きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

カラオケソムリエ

2010-12-28 | 歌謡曲・カラオケ
さっそく昨日歌ったのはMr. Children「innocent world 」
「 everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」は昔歌えてたはずなのにコケまくりだ。

「奇跡の地球」も昔は歌えてたんだけどなぁ。
B'z「LOVE PHANTOM」昔練習したのにセリフがうまく入らない。
ダメじゃん、私。^^;

でも、昔覚えてた歌はだんだん思い出してくるから平気。
忘れてもいいから、一度はその時に覚えておきたいものだ。

私は子育てしてた90年代のレパートリーが薄い。

森高千里、大黒摩季、trf・・・
ここらの時代はkekeと「お母さんといっしょ」とか何とかレンジャーを見ていたので分からないのだ。

森高千里で唯一知っているのは、ポンキッキの「ロックンオムレツ」と彼女が売り出し始めの「17歳」である。

当時元夫と新宿辺りを歩いていて、生まれて初めて「カラオケボックス」なるものをそこで見た。
信じられないかもしれないが、そこにあったのは公衆電話ボックスみたいな狭さの練習用カプセルである。(二人で腰掛けるのがやっとぐらい)
元夫もカラオケ好きだったので、なにこれー?!と喜んで二人で入って行ったのである。
その時にその店でリピートリピート流れていたのが、森高千里の「17歳」であった。
(南沙織のリバイバル曲である。)
私はそこで南野陽子の「秋からもそばにいて」辺りを歌ったと思う。まだ付き合っていた頃だから平成元年か2年の初めだ。

それからあれよあれよとカラオケボックスなるものが全国に広まっていった。

それとともに公衆電話ボックスのようなものは、あれよあれよと広いきれいな部屋に変わり、何人かが集まって盛り上がって歌う場所に変わっていき、1時間3000円だのになっていった。(当時はまだバブルと呼べる時代だったか。)
しかし私はkekeが生まれて、カラオケボックスとは縁が遠くなっていった。
(なのでカラオケボックスなるものに行き始めたのはkekeがだんだん手を離れてからなのである。)

という事情もあり、私はカラオケボックス世代(と自分が勝手に名付けている昭和40年台の半ば~50年台前半生まれ)の得意なカラオケ曲を、意外に知らないのである。
=90年代のヒット曲
これは人間ジュークボックスをめざす身としては致命傷であるので、少し補強していこう。

毎回父とシアワセばあさんは「歌はいいですよ」と言うが、本当に歌はいい。
人の心と心をつないでいく。

今まで「人間ジュークボックス」という訳の分からない単語を使ってきたが、これからは名前改め「カラオケ・ソムリエ」と呼ぶ。
それはその人が「懐かしいなぁ、もう一度聴きたいなぁ、いっしょに歌ってみたいなぁ」という歌を、瞬時にパパッとひらめかせて歌える人の事である。
ソムリエが料理に合わせてワインを選べるように、その場の空気に合わせてマッチしたカラオケの曲を選曲できる人の事である。
(という定義付けをしてみる。)

父がシアワセばあさんから「何でも歌を知っている歌の先生」と呼ばれるように、娘の私もそんな道を目指してみる。
カラオケソムリエに完璧になる事はできなくても、目指すだけならかまわないだろう。

と言うことで、自分の好きな曲ばかり歌ってしまう私ではあるが(もちろん、それは譲れない基本形!)、さらなる飛躍を来年から始めたい。


・・・なんて、調子よすぎかな。^^;


それから信じられないが、あれほど曲がらなかった腰が、何故か昨日の晩から突如復活を遂げた。
「病は気から」とは言うが、本当にそうなのか?

今日はやや痛みもあるが、もう歩くのは全然平気だし、かがんで物を拾うこともできる。ピョンピョン飛ぶ事もできる。
こんな事ってあるのだろうか。


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