〇New Sphere紙によると、
アメリカでは自殺率が上昇しており、過去10年間で30%近くも増加した。特に女性と十代でその傾向が顕著だ。だが、それは何もアメリカに限った話ではない。自殺はどこでも増えており、それは世界の至るところで人々を捉え、その家族にも大きな苦しみを与えている。
自殺の倫理は、歴史を通じて、今も昔も変わらず世界の宗教にとって重大なテーマだ。
世界の宗教の多くが、伝統的に自殺を戒めてきた。その理由は、人間の命は原則的に神のものだという信仰に基づいている。
そして人間は自らが下した選択に対して神から責任を問われるという意味。人間の生死は神に属するものであり、人間が勝手に決めてよいものではない。
イタリアの詩人ダンテは、代表作「神曲」の第一部「地獄」の作中で、自殺を犯した罪人達は地獄の第七階層で樹木としての存在を与えられ、そこで伐採や剪定を受けて血を流して苦しむ、と描写した。
多くの宗教が伝統的に自殺を禁止してきたのは事実だ。ところが、人生に絶望しての自殺と異なり、コミュニティのため、あるいはより大きな善のために為されるある種の自殺は、場合によっては許容され、賞賛されることすらある、と記事にある。
この世のほとんどの自殺は一種の「逃げ」なのだ。一般人はとても「殉教」などできるものではない。
前回の記事では、自殺者の20倍の人間が「自殺未遂」者として載っている。「自殺未遂」
と言えば聞こえがいいが、一昔前まで世間では「死にぞこない」と呼んだ。未遂の結果、体のどこにも異常もなく済めばいいが、重大な後遺症を抱えて生きながらえることになれば、世間からも家族からも「生き地獄」を味わうこととなる。生命を弄んだ「つけ」が回ってくる、とも言える。
人間は生まれたからには必ず死ぬ。死に急ぐ必要はない。自分の死は「誰か」に任せることだ。逃げるために死を選ぶことは何にもならない。逃げずに死を「誰か」に任せれば気が楽になるはずだ。