光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

電車内でたばこ注意され殴る蹴る

2022-01-26 20:04:11 | 私見偏在

  電車内で喫煙を注意された男が、注意した高校生に重傷を負わせる事件が報道された。
「いつものように」ほかの乗客は無関心を装い高校生を助ける行為を取らなかった。テレビで放送されたように、車掌に連絡しても法律が確立していなければ、車掌がけがをすることになっただけだろうし、車掌は無頼漢の暴行の餌食になるだけ。
 日本ではこのような「緊急不正の暴力」に対処する法律がない。誰かが正義感から、ある種の「対処」を行うと「過剰防衛」に問われることになる。日本人はあまりしないと思われるが「対処」が過ぎると、被害者が一転して加害者として扱われるのが日本の法律。
 日本では、法が加害者をかばうようにできている。被害者には「泣き寝入り」を勧めているようなものだ。マスコミは「見て見ぬふり」をしている人たちを一応は非難するが、どうするべきかを述べない。
 政治家もいつまでもオミクロンに忙殺されず、早急に立法措置を講じるべき。そうしないと日本に正義は生まれないだろう。こういう輩を集団で排除できるようにすべきだし、そうした後の結果を問わないことが必要だ。これは立法府に籍を置く政治家の責任だ。
 いつまでも「遺憾の意・厳重に抗議・アベノマスク・井戸のうちわ・憲法九条・安全安心」だけでは問題の解決はできない。
 「何かが起こる前に対処」するのが「先見の明」。「対処療法」に四苦八苦するのが政治家ではないはずだ。

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高砂の掛け軸

2022-01-19 20:28:12 | 私見偏在

 「経験がその人の顔を作る」と言ったのは森鴎外。この名言を読み解くと「いい経験をした人はいい顔になり、悪い経験は顔を悪くする」となる。人間は多くの「経験」から40歳を過ぎたあたりで、その人間の後半の人生を共にする顔になる。「下品」な経験を重ねてくると、顔はおのずと「下品」になる。
 数年前、50億もの金を無駄に詐欺にあった
老舗不動産会社は、不動産所有者と名乗る詐欺師を見抜けなかった。一流企業は社員の採用に関しては、一流校の成績上位者を採る傾向にある。一流校の成績上位者ほど「丸暗記組」が多い。すると丸暗記が祟って本物の不動産所有者と詐欺師との区別がつかないことになる。不動産所有者と名乗る詐欺師の写真をもって「本物」の不動産所有者の近所を訊いて回ったら、近所の人は写真を見て「こんな下品な人じゃないわよ。池内淳子さんばりの上品な方よ」と言った。老舗不動産屋の社員は上品と下品の区別がわからなかった。近所の人たちは本物を見ているので上品を知っていた。
 明治・大正・昭和の文豪の写真を見ていると、それぞれの「面構え」に感心する。「経験がその人の顔を作る」とはこのことだろう。
理髪店のポスターのような「いい男」ではないが、その「風貌」は歴史と品性を感じさせる。
 高砂の掛け軸の中の老夫婦。善行を重ねた結果の温和なたたずまい。足元には亀、そばの松には鶴が……。翁と媼(おうな)の人間としてのあるべき姿。「かくありたい」と思わせる。

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死は生からの解放 毎日が発見ネットより

2022-01-12 19:49:53 | 私見偏在

 谷川俊太郎氏・詩人
 新春、ネットに谷川俊太郎氏・詩人のインタビュー記事が載っていた。正直「まだご存命だったのですか」と失礼ながら思ってしまった。御年90歳だという。私の少年時代から
谷川俊太郎氏のお名前は知っていた。知的職業の人が「現役続行」を実行している姿は、実にすがすがしいものだ。
 「いまは流れる川のように生きています」という言葉も、実に泰然自若として「かくあらねば」と思わずにはいられない。「木が枯れ、枯れ葉が落ちるように、老いていくこと
」、そのように自然に逆らわず「受け入れる」ことの大切さを教えてくれる。谷川氏は「字が下手なのでワープロやパソコンに飛びついた」と述べている。詩人なのに字が下手というのも驚きだ。
 「人間は一人が基本。でも、他人も必要だとコロナ禍を経験して分かりました」とある。
詩のように「潔い人生」を送ってきた谷川氏、教えられることが多い。近頃は「老害」という言葉を頻繁に聞く。年を取ると疎ましく感じさせる老人が多い中、谷川氏は颯爽・超然と生きている。「少年のような」という表現は、90歳の老人に使われることに違和感を覚える。しかし、同じく掲載された写真をみると納得する。

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日本人がマスクをきちんとつける理由

2022-01-05 20:17:38 | 私見偏在

  美輪明宏氏の記事
 あの美輪明宏氏がこんな記事を書いていた。
感染者が減少している日本ではマスクを着け続けることにそれほど抵抗がない。“感染対策の意識が高いこと”や“周りに迷惑をかけてはいけない”という理由もあるが、日本の服装の歴史が大いに影響しているのではないか、と続ける。江戸時代に広く用いられた「頭巾」。頭や顔を包む布製の被り物で、僧侶や武士、町人らが、防寒、ほこりよけ、そして人目を避けるために使っていた。女性たちも外をお忍びで歩くときは、「御高祖頭巾」という紫の頭巾を被っていた。日本人は、顔を包み隠したり、日常のなかで顔を覆う必要があるときは、ねずみ小僧のように、だいたい手拭いを使っていた。その現代版がマスクだと思っている。感染者が減少しても、日本人がマスクを着け続けているのは、国民性として、いわば当然のこと。それが外国との大きな違いなのだ、と述べている。
 「なるほど」と感心してしまった。子供のころのヒーローは大概、頭巾やマスク・覆面をしていたものだ。怪傑黒頭巾や鞍馬天狗、白馬童子、忍者や現代の仮面ものなどもそうだ。ただ主人公を襲う「悪いほう」の輩も黒頭巾姿だった。主人公が斬り捨てた「悪いほう」の黒頭巾をずらし「伊賀ものか」などとつぶやくシーンもあった。
 美輪明宏氏が、日本人の感染者の減少傾向を、服装の歴史からコメントしていることに興味を覚えた。

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