光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

年長者に向かって罵声を浴びせ続ける

2021-01-31 19:50:18 | 私見偏在

 岩田温氏の記事から
 報道各社の世論調査。菅義偉内閣の支持率は下落しているが、自民党の政党支持率は高止まりしている。内閣支持率が急落すれば与党支持率も下落し、野党支持率が上昇するのが一般的。しかし、日本では、ほとんど野党の支持率は上がらない。
 菅首相が自宅療養中や宿泊療養中に亡くなった方々について、「大変申し訳ない」との思いを表明すると、蓮舫氏は次のように攻撃した。
「そんな答弁だから言葉が伝わらないんですよ、そんなメッセージだから国民に危機感が伝わらないんですよ。あなたには総理としての自覚や責任感、それを言葉で伝えようとする、そういう思いはあるんですか?」
 一連の映像を眺めていて、蓮舫氏があしざまに罵(ののし)れば罵るほど、菅首相の良さが引き出されるように感じられた。岩田氏は「これが野党の支持率上がらない原因」とした。
 野党が「支持率を上げる」ということは「政権」につながる、という思惑があるからだ。
現在の野党は政権をとる気持ちは完全に失せたようだ。「あつものにこりてなますをふく
」わけでもないだろうが、「永世野党」のままでいたほうが居心地がいいのだろう。下手に政権を取ろうものなら「悪夢の再来」を連想させることになる。与党の揚げ足を取り・文句を言っていれば、国会議員としての給料も賞与も満額もらえる。選挙区に帰れば「先生」と呼ばれる。政権を取るようなふりをしていればいい。こんな「おいしい商売」はほかにない。世襲議員の多さも納得できる。相手に「レスペクト」を欠いた議員に政治をさせてはならない。

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「触れもせで」

2021-01-27 20:06:01 | 本と雑誌

 向田邦子との二十年 久世光彦著
「触れもせで」というタイトルにひかれて読んでみた。描かれている向田邦子の作品には人を引き付ける妙な魅力がある。彼女の作品にはある種の「毒気」を含んでいるようだ。
「思いでトランプ」を短編小説と言っていいか、エッセイ集に分類するかを問わず、「毒気」をこっそり仕掛けてある。
 最初に読んだときはヒッチコックの一連の作品のような気がした。彼特有のサプライズエンディングを彷彿させる。とかくエッセイ集と言えば読んでいる間、生ぬるい湯に浸かっているような気がしていた。「誰でも書ける」というイメージが先行しているせいか、あまり興味を持たなかった。彼女の作品にみられる「毒気」はスパイス以上の効果を持っている。
 この作品の著者も、彼女と接する職業柄というよりも、彼女への「レスペクト」が本からあふれ出ている。「仕事上の付き合い」がいつか「男女の関係」を連想しないほうがおかしい。しかし著者は「レスペクト」という「国境線」を自ら引き、超えることなく時には冷静に彼女を見つめ続けた。恋愛小説としてもレベルは高い。
 二十年間「触れもせで」彼女を見つめ・添い続けた著者の「熱」が行間に潜む。 

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錯綜極まる情報

2021-01-24 20:02:02 | 私見偏在

 フリーキャスターの辛坊治郎氏が新型コロナ感染対策に厳しい意見を述べた。「GoTo(トラベル)はコロナ感染数の増加には関係なかった、ときっぱり。さらに「いまだにGoTo関係あるって言ってる方いるが、年末年始はGoToやってなかったですから。今、感染が広がってるのは間違いなく年末年始(の影響)なんです」と指摘し「だからGoTo関係ないだろ!って話」とした。
 緊急事態宣言についても「個人的な予想」とした上で「春になって暖かくなって紫外線も強くなって気候も変わってきたら、ガッと下がっていくこともあるだろうと。たまたま緊急事態宣言をかけたタイミングと合ったら『緊急事態宣言のおかげ』だと言われるかもしれない」と解説。
 続けて「まさにGoToと同じで、年末年始GoToを継続してたら、絶対『GoToのおかげで感染爆発だ』って言われてるわけだ。だから、緊急事態宣言が緩いから収まらないかというと、それはまた別かなという気がする」と訴えた。
 この疫病に関しては大成功している国はないわけで、何をやってもやらなくても批判はついて回る。今のやり方は「放火犯」は特定されているのに、「消火の仕方が悪い」と消防士を批判しているように感じる。
 この後、世界中で「放火犯」にどう責任を取らせるのか。日本も「対応」を間違えないようにしなければならない。憲法九条と「遺憾の意」と「性善説」だけでは心もとない。

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「鼻出し」事案

2021-01-20 21:54:25 | 私見偏在

 感染が拡大する中で実施された「大学入学共通テスト」で、マスクから鼻が出た状態を正さなかった受験生の成績が無効になったケース。監督者から鼻を覆うよう試験中に6回、さらに休憩時間も注意されたものの正さず、不正行為と認定されて成績が無効になった。
一方、「著名人」はこのようなコメントを発した。
〇前川喜平氏(右傾化を深く憂慮する一市民)
 聞いただけでは「え?なんで?ちょっとひどくない?」と思う。
〇鴻上尚史氏 しかし、6回も注意されても鼻を出していたということは、なんらかの理由があるんじゃないだろうか。
〇茂木健一郎氏 鼻出しマスクの件、ネット情報によると、共通試験で配布された冊子には「マスクを正しく着用」としか書いてなかったようで、「鼻を覆う」ことを意味するかは曖昧。試験結果無効のような重大な結果をもたらす判断をする上ではお粗末。杓子定規のロボット試験監督による人権侵害だと私には思える、と受験生を擁護。
〇マスパセ氏(マスク未着用途中降機乗客)
 感染対策“徹底”の世間の面子のために、「口鼻を完全に覆う」という不合理な規定を作った大学入試センターが悪い?
 要領の悪い試験監督の大学教員が、鼻マスク何回も注意したら、受験生も反発するでしょ!、とこれまた擁護。しかし、その後自身が逮捕される。
 これらの「著名人」の危機意識のなさにうんざりした。この問題は「右傾化」とは関係がなく、何らかの理由があったら述べればいいだけ。「マスクを正しく着用」とは「鼻を覆う」事だとわからないふりをしてみせる、とか。またマスパセ氏は逮捕される等々。
 このことで「著名人」の質そのものが疑わしいことが露呈した。諸氏得意の「逆張り」は株式投資にだけ使ってほしいものだ。

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日本の緊急事態宣言 

2021-01-17 19:45:11 | 私見偏在

 ケントギルバート氏の記事から
  政府は7日、東京と神奈川、埼玉、千葉の1都3県の知事の要請を受け、新型コロナウイルスの「緊急事態宣言」発令を決定。日本式の強制力がない宣言で、どこまで感染拡大を阻止できるかは未知数だ。宣言が発令されないことで政府に対する批判もあったようだが、宣言後に感染者数が減らなければ、批判を繰り返していた人たちは、どのような釈明をするのだろうか。
 ワイドショーでは、“自称”専門家や科学者たちが出演しているが、誰一人として緊急事態宣言の効果や、感染が拡大している理由を科学的に説明できていない。
 日本とは異なり、米国では飲食店よりも家庭内での感染率が圧倒的に多いとされている。また、ロックダウンした州と、しない州の感染者数の増加率も死亡率も、大きく違いがみられるわけではない。
 どの国も現段階では新型コロナウイルスに対し、完全な治療薬がなく、感染拡大を防止する有効策が見つかっていない。
 有効策がないのであれば、日本でも2月下旬ごろから接種が開始されるというワクチンを待つ以外に手段はない。それまでは緊急事態宣言やロックダウンという根拠のない策ではなく、責任を自覚した国民ひとり一人の行動に任せる以外、方策はないのではないだろうか、と締めくくっている。
 一回目の「緊急事態宣言」では「感染者のピークをなだらかにする」のが目的だった。
つまりこの政策は「時間稼ぎ」にしか過ぎない。「ワクチン」に期待がかかるが、本当は「治療法」に重点を置くべきではないのか。
どのマスメディアも「治療法」について話題にすることはないようだ。インフルエンザにかかっても「治療法」があるから安心できるのに……。

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「2類指定を外して」 医療逼迫は一気に解消へ

2021-01-13 20:08:42 | 私見偏在

  デイリー新潮の記事から
 12月8日、全国保健所長会が厚労大臣宛てに「緊急提言」を送っている。新型コロナウイルスは現在指定感染症(2類相当以上)の扱いだが、これを緩めてほしいというもの。メディアは保健所の逼迫を受けて「医療崩壊だ」「外出するな」と叫ぶが、本当に必要なことは指定感染症2類扱いの見直しである。
連日ワイドショーで紹介される医療関係者の悲鳴を聞くかぎり、全国の病院がいまにも崩壊しそうに感じられるが、はたしてそれは実態なのか。
 「現場の医師の感覚で言えば、コロナは若年者にとってはただの風邪です」
 医師でもある東京大学大学院法学政治学研究科の米村滋人教授は「医療逼迫の真の原因は日本の医療体制そのものにある」日本では医療法上、病院の監督権限をもつ都道府県知事らが、各医療機関の医療内容に関して直接的な指示や命令を行うことは認められていない。ほとんどが公的医療機関であるイギリスやフランスと違い、民間病院が81%を占める日本ではいま、一部医療機関に負担が集中し、医療従事者が疲弊する事態になっている。「感染者が欧米の数十分の1なのに、日本で医療逼迫が起きているのは、ひとえに新型コロナを指定感染症の2類相当として扱っているからだ」「感染者数がピークでも1日2千~3千人で済んでいる日本は、5万~20万人の欧米から見れば感染対策に成功している。インフル同様5類にすれば受け入れ可能な病院も増えるのに、それができないのは、新型コロナは“死ぬ病気だ”という意識を国民に植えつけた専門家、テレビ、新聞のせいです」
テレビも保健所の逼迫を報じているが、常に「だから感染拡大を防げ」「外出するな」という結論に導かれている。新型コロナの感染者に、致死率5割を超えるエボラ出血熱並みの対応を求められている保健所の悲鳴は無視され、世論を煽る材料に使われているのだ、という指摘。
 マスコミの「煽る」目的は何なのか。時の政府の「後手後手」感を喧伝し、国民の不満に方向性を示すこと。目指すは社会主義国家だとすると恐ろしいことになる。マスコミはなぜ「自縄自縛」になることも考えず、自傷行為に走るのか。
 いまのままだとマスコミは、報道機関ではなくプロパガンダに脳を侵された「機関紙」に成り下がってしまう。「真実」に無関係な捏造を繰り返す危険な大手マスコミも健在だ。

 

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なぜクマが大量出没するようになったのか

2021-01-10 20:16:23 | 私見偏在

 文春オンラインの記事から
 2020年8月8日深夜、長野県上高地にある小梨平キャンプ場には約250のテントが張られていた。キャンプ場全体が寝静まった頃、東京から友人とハイキングに訪れ、1人用テントで就寝していた50代の女性は、突然テントが強い力で引っ張られるのを感じて、目を覚ました。テントは一瞬で引き裂かれ、黒いものが襲い掛かってきた。“犯人”は体重150kg(推定)のツキノワグマだった。女性はクマの攻撃が緩んだ隙にトイレに逃げ込み、周囲の人の助けで病院に搬送され、九死に一生を得た(クマの爪により右足に10針縫う軽傷)。関係者によると「上高地での人身事故は、初めてでは」とのことだが、近年、全国でクマによる人身事故は増加の傾向にある。
 環境省によると、全国のクマ類(ヒグマ含む)による人身被害は、2018年度は51件、昨年度が140件、今年度は9月までの速報値で既に80件に上り、10月には秋田県の住宅街で、80代の女性がクマに襲われる事件も起きた(後に女性は死亡)。この事件について報じた記事には、県の担当職員の次のような談話が載っている。「解釈に苦しむ。(クマの食料となる)クリが多い高台から住宅街に下りて来る動機があるのか」いったい今、クマと人間との間に何が起きているのだろうか。40年以上クマの生態を研究している日本ツキノワグマ研究所の米田一彦氏は、“ドングリ不作説”には懐疑的だ、とある。この記事では「奥山」には強いオスがいて、逃れてきた若いオスが廃れた「里山」に出没するようになったのだという。それと同時に、銃刀法が年々厳しくなり所持許可を受ける者が少なくなり、さらに猟友会が高齢化している。「刀狩」の悪影響が出始めたのか。

 

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新型コロナとエボラ出血熱

2021-01-06 20:10:06 | 私見偏在

 大阪・なかむら内科のサイト
 サブタイトルは 新型コロナって、エボラ出血熱やコレラと同じ扱いでいいのか?
 それほど怖いウイルスではないことが分かってきた。しかし、相変わらず、このウイルスは感染症第2類相当に指定されている為、SARSやコレラ並みの扱い。これはPCR陽性と判定されたら例え軽症でもSARSやコレラに感染したのと同じ扱いにすること。
 当時は新型コロナに感染するとその多くが重症化して死に至るだろうと考えたから第1-3類並みの指定感染症にしたのだが、今もまだその判断が正しいとしている。新型コロナ感染の多くの人が無症状や軽症ならインフルエンザ 並みの扱いではだめなのか? 
 インフルエンザ は第5類に指定されている。だから、診療所で診察・検査できる。家族に移さないように指示してタミフルなど処方し、自宅療養してもらう。
新型コロナウイルスを第2類指定感染症に指定している限り、国が診療所でもPCR検査できるようにPCR検査件数を増やすと言ってもなかなか協力できるものでない、と締めくくっている。
 このブログは2020.08.27のもの。ここから四か月も経過しているのにまだこの状態。状況が変化しているのに、あまりにも国・行政として無能無策ではないだろうか。連日テレビでは「恐怖をあおる」番組が続く。その日の感染者が少ないと「月曜日としては最高」とか、とにかく「脅す」ことだけは忘れない。
「オオカミ少年」の例のように、あまりにもあおりすぎて、国民は鈍感になってしまわないか。マスコミはそれを狙っているとしたら、相当に「質(たち)の悪さ」を感じる。
 

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年明けの違和感

2021-01-03 20:16:42 | 私見偏在

 今年の年明けほど違和感を感じたことはなかった。いつもの新年のようにテレビをつけると、「おめでとうございます」の連呼。去年からずっとコロナの中でも一月一日は、女性アナやタレントが晴れ着を着て明るくふるまっている。元旦の「あけましておめでとう」も「あけてはいない」のに。のど元のコロナというとげもいまだに取れていない。
 コロナにより職を失ったり自殺者が多く出たり、いまだ生死の中をさまよっている人がいる。そんな中にも、晴れ着を着て「おめでとうございます」はないのでは……。芸能人の「ふざけあい」もついてはいけない。
 都知事の「非常事態宣言」の国への要請なども違和感を感じる。「主導権を取りたい・よくやっている感」が透けて見えて、「お・も・ち」的な「語呂合わせキャッチコピー」のにおいを感じる。「目立つこと」が先だって「言葉遊び」が過ぎるようだ。
 「非常事態宣言」も「お願いや要請」だけで強制力がなければ「絵に描いた餅」となり、やはり「言葉遊び」になってしまう。
 「罰則なき法」は単なる掛け声、守る義務もない。従順な国民性の性善説頼みも限界がある。今は使わなくても法的には準備していたほうがいい。「国民の権利を縛る」法律も非常事態には行使しなければならない。いつものように「遺憾の意」とか「穏便に」などと言っていては「国の威信」が保てなくなり、身内からも侮られることになる。  

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