光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

国会の学級崩壊

2020-07-29 20:07:30 | 私見偏在

 毎日新聞記事から
 国会議員の間で、審議とは関係のない娯楽小説を読んだり、スマートフォンで趣味のウェブサイトを見たりするなどのモラル違反が横行している。
 与野党を問わず、議事とは関係のない新聞のスクラップや書類を持ち込んで読んでいる国会議員はとても多い。衆議院ではパソコンやタブレットの持ち込みが許されているため、委員会の審議中にユーチューブの映像を見たり、メールやSNS(交流サイト)への投稿をしたりする事例も存在するようだ。議員が、形式上は委員会に出席しながら、読書をしたり、スマホを見たりしているのは、国会の実質的「学級崩壊」を意味する。
 問題の根っこにあるのは、国会が非常に形式的で、実質的な討論の場になっていないことで、国会の議論の形式を根本的に変えることが一番の解決策だと思う、という記事。
 新聞記事なのであまり露骨な表現は避けたのだろうが「国会の議論の形式を根本的に変えることが一番の解決策だ」というよりも、単純に「定数が多い」のではないか。
 日本の国会議員は713人。ちなみにアメリカは531人 ・オーストラリアは227人である。
この国土でこの人数、いかにも多い。「頭数」
が多いと責任も薄くなる。既得権に胡坐をかくと仕事はしたくなくなる。彼らが真剣になるときは自分の選挙の時だけ。こんな国会議員はいらない。彼らの辞書に「少数精鋭」という四字熟語は載っていないらしい。

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「泥棒」由来の国々

2020-07-26 21:13:44 | 私見偏在

  韓国には「泥棒と言われたら、お前こそ泥棒だと言い返せ」という処世訓めいた言葉がある。
 サムスン電子が特許侵害で訴えられるや、数日後には「われわれこそ特許を侵害されていた」と逆提訴すること。「竹島(島根県)を返せ」と言われるや、「日本こそ対馬(長崎県)を盗んでいる」と言い始めること。みんな、この処世訓どおりだ。
 彼らにとっては、「訴えられている」から「双方が訴えている」に状況転換できればいいのだ。そして、どんな不利な条件でもいいから和解に持ち込む。傍目から見たら、どちらが正しいのか分からない、うやむや決着だ。
すると、「問題は解決したのだから、未来の協力について話し合いましょう」と、気持ち悪いスリ寄りの開始となる。
 新・悪韓論 室谷克実氏より
 また、中国は武漢ウイルス感染拡大を逆手に取って、世界制覇の足掛かりにしようとしている。中国は弱い者には横暴だけど、強い者には神経を使ってその顔色を窺う。今はアメリカが武漢ウイルスで弱まったと思えば、中国は遠慮なく暴走し始める、と石平氏。
 福澤諭吉・脱亜論には「悪友と親しい者はともに悪友とみなされてしまう。アジア東方の悪友とは交友を絶つべき」と言っている。
欧米人にとって日本人と特亜人との区別がつくはずがない。彼の「教え」を守っていたら、今日のような「迷惑な隣人」との関係はなかっただろうに……。

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学校教育の在り方

2020-07-22 20:40:52 | 私見偏在

 『教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)の著者・榎本博明氏の記事より。
 教育の現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学志向
が強まっている。だが、基礎知識や教養、物事を深く考える習慣を身につけさせないのであれば、先の読めない変化の激しい時代を柔軟に生きることは困難だ、と榎本博明氏は警鐘を鳴らす。
 実用性重視の教育にかじを切ったきっかけのひとつが、会話重視の英語の授業。1993年以降、英語教育を読解・文法中心から会話中心に転換してきた。その結果、何が起こっているか。榎本氏は読解力や教養を身に付けられていないと指摘。英語の学力低下のため、大学でも従来のような英語の文献を用いたゼミが成り立たなくなった。日常会話はできても文章の読解ができなくなった、と言うのだ。
私は思うのだが、日本における行政は改革を行う場合「抜本的」という言葉を多用する。役人が「抜本的」と言う時は「all or nothing」か「右のものを左に移す」ことしかない。
一般的な「変革」は「足して二で割る」こと。
学校の英語教育で「文法が邪魔して英会話ができない」と思うと、じゃあ「優しい英会話」でいくか、となる。学校行政に過度の期待を抱く現在の大学では、このような帰結は避けられないこと。なぜ以前のように各大学が、それぞれ独自の試験を実施しないのだろう。
各大学が独自性を捨てて、共通一次やセンター試験方式になってから「のっぺりとした弊害」が出てきたのではないだろうか。
 

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目的と手段

2020-07-19 19:46:39 | 私見偏在

  和田 秀樹氏・国際医療福祉大学大学院教授による記事。

「目的と手段」を混同することでメンタルヘルスを害する人が多い。
 人前であがってしまって顔が赤くなることに悩む患者がいる。医師は「なぜ顔が赤くなってはいけないのか」を問う。すると、患者は「こんな赤い顔をしていれば嫌われてしまう」と答える。人に嫌われたくないから赤い顔を直してほしいらしい。しかし、顔が赤いのに好かれている人もいる、という事実を説き、顔が赤くないのに嫌われている人もいることを説明。顔が赤くても好かれれ方法があることを説いて患者を納得させる。症状へのこだわりから脱却して、本当の目的を自覚させたうえで、それに向かう努力を促す。顔が赤いのを治すのは手段であって、目的ではない。本来の目的(この場合、人に嫌われずに好かれること)に到達する手段はいくらでもあるとわからせていくのだ、という。
 日本人は「目的と手段」を混同する。
 日本人はとかく「慣用句」が好きだ。日本語は表音文字ではないので「音」としての存在感が薄いからだ。なので存在感を保つために「慣用句」を多用することが多い。前述の「目的と手段」や「安心・安全」「戦略と戦術」などがそれだ。それぞれ意味が異なるのに「慣用句」として使用する。語呂合わせや表音文字に近い使用法をする。そうなるとそれぞれ違う意味も意識しないのだろう。そこで目的と手段を取り違えても平気でいられる。

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国賓来日中止決議の顛末

2020-07-15 20:13:11 | 私見偏在

 自民党外交部会などの合同会議は、中国が香港統制を強める「香港国家安全維持法」の施行を受けた党の決議について議論。外交部会役員会は習近平国家主席の国賓来日中止を求める案をまとめていた。しかし「中国に深いパイプ」を持つ二階俊博幹事長が反発。二階氏が日中関係に関わった「先人の努力」を水泡に帰すものだと唱えた。「ニクソンショック」の後に、アメリカの「後追い」して当時の田中首相が訪中したもので「先人の努力」などではない。若いマスコミ関係者はろくな勉強をしていないので「そう言われれば、そうだ」と思っているかもしれないが……。
 ネット記事・IRONNAから
 二階氏はかつて江沢民・元国家主席の石碑を地元・和歌山を皮切りに日本全国に作ろうとしたほどの親中派。上野動物園に2頭しかいないパンダが、和歌山・白浜町のアドベンチャーワールドには7頭いる、という。
 もう一方の国賓来日派の石破氏は「礼儀は礼儀としてきちんと尽くさないといけない。その上で言うべきことは言うことが必要だ」と語った、という。
 「世界の狼藉者」に対して「礼を尽くす」とは、どういうことをせねばならないのか。
「言うべきことは言うことが必要」だ、という文言は一帯一路の「バスに乗り遅れるな」の際に賛成派が言った言葉。
 「世界の狼藉者」が聞く耳を持つと考えているのか。そう思っているのならば総理を狙う政治家というより「甘ちゃん」と言うしかない。「国益優先」よりも総理を目指しての二階氏への「すり寄り」か。

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国賓来日中止決議で賛否

2020-07-12 20:01:47 | 私見偏在

 時事ドットコムニュースより
 自民党外交部会などの合同会議は、中国が香港統制を強める「香港国家安全維持法」の施行を受けた党の決議について議論した。外交部会役員会は習近平国家主席の国賓来日中止を求める案をまとめていたが、中国に深いパイプを持つ二階俊博幹事長が反発。決議案をめぐっては、外交部会役員会が「国賓来日中止」を求める案をまとめた。しかし、二階氏が周辺に「(日中関係に関わった)先人の努力を水泡に帰すものだ」と唱え、文言調整を求めた。
 二階氏の言う「先人の努力」とは何なのだろう。1972年のニクソンショック(頭越し外交)による単なる「後追い訪中」だっただけで「先人の努力」は関係がないはず。
 また石破茂氏は派閥会合で、党外交部会などが中国の習近平国家主席の国賓来日の中止を日本政府に求めたことに苦言を呈した。「中国との関係にどういう影響を与えるかよく考えるべきだ」と述べた
 「礼儀は礼儀としてきちんと尽くさないといけない。その上で言うべきことは言うことが必要だ」とも語った、と言う。
 しかし、「礼儀」は一方だけが守るものだろうか。一方だけが守る「礼儀」は服従と言う。石破氏は尖閣諸島に軍艦を侵入させ、日本の漁船を追い回していることが「礼儀」に適うことと思っているのだろうか。
 二階氏と石破氏はともに「出戻り議員」。自らの節操のなさを国民は忘れたわけではない。しかし「出戻り議員」を厚遇した自民党にも相応の責任がある。
  「先人の努力」よりも「礼儀」よりも「パンダ七頭」よりも、アメリカのように「国益」を最優先に考える国会議員であれ。

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違和感のある言葉

2020-07-08 20:24:53 | 私見偏在

 線状降水帯のため大雨特別警報発令。気象庁は「少しでも命が助かる可能性の高い行動を」と言っていたが、「命が助かる行動を」と言ったほうがすっきりしていいのでは。なぜ「少しでも」とか「可能性の高い」とかいうのだろう。
 官房長官も「一日も早く」とか言わず簡略に「早く」とダイレクトに言ったほうがいい。
また、河川が「いつ氾濫してもおかしくない状態」などと言わずに「いつ氾濫しても不思議ではない」と言ったほうがいい。「おかしい」という表現は若干「不謹慎」なニュアンスに聞こえる。
 「心肺停止の状態で見つかる」という表現も、「何らかの処置をすれば生き返る」という風にも聞こえる。「心肺停止の状態」で見つかったのに、かなりの時間が経過してから「死亡が確認された」と聞くと違和感を感じる。少し前のネットの記事では「工事現場から白骨死体発見」とあったが、正確には「心肺停止の白骨」と言うべきだ、という記事があった。
 また気象庁の会見で「ちょっとこのハザードマップを見ていただきたいんですが……」と言って地図を出したが到底「ちょっと」見ただけでは理解できないものだった。
 行政はコロナの「出口戦略」と気軽に言っているが、コロナ対策それぞれに「戦略」があるはずがなく、いつものように「戦略と戦術」の区別がつかないようだ。
 テレビで大雨特別警報発令中、被災者の人が「毎年毎年五十年に一度」じゃないですか、という訴えに心が痛んだ。
 行政や「人の先に立つ人」は「言葉遊び」はやめてほしいものだ。

 

 

 

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「免疫力」の秘密

2020-07-05 20:08:14 | 私見偏在

  動物行動学研究家・エッセイスト・竹内久美子氏の記事より
 動物の生存にも、繁殖にも深く関わるのが、免疫力。ウイルス、バクテリア、寄生虫など、他者に寄生して生きていく連中(寄生者)に対して戦う力である。
 生存に関してだけではなく繁殖の際になぜその相手を選ぶのか、という選択にも免疫力が関係している。
 生物の歴史は寄生者との闘いと言っても過言ではない。人間もずっと闘い続けてきたのだが、その事実を多くの人々はすっかり忘れていた。そこへ新型コロナウイルスが現れ警鐘を鳴らした。
 人間の男の場合、免疫力の高さの証しとなるのが声の魅力、顔がいい、筋肉質の体、ケンカの強さ、IQの高さなどであることが分かっている。要は、女がキャーキャー言うような男こそが免疫力が高いのだ。人間でもオスの魅力が問題で、メスはあまり関係ないのは「動物はメスがオスを選ぶ」が基本であるからだ。メスは一度の繁殖にかかる労力も拘束時間もオスよりも大きく、それならば選ばせてもらいますよ、という立場になるのだ、と述べている。記事から含蓄の深さを感じる。
 「動物はメスがオスを選ぶ」という箇所が気になった。人間世界でこの事実を理解しなければ「事件」につながることがある。
 自然界では鳥でも獣でもオスの容姿は大きく、ド派手で目立ちやすい。オスはメスに果敢にアピールして受け入れてもらおうと努力する。メスに選んでもらわなければ、オスは遺伝子をつなぐことができない。結果的にメスに選ばれることは免疫力が高いことの証だ。
人間社会では「オスがメスを選ぶ」と思われている。これは完全なる間違いで、自然界のように「メスがオスを選ぶ」ようにすればストーカーなどは起こらない。自然から学ぶことは多いはずだ。 

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日本人が患う「管理されたい病」の重症度   ライター・窪田順生氏の記事より

2020-07-01 20:37:05 | 私見偏在

 先日NHKの世論調査で、新型コロナなどの感染症の拡大を防ぐため、「政府や自治体が外出を禁止したり、休業を強制したりできるようにする法律の改正が必要だ」と考えている人が、62%もいることがわかった。
 ちなみに、「必要ではない」と答えた人は27%ということなので、ダブルスコア以上で、「お上にたてつく不届きものはお仕置きすべき」と考える人が多いということだ。
 「民度が高い」「世界一規律正しい」などとおだてられたい日本人よりも、「厳しい法律でもっとカチカチに我々の自由を制約してちょうだい」という、かなりマゾヒスティックな願望を抱く日本人の方が、一般的ということなのだ。
 戦争中の映画やラジオ、演劇や落語などの大衆娯楽は、軍部による厳しい検閲によって弾圧された、というイメージを持っているはずだ。しかし近年の研究では、そういう単純な構図ではないことがわかってきている。
 さまざまな検閲の後押しをした可能性のある「投書階級」という人々がいたことがわかっている。といっても、この人々は何かの専門家ではなく、その正体は会社員、官吏、教員といった普通の市民だ。社会を暴走させる本当の真犯人は、政治家でもマスコミでもない。実は、いともたやすく「空気」に流され、「強いものに管理されたい」と騒ぎ出す、我々国民自身なのである。と総括している。
 新型コロナの現代には「自粛警察」と称される人々がいる。本人たちは「自粛=正義」と思い込み、「お上」の言いつけ・指示を守らない「不逞の輩」に「天誅」を加える、と考えているのだろう。日本の「村八分」にもつながる「陰湿」という言葉が背景にある。
 

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