光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

民、信なければ立たず

2020-04-29 20:53:13 | 私見偏在

 自宅待機中の死者が報じられた22日、専門家会議会見で釜萢氏は「熱が出ても4日間自宅で我慢しろと言ったわけではなく、普段病院行かない人でも4日も熱が続くなら是非受診して下さいという意味で言ったのに、逆に受け取られた」と修正した。報道でも厚生労働省健康局結核感染症課の文書でも、以下のいずれかに該当する方は、帰国者・接触者相談センターに御相談ください、とある。
  風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く方(解熱剤を飲み続けなければならない方も同様です)と明記している。
 この際、「言葉遊び」をしたり、事の重大さに気付いて「責任逃れ」の方便を弄することはやめていただきたい。科学者ならば真理に準じて「ストレートな物言い」をしなければならない。政治家のような詭弁や禅問答まがいの表現は何の意味もない。
 発表が誤解されて世間に広まったのなら、なぜもっと早く「訂正」しなかったのだろう。文学的表現ならば読者に勝手に解釈させることもあるが、科学に関する表現は簡潔を旨としなければならない。誤解をされるような文章を書いてはならない。理科系は文章表現に難があるのであれば文科系に検討してもらえばいいこと。科学者はなぜ誤解を放置したままにしたのだろう。
 以前テレビである評論家が「すべての悪の根源は政治家」という表現をしたことがある。科学者も「政治答弁」をするようになったのか。一般的に文科系と理科系を比較したとき、「どっちに詐欺師が多いか」と問われたら、「文科系」と答えるのではないだろうか。理科系には実直・正直・勤勉・口下手のイメージがあるが、それを壊す行為は「控えてほしい」ものだ。(続く)

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心が折れる―最終回

2020-04-26 20:46:33 | 私見偏在

 避けられないなら、受け止めるしかない。逃げてはいけない。完璧な人間なんているはずがなく、誰でも子どものときは親から、学生のときは先生から、会社に入れば上司から不備を指摘されるに決まっている。お父さんやお母さんは、今は優しさの権化みたいに見えるおじいちゃんやおばあちゃんから叱られ、先生たちはその先生から叱られ、上司はその上司から叱られていた。
 「叱られるなら早いうちに」という言葉がある。この「早さ」とは、失敗に気づいたら即刻あやまりにいく、というばかりでなく、人生のできるだけ早い時期に、という意味でもある。予防接種と同じで、子どものときに注射でちょっと痛い思いをしておけば免疫がつくが、それを嫌がって大人になってその病気に罹ると重症化してしまう。同様に、いい子いい子で、全く大人から怒られたことのない人が、会社に入っていきなり叱られるとパニックに陥る。だから、できれば学生の間に、部活でもバイトでも、必ずしも得意でない分野に飛び込んで、叱られる経験を積んでおくのはよいと思う。「心」の免疫が強くなる。
文藝評論家・明治大学文学部准教授である伊藤 氏貴氏の記事を引用しながら「心が折れる」について述べてきた。
 若者の間では「心が折れる」という表現は、もはやトレンドなのかもしれない。はやり言葉のように使っているのではないか。少子化の影響からか自分の「子供に旅をさせない」親が増えている。つらい・恥ずかしい・危険な思いをさせないことが「愛情」と思ってるから、子供は「免疫・抗体」のないまま成長することになる。一番最初に書いた入学式中の「途中トイレ」の現象を非難する勢力は少数派になってしまったのだろう。若者の間にも、少しの問題にも「心が折れる」若者を「豆腐メンタル」などと称している。これを見て少し安心した。

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心が折れる-続々編

2020-04-22 20:38:24 | 私見偏在

 伊藤氏によると「骨は折れると強くなる」というのは、昭和にはじまった迷信にすぎないらしいが、心も「折れる」度にむしろどんどん弱くなる。だからたとえば「心」を細長い骨のようにでなく、力こぶのような引き締まった筋肉としてイメージすると筋肉は適度な負荷をかけた方が強くなる。逆になんのストレスもなければどんどん細く弱くなってしまう。もちろんかけすぎはよくない。あまりに重すぎる負担だったり、インターバルを空けずにずっと負荷をかけつづけたりすれば再起不能なダメージを受けることもある。準備運動もなくいきなり激しい負荷をかけるのもよくない。
 テレビなどで報道された事案。
 有名企業に入ってわずか1年足らずで自ら命を絶った女性はまさしくこのような状況ではなかったか。「休日返上で作った資料をボロクソに言われた もう体も心もズタズタだ」とSNS上に書き込んでいた。「ボロクソに」という言い方がどのようなものであったのかはわからないが、仕事の上でダメ出しを食らうこと自体はありうる、というより誰しも避け得ないことだろう。もちろんこの女性の場合はこれが1回でなく、仕事量の問題や、仕事に直接関係のない「女子力」のことまで上司にあげつらわれたという問題があった。こういうときはすぐにしかるべき部署に相談すべきだ。少しずつだが着実に、会社の中でもそういうサポートは進んできている。だから、ここではどうしても避けられないダメ出しや叱責に関して、それにどう対処するかを考える。こんな事案に「専門家」は被害者に「寄り添う」あまり、被害者の撮った行為を是認する。是認の行く先はいつものように「難しい問題ですね」で終わる。(続く)

 

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心が折れる―続編

2020-04-19 19:56:16 | 私見偏在

 前出の伊藤 氏貴氏によると、1987年に神取忍という女子プロレスラーが対ジャッキー佐藤戦で「相手の心を折る」と言ってから脈々と若者の間に受け継がれてきた、と述べている。そこから主にスポーツの分野で用いられるようになり、30年かけてじわじわと広がってきた。
 特にここ10年くらいで若者の間では日常語となった。
 しかし、神取がはじめに使ったような意味で「心が折れ」てしまうなら、再起不能の重体に陥りそうなものだが、若者の心は、聞く限りしょっちゅう折れている。たぶん、よっぽど細長い「心」で、はじっこの方がちょこっとずつ折れているに違いない。
 しかし「心」ってもっと丸くて柔らかいようなイメージがある。「張り裂ける」とか「潰れる」とか、だんだん固くなって「壊れる」ならまだしも、「折れる」ほど細くはないなあ、と思えてならない。
 「折れる」という言い方に違和感をおぼえないという人は、それだけほんとうに「心」が細っているのだ、と伊藤氏は分析する。
 私は小学校や中学校に特殊学級を作った時から・報道などで差別用語を言わせなくなってから・またパワハラ、モラハラを悪としてから、若者の心が弱くなったように感じる。社会的に「いけないこと」はいけないとしても、大っぴらに「いけないこと」と法的には問題なくても、「モラルとしての禁句」をあまり増やさないほうがいいと感じる。「モラルとしての禁句」を多用することはその人の免疫を弱らせることにつながるからだ。(続く)

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心が折れる

2020-04-15 20:39:45 | 私見偏在

 「心が折れる」というワードで気になった記事を見つけた。文藝評論家・明治大学文学部准教授である伊藤 氏貴氏の記事だ。
 大学のゼミが始まる時間になっても、発表担当のP君がなかなか現れない。教室がざわつきだしたころ、別の学生が「先生、今Pから、コピー機が混んでいて印刷で遅れるってLINE入りました」と告げる。
 発表のときくらい不測の事態にも備えておけ、と一喝すべきか、頭を悩ませつつ待つことさらに十数分、「先生!」かの学生が大音声で再び報告に及ぶ。
 「大量のミスコピーをしてしまい、心が折れたのでこのまま帰りますって、Pから」。
いかに繊細な心を持つ若者たちでも、このP君の心のかぼそさには私とともに驚いてくれるのではないかと思う。そのときも、周りの学生たちの口からP君を責めることばは出てこなかったが、それは待ちぼうけを食わされた怒りよりも、呆れていたのだと思う。そしておそらく、P君のことが少し心配になった、これからどうするのだろう、と。
 とりあえず連絡し話を聞く。それによると当人はうまく言語化できなかったが、要はそのときパニックになってどうしてよいかわからなくなってしまったという。
 このまま教室に行ったら必ずみんなから白い眼で見られる、嫌味なあの教師から叱られる、と思ったに違いない。その方がよほど自分の評価を下げることになることにまで思い及ばず、そのまま逃げ帰るしかなかった。つまり「心が折れる」とは、「心」の問題というよりむしろ一種の「思考停止」状態のことを言うのではないか、とある。
 私は小学校入学式写真撮影のバイトをしたことがある。
 式の途中の校長先生の話の最中に、先生たちが両手に一人づつ新入生の手を引いて何度もトイレに駆け込む姿を見て違和感を感じた。式の前にトイレに行って準備をすることをしたのだろうか。今はこういうやり方なのだろうか。
 不思議な体験だった。子供と言えどもこのような「幼児性」が、他人に迷惑をかけるという道理を教え込むことは必要なのではないか。(続く)

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就職内定者の自殺

2020-04-12 20:28:25 | 私見偏在

 就職が内定している企業の人事課長からパワーハラスメントを受け、大学4年の男子学生が入社2カ月前にみずから命を絶った。
 会見した弁護士によると、死亡した男子学生は2018年春にある企業から新卒採用の内定を得た。同社では内定者への研修の一環として、SNS交流サイトに内定者20人を全員登録させていた。人事課長は、このサイトに毎日ログインして投稿にコメントすることや、課題として出された本の感想を投稿することなどを求めたという。
 また「誰がいつサイトに入っているかは人事側で見えています」とか「毎日ログインしていなかったり、書き込まない人は去ってもらいます」とも書かれたという。
 弁護士によると、18年7月ごろから人事課長がSNSに投稿するこうした言葉で次第に追い込まれていった。書き込みが少ないといった理由で内定者をSNSから排除したり、「無理なら辞退してください、邪魔です」などと内定辞退に言及したりしたほか、「ギアチェンジ研修は血みどろになるくらいに自己開示が強制され、4月は毎晩終電までほぼ全員が話し込む文化がある」などと入社後の過重労働を示唆したりしていたという。(ネット記事から)
 私はこの記事を読んで、この人事課長もかなり人間的にも役職的にも「病んでいる」と感じた。
 ネットの意見では
「こんなことやってて会社に何の得がある」とか「まだ働いていないのなら入社を辞めたらいいのに」などのコメントがある。また、いかにパワハラ・モラハラと言われても、本人の「メンタルの強さ」も少なからずこの事案に関係があるのではないだろうか。

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自粛疲れ

2020-04-08 20:17:10 | 私見偏在

 人との接触をできるだけ避けるため、国民は自粛を強いられている。たった何日か自宅にいるだけで自粛疲れを起こしている人に「ニート・子供部屋おじさん」を見習え、という現象が起きるかもしれない。
 彼らの「息の長い自粛」を参考にすることこそが今の日本を救うことになる。日本で一番コロナの被害から遠い存在が「ニート・子供部屋おじさん」と呼ばれる「引きこもり」の人たち。
 自分の部屋にこもって外との接触を拒んでいるため、日本全土がコロナのキャリアになっても、彼らだけは感染することなく存在し続ける。するとアマゾンの未開の人々と同じく免疫を持たない非常に危険な立場になる。
その危険を避けるため、今まで蓄積してきた引きこもりのノウハウを、この際自粛疲れの国民に披露してはどうだろう。人との接触を図ることによって部屋の外へ出る口実もでき、自らの免疫も鍛えられ、何よりも人の役に立つという大義が具現化できる。

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アベノマスク

2020-04-05 19:56:02 | 私見偏在

 安倍首相が4月1日、新型コロナウイルス特措法に基づく政府対策本部で、緊急経済対策の一環として1世帯あたりマスク2枚を配布すると表明した。
 落語家の立川志らく氏は「最初にお金でマスクは後」と、順番が違うと批判し「B29が飛んできたのに竹槍で戦う発想に見えちゃう」と例えた。
 小説家の百田尚樹氏は1日、自身のツイッターを更新し「一つの家庭に2枚の布マスク? なんやねん、それ。大臣が勢揃いして決めたのがそれかい! アホの集まりか。全世帯に郵便で2枚のマスクを配るって…」「これ、エイプリルフールのつもりか。もしかして全閣僚が集まって考えついたウソか?」と述べた。
 私も安倍応援団だったがアベノマスクの出現で考えが変わった。さらに「布製で、洗うことにより再利用可能」とか「急激に拡大するマスク需要に対応する上で極めて有効」と自ら説明したのにはあきれてしまった。そんな些細なことを、一国の総理大臣が国民を前に説明することだろうか。安倍首相は歴代一位の在任期間で「裸の王様」になったのではないか。お友達内閣と揶揄され続けてきたが、周りにイエスマンや能力を疑われる閣僚を並べ、学生時代暗記だけに長けた官僚の思い付きを採用してきた「つけ・ほころび」が出始めたのではないか。
 安倍首相はこれまで国会を「厚顔」とも思える「論法」で切り抜けてきたが、「論法」や「詭弁」はこの疫病には通用しない。
 安倍首相は政界でもサラブレット。リーダーとしては「順風・平時」の人。本当のリーダーは「逆風・戦時」に本領を発揮する。この際、多くの公務員たちが望む「つつがなく」の考えは捨ててほしいものだ。

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オリパラ延期

2020-04-01 20:50:54 | 私見偏在

 2013/9/8付(当時の)日経新聞ネット版によると、2020年夏季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会がブエノスアイレスで開かれ、IOC委員の投票で7日(日本時間8日)、東京が選ばれた。1964年以来56年ぶりで、2回目の開催はアジアで初めてとなる。大会運営能力の高さや財政力、治安の良さなどが評価され、3都市による戦いを制した。東京の立候補は、リオデジャネイロ(ブラジル)開催が決まった16年大会に続き2回連続で、雪辱を果たした。東京は、16年大会の招致レースでは国内支持率の低迷やロビー活動の出遅れが響き惨敗。東日本大震災後の11年7月、当時の石原慎太郎都知事が20年大会への再挑戦を表明し、同年9月に東京招致委を立ち上げた、とある。
 2011年に起こった3.11東日本大震災からわずか二年しか経っていない間に決まった東京オリパラ。別名「復興五輪」と名付け「被災地を元気にする」はずだった。
 その後、国立競技場の設計をめぐるすったもんだ・エンブレムはパクリ疑惑・誘致のための二億三千万円の贈賄疑惑・被災地に振り分けるはずだった競技も消滅・国のオリンピック関連支出公表予算額の4倍・直前になってマラソンコースの変更・最後はオリパラ一年延期。
 「被災地を元気にする」という言葉は当初からうさん臭かった。本当に「被災地を元気にする」のであれば、東京オリパラ開催よりもまずは「復旧・復興」が先ではないだろうか。いまだに故郷に帰れない人がいるのに、東京オリパラ開催という「お祭り」が「被災地を元気にする」ことにつながるとは思えない。今年の3月11日で九年目。「関連死」を含めた死者と行方不明者は、2万2000人を超えている。この数字の前に「お祭り」で「被災地を元気にする」には無理がある。
 「呪われたオリンピック」と称した」麻生太郎財務大臣。意味は違えども本質は突いている。

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