10歳の小学生の女の子が、見回り中のPTA会長の男に連れ去られ殺害された、という事件。
しかし同時に「繰り返される有罪推定報道」という記事もあった。
確かに刑事裁判では、罪が確定されるまでは「推定無罪」の原則が働くのだが、事件の特異性が日本中の世論を沸騰させている。
そのため有罪推定報道が先走るのだ。
容疑者が自らの意志か弁護士の「指導」かは不明だが、依然として黙秘を続けている。
DNAが逮捕の決め手とされているが、過去には「警察のお手付き」も報道されたこともある。
この事件を考えてみると、連れ去り・拉致・人さらい・誘拐・略取など、日本語の語彙が豊富なためか、やたらと罰則に同意語が多い。
本人の同意も得ずに連れ去られたら、誘拐事件でいいのではないか。たとえ本人の同意を得たといっても、犯人側に作意があったらアウト。日本語は「語彙が豊富」と、犯罪を細分化して各々量刑を決めるのは合理的とは言えない。窃盗でいいものを、わざわざ万引きと言ったり、暴力をいじめと言ったりするのは、何らかの魂胆があると考えるべき。
「連れ去り」と言われると、「誘拐」よりも悪いことをしている意識が低い感じがする。
誘拐事件、対象が幼児でも大人でも罪が同じでは合理的ではない。もっと極端に比べると、幼児を連れ去ってもプロレスラーを連れ去っても同じ罪。これは絶対おかしい。
幼児を対象にした犯罪は、通常の大人を対象にした犯罪より、飛躍的に思い罪にしなければ、今後も増え続けるし、何よりも合理性に欠ける。