったが……。
 俳優・女優を「銀幕のスター」と称していた時代があった。そのころの俳優・女優は「スター」だった。「スター」とは星。星には手が届かない。タレントが「隣のミヨちゃん」
的な存在になってから、彼らが安っぽくなったような気がする。今は俳優・女優の名前の前に「ベテラン俳優・超ベテラン・大物女優」など、修飾語が付くようになった。「名前だけだと通用しない」世界なのか。「外連味」のない「普通の演技」は所詮日本では無理なのだろうか。 

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外連味を嫌いながらも寄り添う邦画たち

2022-09-07 19:41:52 | 私見偏在

 外連味(けれんみ)とは、俗受けを狙ったいやらしさ・はったり・ごまかしと広辞苑に記されている。
 映画や芝居で最も嫌われる外連味という言葉。観客に「外連味がある」と言われただけで、その作品としての価値は失せてしまう。
しかし最近は、外連味のある作品が好まれるようだ。
 戦争ものや合戦もの以外でも、やたらと「絶叫」シーンが多い。日本人特有の「恥と外聞」をかなぐり捨てて「これでもか」と外連味のてんこ盛り。
 また、役者は顔の筋トレが必修科目なのかとにかく顔面の演技がど派手だ。映画評論家などは役者の「熱演」を評価したいようだが、
「好演」ぐらいでいいのではないかと思う。
「熱演」はオーバーワーク、「好演」はグッドジョップ。
 最近、セクハラを超えて強制わいせつともいえる事案で話題に上っている役者がいる。一部擁護する論者もいるが、このご時世、許されるものではない。彼もテレビ・映画・コマーシャルと大活躍。テレビで見ない日はないくらい人気者だった。しかし外連味という概念から見れば、彼の演技は「臭い」の一言。
しかし大衆は彼の外連味のある「熱演」が好きだということになる。
 ハリウッド映画と比較すると、邦画の仰々しい演技が目立ちすぎる。ゴッドファーザーの冒頭部分でも、マーロンブランドは静かに葬儀屋の娘の仕返しを静かに訊く。これから起きるであろう凄惨なシーンも、顔面の筋トレの成果を披露すれば、すべて作品は台無しになる。静かにしかも着実にクライマックスに近づいている感触に、観客の期待は高まることになるのだが……。

 

 

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本人も困惑している「プーチンの負け戦」

2022-08-31 19:53:19 | 私見偏在

 ニューズウィーク日本版の記事から
 まさか、まさかの展開である。2月24日の開戦から半年が過ぎたというのに、まだウクライナ戦争は続いている。侵攻を決断したロシア大統領ウラジーミル・プーチン自身を含め、ほとんど誰も予想できなかった事態だ。
最高司令官のプーチンが兵士たちの足を引っ張っている。プーチンは情勢を読み誤り、ウクライナ政府を転覆できると信じて侵攻を命じた。その後は東部ドンバス地方の制圧に目標を変えたが、うまくいかずに兵力を消耗させるばかりだ。しかも制服組トップの将官たちの意見を聞かず、気に入らなければクビを切っている。戦場で死んだ将官も10人以上だ。残る将官はプーチンの怒りを買うまいと、不都合な情報を隠している。
 プーチンはロシア国民とも戦っている。自由を奪い、ロシア軍の損失についての実情を明かさない。戦死者の遺体や傷病兵を人目につかないよう夜間に移送させ、親族への通知も遅らせている。
 しかし最も重要なのは、プーチンが自分の部下をまったく信用していない点だという。匿名を条件に取材に応じた情報機関の高官に言わせれば、プーチンは「独裁者の常として、自分が誰よりも、軍隊よりも、どんな専門家よりも賢いと信じている」。
 プーチンが軍隊にいたのは1975年のほんの数カ月だけで、ソ連軍の砲兵隊に所属していた。その後はずっとKGB(国家保安委員会)にいた。そしてロシア政府を率いてきた過去22年間で3つの国内戦とシリアでの作戦を指揮した。それで自分は有能な最高司令官だと思い込み、ついでにロシアの軍隊は絶対に負けないと信じるようになった。そんな「肥大したエゴ」の持ち主のいいかげんな判断で、この戦争の行方は決まる。前線の兵士は使い捨てだ、と記されている。
 ここまで読んでくると、この記事の全容がわかる。キーワードは「肥大したエゴ」と「希望的観測」・「負の成功体験」等々。誰の意見も聞かない「裸の王様」の特徴そのもの。
 独裁者は国家や国民を思うことなく、「我欲」だけで「行動」する。やがて巨額な戦費といびつな経済構造や、国を捨てた有能な若者たちが醸す「負の遺産」が急激に国家を衰退させる。独裁者の誕生と成長を傍観した「つけ」を国民は支払うことになる。

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昭和的グダグダ President on lineより

2022-08-24 19:22:53 | 私見偏在

  タイトルは「日本経済を蝕む"昭和的グダグダ"が何度となく繰り返されてしまう根本原因」。
 東京商工リサーチによると、コロナ禍でも日本企業の倒産件数は最低水準で推移しているという。背景には政府の支援策がある。そのように延命した企業はこれからどうなるのか。
 一人ひとりの日本人が「個人の力」を身につけ、生かしていこうとするとき、やはりそこでも壁として立ちはだかるのは、新陳代謝が進まず固定化した産業構造、社会構造だ。
 これからの時代に求められる力は、新しい力である。しかし、古くて固定化した産業構造に身を置いても、あるいは、そこに向けて用意されている古い教育システムに身を置いても、それだけでは新しい力は身につかない。
もともと、どの国も平時から起業率も廃業率も日本より高い。
 長い目で見ると産業の新陳代謝がさらに進み、デジタル技術を駆使した新しい業態、新しい企業への世代交代が進むだろう。歴史的にも、経済危機の後はイノベーションが加速する場合が多い。しかし、日本では、むしろ古い産業がゾンビ化したまま生き残り、産業構造の固定化が進んでしまう傾向がある。
 原因が何であれ、稼げない企業は淘汰とうたされるのがビジネスの理ことわりだ。昭和的グダグダ感の根っこの1つには、敗戦後にできた日本国憲法の成立から引き継がれてきた「有事というものは存在しない」という建前路線があるように思う。目をつぶれば何も見えないのと同じで、この国のあらゆる仕組みが「有事はない」前提でつくられるようになっていく。
 高度成長期以降の「昭和元禄」天下泰平の時代がもたらした「昭和的グダグダ感」が続く限り、この国の潜在的危機が深まっていく。
  この文章を読んで、明治政府以来完成された「行政機構」にも一因があるように思える。
どの部門にも「規制」が多すぎるのだ。何かにつけ「規制緩和」を叫んでも「規制撤廃」まではいかない。口だけのパフォーマンスに終始するだけ、役所が既得権を手放す気配はない。「行政のスリム化」とか「小さな政府」とか言いながら、省庁は増え続けている。
 「ゼロベース」という言葉は知ってても、実行に移すことはない。
 「革命」を実行してこなかったつけが「昭和的グダグダ」につながっているのだろうか。

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