光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

負の成功体験

2022-04-27 20:11:20 | 私見偏在

 成功体験と言うと「脚光を浴びた過去」ばかりではない。負の成功体験もある。例えば店員がいない隙に商品を万引きしたときなど、がこれにあたる。初めはドキドキしてもう「二度とやらない」と思ったかもしれない。しかし、同じような状況にあった時、「あの時」
の成功体験が頭をもたげる。結局またやってしまう。この繰り返しの先に大きな失敗が待っていること。これが負の成功体験だ。
 ロシアのプーチン大統領も負の成功体験から逃れられないでいる。ソヴィエト時代への郷愁・共産党がチェコスロバキアの「プラハの春」を戦車で蹂躙した成功体験・チェチェン紛争介入の理由付けとして、スターリンが採った自作自演劇、思い込みを真実とする手法、政策実行のためなら自国民さえ犠牲にしても構わないやり方、西側からの情報や指摘を「フェイク・デマ」と一蹴。自分たちが今度やりたいことを「先にやられた」から報復する、という孫子の兵法「兵は詭道なり」の実践。
 国の為政者としてあるべき「国家・国民のため」が見事に欠如した指導者。独裁者とは所詮こういうものだ、という典型。軍事での成功体験は同じ手法で次々と解決できると確信する。国家国民がどうなろうとかまわない。「我欲」のためにどこまでも突き進む気なんだろう。行きつく先は歴史が証明している。独裁者の末路は残酷だ。独裁者は歴史を自分の都合のいいようにしか見られないのだろう。

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保護国としての生き方

2022-04-20 20:59:30 | 私見偏在

 いまから900年以上前、平安末期に書かれた日本最古の兵書・闘戦経(とうせんきょう)。当時から孫子の兵法が広く知られていたが、「日本人の矜持」を示す教えと言われている。大江匡房によって書かれた。
 漢の文は詭譎(きけつ)有り。倭(わ)の教は真鋭(しんえい)を説く、とある。孫子の兵法は「騙す」ことも辞さないが、日本の教えは「公明正大・正々堂々」を旨とする。のちの「武家諸法度」に受け継がれた。
 紫式部の源氏物語は、三国志やダンテの神曲より三百年前に書かれた。シェイクスピア登場の五百年も前のこと。
 また「縄文時代」。世界の文明史は、四大文明に端を発したという定説に、縄文時代の三内丸山遺跡での調査結果から、四大文明に匹敵する高度な文明が誕生していたとする縄文文明論が登場している。
 今、日本の三隣国が「不穏な動き」をしている。「憲法改正」・「核のシェア」・「敵基地攻撃」など、政治家はいつもの通り「キャッチフレーズ」を連呼しているだけ。国民は「何を今さら」と呆れている。
 今回のロシアの侵略は、スカンジナビアでは危機感をスピードに変えて対処しようとしている。日本は「熟慮に熟慮を重ねて」またまた「事態の推移を見守る」だけなのか。
 問題の三隣国は独裁者の国。「焦土作戦」や「焚書坑儒」の国なのだ。一旦そうなった場合は「日本の文化」は消滅してしまう。
 「保護国としての生き方」は民主主義の国、アメリカを想定している。決して悪いことではない。国同士が互いに保険をかけあうNATOと性格は同じ。「キャッチフレーズ」の連呼だけでは国と文化の存続はできない。 
 

 

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日本の文化を残したい

2022-04-13 20:29:39 | 私見偏在

 「ロシアによるウクライナ侵略」を鑑みて、改めて日本の地球上の位置を見ると、周りはすべて問題のある国々に取り囲まれている。
「痛めつけよう」と思う国にとっては、地政学など引用するまでもなく、「それぞれの国」が時には結託すれば、容易に日本を攻撃・攻略することができる。なにせ日本は唯一の被爆国・非核三原則の国。国防は敗戦からのトラウマからか自縄自縛状態。独立国としての体をなしていない。憲法改正も時間が充分にあったのに検討すらされてはいない。700人以上の国会議員は問題の「たなざらし・先送り」を繰り返すだけ。この頃になって「敵基地攻撃能力」だとか「核のシェア」だとか言い始めているようだが、いつものように「情報収集・精査・事態の推移を見守る」うちに、「遅きに失する」ことになる。 
 私は日本以外では通用しない「日本語や日本文化」など「ガラパゴス」由来の文化を守らなければならない、と思うようになった。問題の国々に蹂躙されることになれば、日本の文化など地上から駆逐されてしまう。そうならないためにも「アメリカによる保護国」を考えるようになった次第。今できることといえば保護国以外に考えられない。日本のように「熟慮に熟慮を重ねる」には時間がないからだ。重要な決断でも「即座に決める」ことは日本人には無理だ。充分な時間の余裕があったにもかかわらず、一切無視し続けた「つけ」がすぐそこに来ている。

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保護国、その正当性

2022-04-06 20:05:49 | 私見偏在

 野党からは日米軍事同盟と言われる「日米安保条約」。その名前が示すように軍事同盟などではなく、アメリカが日本の安全を保証する条約である。原則的に、日本有事の際はアメリカが助けてくれる、という約束。逆にアメリカ有事の際、日本は動かないという不平等条約のこと。
 太平洋戦争で日本は唯一アメリカに負けた。占領軍のマッカーサー元帥は日本人を「12歳の少年」と称した。「12歳の少年」には親権者が必要。
 ロシアによるウクライナ侵略、中国の台湾併合の気配・北朝鮮情勢などを鑑みれば、「12歳の少年」の住む環境は「劣悪」と見ねばならない。成人ならばまだしも、我々はいまだ「12歳の少年」のまま。
 戦後、日本の「防衛と外交」は目立った成果を挙げてはいない。日本に対する外国の挑発的な行動に対しても「遺憾砲」の乱射と「厳重に抗議」「毅然とした態度で対応」などとわけのわからないことを言っているだけ。とても「大人」の対応(外交・防衛)ではない。
やれないならば「親権者」に対外的な部分をお願いしてもいいのではないか。「親権者」が北方四島も竹島問題も解決してくれる。「12歳の少年」は「親権者」の言うことを聞けばいい。外交・防衛から解放された日本は経済活動に専念できる。しかし自衛隊は「親権者」の軍隊として、自衛のみでなくアメリカ軍に組み入れられることになる。これで自衛官には、本当に国軍としての意識が生まれることだろう。
 「12歳の少年」として、やれないならばやってもらう。やれるものだけやる。その代わり「親権者」の言うことは聞く。至極当然なことだと思うのだが。

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